22. 夏風邪
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慶応三年 八月。
ついに季節は真夏と言われる時期を迎えた。通りには暑さのあまり打ち水をする人々が多く、町の中にも所々涼しげな風を吹かせる場所が存在していた。
平助が戻ってきてからの衛士は今まで以上に隊務が増えつつあった。特に斎藤は新選組の間者としても働かなくてはならず、人目を盗んでは新選組が屯所として構える西本願寺に出入りをする日々を繰り返していた。
最近の伊東派の動きとして、未だ主立った動きはないのだけれど、行動一つ一つが新選組に仇を成す……敵対心をみせていることは丸わかりだった。今後、羅刹や変若水を使い幕府の機密を外に漏らし、新選組を潰しにかかる可能性もある。だからこそ、斎藤には本当に心の休まる暇などなかった。
物思いに耽りつつ、衛士として市中を巡察していた最中。意識がそちらに集中していたことが原因だと思われたが、グラリと足元がふらついた。
暑さのせいもあるだろう、と斎藤は体調に関して特に気にせずにいたのだ。
「……っ」
思わず動きを止め、こめかみを抑える。照り付ける日差しを吸収する着物を多少煩わしく思ったが、着崩したりすることは決してなかった。
フラリとした足取りに命令を利かせ、四条通を行く。逆の方角は平助や衛士の者たちが確認しているはずだから、特に必要ないと思っていた。
再び、道を行きつつ斎藤は新選組と敵対をしようとしている御陵衛士の動きを見極めなければ……と、頭を回転させて考えた。
回転というのは表現の一つだったのだけれど、どうも視界がグラグラと揺らいでいる気がする。あぁ、これは少しやばいかもしれないと思った矢先、さらに彼を追い立てるような出来事が起きてしまった。
「あっ、あんさん!!」
「……っ」
角を曲がったところだった。
確かこの一角は、氷を扱う問屋だったなと思いながら、耳に届いた声を聞いていた。咄嗟に動きは止めたものの、斎藤めがけて飛んでくる飛沫を避けることは出来なくて。盛大にビシャっ!と音をかけて、店主が道にかけようとしていた水が、斎藤の着物やら髪やらを濡らすこととなる。
「……」
「え、えらいすんません!えらいすんません……っ!」
桶を投げ捨てるようにして、斎藤に水を盛大にかけてしまった店主が近付いてきた。
水も滴るいい男。と表現の世界ではあるのだけれど、実際これが身に起きると寒さを感じてしまう。
ぽたぽたと髪から、襟巻から、着物から垂れてくる水滴に目を向けつつ、斎藤は言葉を発することがうまく出来なかった。
「い、今着替えをお持ちいたしやすので!」
「いや、いい。このままで構わぬ」
「で、ですが……」
わざとではない、これだけ謝罪を述べていて、――二本差しの侍だと理解してか――青ざめて斬られてしまうのではないかと思いながら声をかけてくる店主を、斎藤は怒る気になれなかった。
懐から取り出した自分の手拭で水を拭き取りつつ、またフラリとした足取りで先を急ぐ。
「ほんま、すんまへんどした……!」
「気にするな。この程度のこと、誰にでもあるだろう」
「そ、そんな……」
人に水をかけてしまったのは店主も初めて、もちろん水を全身に迷うことなくかけられたのは斎藤も初めてだった故、誰にでもあるというのは疑問だったが、それ以上詰め寄る気にはなれず。
背後で店主が謝り続ける中、斎藤は次の角を曲がったのだった。
日差しが暑い、通り抜ける風はなかったが、日蔭にはいればそれなりに涼しいという妙な気候。
水をかけられてから、小半時もしない頃。
あたりの見廻りを終え、さすがに簡単に乾くことのない着物と襟巻に溜息をつき、一度高台寺に戻ろうとした時だった。
「―――……っ」
ズキン、と頭の芯が痛んだ。
全身鳥肌がたち、悪寒がする。
最近の激務、身のこなし、夜も休む暇などなく働き、稽古を休むこともせず。体に耳を傾けなかったせいか、グラリとついに揺らぎ、手をついた壁際から体を動かすことが出来なくなってしまった…。
そのまま、意識がぼーっと遠のいていく。
「一……?」
視界の端に、誰かが呼ぶ声が聞こえていた。それも誰だかわからぬまま。
「おい、お前大丈夫か……?おい、……おいッ!」
―――斎藤は自らの不覚さを戒めながら、瞼を重く閉じてしまった……。
第二十二片
夏風邪
次に意識が戻った時。
そこには見慣れない天井が広がっていた。
「ん……」
「お、目ぇ覚めた?」
天井は確かに見たことなかった。
この家で寝泊まりなどしたことがないからだろう。しかし、隣から聞こえてきた声には聞き覚えがある。もう随分と親しくなった相手の声だ。
「烏丸……」
「よ、一。なんでここにいるか覚えてる?」
座布団を頭にしかれ、体には麻布の布団がかかっていた。
濡れていた着物ではなく、少し緩い着物に袖が通されており、なんとなくどこにいるのか、誰が助けてくれたのか理解し始めた。
「……あんたが助けてくれたのか」
「んーん。見つけたのは俺じゃなくて、狛神」
どうやら寝ている間も扇いでいてくれたらしく、彼のお気に入りのうちわがヒラヒラと視界のあちこちで舞っていた。
赤い金魚が一匹描かれた、涼しい絵柄。耳を澄ませば風鈴の音も聞こえて来て、いくらか体温が下がったような気がしていた。
「お前が民家の裏通りで苦しそうにしてるのを、買い物帰りの狛神がたまたま見つけて、」
「(あの時の声は、狛神だったのか……)」
「で、連れ帰ってきたから水無月が着替えとかの面倒みてくれたんだよ。俺は重丸と飯食って帰ってきたら、お前が倒れてたから煽いでてやっただけ」
烏丸が視線で促せば、斎藤の隣には小さく丸くなりながら寝息を立てている重丸の姿が見えた。
どうやら昼寝に来ているらしい。となると、ここが料亭の別宅であること納得した。
「すまない、手間をかけたな」
「おい、まだ動かない方がいいだろ」
斎藤が起き上がり――おそらく水無月の――大きな着流しを見つめながら体格の違いに少し落ち込む。
烏丸はそんなこと気にも付かなかったようで、彼が起き上がるのを支えてやりながら言う。
「お前、風邪ひいてんの自覚してる?夏風邪は長引くと厄介だぞ」
「これは風邪ではない……。少し疲労が溜まっただけだ、この程度のことで寝込んでいては……」
「あーはいはい、どっちにしろもう少し経たないとお前の着物乾かないから。もう少し寝てろって」
朴念仁な斎藤には、何を言っても通じないというのは烏丸なりにわかっていたようで着物を理由にして彼をもう一度寝かしつける。
隣で寝ていた重丸が唸っていたので、起こしてしまったか……?と顔を覗かせれば、幸せそうな寝顔が見えた。どうやら問題ないらしい。
「お前、働きすぎなんだよ。少し休めばいいだろ」
「そうはいかぬ。俺には果たすべき任務が……」
「体壊して任務失敗したら、本末転倒だぜ」
――そんなこと、わかっている。体調管理がきちんとできていなかったことが情けなくて、どうしても口から出て来てしまっただけの言葉なのだ。
「風、扇いでてやるから。もうしばらく寝てろよ」
「……」
着物も乾かない、体もまだ少し怠い。食欲もないし、腕にも力が入らない気がする。
このままでは確かに浪士と斬り合いになり、本来の力を出せない気もした。
だから、着物が乾くまでの間だけでも……烏丸のいうことを聞いておこうと思ったのだ。