02. 壬生菜
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「やっぱり、多少の苦みが必要だと思うのよね」
ドン、と出された小鉢を目の前にして、この料亭の女将は頷いた。出された小鉢を見つめ、一口箸でつまんでから、茜凪は目をぱちくりさせる。
「十分、美味しいと思います」
「あんたの舌、ホント頼りにならない」
「……」
「そう思わない?烏丸」
「うーん……」
茜凪が返した答えに対し、奥に佇む女はズバッと言い放った。そう言われてみたものの、茜凪は女将が求めている味覚がいまいちよく分からなかった。今のままのこの小鉢でも美味しいし、お客さんに出したとて、文句を言われるような腕ではないと思うのだけれど。
平和な日々を取り戻した、妖たちと人間の女。
本格的な戦いから離れ、温かい日々を迎えたのはつい最近のこと。ここからが彼女たちの本番だったのだ。
「あ、わかった。アレよ、アレ」
「アレ?」
「アレを入れるのよ!」
納得したような表情で、この料亭の女将……菖蒲はようやく頷いた。目の前の小鉢、ほうれん草と白ゴマの甘酢あえを取り上げて奥の勝手場へと駆けて行く。
四国から戻ってきた天狗と顔を合わせながら、茜凪はただただ首を傾げた。
「茜凪!」
「はい」
「ちょっとお願いがあるんだけれどっ」
「?」
第二片
壬生菜
祇園は夕暮れ時を迎えた。陽が沈んだので、そろそろ菖蒲が営むこの料亭にも客が訪れるだろう。
とは言っても、まだまだ駆け出しの料亭であるので、この店の存在を知る者も少ないし、宿舎の通りの向こうは大通りで料亭なんていくらでもある。美味い懐石料理を出す店もあれば、老舗も揃っており、到底勝てるとは思わないが、それでも彼らは日々努力を重ねていた。その甲斐あって、夕餉時に誰も来ないという日は存在せず、それなりに忙しい日々を送っていた。
「狛神、そっちの小鉢持ってって」
「はいはい」
「“はい”は一回!」
「いちいちうっせーな……」
一度は怪我を癒すために京を離れた烏丸と狛神も、結局のところこうして腐れ縁で菖蒲の下で働き、寝食を共に過ごすことになっていた。今となっては家族も同然の間柄。
水無月はもちろん、藍人と交わした思いがあるようで菖蒲を手放す気はなく、彼女の傍に存在を置いている。つまり、名前のない戦いを生き抜いた戦友がここには揃っているということだ。
烏丸も狛神も何だかんだ言いながら、この料亭の生活を楽しんでいる。やってくる人間相手に料理を運び、いろんな話を聞き、笑顔と安らぎを齎す空間……それが此処である。誰かの役に立つ、誰かを守るということが、剣や力を持たずとも出来ることに幸福感を覚えたのも確かだ。
「あいよ!枝豆ごはんと京風だし巻き卵、おまちどうさん!」
特に烏丸はノリノリで、支配人顔負けの仕事をこなしていた。彼自身、見映えが意外といいので、それ目当てで訪れる客もおり、商売繁盛に貢献していたといっても過言ではない。
対して狛神は不貞腐れつつも、決して乱暴にならないように心がけた接客をしており、妖の男たちが人間の娘にうけていると言ってもいい状態であった。
もちろん、その逆もしかり。妖である茜凪は誰もが認める美人だったので彼女を求めてくる客もいた。
遥か昔、藍人が菖蒲を求めて料亭に顔を出していたように。
「あ、いらっしゃい!」
「らっしゃい!」
最も忙しい時間を乗り越え、それなりに客足が遠のき始めた頃。
料亭の戸がガラリ、と開いたのを見て、菖蒲と烏丸が声を上げる。釜戸の前で火加減の調整をしていた水無月も顔をひょこりと出し、狛神は奥の机で頬杖ついていた視線を入口に寄こした。
そこで全員の顔が“あ”というものに変わる。
「貴方は…」
「おまっ、一…!」
戸の近くで立っていた人物は、今ここにいない狐の妖がよく知った人物であった。
突然の訪問者に誰もが目をぱちくりさせた。
知り合いだからこそ、連絡も寄こさずに来るとは思っていなかったのだろう。まして、彼に一番会いたいであろう人物がここにいないので、何だか少し、後ろめたい。
「邪魔をしてもいいだろうか」
「いらっしゃい、斎藤さん。どうぞ」
「一!久しぶりだな!」
大分、周りの客が減ったことで、烏丸が当り前のように斎藤の横に腰かけて彼の背中をペチペチと叩く。斎藤が座った席の列の間を挟み、一番壁側にいた狛神はそのまま視線を元へと戻す。
烏丸に背を叩かれたままの斎藤が、彼の手を抑えつつ、目の前にきた菖蒲の顔を見上げた。
「まさかお前が来るなんて思わなかったぜ!元気にしてたか?」
「あぁ」
「お久しぶりですね、斎藤さん。この間はお世話になりました」
烏丸との会話を遮り、菖蒲が彼に微笑んだ。
茜凪とはまた違う部類の美人の元気そうな姿に、斎藤も――決して照れたのではなく――自然と笑みが零れた。
「あんたも元気そうで何よりだ」
「フフフ。とりあえず、呑んでいかれますか?」
「あぁ」
お通しを出して、その後日本酒を取りに奥へと消えた菖蒲。その奥から水無月が軽く頭を下げて来たのが見えたので、斎藤も軽く会釈を返す。
「にしても珍しいな!お前が自分からここに来るなんて」
“茜凪に呼ばれたのか?”なんて聞いてやったが、斎藤は茜凪と約束をした覚えは特になかった。素直に首を振れば、烏丸は更に目をパチパチさせている。
「へ?約束してねーの?」
「特には」
「ふーん。てっきりアイツが呼んだんだと思った」
烏丸は、店内にいない相棒を思い不思議そうにしている。
詳しく話せば数日前、御池通りの寺の境内で稽古をしている最中、茜凪が斎藤を見守っていたのがここに来たきっかけだった。
時間があれば、斎藤を案じてやってきていた茜凪。そろそろ顔を出してやらないと彼女が隊務の支障になりかねない――というより、また木から落ちて怪我をしそう――なので夕餉を摂りにやってきたのだ。
ちゃんと顔を見て、時間を作って心配ないと告げないと、あの娘は何をしでかすか分からない。まして己の腕の怪我すら治っていない状態で。
「最近、会ったか?茜凪に」
「この間、少しだけな」
「そっか」
「……今日はいないのか?」
この間、確かに斎藤と茜凪は顔を合わせていた。茜凪が木から落ちた日の話だ。ほんの僅かな時間、言葉を交わして、別れた。
あれから数日経つけれど、彼女が稽古を見に来ることは無くなった。今日は時間がとれたので、食事ついでに会いに来てみれば当の本人の姿がないのだ。
「いや、もうすぐ戻ってくると思うんだけど……確かに遅いな」
「出かけているのか」
隣に腰かけた烏丸が、思い出したかのように茜凪の戻りが遅いことに気付く。その言い草は、どこかへ出かけているということだろう。つまり、この母家にも離れにもいないということ。
烏丸は鼻で音を奏でながら首を傾げ、斎藤の為に運ばれてきたお通しを当り前のように食していた。特に構わずに彼の顔を見ていれば、烏丸の代わりに動きだしたのは狛神だった。
「確かに遅いな」
「そうね? 壬生までそんな距離、ないはずなんだけど」
奥からお酒を持って戻ってきた菖蒲が、会話を聞いていたようで付け足す。話しながらも、菖蒲は手際よく準備を進めていた。
持って来られた燗にお酒を足し、御猪口を斎藤の前に差し出す。
「楸は……?」
「夕方、壬生の方にお使いをお願いしたの。壬生菜を買ってきてほしいって言ったんだけれど……」
祇園から壬生までは確かに歩けば距離あるが、彼女が出発してから戻ってくるには時間がかかり過ぎている。
席を立ち、暖簾を潜り出て行った狛神に、斎藤も視線が動いた。
「まさか、あの子に限って誰かに襲われるとか……」
「あー無い無い。絶対無い。あんな凶暴でまな板女なんて誰も相手にしないって」
「烏丸。貴方はそれでも彼女の戦友なんですか」
火の調整を終えた水無月が立ち上がり、奥からようやく顔を出す。烏丸の発言に呆れ顔でこちらを見ていたが、烏丸は全くお構いなし。手をひらひらさせながら、椅子にふんぞり返った。
「だからこそだよ。アイツがそこらの女より強いのも知ってるし、何よりアイツには本当に胸が……」
そこまで言いかけていた烏丸の声を遮り、狛神が
「ちょっと探してくる」
と気を使い出て行ったのを見て、斎藤も立ちあがった。
「俺も行こう」
「え? 一も?」