35. 一夜
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「敵は恐らく、この間の羅刹だ。気を抜くなよ」
「あぁ」
「わかってるって、土方さん!」
慶応三年 十月。
屯所を不動堂村に移した新選組は、忙しく働き詰めていた。
たまに斎藤が土方のもとへと御陵衛士の情報を伝えにくるが、彼が間者をしている関係もあり、信頼できる者の人手不足を感じずにはいられない日々。
沖田は病に臥せってしまっているから、羅刹の件で彼を外へ駆り出すことも出来なくなってしまった。
ここ最近、巷では再び羅刹の話が浮上していた。
壬生にいた頃とは違い今、新選組は新たな羅刹を生み出した覚えはない。
変若水の実験は山南がしていることに変わりはないが、市中に羅刹らしきものが徘徊する事態を作った覚えはなかった。
つまり、前回斎藤にも伝えた“羅刹”は、新選組以外から生まれた。
または脱走した羅刹である。
早く捕まえるか、始末しなければならない。
夜の巡察に駆り出したのは、この間と同様の原田と永倉。
今日は動ける者が少ないということで、土方自らが屯所を空けることになった。
「さっきの悲鳴、二条の方だったな」
「手分けして探せ。いいか、見つけたら出来ることなら捕えろ。話しが出来る状態でなければ殺せ」
静かに命令を下した土方と、羽織を着て頷いた二人の隊士。
留守になる屯所は近藤と井上に任せた。先に行かせた山崎と島田の姿を探しながら、三人はばらけて羅刹を殺すために動き始める。
吹く風がとても肌寒い。
残っていた残暑もなくなり、過ごしやすい季節も終わりを迎えたということか。
肌寒さを切りながら、彼らは走り続ける。
遠くもない未来にある一つの結末のもとまで。
第三十五片
一夜
ポタリ、ポタリ、と滴っていた音が消えた。
残されたカタチを見つめながら、小鞠はただただつまらなさそうに立っている。
彼女も肌寒さを感じたのであろう。
身に纏われていた黒い羽織がいつもより印象的であった。
しかし溜息一つ零してから彼女はそれを脱ぎ捨てて、残されたカタチの上に放り投げる。
カタチは顔も何も見えなくなり、“何か”があった形跡だけを訴えていた。
「弱くて、脆くて……救いようもない」
脱ぎ捨てた羽織に未練など感じていないようだった。
刻限は丑三つ時を過ぎた頃だった。
ただの町娘が出歩くような時間ではないのは本人でも承知しているだろう。
羽織を捨てたところから、どれくらい来ただろうか。
大通りを横切り、二条の通りから祇園へ戻ろうとしていた時だ。
「止まれ」
低い声。
首筋に宛てられた冷たい感触。
この感覚を小鞠は知っていた。
最近、感じる頻度が高いもの。
言われた通りにとりあえず止まってやるが言うことを聞くだけなのは癪だ。
小鞠は振り返って相手の顔を見てやった。
「その羽織―――」
月明かりに照らされて、黒く長い髪を束ねた役者のような男が立っていた。
浅葱色の羽織、どこかで見覚えがあると思い返してから、“あぁ、さいとーさんの関係者ね”と思い出した。
「―――新選組があたしに何の用ですか?」
「お前、こんな夜更けに一人で何してやがる」
「先に質問したのはあたしですけど。人に刀向ける前に答えたらどうですか?」
「てめぇ、自分の立場がわかってねぇみたいだな。斬られたいのか?」
「どうぞ?人間如きにあたしが殺せるなら」
大通りから離れたといっても、ここも比較的見つけやすい場所にある。
土方―――など、小鞠は相手の名前も知らないだろうが、多くの人数に見つかるのも時間の問題だった。
「“人間如き”……?」
「それで、用があるんじゃないんですか?ないなら帰りますけど」
違和感を覚えたのは土方だろう。
冒頭から今に至るまで二条の通りを隅々まで回ったが、人など誰一人いなかった。
その空間に現れた一人の町娘。
風貌はいかにも娘であるが、どう考えても普通ではない。
出歩いている時間も、そして刀を向けられた時の対応も。
それに“人間如き”という言葉。まるで己は人ではないような――。
「おい、土方さん!」
「あれ、そいつ……」
土方が考えている間に、道を挟むようにして原田と永倉が現れた。
刀はまだ納められておらず、土方の愛刀が小鞠の首をかすめたままだ。
原田は少し惑うようにしていたが、永倉に関しては小鞠の顔を見て何かに気付いたようだった。
「なぁ左之。この嬢ちゃん、確か斎藤とこの間助けた……」
「あぁ。どっかで見たことがあると思ったが間違いねぇな」
永倉と原田が彼女の知り合いのようであったので、土方は思わず眉間のシワを深くした。
まだ刀を構えたまま、二人の話に聞き耳を立てる。
「どこかでお会いしたと思ったら、あの時の」
「あの時も突然だったな。悪い悪い。土方さんも顔はよくても無愛想だからな。許してやってくれよ!」
「おいおい新八、失礼だろそりゃ」
彼らも小鞠も先日の夜、こうして顔を合わせているのを覚えていたらしい。
話についていけない土方が声音を鋭く尋ねた。
「知り合いか?」
「知り合いっつーかこの間、浪士に絡まれたのを助けたんだよ」
「どっちかっていうと、斎藤は本当に知り合いだろうな」
あの時もこのような夜更けだったことを思い出し、首を傾げたのは原田だけだった。
「斎藤の知り合い……?」
「正確にはさいとーさんじゃなくて、茜凪ねえさんの知り合いです」
小鞠が面倒くさそうに告げれば隊士の二人は納得したような顔をする。
話が先に進まないと、土方がもう一度口を開いた。
「それで、てめぇはこんな夜更けに何してる」
「散歩です」
「散歩だァ?時間を考えろ、夜中に女の一人歩きだなんて感心できねぇな」
「新選組のヒジカタさんは、これまた察しが悪いですね?茜凪ねえさんが妖であることを知っていて、その知り合いだと告げたあたしのことは、ただの人間だと思うんですか?」
妖が人間如きに襲われたとしても死にやしませんよ。余裕を見せつけるようにして笑顔も与えずに彼女は呟いた。
恐らく、その態度が気に入らなかったのだろう。冷たい刃が細い首に今にも食い込みそうになっている。
慌てて永倉と原田が諌めるが、土方は“茜凪の知り合いだからこそ”彼女の行動が怪しいと読んだ。
「茜凪は確かに強いかもしれねぇが、てめぇの妖としての力量なんて知ったこっちゃねえ。てめぇが強いから、夜更けに出歩いてても怪しくねえってのも筋は通らない」
「あたしに何の疑いをかけてるのかサッパリわかりませんね。とりあえず、この刀どけてくれますか?」
原田も永倉も、もちろん初対面の土方も小鞠のことなど知るわけもない。
だから、彼女がこんなにも苛立っていることが珍しいと感じる者はいなかっただろう。
茜凪か狛神あたりではないと見抜けない態度。
はたまた、彼女たちが相手ならば、恐らく小鞠は上手に隠し通すはずだ。
警戒は解けなかったが、小鞠は土方の刃から解放されることになる。
未だに痛々しい視線を逸らしてもらえずにいるけれど、小鞠はくるりと回転しながら土方から距離を置いた。
「刀、どかしてくれたことには礼を言います。それで、もう疲れたんで帰ってもいいですか?」
「話はまだ終わっちゃいねえ」
「ですから、あたしがあんたらになんか迷惑かけました?」
原田と永倉は余計なことを口出せない空気に飲まれていた。
土方を前にして、ここまで反論できる女も多くはないだろう。
茜凪もここまで土方に物が言えたとしても、飄々としていることは出来ないはずだ。
「――……ここ最近、辻斬りが市中で増えている。怪しい奴を探っていたところだ」
「へぇ」
羅刹、とは言えなかった。
いくら彼女が妖であり、茜凪の知り合いだからと言っても個人で信頼できるわけではない彼女に、幕府の機密を漏らせるはずもなくて。
土方の判断に、原田と永倉はただただ黙って聞いていた。
「その辻斬りの犯人として、あたしが上がったわけだ」
「ここら周辺を見て回ったが、てめぇ以外に人影なんてなかったからな」
「ですが、あたし残念ながら帯刀してないんですよ」
ひらり、と覆して見せた着物は確かに武器などどこにも見えない。
羅刹が殺した死体には、大きく斜めに裂かれていたのを見た限り、武器なしであれを作り出すのは不可能だ。
茜凪の友人であるからか、無駄な疑いが晴れてよかったと原田と永倉は思った。
前回出くわした時も、彼女が帯刀していなかったことは二人も見ている。
だが誰よりも戦略家な土方には、看破されるのも時間の問題だったのだろう。
「お前なら、武器なんてなくても人間くらい殺せるんじゃねぇか?」
辺りが、嫌なくらい静まった。
一瞬だけ、小鞠の目が……見開かれる。
「お前、茜凪の知り合い……妖なんだろ?」
「……」
「あの娘の武器が刀であることは知っているが……茜凪は武器がなくても戦えるはずだ」
思い返されたのは、影法師や七緒との戦い。
意志で作り上げられた青い炎の壁、変化の術など、妖特有の力たち。
小鞠は、新選組が出会った妖の中では誰より話術に優れているように見受けたが、土方のほうが一枚上手だったようだ。
「これだけ探しても足取りが掴めない羅刹。妖の仕業と考えたら、どうなる」
「ちょ、ちょっと待てよ土方さん!」