32. 隠秘
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その声は、遠く細い声で奏でられた。
【父上、どこへいくの……?】
【なんだ、起きていたのか】
それだけを覚えている。
【もう夜も更けている。子供は早く寝なさい】
【はい……。でも、父上はどこに……?】
【……】
これが、“父”に関して残っている記憶の最後だから。
【よく聞いてくれ。お前の父上は、裏切者なんだ】
【裏切者……?】
【そう……。でも、故意に裏切ったわけではない。だからこそ……俺を怨んでいる仲間たちを、俺はまだ大切だと思っている】
【……?】
【そんな仲間たちが今、危険な目に遭っているんだ。お前の父上は、どうしても仲間を助けたいんだよ】
そう言って、彼は“息子”の頭に手を乗せる。
優しくなでで、微笑んだ。
【最後の報いとして……俺は彼らの力になりたい】
【父上……】
【俺が戻るまで、母さんをよろしく頼むぞ】
途切れた視界の端。
とても綺麗な瞳の色をした男が見えた。
あぁ、その“息子”の父上は、稀に黒い瞳をあのように綺麗な色に変える。
隠さなければならない力だと言っていたけれど、たまに見るそれはとても美しくて、“息子”は父の瞳が好きだった。
【父上……】
交わした約束は、果たされることなどなかった。
“息子”は、父が帰らないことを知った。
形見も骨も、何も残らなかったことを知った。
それは、今から数年前……“息子”が五つになる時の別れだった。
第三十二片
隠秘
慶応三年 十月 中旬。
実りの秋も本格的な季節を迎え、木々から木の葉が舞い落ち、風に揺られた寂しい枝が行き場を無くす。
通りの団子屋の腰掛けに居座っていた小鞠は、なんとなく行き交う人の波を眺めていた。
どこもかしこも人間人間人間。
ここが妖の里ではないことも知っていたし、人間の都に来ているのだから当たり前だけれど、胸に溜まっていくもやもやは拭いきれない。
今日は慕っている茜凪は別行動であり、小鞠がただ一人、ふらりと町に出てきたのだ。
ふらり、という流浪にのような表現は間違っている……か。
目的は、あったのだ。
「縹 小鞠」
通りに出された団子屋の腰掛け。
正面を向いている小鞠の背後に、逆側を向きつつ声をかけてきた女がいることに気付いていた。
「いつになったら行動に出るのですか」
「……」
「貴女がここへ来て、彼女たちと接触してからもう半月経ちます」
「わかってるわよ」
応答してやったものの、小鞠はどこか切なそうに視線を流していた。
「貴女に与えた“力”は、ここへ来るまでの戦闘狂としての練度をあげるためのものではないことをお忘れなく」
「……」
「貴女が、“討ちたい”と言ったから、こうして標的を伝え、殺すように依頼しているのです」
鈴の音が鳴るような音で囁かれる声に、小鞠は目を伏せた。
辺りの人間にはまるで、背後にいる女の存在が察知されていないようだった。
妖から見れば、禍々しい空気を放ち、そして異様な気配を埋め込まれるような感覚。
人間には……わからないのだろう。
「お伝えしている通り、楸と水無月、狛神はかなり厄介な存在です。烏丸は逃したとしても、確実に討っていただかないと、今後の戦略に支障が出ます」
「戦略ね……」
「頼みましたよ」
気配が、消えた。
団子の串を置き振り返ってみれば、そこには小太りの店主がにこにこ笑顔で別の客の相手をしているだけだった。
小鞠は誰にも見せないような憂いのある表情で背後を見つめたまま、動くことが出来なかった。
「わかってる……。そんなこと」
ぼそりと吐き捨てた声は、とても歪んでいた。
「ねえさんを殺さなきゃいけないことなんて、わかってる」
一つ、深い溜息を吐き出してから表の通りに顔を向ける。
切なそうな、苦しそうな、悲しそうな顔からいつも通りの明るい御転婆娘に戻る。
そして小鞠は次なる暇つぶしの相手を見つけていた。
「あれって……」
通りの奥。
颯爽と道を行き、白い襟巻を靡かせる男が目に入った。
間違いない。
黒い着物も、深い色の髪も、茜凪が心を奪われた男であることに間違いない。
くすっと嫌みのない笑みを浮かべて、小鞠は通りを横断し、彼へと駆け寄った。
「さいっとーさん!」
どん、と体の重心を男―――斎藤の右腕を掴んですり寄れば、彼はとても驚いた顔をしていた。
そして同時に焦ったような、まだどこか警戒心を解いていない表情を見せる。
「あんたは……」
「こんにちは。今日もお仕事お疲れ様です」
にこりと屈託ない笑みを向ければ、茜凪とはまた違った美しさがある。
実際、小鞠の方が年下なのだが、彼女の笑みには幼さが大きく残っていた。
あぁ雪村と同じくらいか、またはもう少し年下くらいの年齢だろう。と斎藤は頭の片隅で処理する。
「暇ですか?なら、あたしと遊んでください」
「悪いが所用がある。時間を持て余しているわけではない」
「もー、つれないなぁ。その用事どれくらいで終わるんですか?」
「あんたには関係のないことだ」
「うーわ。女の子相手にそんなこと言うんですか。ひょっとして茜凪ねえさんにも同じような態度とってるんですか?」
スタスタと腕をそれとなく振りほどかれたので、斎藤の横をついて歩く。
歩幅が違ったけれど、小鞠は小走りでなんなく彼に着いて行った。
「……、茜凪への態度とあんたへの態度は関係ないだろう」
「そんなのろのろしてると、ねえさん誰かに取られちゃいますよ」
「っ……」
確かに斎藤は口下手である。
説明を伝えることなどには長けているのだろうが、どうも自分の意志をうまく伝えたり、人を慰めたりするのは苦手なようだ。
対して小鞠は話術だと、今まで遭遇した妖では一番長けている気がしてならない。
掌で踊らされているのを感じるというか。
「妖って、容姿が美しいのが特徴の一つでもあるんですけど、茜凪ねえさんは別格ですからね~」
「……」
「その気があるなら、ちゃんと伝えた方がいいんじゃないでしょーか。仮にこの後、さいとーさんに似た人に出会って、そっちの人が口がうまくて優しかったら、奪われたって文句言えませんよ」
小鞠がニヤニヤしながら告げれば、斎藤は分が悪そうに顔を背ける。
仄かに頬を染めてしまえば、小鞠の勝ちだった。
「で、どこ行くんですか?」
「……今日は非番だ。故に、顔を出しに行こうと……していた」
「顔を出しに?どこに?」
「……茜凪の、もとに」
それを聞いて、驚いたのは小鞠だった。
なんだ、満更でもないんじゃないか。心配する必要も、何もないのかもしれない、と。
「なんだ、ちゃんと通ってるんですね。まめに」
「それは……」
「幸せになれるといいですね~?」
最後は、どこか悔しくて。
妬みが入ってしまっていた。
だから嘲笑うような表情と、それでも願った彼女が幸せになることへの嬉しさと、複雑な顔になっていたのは間違いない。
言い方が女からしたら鼻についただろうが、斎藤は言葉の意味をそのまま受け取り、きょとんとした後。
礼を告げてきたのだ。
「あぁ」
本心からだったのか。
それともただの返答でそう返されたのか。
本気で茜凪を幸せにする気があるからだったのか。
小鞠にも……それは斎藤自身にも、今はわからないような気がしていた。
「だから退けって言ってんだろうがッ!!」
「斬られたいのかクソ餓鬼!!!」