36. 憎愛
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明けた朝。
無事に帰ってきた小鞠と、彼女を待っていた茜凪は、ほぼ同時に目を覚ましていた。
「小鞠さん、野菜洗ってきてくれる?」
「はーい……」
菖蒲に頼まれて、めんどくさそうに頷きながら小鞠は近くの川に笊を抱えて歩き出した。
茄子にかぶ、それから泥をかぶったままのネギ。これから振る舞われる朝食で使われるものだと思えば、世話になっているだけにいうことを無視するわけにもいかず怠い足を動かし続けた。
陽が綺麗な朝だった。
キラキラと輝いて、眩しくて、小鞠にとっては眩暈がするくらいのもので。
太陽が昇る方角を見つめて、ふと足を留めればどうしようもなく己が穢れた存在であることのような気がしていた。
相対する存在はこの陽を受けたとて、輝き続けるのだろう。
「まぶしー……」
眩しくて、怨めしくて、愛しくて。
同時に願う。同時に妬む。
彼女が不幸になればいいと思いながらも、少しだけ上回った気持ちに気付いていた。
彼女が、心から愛した男と。
幸せに暮らせる日々を、手にできればいいと。
「あれ」
「!」
「あ、やっぱり!昨日の嬢ちゃんじゃねぇか!」
陽を見つめていた小鞠は、背後からかけられた声に振り返った。
知り合いではないけれど、聞き覚えのある声。どこかで聞いたような……と思い出す前に、視覚から捕えた情報が彼が誰なのかを教えていた。
「昨日の新選組の人……」
笊を手にした小鞠の前に現れたのは、なんと永倉だったのだ。
羽織は脱いでいたから、恐らく隊務は終了したのだろう。
がっちりした筋肉が目立つ格好で近付いてきた男に、小鞠はゆっくりと瞬きをした。
「よう!昨日は土方さんがすまなかったな」
「別に。気にしてませんけど」
「そうか。ならよかった」
人間にこうも親しく話しかけられるなんて、どことなく気持ちが悪い。
小鞠にとって憎むべき一部の相手は人間であるのだから、いい印象を抱く訳もない。
人間とは誰もが自己中心的であり、争いを好み、そして金と権力のためだけに力を振るうと思っているからだ。
その醜い戦いに黒瀬と縹が巻き込まれ、全滅したことが許せない。それは……今でも。
「まぁなんだ。色々事情はあるんだろうが、あんまり夜に出歩くなよ?本当に怪我してもしらねぇぞ?」
「言いましたよね、あたし妖なんですけど」
なめてんの?
そんな意味を含んで返したのにこの男……永倉 新八は、どこかの誰かと同じくらい、愚直だったのだ。
「妖でもなんでも関係ねぇよ!女の子が一人出歩いて、怪我したら誰だって心配だろうが!」
「……」
「そりゃもちろん茜凪ちゃんと同じくらい強いのなら心配ねぇのかもしれないけどよ。男からしたらそんなの関係ねぇんだよ」
また、だ。
斎藤が似たような言葉を吐いた時と同じような気持ちになった。
どしてだろう。どうしてこんなにも温かくて優しい気持ちが生まれるんだろう。
「んじゃ、俺ァまだやることがあるからよ。気をつけて帰れよ!」
「……」
「寄り道するんじゃねぇぞ!」
茜凪よりも年下であるのは看破されていたのだろう。
態度や対応の仕方からして、子供扱いされたことに変わりはなかったのだけれど、小鞠は何も返すことが出来なかった。
嫌味でもなんでもない。永倉の愚直な言葉がまた一つ、響く。
人間とは自己中心的で我儘で争いを好み、自分の利益、金、権力のためだけに生きているものだと思っていた。
他の誰がどうなろうと関係ないのだと思っていた。
――変わっていく音がする。何かが変わっていく音がする。
尾張の国で、妖だけで切り盛りする茶屋にいた頃とは違う。
こんなに多くの人間に囲まれて、関わったのは初めてとも言える。
「……人間の、くせに」
吐き出した同じ音は、まったく別の音を孕んでいる。
「人間って……」
誰になら、わかるんだろう。
これだけ葛藤している気持ちと自分がいることが、誰になら伝わるんだろう。
後悔している、ここに来たこと。
よかったと思っている、ここに来たこと。
どちらも自分。ただ一つ言えるのは、どちらにしても引き返すことが出来ない姿になっていたことだった。
第三十六片
憎愛
――それからまた数日後。
ついに十月も残り僅かとなり、下旬にさしかかった日のこと。
「うわあぁぁぁ!凄い綺麗じゃない!」
「本当ですね、とても美しい」
「まさに旬って感じだな」
この日、いつか菖蒲が提案した“紅葉狩り”が実行されていた。
秋の山を染める紅葉を見るべく、菖蒲と水無月、狛神、重丸、小鞠、茜凪。
そして護衛役として――数少ない非番を潰される羽目になった――斎藤が、伏見にある稲荷大社へとやってきていたのだ。
風に舞う紅葉の葉をゆっくりと追いかけながら、誰よりも楽しそうにしていたのは間違いなく菖蒲だった。
「自分が来たかっただけじゃない」
ボソリ、と吐き出した言葉は本人には届いていなかったようだ。
小鞠は少しだけ付き合わされたことに頬を膨らませていた。
第一心の中に色々なことが渦巻きすぎて、今の小鞠には紅葉を楽しむ余裕も暇もなかったのである。
しかし、共に付き添った者たちはそれぞれ秋の空間を満喫しているように思えた。
「こうしてみんなで出掛けるのって、初めてじゃない?」
「言われてみればそうですね」
仲睦まじく楽しそうに会話を交わす水無月と菖蒲に、隣にいた狛神が厭味ったらしく茶々を入れていた。
重丸は珍しく斎藤の隣にべったりであり、口数もとても少ない。
小鞠は理由がわかっていたが、敢えて言うことでもなかった。怖がられているのは承知の上で一緒についてきたのだから。
重丸が茜凪ではなく、斎藤にくっついているのには理由がある。
茜凪が小鞠に気を遣って、傍にいたからだ。
重箱から料理を取り出して楽しむ呑気な菖蒲や水無月、狛神はそのままにして、小鞠は溜息を吐き出した。
「ねえさん、あたしに構ってないであっち行って来たら?」
「いえ。別に輪に入りたいと思ったりしてませんから」
「美味しそうな料理だってあるじゃない」
「菖蒲の手料理はいつでも食べられます」
静かに告げる茜凪。
いつも通りだったけれど、彼女は彼女で何かを決めているようだった。
この紅葉狩りで、何かを変える決意をしたというのが正しいだろうか。
小鞠は気付きもしなかったけれど、一人にしてほしいと思いながら茜凪の隣を受け入れていた。
秋の伏見稲荷大社は、人影ひとつもなかった。
時代が移り変わろうとしていることは承知している。
だからこそ、仲間内だけでは楽しく、仲良く過ごそうとしている菖蒲や水無月の計らいであるのも理解していた。
お弁当を食べ始めた彼女たちから小鞠はそれなりの距離を置いて、丘から見える京の景色を見下ろしていた。
ただ静かに、交わす言葉もなく……。
隣に当たり前のように茜凪が並べば、彼女たちはどちらも口を開くことはなかった。
ただ静かに、交わす言葉はなく。
赤く色付く京の町を、見下ろすだけだった。
――どれだけの時間が流れたか。
開口一番に口を利いたのは、小鞠の方だった。
「京都御所の近くに、今もまだ北見の屋敷があるでしょ?あそこであたしと、ねえさんが初めて会った日のこと覚えてる?」
唐突だったが、気付いたのかもしれない。
茜凪が小鞠の中にある何かに不安を募らせて、確かめようとしていることに。
下手に隠し通しても、彼女に通用するはずなどないと知っていた。
だから、敢えて自ら告げてみた。
「ねえさんに会ったのは、北見の家に初めて行った日だったんだよ」
「覚えてます。突然、斬りかかられそうになったことも」
茜凪と小鞠の出会いは最悪だった。
菖蒲の存在を大事に思っていた茜凪。
人間の娘を慕い親しくしているという最強の妖の存在を知った小鞠は、茜凪を殺すつもりで斬りかかったのだ。
その頃は力を身につけてはいなかったものの、本能的に動いた茜凪がその小鞠を軽々と返り討ちにしたのである。
圧倒的な本能の強さに、小鞠は悟るのだ。
“彼女には、勝てない”と。