15. 雨宿
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「茜凪、今から行くのか?」
「はい」
「重丸、そんなに重体なのかよ?」
「人間の重体がどれくらいなのかが分かりませんが、高熱が続いてるそうなので、薬くらい届けてあげようと思います」
慶応三年 六月半ば。
現在、この国は雨季を迎えており、雨が降ったり止んだりという不安定な気候を繰り返していた。
「空も曇ってきてんし、また一降りくるぜこれ……」
「傘は持っていくので大丈夫です」
「いや、けどよ……」
祇園の一角にある料亭の別宅では、玄関先で苦い表情をした烏丸が空を見上げていた。
どうやらこれから出かけるらしい相棒の娘を心配しているらしい。草履をしっかり履いて、足袋を締め直した茜凪は顔をあげて烏丸を見つめた。
「烏丸、以前人間は脆い生き物だとか言ってましたよね」
「何年前の話だよ」
「人間が脆い生き物なら、重丸の元に薬を届けにいくべきだと思わないんですか?」
この春、妖である彼女たちに関わる人間がまた一人増えた。正体こそ教えていないものの、剣を教えてほしいという少年の志に応えている茜凪や烏丸。
その人間の少年である、重丸が風邪をひいて高熱を出したらしい。
元服前の少年であるが故、母親が着きっきりとなり、彼の元を離れられないようだ。町医者の元まで行き、薬を調合してもらい、家に届けてやろうと思った茜凪が支度をし始めたのは四半時前の出来事。
この悪天候の中出かける予定はなかったが、理由が理由なので今行くしかない。しかし烏丸は、これから雨が降る状況で呑気に出て行こうとしている茜凪に眉を寄せていたのだった。
「一緒行ってやろーか?」
「私は子供じゃありません」
「なんだよ、心配してやってんのに」
烏丸は小窓から除く外の世界が、未だ泣き出していないことを確認してから背を押してやった。
「気を付けて行って来いよ」
「もちろんです」
「帯刀してないこと忘れんなよな」
「帯刀しなくなって数月経ちます。今更忘れてませんよ」
彼がとても心配性であることは知っている。過保護ともいうのだけれど、それを向ける対象が相棒であるのは聊か間違っている気がしてならなかった。
「では、行って参ります」
「あぁ」
烏丸に見送られ、茜凪は紫紺の番傘を手にしながら祇園の町を歩き出したのだった。
第十五片
雨宿
「はい。お待ちどうさん」
ドン、と置かれた重みのある刃を見つめて、斎藤は静かに頷いた。
「鍛えなおしやしたから、切れ味も多少あがったかと」
「刃紋も悪くない。上出来だ」
「ありがとうございます」
京の端。北見 藍人が命を落とした箇所に程近い場所にある馴染みの鍛冶屋。
愛刀である鬼神丸国重の刃を鍛え直してもらうため、非番を利用して斎藤はここを訪れていた。
数日預けていた国重が手元に戻ってきて、借りていた代替えの刀を店主に返す。国重の刃紋や出来には文句が言えないほどになっており、斎藤は惚れ惚れしつつ刀身を見つめていたのだった。
「世話をかけたな」
「いえ。またおいでやす」
料金を払い、刀を受け取り店を出た。
非番の日だからといって特にしたいことがないのだが、斎藤は無駄に時間を費やすことをしなかった。
歩きなれた道を歩きつつ、ゆっくりとした時間を過ごす。
しばらくして、空の雲が厚くなってきたことに気付く。
外出もこの程度にして、高台寺に戻ろうと歩みを進めていたところだ。
「ほぉら!安くなっとるでー!」
大通りに響く声。何かの商いをしていることは聞こえた単語から理解できる。しかし、何が安くなっているのだろう。
必要なものであれば買い足しておこうと思い――刀に関連するものを想定していた――斎藤は、行商人が手を叩き観衆を集めている箇所へと顔を出してみた。
「この時期にはもってこいだよー!安くて丈夫な傘はいかがだーい?」
「傘……か」
集まった者たちが、あちこちから見つめる視線の先には上等品と言えるような傘が並んでいた。どれも染め柄が綺麗であり、それなりに腕の立つ職人が手掛けたものだとよく分かる。元の値段と、売っている値段を比べれば確かに安くなっており、今の時期に重宝されることは間違いなさそうだ。
「(確か、高台寺の屯所にあるものが数が少なくなっていた故……買って帰ってもいいだろう)」
本来ならば新選組のことを考えていたい。しかし、そうは言っても今己が寝食を置いているのは高台寺月真院。先日屯所を移転させたばかりの寺だ。どんな理由であれ、今は御陵衛士と行動を共にしているのだ。傘が足りる足りないを西本願寺の予定で立ててはならない。
「店主、一本貰えるだろうか」
「あいよ!まいどあり!」
とりあえず自分の分は確保し、何かが起きた時に問題なく対応できるようにと備えをしてみた。何かといっても傘の使い道はもちろん、雨を凌ぐことなのだけれど。
懐から金を取り出し、相手に渡したところでちょうど使い道がやってきた。
我慢ならないと、ぽつぽつ涙をこぼし始めた空。見上げれば、厚い雲は簡単に泣きやみそうにないのを訴えている。辺りも暗くなり、次第に音はザァザァと激しく声を上げ始めた。
「降ってきたか」
運がよかったのかもしれないと思いながら、手に入れた番傘を差してやった。特にこだわりはなかったのだけれど、紺色で白く模様がちりばめられている。男が使っても女が使っても嫌味にならない柄だった。
傘を差し、祇園の方角へと足を進め続ける。
通りには、降り出した雨に軒下に駆け込む人や、傘を差しだす人、店終いだと暖簾を下げる人が見えた。
いつもと変わらない風景。梅雨の気まぐれな雨に多い光景。これもまた風情あるものかもしれない。
そんな視界の中で、次に飛び込んできたものは、少しばかり意外で、足を留めてしまった。
「ほんとうにいいの?」
「えぇ。私は最悪、走って帰れますので」
「でもお姉さん、すごく綺麗な着物を着てるのに」
「こんなもの、洗えばどうとでもなりますから」
それは、数日前。斎藤が傘を持たぬ故に夜の店通りで雨宿りをしている時、迎えに来てくれた少女――茜凪の姿だった。
やはり遠くから見やれば独特で、そして誰が見ても美人だと思える顔立ち。近寄りやすそうな雰囲気。あれは確かに世の男たちが野放しにしておくことはないな、と彼女が好かれる理由を再確認した。
「最近は風邪がはやっているみたいです。雨に打たれて風邪を引いては困りますから」
「ありがとう……」
「はい」