23. 温度
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夏の虫の声が響く。夜の帳の中で虫以外に音源となるものは存在しなかった。
「いつから無理されてたのですか……」
思いの外、小さく呟いたつもりの声が大きく耳に戻ってきた。無理もない、虫の音以外聞こえない部屋で、目の前で無防備に寝ている男も音を発するはずがないのだから。
高台寺月真院。
御陵衛士が屯所として構えることになってから二月。本来であれば無断で立ち入り、侵入していいものではないことは重々承知していた。茜凪は御陵衛士でもないし、彼の隊務を手伝うこともできない。入隊するにも彼女は人間ではないのでまず一族や、周りの者が反対するであろう。
藍人が叶うならば、新選組に入隊したいと思っていた時も妖界から大きな反発があったのを茜凪は知っていた。
「熱も高いですし……」
人目に見つからないように水を用意し、持ってきた手拭などで看病を続けたけれど、熱が下がる兆しが見えない。
時間との勝負であり、彼は人間なので妖を相手にした時とは違うということも理解はしているけれど、心配だ。
「はじめくん……」
時刻は丑三つ時になろうとしていた。辺りに人の気配は感じないので、このままなら誰かに見つかることもない。しかし、念には念をということで部屋の入口に妖術の札を貼り付けておいた。最悪、自分が眠ってしまったとしても、人の気配を感じた時に知らせてくれるまじないだ。
浅い呼吸を繰り返しながら、なんとか眠ろうとしている彼を見ながら茜凪は眉を下げた。
代われることなら、代わってやりたい。
人間は弱い生き物で、脆く儚いものだ。妖や鬼とは違う。人間の……大切な人の苦しんでいるところなんて、見たくはなかった。
眠りに落ちた意識を傷付けないように、茜凪はもう一度、彼の額に己の額を合わせた。そのまま目を閉じ、祈るように力を籠める。
ぽわん……と優しい光が一瞬だけ立ち込めたかと思えば、茜凪は体制を保ち続けた。
「その温度……体を苦しめる熱、私にください」
「……―――」
「いい夢が、見れますように」
零されるものを、斎藤は聞き届けることが出来たのだろうか。
分からぬまま。
満ちる時は朝へと着実に進んでいた。
第二十三片
温度
「ねぇ、茜凪は?」
祇園料亭の別宅。
寝具を整え、髪を梳かしていた菖蒲が隣にいた水無月に尋ねた。
「今、部屋の前を通ってきたけど明かりが灯ってなくて。声かけたけど返事がないの。いないのかしら?」
「特に何も聞いていませんが……。こんな夜更けに出かけている可能性は低いでしょう」
「そうかしら……」
冒頭より時間軸が数刻前。
寝入る前に菖蒲は首を傾げていたのだった。
「おかしいわね……。ちょっと烏丸に聞いてくるわ」
「えぇ」
戸を開け、烏丸がいるであろう部屋の障子の前まで数歩で移動する。その隣の狛神の部屋は既に明かりが消えていた。
「烏丸。少しいい?」
「ん?菖蒲?」
返事があったので許可を得て、障子に手をかける。
部屋の奥では机にかじりついて、書状を真剣に読んでいる男の姿があった。
「悪いわね、邪魔をして」
「いーけど、別に。どうかしたのか?」
烏丸が書状に目を通すために机に向けていた体を、菖蒲へと変える。戸の近くで腰を下ろした彼女は何の疑問も思わず口にした。
「ねぇ、茜凪がどこにいるか知らない?」
「へっ?!」
「さっき部屋の前を通ったんだけど、明かりもついてないし、返事もなくて」
「ね、ね寝てるんじゃないか……!?」
「あの子、昼間休んでたでしょ?あの寝つきの悪さで今日に限って寝てるかしら?」
「い、いや、どうだろうな!?そうなんじゃねぇの!?」
声が裏返り、挙動不審になる烏丸。菖蒲は目を細くして、まるですべてを見破ろうと視線を投げる。
狛神が火を消して、月明かりを楽しみながら夜を過ごす癖があるのは知っていた。だから彼の部屋が暗くてもいつも通りであり、何かを思うことはなかったけれど……。だが茜凪の部屋は遅くまで明かりが灯っていることが多かった。今日に限って消えていることも珍しいし、何より烏丸の素直な反応が何かを訴えている。
菖蒲が問い詰めようと、身を前に乗り出した時だった。
「おい烏丸、茜凪迎えに行くときの札はお前が調達しとけよ……って、」
「おいバカ!」
「あ」
「おま……なんでここにいるんだよッ」
戸の付近に菖蒲がいることに気付かなかった狛神が、烏丸の部屋に遠慮もなく会話をしながら入ってきた。烏丸がギョッとした表情をすると同時に、足元に菖蒲がいることに気が付いて、“しくじった”という顔をする狛神。
「狛神、茜凪を迎えに行くって、どういうこと?」
「あちゃー……」
「て、テメェこそ、水無月の旦那から烏丸にでも乗り換えたのか?」
何とか目的を言うまいと誤魔化してみたものの、狛神は顔を逸らしながら反論したため、菖蒲が“茜凪が部屋にいないこと”を悟る。
「い、いいよな、ちょっと綺麗ってだけで男からは贔屓されるもんなっ」
「狛神」
「イッテェ!!!?」
狛神が無神経に言い放った言葉。間髪置かずに彼は背後に立った男から脳天に一撃を食らうのだった。
「み、水無月……っ」
「今のは過ぎた一言です。彼女に謝りなさい」
「チッ……」
水無月に促され“悪かったよ”と形だけ謝罪を述べる狛神。本心では恐らく反省していないだろうが。
「それより、茜凪は今どこにいるわけ?」
菖蒲が話が通じそうな烏丸にキッと睨み上げるような視線を向ける。格好がいつもと違い髪も結っていないし、寝着だったが眼力は通常通りだ。烏丸が怯えつつ狛神に目配りすれば、狛神は溜息をつく。
「また危険なことしてるんじゃないでしょうね!?」
心配が怒りへと変換された。遠慮なしに烏丸に掴みかかった菖蒲に、水無月は背を抑えつつも烏丸が話すように先に流すような目をする。あぁ、また説明役は自分なのか……と落胆してから、烏丸は口を開いた。
「一のとこだよ」
「え……?」
「斎藤さんの所って……」
「ちょ、夜這い!?」
「「ちげぇよッ!!」」
思わず声を重ねてしまった烏丸と狛神。同じ反応に、菖蒲は二人が嘘をついているようには見えず、とりあえず危険なことはないのだろうと悟る。
「出合茶屋にでも行ってるの?ついにあの控えめで奥手な斎藤さんも手を出したってこと?」
「お前と一を同じ思考にするなよ」
「狛神」
「痛ぇ!痛ぇって!悪かったってッッ!」
狛神の余計なひと言に、水無月は彼の耳たぶを思いっきり引っ張る。涙目になる狛神はそのままに、烏丸が呆れたように言う。
「昼間、あいつ体調悪くて倒れただろ」
「えぇ、水無月からそんな話は聞いたわ」
「それを知った茜凪が看にいくって聞かなくてな」
恐れていた事態が起きたとでもいうように、烏丸は溜息をつく。
彼は振り回された立場なので仕方ないだろう。そのまま飛び出していった茜凪は、妖力を使って意図も簡単に高台寺に侵入したのだろう。
「明け方、完璧に見つからずに脱出するため、俺と狛神が結界の札持って迎えに行くんだよ」
「だからアイツは今いないわけ」
「……」
事情はわかった。だが、菖蒲が声を出せなかった理由は茜凪が高台寺に考えもなしに飛び込んでいったことではなく、そんな彼女の突発的な我儘を成すために、協力している二人がいることだった。
「烏丸……狛神……」
「あ?」
「なんだよ、菖蒲……?」