13. 髪飾
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ガラリ、と戸が開く音が響いた。
今日はもう店を閉め、久々に仲間内での宴席を設けていたところだったので、やってきた音に誰もが顔を覗かせた。
「おーい、今日はもう店終いだぜー」
この酒宴……祇園の一角で行われているドンチャン騒ぎを言い出した烏丸が、料亭の入り口に向けて放った言葉。
しかし烏丸は酔ったままの赤い顔で入り口を見るなり、“おぉ!”なんて目を見開いて手招きする。
「一じゃねぇか!いいところに!」
店の入り口にいたのは、隊務を終え、高台寺を抜け出してきたと思われる斎藤の姿があった。
暖簾を下げていたにも関わらず、戸を開けたとなれば親しい人物であることに違いないと思っていたが、まさか斎藤だとは誰も思わなかったらしい。
「今日は平助はいないのかァー?今、宴会してるとこなんだよ!」
「平助は隊務で京を出ている。故に俺一人だ」
「いらっしゃい、さいとーさんっ!」
どうやら今日は、店を早く閉めたらしい。
いつもならば忙しい時間に、相当な酒の匂いをさせながら全員酔っぱらっていた。
菖蒲に至っては本当に珍しく、酒の匂いをぷんぷんさせながら斎藤の腕を引っ張ってきたので相当酔っていることが伺える。
斎藤は当たりを引いたのか、外れを引いたのかわからない日に来てしまったことを半ば後悔しつつ、目的を告げる。
「茜凪は……?」
「まだ帰ってきてねーよ」
「未だ……?」
「なんか壬生の方に重丸と遊びに行ったらしいぜー?そろそろ帰ってくるだろ……」
菖蒲に腕を引かれたまま、しゃっくりを繰り返す烏丸の顔をみやれば、薩摩の強い酒を何杯も飲みほしたらしい。ずいぶんと空になった銚子があちらこちらに転がっていた。
これは原田や永倉に並ぶ、めんどくさい酔い方をする男かもしれない。
「ねぇねぇ、さいとーさんも飲んでいきましょーよ?」
どうやら、菖蒲に惚れ込んだ河童の妖は潰れてしまったらしい。
座敷の奥で、まるで干からびたように伸びているのを見つければ、彼女が好き放題になるのも時間の問題だった。
流石は芸子をこなしただけのことがある。彼女はとんでもない酒豪らしい。
腕を引かれてしまえば、むやみやたらにきつく跳ね返すわけにもいかず、困惑した表情を隠すことは出来なかった。
「いや、俺は飲みに来たわけでは……っ」
そう、今日は違う。
元気がなかった茜凪のために、先日小間物屋で簪を拵えた。
それを渡しに来ただけで、食事は別のところで済ませたし、隊務が続くので酒を飲む気はない。
なので菖蒲の誘いは必然的に断らなければならなかったのだけれど……。
「どうしてぇー!?一緒に飲んでいくって言ったじゃない!」
「……っ、いつ俺がそのようなことを言った……!」
「この間よぉー!」
酒豪というのは取り下げよう。これではただの酔っぱらい娘だ。
遠慮なしに腕を引いては半ば寄りかかるような菖蒲に、一体何を飲ませたのかと烏丸を見やる。
普段は気丈で意志も強く、このように誰相手にでも媚びを売るようなことを素でする女ではないはずだ。過去はそれぞれだが、彼女が男に愛想を振りまくことと、仕事は違う。
烏丸へ向けた視線も、ただただヘラヘラした天狗がそこに在るだけなので、まったく解決に繋ぐことができなかった。
これは確信に変わる。
今日は確実に外れの日だ。
「何故俺が……っ」
ベタベタする菖蒲を放置するわけにもいかず、座敷に上がりこんだことが始まりだった。
慶応三年 六月。
先日に引き続く、梅雨前の最後の晴れ間の出来事だった。
第十三片
髪飾
暖簾が下がり、提灯の明かりも微かになり始めた頃。薄暗い道を茜凪は一人で歩いていた。
今日は重丸と壬生寺で剣の稽古をつけていた。烏丸より茜凪が強いと理解した重丸は、時間を見つけては料亭にやってきて、茜凪に稽古の申し入れをする。
それが数回連なると彼の実力も子供ながらに急成長を遂げるものであり、茜凪は満足げに歩みを速めていた。
あまりに白熱した稽古。体力が茜凪と比べれば――年齢、そして何より人間と妖ということが関係しているが――重丸は少ない。
それでも彼は怯むことなく立ち向かってくるものだから、時間を忘れて剣術を教えることに熱中してしまっていた。
気が付いたら辺りは真っ暗で、子供の一人歩きは危険だと悟り、彼を家まで送り届けてから祇園の戻るところである。
「教える分には、右腕も支障はないのですけれど……」
酷使とまではいかないが、剣を握り、使用した右肩に触れれば多少の熱を帯びていた。
傷は完全に塞がっていないので、右肩を強打したりすると傷が開き、また血が溢れ出してくるのも目に見えている。
それでも剣術が多少まともに出来るまで回復していることを思えば、茜凪も自然と笑みが零れてしまった。
「はじめくんに稽古つけてほしいって言ったら怒られるでしょうか……」
――怒りそうだ。
心配してくれているのはわかるが、彼の場合、小言を言ったのちに竹刀も木刀も真剣さえも没収してきそうな勢いに思えて、悩ましげに唸ってしまう。
夜風が道を抜ければ、結っていない髪が靡いて、再び視界を覆ってしまった。
「ん……」
そろそろ本当に簪を買って髪をまとめなければならないな、と思いつつ、未だに一歩踏み出せない自分がいることに茜凪は笑顔を溜息へと変換させてしまった。
「……ダメですね、こんなんじゃ」
もっとちゃんと考えていかなければ。いつまでも過去の思い出に捕らわれていてはいけないし、藍人が今いないとしても、結果は無残なものからきちんと解明され、勝利を手に収めたといっても過言ではないのだから。
「よし」
気合を十分に入れ直し、見えてきた料亭に向かって小走りで進んでいく。
「あれ……?」
なんだか近付くにつれて、ギャアギャアと騒ぐ声が聞こえてきたので思わず足を止めて首をかしげてしまった。騒いでいるのはいつものことだけれど、問題は声の主が己の相棒だったり、よく知った女の声だったり。どうやら狛犬の妖も混ざり始めたらしく、もはや話している内容すら外にダダ漏れ。
“烏丸の馬鹿はさっさと四国に帰れ”や“お前こそ、いつまで京にいるんだよ!初霜の里に帰れー!”とか。
相変わらずの仲間だな、なんて思いながら声がしないところを思うと酒に弱い河童は潰れたな、なんて予想できた。
しかし、そこで予想外のものが一つ。
「斎藤さん、今日は泊まって行ってくださいよぉ」
「お、おい菖蒲……っ」
「え……?」
「あたしがお相手しますからぁ!ね、お願い……」
よく知った名前。憧れた存在、声。
そしてもう一つ知っている。あの女のあの声は、限られた場でしか聞かないような、相手を魅了する声だと。
毎晩のように彼女の身柄をどうにかできないかと、花街に通っていた頃を思い出させる声だった。
「……っ」
戸に手をかけて、迷うことなく開け放った。
ガンッ!と思ったよりに大きな音が響いてしまい、戸の楔が外れた気もしたが、そんなところに気を配っていられない。
血が全身を駆けあがった。
その割に血が騒ぐ指先の温度が急激に下がる。普通は逆であろうと思いつつも、視界に入る光景は以降の思考回路を止めてしまった。
「……ッ!」