11. 誤解
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慶応三年 皐月の終わり、某日。
御陵衛士として行動していた斎藤は、再び月が変わる前に屯所に忍び、土方に報告をしに来ていた。
「以上が伊東派の近状です」
「なるほどな。報告ご苦労」
簡潔にまとめられた書状を手にして、土方が唸るように頷いた。斎藤も目を伏せ、一礼してから顔をあげる。
視線をあげてから、ぎこちなく――気付かれないように視線を逸らした。紫の瞳が蒼の瞳を射抜くと同時に甦るのは、先日……数日前の川辺での出来事だった。
「……」
たまたま衛士として巡察を行っていた日のこと。
川辺の茶屋で茜凪と土方がいるのを見つけ、立ち尽くした矢先の出来事。二人がゆっくりとした動きで口付けを交わしているのを目撃してしまったことが発端である。
実際、これは斎藤やその場に居合わせた千鶴の誤解であることを彼らは未だ知らない。
「それからな、斎藤」
「……、」
「斎藤」
正直、土方が茜凪に対してどんな想いを抱いていても、ましてや茜凪が土方に対してどんな想いを抱いていても、斎藤に口出しが出来ないことは分かっている。男女の恋仲に対して第三者が口を挟むなど……ましてや斎藤は土方の部下だ。言えるはずもない。
だが、思い返してみれば茜凪は斎藤に向け何度か“好き”という発言をしている。これが“恋情”ではなく“好意”だったとしても、もやもやした気持ちが拭えないのは何故なのか。
それほどにまで傍にいてくれる妖のことを考えて、想っていることに気付くのはまだまだ先の話である。
「おい、斎藤」
「はっ、はい」
土方の前であるにも関わらず、己の世界に入り込んでしまった斎藤。土方からの数度目の呼びかけでようやく応じてやれば、副長が顔をしかめるのも否めなかった。
「なんだ、ぼーっとして。らしくねぇじゃねぇか」
「は……申し訳ありません……」
「言いてぇことがあるならハッキリ言ったらどうだ」
「いえ……そのような、ことは……」
歯切れの悪い斎藤を見て、土方が眉を寄せる。焦ったように視線を俯かせた斎藤だったが、偽るのもよくないと思い……土方に向けて、告げた。
「……では、副長。一つお伺いしたいのですが」
「何だ」
「その……副長は、茜凪と……」
「茜凪?」
「……男女の仲に、あられるのですか……?」
「……………。」
最後、語尾の方が沈み小さくなったことに斎藤自身も気付いていた。
本当に自分らしくない。こんなことで心掻き乱されて、隊務に支障が出るなんて許されないことだ。
「なんだ、唐突に」
「いえ……。先日、………いや、なんでもありません。失礼しました」
「歯切れが悪ぃな。最後まで言ってみろ」
本当にこの先のことを告げてしまう事が、許されるのだろうか。そんなことを考えながらも、続きを促されたので口にしてみた。
「先日、副長が茜凪と共に川辺の茶屋にいるのを見つけまして、たまたま……その…、」
「っ…!」
「茜凪と、口付けを……」
「お前、あの場にいたのか」
明らかに“やばい”という顔をしたのは土方だった。あぁ、もうこれは外れなわけがない。
土方は茜凪と男女の仲にあるのだろう。
よくよく考えて見れば、茜凪を斎藤の元に派遣したのも土方で、茜凪は土方の命令で今もう動いている。そこにある絆を考えれば……。
「斎藤、よく聞け」
「はい」
ここから先、告げられるものはどんな真実だろうと受け止めなければならない。
溜息を一つ零して、呆れたと言うか、困った顔をした土方が、息と同時に吐きだした。
「そりゃ誤解だ」
第十一片
誤解
溜息と共に出て来たのは、土方からの否定だった。
てっきり、斎藤は自分が目撃したものは“土方と茜凪の口付け”だと思い込んでいたので、彼の否定に首を傾げた。
「そうか、お前もあの場にいたのか」
「はい……」
「あの場には総司もいやがったみてぇでな。その日の晩に散々からかわれたぜ」
「というと……」
「俺は茜凪と恋仲になった覚えなんてねぇよ」
じゃあ、あの光景は単に素晴らしい角度から見た勘違いだったというのか。斎藤は目を丸くする。
別に土方が誰を好こうが、誰を想おうが口出し出来ないのは重々承知していたけれど、どことなく安堵のため息が漏れたことに斎藤本人は気付いていなかった。
「ありゃ、茜凪の目に睫毛が入ったのを取ってやっただけだ」
「……そうだったのですか」
ぽつりと出て来た声が、あまりにも小さかったことに斎藤はハッとする。ようやく己が態度に気付いたらしく、バッと顔を赤くしていた。
「だいたい、アイツはどう考えたって一筋だろうが」
「一筋?」
「誰かにぶれる女じゃねぇよ、あれは」
「……?」
まるで何かに言い聞かせるような口ぶり。苦笑いしながら向けられた視線。
それ以上は何も聞けず、土方にも“もう下がっていいぞ”なんて言われたものだから斎藤は屯所を出て行くしかなかったのだった。
踵に重心をかけ、立ち上がったところで思い出したように土方が最後、告げた。
「斎藤」
「はい」
障子に手をかける寸前。伸びた影がゆらゆらと歪んだところで振り返る。
「最近、市中で茜凪を見かけた隊士の話を聞くとな、びいどろや硝子の老舗に顔を出しては落ち込んでるらしい」
「硝子……」
これは土方の助言だった。
そういえば、と思い返されたのは先日、重丸と猫を探していた時に茜凪が立ち寄ろうとしていた店。あれもびいどろや硝子を扱っていた店だったな、と。
「俺が聞くより、お前が聞いてやった方が話しやすいだろ」
「俺が……?」
「俺よりお前のが気心知れてるからな」
「……」
土方は今、茜凪に斎藤の支えになるように命を告げている。その点が“巻き込んでいる”という認識があるのだろう。だからこそ、新選組ではないが彼女のことを心配しているのだろう。
「わかりました。聞いてみます」
「あぁ。頼んだぜ」
相変わらず、鬼の副長は気遣いが上手い。
こんな役ばかりしているから、苦労人になってしまうのだろう。
そんなことを思いながら、斎藤は屯所を今度こそ後にしたのだった……――。
◇◆◇◆◇
日付は変わり、慶応三年 六月。
ついに雨の季節が訪れる。
梅雨に入るか入らないかというところで、曇りやら晴れやらが続く中。
屯所に報告に行った数十日後、斎藤はようやく茜凪と顔を合わせたのだった。
「あ、いらっしゃい。斎藤さん」