18. 距離
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「本当にそれだけでいいのか?」
「はい」
夏のカラッとした陽気が漂っていく。
嵐山を抜け、目的の場所まであと少しというところで甘味屋を見つけたので、茜凪と斎藤は足を休めていた。
注文した団子の量は茜凪にしてはとても少なく、わずか三本。いつも食べているであろう量から想像し、あまりの少なさに斎藤が二回ほど確認の声をあげた。茜凪は嬉しそうに頷き返す。
「お腹いっぱいで歩けなくなったら困りますし」
確かにいつもの彼女の量を食べ、ここから復路を行くとなると辛いのかもしれない。甘味は京の市中に戻ってからでも食べれる、と。
抹茶と団子をそれぞれ注文し、のんびりとした田舎の風景に目を向ける。重箱は隅に置いたまま二人はしばし無言だった。夏を知らせる入道雲が見え、日差しも伸びたように思える。
「もう少し暑くなったら、西瓜が美味しい季節になりますね」
これから団子を食べるのに、食べ物の話か。なんて思いつつ、斎藤も頷いてやる。
「そうだな」
「お塩かけて食べると美味しいんですけど、種を弾くのが面倒くさいというか……」
「……」
「でも、暑いとやっぱり食べたくなります」
「あんたは本当に食べることが好きなのだな」
「へ?」
思わず出てきた斎藤の感想に、茜凪は“あ”と顔を赤らめる。今更、食い意地が張っていることを彼が知らないわけもないけれど、恥ずかしくなり俯いた。
「そ……うですね、好きです」
「食事は大切だ。健康であることは武士としても必要なことだろう」
悪い意味で告げたわけではないのだろう。もとい、そんな気持ちで吐かれたものとは思っていないけれど、斎藤は表情を変えることなく未だに田園風景を眺めている。まっすぐで、どこまでも続く平らな道を。
「おまちどうさん」
「あ、ありがとうございます」
斎藤の横顔を眺めていた。まっすぐに伸びる蒼い視線を。
見惚れてしまっていたところ、店の奥から腰を曲げながらおばあさんが出て来て、団子とお茶を出してくれた。
まず、斎藤が頼んだ抹茶と団子。そのあとゆっくりとした動作でもう一度店の奥へと老婦は消えていく。多少動くのが辛そうだったので茜凪は立ち上がり、店の奥に顔を出した。
「あの、手伝います」
「いえいえ、そんな滅相もございません。今ご用意しますので……」
にこにこ笑顔の老人だったが、腰を抑える手が少し震えていた。
まるで自分を見ているようで。
己の右手を隠しながら、茜凪は笑う。
「平気です。自分の分くらい、自分でお持ちいたします」
「そんな気を遣わんでもええのに……。こっちも商売やさかい……」
とは言ったものの、おばあさんは茜凪の手に団子と抹茶を乗せて“ありがとう”と微笑んでくれた。
屈託のない、おばあさんにも負けない笑顔を返し、茜凪が斎藤の横まで戻ってくる。
「すみません、お待たせしました」
静かに腰掛け、並んだ三色団子を見つめつつ、茜凪が“いただきます”と手を合わせてから串に手を伸ばした。
「んー!おいひぃ」
やはり食べている時が一番幸せそうだ。見てて飽きないと素直に思う。しかし、斎藤が感じていたのは彼女の優しさの部分だった。
「……あんたは心根が優しいのだな」
「え?」
「今に思ったことではないが」
みたらし団子を手にしながら、斎藤が視線を合わせてくる。
瞬きで返したのだけれど、それ以上……言葉を返してもらえることはなかった。ただ、その横顔が見える距離が近くて、心の距離も近付いた気がして。
茜凪は俯きながら、赤い顔を隠すのに必死だったんだ。
第十八片
距離
空腹感を訴えていた腹を満たし、茶屋を出てからすぐのこと。
菖蒲が言っていた民家が見えてきて、二人は無事にそこを訪ねることができた。
茶屋からの短い道のりは、重箱を斎藤が持ち、茜凪に渡すことは許されなかった。腕が震えていることを見抜かれていたのもわかっている。だからこそ、何も言えずに従った。
「芳乃から文が届いてはいたけれど、本当に来てくれるなんて……!」
出迎えられた斎藤と茜凪。重箱を見て、民家から出てきた女性はとても嬉しそうに目を細めている。
「しかもこんなに沢山のお料理……!運ぶのも大変だったでしょう?」
「いえ。喜んでいただけたなら、菖蒲……芳乃も喜ぶと思います」
「ふふふっ。あの子は昔から料理の才能がある思ってたんだけど、あの世界を抜け出して、本当に小料理屋を始めるなんて……素敵よね」
女性の好意で民家にまで上げてもらい、重箱の中身を見せてもらった。確かに色とりどりの野菜や料理、小鉢などにいつも出てくる料理が丁寧に並べられていて、貰ったものが心から喜べるようなつくりになっていた。
「彼女、大切な人を亡くして大変だったから……。今、傍に寄り添ってくれる男性ができたみたいで、本当に安心したの」
「あぁ……水無月のことですね」
「まさかあれだけ莫大な資金を積んで、“彼女を買います”なんて言いに来る男の人……普通じゃ考えられないわよね」
いつかのやり取りを知っていたらしく、女性は思い返しては嬉しそうだった。菖蒲を心から想っていることが分かる。
「今度こそ……幸せにいなってくれるといいわね」
「……」
お祝いの料理を見つめていた時、家の奥から赤子の声が聞こえた。バタバタと焦る物音も聞こえれ来れば、彼女の旦那さんが面倒を見ていて、泣き出した子供に慌てているのが予想できた。
「あぁ、待って!今行くから」
重箱に一度蓋を閉めて、奥へと下がる女性。居間に残された斎藤と茜凪は、視線で女性を追っていた。
「今度こそ……か」
「……」
「そうですよね。藍人との結末は変わりませんからね」
苦笑い。
未だに自責の念があるのは知っている。
彼女の心の傷は消えることはないのだろう。結果がどう終わったのであれ、過程は変えられるものじゃない。変わっていたとしたら。彼が、藍人が生きていたとしたら菖蒲は。水無月は。そんなことを考えることすら意味などないかもしれないが、考えては流して、虚しくなっての繰り返しだった。
うまい言葉をかけようと、斎藤は口を開きかけたが。先を見つけることが出来なかった。唇を閉じ、茜凪に視線を向ける。
だが、彼女はそれだけで嬉しかったみたいで、困ったような笑みを浮かべながらも、簪の鈴を鳴らして頷いた。
「大丈夫です」
「……あぁ」
返事が肯定だったので、安堵した。先などいらない。この話はこれで終わり。彼女の強さと、彼女の苦しみをわかっててやれば、茜凪は満足だったのだ。
ふと足を止め、戻ってきた女性が二人の姿を見つめて微笑む。何も言わなかったけれど、表情は幸せに満ちていた。
赤子も連れて来てくれたようで、布地に包まれた小さな子供が涙の跡を残して眠っているのが見えた。口をもぐもぐさせているので何かを食べているのかと思ったのだけれど、咥えていたのは自身の指であり、赤子の特徴を目の当たりにする。
「かわいいでしょう?先月生まれたばかりなの」
女性は、茜凪に赤子を見せながら優しい母親の視線を見せていた。茜凪も黙って首を縦に振り、感動するような眼差しで赤ん坊を見つめる。斎藤は、そんな光景を一歩下がった箇所から眺めていた。
「小さいですね……」
「赤ちゃんだからね。でもね、こんなに小さくても主人に似てるところも沢山あってね、“あ、親子なんだなぁ”って思うの」
「もう似てるとわかるのですか?」
「えぇ。鼻筋も目もそっくりよ。男の子だから主人に似たのかしら」
「あ、でも言われれば奥様にも口元が似ている気がします」
「ふふふ、そう?」
奥から出てきたご主人が、斎藤と茜凪を見つけて“いらっしゃい”と告げる。二人とも芳乃の知り合いだったらしく、彼女の名前が出て来ていた。
茜凪が主人に挨拶と、他愛のない話を持ちかけている時。赤子を抱いた女性が、斎藤に小さく囁いた。