029. 逍遥の幻影
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リベルタとパーチェとバールの約束を交わしてから、ユエはしばらく部屋で休むことにし、ベッドに体を投げ出していた。
団服の上着を脱ぎ、インナーと裸足で布団に包まれればとても心地よい睡魔に襲われた。
明日からはまた忙しくなる。今までも忙しかったけれど、これから先も一息つける場面はいつくるかわからない。こんなにゆっくりとしている余裕はないのだが、ヴァロンの代償の件を聞きつけ、ほっとしてしまったのも睡魔の原因だった。
「(木漏れ日が優しい……。どの時代も、シエスタ時は安らぐものなんだね、やっぱ……)」
微睡みの中、カーテンの向こう側に見える世界にそんなことを感じていた。
空の色、葉の緑、太陽の光。どれをとっても幸せな気分にさせてくれる。
誘われるまま、双眸を閉じれば意識はゆるやかに奪われていった……。
029. 逍遥の幻影
「ユエ、いつまで寝てる」
「んー……あと5ふん……」
「さっきもそう言った」
「ん~……」
聞き覚えのある、心地よい声が聞こえる。
覚醒してくる意識の中で美味しそうな、香ばしい匂いがしているのがわかった。匂いからして、得意のベーコンと目玉焼きにトーストだろうか。実に一般的なものだろうが、とても幸せでいつもどおりで、日常を感じさせてくれるものだ。
きっと“彼”が朝食をつくってくれたんだろう。
「ユエ、--もう待てない。先、食べる」
「なんでよ……もうすこしだけ……」
「やだ。冷める。--、頑張ってつくった。もう食う」
「わかったぁ……起きるから……」
起きるから、待っていて。一緒に食べよう。
眠る体制から覚醒し、半身起しながら彼の服を引いた。その行為にベッドの端にあった重みが一度離れ、戻ってくる。
立ち上がろうとした彼を引き止めて半身起きたはいいものの、ぐったりとして結局彼の背中に寄りかかってしまう。
線が細く、体も細いように見えるのに意外と広く逞しい背中。おでこを預け、再び瞼を落としたところで彼が振り返る気配があった。
ずるり、と傾くのを止められなかったが力は入れなかった。我ながら狡猾だと思うが、相手が支えてくれるのを理解していたからだ。ぐっと支えてもらえば相手の顔が首筋に来るのがわかる。
「ユエ」
「んー……くすぐったい」
「ユエ」
名前を何度も呼ばれ、その度に匂いを嗅がれているのは彼の癖だからわかっていた。まるで人によく愛される動物のように、たまに舌先で首筋を舐めてくればいやらしいのではなく、くすぐったかった。
「わかった、わかった起きるから……ふふっ、やめて……」
「早く」
「わかったから……!」
最後はおまけに甘噛みされて、しっかり目を開け相手を引き離した。
してやったり、といたずらのように微かに笑う表情がとても愛おしい。あぁ、この人が好きだと思う。暗い色の髪と赤い瞳。そこまでは認識できる。愛おしいと思う。なのに……。
「ユエ」
名前を呼んでくるこの相手の顔が、なぜだかぼんやりしていてわからなかった。
髪色も瞳の色もわかるのに。声も相手に向ける心もあるのに。
この相手が、誰だかわからない。
テーブルの向こう側に座り、器用に食器を使いながら朝食を食べる彼。
楽しそうに会話をするし、幸せだと実感するのに、違和感が胸を駆け抜ける。
この人は誰だろう。頭の片隅でそう思っているのに、彼を前にしている自分は片隅の疑問は気にしていないように過ごしている。
まるで自分が二人いるみたいだ。二重人格に陥っただろうか。そんなまさか。
「セロリはいらなーい」
「だめ。ちゃんと食え」
「やだ。はい、あーん。--口開けて~」
「新鮮だぞ」
「新鮮じゃなきゃ好きとか嫌いとかじゃない、苦手なの」
差し向けたフォーク。その先に刺さるセロリ。
まるで恋人同士のようだ。頬杖をし、足を組みつつ対面した相手の口元に苦手な野菜を運ぶ自分は、デビトに向ける態度とは全く別人だった。
デビト相手にこんなことはできないなと、冷静な脳みそが呟いている。
結局セロリを代わりに食べた相手は、唇を尖らせながらうっすら睨みを飛ばしてくる。
「睨まないでよ」
「ちゃんと食え」
「でも、甘やかしたのは--でしょ」
「…………」
「図星」
ニシシっと笑ったユエがフォークをくるくる回す。
彼はそれが愛おしいと同時に、どことなく悔しかったようだ。
まるで獲物を捕らえるかの速さで椅子から音もなく立ち上がり、ユエの顎を下からふわりと掴んで引き寄せた。
そのまま遠慮なしに口付ければ、そこでユエがハッとする。幸せだった脳みそが、ずっと片隅にいた冷静な脳みそに占められたのはその時だ。
しっかりと、しっとりとしたキスをしながらユエ自身よりも赤い、真っ赤な瞳に見つめられて気付いた。
こんな間近で赤い瞳を見る関係は、ありえない。絶対に。
「(あ……夢か……)」
気付いてしまったと思うと同時に、どこかで残念がるユエがいたのはどんな心からか複雑になる。
“彼”とこんな幸せな日常を手にすることができなかった現実を残念がっているのか。はたまた、当たり前のようにキスをする関係に心のどこかでなりたかったのか……。夢から醒めかけているユエにはわからなかった。
―――そっと目を開ける。
双眸が捕らえた景色は、微睡みに意識を奪われる前とさほど変わっていなかった。
気持ち影が伸びたくらいのもので、時間としては一時間経過したくらいだろう。
変わったとしたら眠る前と目覚めた今とでは、心持ちが違った。
あんなに幸せな気持ちで休んだのに、今は目端から涙が滴り、鼻筋を超えてもう片方の瞳に流れ落ちるくらいだ。
「ガ、ロ……」
掠れる声で名前を呟く。
唇から発して聞こえた名前が耳に届いた。それがまたユエに涙を誘う。
夢の中では名前を発しているつもりだったのに聞こえなかった響き。ぼやけた顔。髪色と瞳の色はわかるのに、どうしても誰だか認識できなかった相手。
思い返して、起き上がればいつも通りの自分の部屋。さっきまでの幸せな時間と空間は間違いなく夢だった。
「……」
自分の強さと向き合った。オリビオンでの戦いで、ユエはユエ自身も大切にし、生き抜かなければならないと知った。
残される者、思いを向けてくれた者がいることを忘れてはならないと。
ガロに対しての思いも一生背負っていく。それは変わらない。だけど、決着自体はつけたつもりだったのに。
まだ、何かあるのだろうか。
「強さ……か」
時刻を確認すれば、眠る前から一時間と少しが経っていた。
このまま休んでいるのもよかったが、きっと夢見はいいものにならないだろう。
起き上がり、別の方法で心を休ませようとしてぶらりと海が見える丘に向かうことにした。
編み上げブーツと団服を着て、館を出る。
日が沈む準備を始めているので影が伸びてきているがまだ街は活気に溢れていた。
意識して探そうとは思わなかったが、その辺でノヴァやフェリチータがきっと巡回している時刻だろう。今日は夜、バールでご飯を食べるというイベントがあるので穴を開けるわけにはいかないだろうし。
ぶらりぶらりと街を歩き、丘へ向かうための街はずれへ向かっていく。
郊外になるあの場所から見る夕陽はいつだってユエを優しく受け入れてくれた。今日も心を落ち着けることができるはず。
石畳の坂を上り、もう少しすると補整されていない道が出てくる。林を抜ければ丘だ。
もう少しで着く、という場面でユエはひとつの音を拾ってしまった。
「スリよ!スリ!誰か捕まえてあげて!」
「!」
一本奥まった道の先から悲鳴に似た声が聞こえた。
考えるより先に、体が動いた。どこにいても、どれだけ経っても、正義感が勝る性分なんだと改めて実感する。
裏路地に入り込めば、中心街よりも広い代わりに薄暗い空間が続いている。
その場には三人の人物がいた。
ひとりは恐らく声を荒げたのであろう女性。
もうひとりはこちらに向かって駆けてくる男。どうやらこいつがスリの犯人のようだ。
最後のひとりは、この中で見た目でいうなら一番怪しい人物だった。深くローブを被り、犯人の後を追いかけてきている。
「あのローブの人が被害者……?」
てっきり女性が被害者かと思ったが、ユエは一コマ前の女性の叫びを思い返した。
彼女は“スリよ!捕まえてあげて!”と言っていた。他人事が含まれる発言からして、襲われたのは女性じゃない。
おまけにローブの人物が犯人を追いかけているので、ユエの中で判断が確定する。
「退けッ!」
「止まりな!」
「うるせーッ!」
ユエの忠告も関係なしに走りながらナイフを携えて来る男。一般人相手に戦うのが久しぶりなので、手加減できる自信があまりない。乗る気はしなかったが、構えをとる。
肩幅に足を広げ、姿勢を低くし鎖鎌のホルダーに手をかけた。
その時だ。
「えっ」
「んギャァ!?」
てっきりこのスリ犯を仕留めるのはユエで間違いないだろうと思っていた。
しかし、背後から追いかけていたローブの人物が人間とは思えない速さと脚力でジャンプを繰り出し、犯人に飛びかかったのだ。
見事に下敷きにされた犯人は、ユエの前までローブの人物に乗っかられた状態で飛んできて痛々しい悲鳴をあげている。
自分で言うのもなんだが、これならユエが一撃で留めた方が痛みはなかったかもしれない。スライディングしたおかげであちこちに擦り傷が出来上がったのがわかる。お風呂に入れば地味に沁みるだろう。
「だ、だいじょうぶ……?」
「こ、降参っす……」
思わず犯人に声をかけてしまった。
男は白旗をあげるように手を掲げ、ぱたりと息絶えたように脱力した。死んだわけじゃないだろうが、相当ダメージを喰らったのだろう。見ていて素早い攻撃だったし、かなり痛そうだった。
そんな犯人の状態を他所に、男の上に片足かけたまま立ち尽くしたのはローブの人物だった。
隠れた顔立ちも、その表情も読み取ることができない。しかし、その相手がじっとユエを見つめているのだけは……どうしてかわかってしまった。
「な、なに……」
やりすぎじゃない?と声をかけようと思ったが、それより先に男が視線を向けてきていたのでユエもたじろいだ。
不愉快な気分が心に通るが、それだけで相手に攻撃することはできない。眉を寄せながら相手の出方を待っていたが、ローブの端が動くこともない。
代わりに風が裏路地を吹き抜けた。
その時始めて、ローブがゆらりと揺れた。
線の細い、端正な顔立ちの男が見えた、気がした。
同時に既視感。ほんの一瞬の、少しの出来事だったのに、ユエはその既視感を見逃さなかった。
「……っ」