31. 予兆
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「縹 小鞠。尾張国で黒瀬家を守り、全滅した縹家の生き残りである妖……」
深くかぶった笠の奥から、淡々とした声が朝焼けの空間に響いた。
「その胸中には、大きな怨念と強い力を望んでいる」
表情も無。声から聞き取れる感情もわからない。
そう、笠の女は何も表してなどいなかった。
無機質な声で、用意された台詞を読み上げているようであり……。
「その志がどこまでが本物なのか、どこまで使い物になるのか……見せていただきます」
笠が、面があがる。
覗いた隙間から見えた女の瞳の色は――誰かと同じ、茜色だった。
第三十一片
予兆
烏丸が、四国にある里に戻ってから七日が過ぎた。
そろそろ十月も上旬が終わろうとしている。
まさにこの国が新しい時代を迎えようとしている最中であった。
幕府が大政奉還を決めたことにより世がざわつき出しているのを不動堂村屯所の新選組も、そして祇園を中心に京にいる妖たちも感じ取っていた。
「なーんだが、京ってざわざわした場所なんですね」
「……」
「確かに尾張より人が多いですけど、全体的に落ち着きがないというか」
「……」
「お祭りでも催すみたいですね?」
実際その場にいた全ての妖が大政奉還、そして続く王政復古の大号令を肌で感じていたわけではない。
つい先日、烏丸と入れ替わりのような状態でやってきた尾張の妖・小鞠は、久々に訪れる京の町並みや空気を感じ取りながら終始おしゃべりを続けていた。
「将軍や幕府の体制が一気に変わろうとしていますから、京に住む方々も今後の事が不安なのですよ」
「ふーん」
「今や幕府直下の幕臣となりつつある新選組も……」
「あぁ、さいとーはじめさんは新選組に関係ある人ですもんね」
小鞠は茜凪より何歩も前に行った状態で出店や茶屋を見て回る。あとから追うように茜凪が小鞠を見つめてやれば、彼女に振り回されているのは仕方ないと感じていた。
もとはといえば、彼女が久々の京を見学したいと言い出したのに付き合っているのだから。
「あれから数回、さいとーさんを見かけたりので話しかけたりしたけど、なんかすごい生真面目な人ですね。彼」
「あはは、そうだね」
「あれのどこが好きなんですか?ねえさん」
目にみて止まった小間物屋を見つめながら、小鞠は後ろ背で尋ねてきた。
大切な人を“あれ”呼ばわりされたので、少しムッとしてしまったが……彼女のこんなところも含め、昔から変わっていないと実感する。
「はじめくんは強くて優しいんですよ。武士の志を貫くために、誰よりも愚直で」
別に惚気たわけではなかったが、一瞬鋭い視線が小鞠から返された。
反面振り返りつつ、彼女が小さく吐き出したのは限りなく本音に近かったのだと思う。
「だから、愛してるんですか?」
「え」
ボソリと、背筋に悪寒が走るような声音で言われた。
だけど、それも本当に一瞬。顔をあげた時には小鞠にはいつもの笑顔が塗られている。
「愛しているんでしょ? だって、あたしがねえさんと再会した時、抱き着いてたじゃないですか」
「あ、あれは……」
笑顔だけれど、どこか棘がある。
隠された本音はどこにあるのだろう。探し出そうとして、茜凪は何故だか怖くなり……目を逸らしてしまった。
「それにしても、まさかねえさんが本気で人間相手に夢中になってるなんて。あたし、想像もしなかったよ」
「……」
「しかも徳川幕府の幕臣になんて」
「何が言いたいの……?」
責めるような声ではなかった。
棘はあるけれど、何かを確かめようとしている小鞠がいることに、茜凪は気付いていた。だからこそ問いかけたのだけれど、彼女は表情を切なくするだけだった。
「ねえさん、あたしたち人間じゃないんだよ」
「……」
「誰を想おうがねえさんの勝手だけどさ。忘れたわけじゃないよね?」
忠告のように返された質問。彼女が何を指しているのかは、理解している。
縹も、黒瀬も、朧も、雪村も、そして春霞も。
何が原因で滅び、その先に共通のものがいたことを……――。
「どうして人間相手なのか、あたしには、わからないや」
「……」
「ねえさんは、人間を怨んでないの?」
鬼は争いを好まない。
その鬼を守る役目が妖。
関ヶ原での恩義を返す為に、妖は鬼の盾となった。
だが、時代から目を付けられた鬼たち。同時に妖も標的となり、多くの妖が人間に殺されただろう。
黒瀬も、縹も、朧も、春霞も、雪村も、人間が原因で滅んでいった。先にあったのは、いつも金と権力の争いを続ける人間が原因だった。
その人間を、妖界の中では最も清く強い血を持つ狐が――愛している。
雲が流れる。時代と同じように。
形を変え、いつか今のままでいられないことをわかりながらも、風に乗り流れて行った。
茜凪は目を伏せてから、頷く。
「私には……よくわからない」
「わからない?」
「誰かを怨むことが……」
「……――」
「妖は誰かを怨んで強くなるけれど、私は怨みよりも先にそれ以上の気持ちに出会ってしまったから……」
“憧れ”
それが斎藤への気持ちであり、恋情の始まりだった。
人間を愛し、人間を妻や夫にした妖も少なくはない。
だからこそ、純血といわれる者が少なくなっているのだけれど、小鞠は眉間のシワを緩め、眉を下ろすのだった。
「変わらないね。ねえさんは、昔から」
「そうですか……?」
「そういえば、ねえさんが昔から言ってた憧れはさいとーさんなんだってね」
「知ってたの?」
「烏丸さんから聞きました。“ねえさんにとって、さいとーさんって何なの?”って聞いた時」
小鞠は思い出していた。
いつかも、こんな話をしたのだと。
誰かを怨み、心の中にずっと蟠っていたもの。同じ境遇にあり、孤独に残された茜凪も、誰かに憎悪を向け、苦しんでいるのではないか。と。
だから小鞠は北見家にいた茜凪に近付いたのだ。
だけど、答えは今と一緒――。
「ずっと昔から、ねえさんは憧れの右差し侍って話してましたよね」
「お、覚えてたんだ……」
「覚えてますよ。ほんと、あの頃から変わってない……」
ついに藍人の仇を討ったと聞いた。
七緒や影法師と戦ったと聞いた。少しは彼らを怨んだのかと思った。
彼女は変わらなかった。
怨みもせず、なのに力だけは誰よりも強くなっていた。
だからこそ――小鞠は茜凪に会いにきたのだ。
「だから、あたしねえさんに会いたかったんですよね」