10. 接吻
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「こりゃ、難しいですなぁ」
「う……」
「元の形状がまず、あり得ないような形ですし、わしの力じゃ復元は出来んかと……」
「そうですか……。ありがとうございます」
「すんませんなぁ、力になれんで」
「いえ……」
慶応三年 五月もそろそろ終わりに近付いた頃。
暖簾が出ていた工房から出て来た茜凪は軽く溜息をついたのだった。
正直、これで何件目だろう。京にある類似した店は全て回ったといっても過言ではなかった。それでも、茜凪が望むものを提供できる店には出会えなかったのが結果である。
「直せないんですね……やはり」
懐にしまいこもうと掌に乗せていた袋を見つめる。封を開け、中からコロコロと出て来た硝子を見つめてから、もう一度溜息が漏れてしまった。
瞳と同じコナゴナにされた硝子の数々。
もはや原型は留めていない簪だ。
じっと落とした視線と俯いたせいで、結われていない髪がゆっくりと落ちてくる。顔にかかったり、目に入れば痛いものであり、どうにかしたいと思っていた。
が、新しい簪を買う気にはどうしてもなれない。それくらい、このトンボ玉の簪は大切にしてきたものだった。今から言えば、これも形見の一つとも言える品なのである。
寂しい時は優しさをくれ、悲しい時は慰めをくれ、怖いと思う日は勇気をくれた。いつも見守ってくれていたこのトンボ玉を、簪にすることが諦めきれなかったのだけれど……。
「はぁ……」
絵にして、“以前はこんな形だったんだ”と伝えれば、どの職人も“俺には創れない”というのがオチだった。もちろん、前の簪を自分で再現できるはずもなく、途方に暮れているのが最近の日課。
つい半月程前、斎藤と重丸に声をかけられたのも、トンボ玉を復元してくれる職人を探している途中だったのだ。
「……帰ろう」
無理なものは仕方ない。
こんなコナゴナになってしまってはいるけれど、見守ってくれているのはきっとこの先も同じだろうと自分に言い聞かせた。
小腹が空いたので、川辺の茶屋で団子でも食べて帰ろうと決めて歩き出す。すぐそこにあるので、さして時間もいらずに到着した後、三色団子を三本、あんみつを頼んで茜凪は柳の下の椅子に腰かけた。今日の夕餉は豪華にすると菖蒲が言っていたので、とりあえずかなり少なめの注文で我慢することとする。
柳の下から見上げる景色は、五月晴れの晴天で、雲ひとつない空だった。
通り抜ける風も暖かく、視線を下ろせばゆらりと川が流れている。水も澄んでいて、とても綺麗。
と、また俯いたので髪が流れて目に入ればチクリと痛みが神経を襲った。
「ん……、」
擦っては駄目だと思いながらも、左指を止めることが出来ずに目が赤くなっただろう事を悟る。そんなゴシゴシと瞼を掻いている時だった。
「茜凪?」
「ん……?」
目を抑えつつ、呼ばれたので振り返る。
そこには市中で見かけるのは少し珍しい気がする人物がいた。
「土方さん……」
第十片
接吻
突然、背後に現れた鬼の副長。
会津のお偉いさんとの会合帰りなのかな?なんて思いつつ、問う前に先に問われた。
「何してんだお前、こんな所で」
「私はお団子を……」
「あぁ、そうか」
茜凪の言葉に、土方が茶屋の旗を見ながら思い出したように頷く。その間も茜凪の目を擦る手は止まらなかった。
「土方さんこそ、どうしたんですか?」
「会津藩との会合の帰りだ」
「お疲れ様です」
「なんだ、お前目が痒いのか?」
「ん……、」
話しながらも目に手を宛てているのを見て、土方がついに首を傾げた。時間に余裕があるようで、土方はそのまま茜凪の前に立った。
「髪が目に……」
「あんま擦るな、腫れるぞ」
「そうなんですけど……掻いてるうちに睫毛が入ってしまったみたいで、痛いんです……」
「チッ……ったく」
舌打ちをかましつつ、土方はそのままボリボリ頬を掻いたあとに茜凪の左手首を軽く掴んだ。痛みを和らげる行為が止まったので、自然と片目を閉じてしまう。目尻の端に涙が浮かんでいたのを見て、土方が顔をしかめた。
「しょうがねえ奴だな。ほら、見せてみろ」
「ん……」
特に何も感じなかったのだろう。土方が左手で茜凪の髪を掻きあげてから、右手で掴んでいた彼女の手首を解放し、頬に触れて上を向かせる。
「目開けろ」
言われたままに閉じていた片目を開け、真っ直ぐ土方の瞳を射抜いた。
紫の濁りない瞳。間近にありつつ、“綺麗だな”なんて思いながら表情を変えずに見つめていた。
その現場に運悪く居合わせたのが、二つの一向だった。
「あれ、土方さん?」
「え?」
一つは羽織りを着た沖田率いる一番組組長と、巡察に同行していた千鶴。
もう一組は……―――。
「あれは……」
衛士の仲間と共に、町にくりだしていた斎藤であった。
沖田と千鶴は西の方角から来て、柳の下にいる二人を橋の上で発見し、斎藤は東の方角から来て、店の一角から出て来たときにたまたま見かけてしまったのだ。
どちらの角度からも運悪く、土方と茜凪のそれはまるで口付けを交わしているように見えて。
「え…ッ!?」
千鶴が思わず出た声をしまうように口元を塞ぎ、対して沖田はニヤリと笑顔を浮かべる。
「………………。」
もう一人の目撃者は、現在の立場柄、屯所以外で話しかけることはどうしても出来ないのだけれど、見かけてしまった光景に思わず足を止め、息を止め、全身のありとあらゆる動きが停止してしまっていた。
「へぇ。土方さんって茜凪ちゃんのこと狙ってたのかな?」
「あ…え……え、…え…!?」
「彼女、一君以外は断固拒否なのかと思ってたんだけど。抵抗しないところを見ると満更でもなさそうだね」
沖田のニヤニヤした視線の先は未だ茜凪と口付けを交わす――正確には睫毛を探して瞳を見つめる――土方の姿があり、隣の千鶴は顔を真っ赤にしながらも口がパクパクと何かを訴えていた。
斎藤は通りで固まってしまっているところを、衛士の仲間に呼びに来てもらっているところだった。
「おい、斎藤。何かあったのか?」
「い、いや、何でもない。ゆ、行くぞ……っ」
「?」
固まって、見つめた先にいたのが土方だとばれれば、これまた面倒なことになる。
うまくやり過ごしたものの、千鶴と斎藤の心臓はバクバクと脈を早くしたままだった。
「確かに睫毛が入ってんな。ちょっと待ってろ」
ようやく離れた土方と茜凪。そこへ注文していた甘味がやってくる。
「お待ちどうさんどした」
「あ、いえ……」
「店主。悪いが手拭いを濡らして来てくれるか?」
「へい」