004. 歌姫・ギラ
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戦火を走り抜ければ、身に染み付くのは何になるか。
それは血の臭いだったり、何かが燃えたもの、煤、断末魔、血の気が引いて廻りが悪くなる体温。カチカチと鳴る歯。
咄嗟に喉元を抑えて、壁際に追い込まれた時に涙が頬を伝う。
「スザク……」
お願い。殺さないで。
あなたを人殺しにしたくない。そして自身も殺されたくない。
届かない声は叫びになって、相手の耳に響くことを願った。
難しいかな、って諦めが見えた時。相手が手を振りかざした。
とても切ない顔で。
涙が零れたのは、夢でも現実でもだった。
ベージュを基調にした壁紙、天井には豪華だけれど小振りなシャンデリア。アンティークな本棚や、猫足のテーブルが見えれば、流石にここが木箱の中ではないことがわかる。
「……、」
「目が覚めましたか?」
とても優しい声が聞こえた。
”スザク”のものとも違う。知り合いにはない声。初めて聞くそれは、温かい陽だまりを落とす朝の一言にも思えた。
ここは、どこだろう。
「……わ、……たし」
「覚えていますか?リコラの近くの廃墟で、木箱の中に閉じ込められていたんです。暴漢に襲われて……」
あぁ……そこまでは思い出せる。
あの木箱の中でも涙したことも。蓋を開けて手を差し伸べてくれた者がいたことも。扉を蹴り破って、男が3人と女が1人現れたことも。
声をかけてくれたハットの男に頷きを見せれば、彼はにこりと笑ってくれた。
黒髪のくせ毛、紫の瞳。見覚えは……なかった。
「あなた、は?」
「あぁ、待ってください。まだ起き上がらなくても……」
彼女が体を折り曲げ、上半身を持ち上げた時。帽子を揺らめかせて慌てて男が手を添えた。
別に痛みはない。怪我をした覚えも。恐怖に身が震えただけだ。起きてももう……問題ない。
なのに、夢で切り裂かれそうになった喉が少し痛むのは何故か。風邪か?と思ったが、この感じは外部的な要因だ。
首を傾げながらも男を見上げれば、相手はようやく名を告げる。
「私はルカ。アルカナファミリアでパーパの秘書と、お嬢様の従者をしています」
「アルカナファミリア……?」
知らない単語がいくつか出てきた。
パーパ。お嬢様。そしてアルカナファミリア。
一体なんの話だ、と思いもう一度尋ねようとしたらノックの音が響き渡る。
「開いています。どうぞ」
ルカと呼ばれた男が答えれば、ガチャリと扉が放たれる。ルカを越えて、追う視線の先に現れた人たちには見覚えがあった。
「お待たせ、ルカ。言われた通りの薬草で、ハーブティー淹れてきたよ」
「ありがとうございます。お嬢様」
「フェルちゃーん!あたしも飲みたーい!」
赤髪をツインテールにした少女。それから手を差し伸べてくれた、水色の髪を三つ編みにしている少女。
彼女たちは笑いながら未だに何か話をしているが、ルカはお嬢様ではない少女を見ながら目をぱちくりさせるだけだった。
「ところで、先程から思っていたのですがお嬢様……。彼女は……?」
ティーカップを温めて、ポットから胸が高鳴る音を立たせながら注がれていくハーブティー。
小声でフェリチータに尋ねるルカに、フェリチータがくすりと微笑む。
「そうだね。みんなで自己紹介しよっか」
ルカも手伝いながら、手際よくハーブティーを4人分注ぎ、用意されたビスコッティも一緒に配られれば、客までの小さなお茶会になる。
お近づきのしるし、なんてところか。
ベッドで事の有様を見つめていただけの娘は、フェリチータとリリア、それからルカの合図を待っていた。
「とにかく、目が覚めてよかった。調子はどう?」
「……だいじょうぶ、です」
「そっか。ならよかった」
「こちらは、私自慢のレシピでお嬢様に淹れていただいた特製ハーブティーです。心を落ち着かせたい時に飲むには一番効果があります」
フェリチータに続けて、ルカがにこり、と微笑んだ。
どうやらここまで助けてくれたからには、何か裏があると思っていたが思い過ぎのようだ。
娘はカップに入れられたハーブティーの匂いを吸い込み、恍惚としたため息をつく。同じくリリアも気に入ったようで、香りを楽しみながら笑みを絶やさなかった。
「改めまして、私はフェリチータ。アルカナファミリア、剣のセリエで幹部をしています」
「私はルカ。えっと、彼女には先程挨拶を済ませましたが……」
追う視線は間違いなくリリアに向けられている。
あ!と気がついたように、カップを持ちながら少女は答えた。くるくるとしたサイドの髪を跳ねさせながら。
「あたしはリリアーヌ!リリアって呼んでね!」
「リリア……。よろしくお願いします」
「リリアが、彼女を助けてくれたんだよ」
フェリチータが、身元の判明しない挨拶をしたリリアに補足すれば、ルカが納得したような顔をしていた。怪しいものではないとわかればそれでいいのだ。
椅子に腰掛けている3人の自己紹介は簡単だが、済ませることができた。
次は、彼女……。木箱に閉じ込められ、人身売買のオークションに売り飛ばされるところだった異国の歌姫。
3人の視線--1人は確実にハーブティーと交互に視線が行き来していた--が、彼女に向けられる。
「わたしは……ギラ」
わかることは、ただ少しの記憶だけ。
「かつて……歌を、うたっていたもの……です」
004. 歌姫・ギラ
”歌をうたっていた”。
ベッドにいる彼女・ギラはそう答えた。ルカはジョーリィが暴漢から得た情報にやはり間違いがなかったと読む。
しかし、断定できないような返し方は腑に落ちない。認めてはいるのに、はっきりと答えなかったギラ。
やはり暴漢に襲われた時に、記憶が曖昧になっているのだろうか。
「ギラ……大変でしたね」
落ち着きを取り戻させれば、もう少し有様を詳しく聞けるだろうか。
なにせ、この人身売買事件はレガーロに留まることなく、各地で被害を出している。早急に解決できるように尽力せねばならない。
「貴女はレガーロの人ではないと伺いましたが、どちらからここへ?」
ルカがハーブティーに口をつけるように促しながら、フェリチータとリリアの前で話を進めた。
もちろん、ギラも助けてもらった手前、ルカやフェリチータ、リリアの視線から誤魔化そうとしたり黙っていようとは思わなかったらしい。一度こくりと頷いて、目を伏せる。
「わたしは……この国の人間じゃ、ありません」
「……」
「もっと遠くて……もっと小さな、平和な町で……」
ギラの声を聞いていたリリア。紫の瞳がカップの水面を見つめる。
何も言わない。何も問わない。ただ、傍観者を決め込んだ者がいる。
静かに揺れる水面の中に、自身の顔が映った時、存外冷たい表情をしていたのが見えた。こんな顔はいけないね、と言い聞かせるようにして……それでも幾分か硬い表情のまま今度は直接ギラを見つめる。
「平和な……町、で?」
「ギラ?」
「いや、平和じゃ……なかったかも……。わたしがただ逃げただけで……、彼が逃がしてくれて……?それ、から……?」
「ギラ、だいじょうぶですか?」
「……それから……わたし、は……?」
虚ろに呟くギラ。
フェリチータがカップを置き、ベッドサイドに近付いてギラの背を摩ってやる。落ち着いて、もういいのよ。と声をかけたがカタカタと震えた肩が止まらない。
彼女の瞳の奥に、炎が見えることをリリアは……知っていた。
「……ギラ。話はまた、今度にしましょう」
ルカがもう一度声をかけながら微笑んで、フェリチータがいない方のベッドサイドから彼女の布団を掛け直していた。
見てられない。
まるで端から見れば、そんな表情を残したリリア。
立ち上がり、カップを腰掛けていた椅子に置いて、視線を再び水面へ落とす。
見えた表情は、今度は悲しみだった。
唇を、誰にも気付かれないように噛み締めて瞼をギュッと閉じる。
脳裏に、鼓膜に焼きついたそれ。
まだ響く声。大好きな、友達の声。
ふるふるっと、頭を振ってギラの方へ振り向き……リリアは笑った。
「じゃあ、あたしは行くね!」
「え、リリア?」
「ギラちゃん、まだちゃんと話せる状態じゃないみたいだから。リリさんもう少しだけ待つことにするー!」
”館の中、探検してくるね~!”と言い残して、リリアは両手を広げて幼子のようにポーズをとる。そのまま緩い勢いで走り出して、ギラが寝ていた客間から去って行ってしまうのだった。
「リリア……?」
フェリチータはいなくなったセーラー服の彼女の存在を思い返したが……まだ出会って時間が浅いからか、目的が何なのかもよくわからない。
恋人たちを使用してまで調べることだろうか、と少し考えたが……リリアとも話が必要な気がしたのはどうしてか。
怪しい者ではないはずなのに、何か心がざわついて仕方ない。
そんなフェリチータの様子を知ってか、ルカはギラにもうひとつだけ、質問を投げかけた。
「ギラ。彼女……リリアが貴女を助けたと言っていましたね」
「え……えぇ」
「貴女はリリアのこと、ご存知なのですか?」
鋭い質問。フェリチータも疑問に思っていた。
リリアは街中でギラを見かけ、襲われていたから助けたと言った。その勇敢で正義感あふれる行動は、まるでここにいない時代を超えた誰かを思わせる。
そこまではいいのだ。問題は次にリリアが言葉にしたもの。初対面だったにも関わらず、リリアはそこから「ギラに聞きたいことがある」と館までやってきた。
だが、対してギラは、リリアを目の前にしても……この様子。
人質と命の恩人という点で接点はあるが、リリアがギラに問いかけたい内容が浮かばないのだ。
ユエなら……ユエがリリアと同じ行動をしたならば、一体何を問うだろう。
考えていたところで、ギラは答えた。
「……ごめんなさい」
「ギラ……」
「記憶が、なんだかおかしくて……彼女にも申し訳ないんですが、わたし……リリアのことは--知らない……です」
「……」
「思い出せない……何も」
ギュッと瞑られた瞳。泣き出しそうな、赤みがさした目尻に、フェリチータの覚悟がひとつ揺れた。
思い出せないのなら……呼び起こせないだろうか、と。
だけど。
「お嬢様」
静止の声をかけたのは従者。わかってる。恋人たちは……なるべく使わない。
ギラがギラの言葉で、考えて導き出さなければ彼女が救われることは、ない。
「……うん」
頷きを一つ残して、フェリチータは再び横になったギラを見つめた。
眠った方がいいですよ。
そう言い残すルカと共に、優しく笑いかけてギラの不安をなくしてやろう。
ただただ、その時はそれに努めることにしたんだった……。