01. 新春
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風の中に、ひらりと桜が舞う。
空を見上げれば、晴天で日差しは春の温かい陽気を含み、眠りに誘う。
祇園の宿舎の通りにある一角に、最近小さな料亭が出来た。
そこで振る舞われる料理は、優しい味でもてなしをしており、ゆっくりゆっくりと客を増やしつつあった。
その料亭から、真っ直ぐ八坂神社の通りへと抜けた先。大きな桜の木の下で、少女は空を見上げていた。茶色の短く、癖のない流れる髪は童を思わせる。
顔付きは幼さは残るものの、女性ととってもいい年齢だ。大きな瞳に映る色は、翡翠色……。
迷うことなく、ただ真っ直ぐ桜の木を見上げていた。結われることのない髪を風に靡かせながら。
「綺麗……」
感慨深く呟かれた言葉には、溜息にも似たようなものが含まれている。
空を桜色に染めて行く花を見上げながら、翡翠色の瞳は閉じられた。
続き右肩に触れ、何かを慈しむように掌を握り……目を開ける。
「よしっ」
一声かけ、傍らに置いてあった番傘を手にとって、彼女は一気に駆けだした。
紺碧の着物の端が汚れることも気にせずに、元気いっぱいに駆けて行く。
つい数月前までは眉間にしかめて、常に切ない空気を纏っていた彼女の姿はもはや存在になかった。
「菖蒲っ」
「ちょっと!駆けて入ってこないでよ危ないわね」
ガラリっと開いた戸の先に、大きな野菜を持った料亭の女将が出てくる。今から湧水で野菜を洗いに行く所なのだろう。
戸を開けた少女は反省せずに、そのまま告げた。
「ちょっと御池通りの方まで行ってきます」
「何しにいくのよ?」
「ちょっとね!」
「あんたまだ腕完治してないんでしょ?あっ、コラ!」
人の話を聞くこともせず、番傘をほおり投げて彼女は再び駆けだした。
目当てのものは、目当ての人は、まだ稽古をしている所だろうか。間に合えばいいな、と願い、人間として出せる速度で走り続けた。
大切で、憧れで、あまりにも大きな存在の彼のもとまで。
――……これは、一人の武士と一匹の妖の平穏と別れを描いた記録である。
薄桜鬼 紫電録
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紫 電 一 閃
第一片
新春
慶応三年 四月。
誰もが待ちわびていたというように、長い冬は終わりを迎えた。雪は溶け、まだ肌寒い日はありしも、桜の花が咲き誇る季節へと移り変わった。
目的の場所へと走り出し、祇園から足を伸ばし続けていた楸 茜凪も、この長い雪溶けを待っていた一人。
彼女にとっては、本当に長い間続いた“冬”が終わりを迎えた春だった。
逸る気持ちを抑えつつ、駆けだした気持ちは止まらない。戦装束ではないので、早く走ることも出来ないが、それでも今は先へと進みたくて仕方なかった。
今朝、通り雨が降ったせいで道には水たまりがたくさん出来ていたけれど、それも軽々飛び越えて、茜凪は目的の地の近くで足を止めた。
少々距離があるので小さく聞こえるが、目的の場所からは剣術の時に使うような掛け声が響いている。
「間に合った……!」
そこからはなるべく気配を消して歩いて行き、近くの壊れかけた塀から神社の中へと潜入する。
正面から行けば、目的の相手にばれ、後で文句を言われるのは分かっていたし、堂々と会いに行くこと自体嫌がるのも目に見えている。
飛び越えた塀の先にある林。周りにある木々と、自分の人並み外れた跳躍力で駆けのぼれば、境内で行われている稽古の様子が見えた。
相手からは遠目であるし、茜凪の存在と目的を知っている人じゃなきゃ気付くことはないだろう。
故に、茜凪がいると気付くのは、境内で稽古をしているただ一人の人物だけなのだ。
「この距離で気付かれてしまうならば、私もまだまだ修行が足りませんけどね」
――絶対大丈夫だと、油断している茜凪がいた。ばれることなんてない、と。
彼らの稽古が終わるまでは、あと小半時もない。それまで様子を窺って、木の上で大人しくすることにする。足をブラブラと揺らし、熱心に稽古を受ける左構えの男を見つめていた。
黒い着物、白い襟巻。
彼こそが、茜凪がここまでやってきた目的……――新選組 三番組組長・斎藤 一。
今は訳あって、こうして新選組と行動を別にし御陵衛士として働きをみせてはいるが、茜凪は彼の心が新選組にあることを知る身近で唯一の存在だ。
「今日も精が出ますね、斎藤さん」
意識しなくたって口角が上がってしまうことを感じながら小さく呟く。同時に境内の方からは号令が聞こえてきて、どうやら稽古の終わりを告げるようだ。
剣の構えを下ろし、各々が汗を拭いながらも整列していく中で、ぶれることなく斎藤だけを目に宿していた。
だから、だろうか。
気配に鋭い彼が、視線を一瞬こちらに投げたのだ。
「え」
切れ長の、蒼い瞳に射抜かれた。間違いなく。
まさか、ここにいることを気取られるなんて思っていなくて、茜凪は思わず声をあげた。
風が舞い、彼と視線があった状態で時が止まるような感覚。いつから茜凪は、これほどにも乙女のような思考になってしまったのか、と自分自身で疑問を投げかけた。
視線の間に桜が舞って、それでも逸らせられなくて。
修行は結局足りなかった。動揺したせいで、茜凪はそのまま腰かけていた太い木の枝から体勢を崩し、真っ逆さまに落ちることとなる。
「うわぁっ!?」
「…っ」
やはり、気付いていたんだろう。
茜凪と目が合って、その後真後ろに頭から落下していった茜凪を見ていた斎藤は表情を崩し、息を呑む。
しかし、今ここで彼女の名前を呼び、駆け寄るものならば周りの衛士に怪しまれるだろう。
なんとか平然を装い、横目で気にしつつも斎藤は号令をかける男の方へと体を向けた。
「一君?」
「いや、なんでもない……」
隣で剣を振るっていた平助には、さすがに声をかけられたが答えるわけにもいかなかった。
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