File / 26
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「えっと……確かこの辺からだった気が……」
ユエが襲撃され、偽りの平和により静けさを取り戻してしまった総督邸。この日、ユエ以外にもここを訪れていた人物がいた。
「あ、そうそう。ここだった」
思い出したかのように立ち止まったのは、ユエが男に薬を嗅がされ、気を失った場所。今は警備の者も誰もいない、死角だけが取り残された美しき庭へと繋がる道になっている。
「……、」
その人物は、この場の異変にすぐに気がついた。
誰もいない。静かすぎる、と。
普段からここには出入りをしていることが多かったからこそ、ユエよりも早く気付ける結果となった。
「おかしい……」
とにかく急ごう。と、その男……黒髪の赤い目をした青年は走りだす。
死角を抜けて、見上げた屋敷の中。ずらっと並ぶ窓から途切れ途切れに走り回る、同じく黒髪の男を見つけて、青年は声を漏らした。
「セラ……!」
窓は開いていない。だから声も届きはしない。
セラ。実はそう呼ばれた男こそ、子供たちがユエに会わせたがっていた人である。そしてユエは既に、セラと対面していた。
あの出会い頭での衝突。黒髪の、キリッとした緑眼の男こそがセラだったのだ。等の本人同士は知ることがないけれど。
”あのセラがあそこまで焦っているのは、緊急事態だ”
咄嗟に赤眼の青年はそう思う。
回り道をすることが煩わしくなって、垣根を飛び越えて近場のバルコニーから屋敷へ入り廊下を駆け上がった。
階段を上り、2階の窓から見えたセラの姿を探す。
角をいくつか越えて、扉の向こう側へ。その行為を何度か繰り返した果て、ひとつの扉の前でセラの姿を見つけた。
「セラ!」
呼びかけに応じるように、ドアノブにかかっていた手が止まる。
こちらを向いた緑の瞳。セラが彼の名前を呼んだ。
「エルモ……!どうしてここに……っ」
―――エルモ。
黒髪の赤眼の青年は、間違いなくセラにそう呼ばれた。エルモ、と。
記憶にあるだろうか、この青年のことが。あるならば、わかるはず。彼はこの物語の橋渡しとなる一人の重要人物だ。
「ウィルに顔を見せにおいでって言われたから来たんだ。それより裏門の辺りがやけに手薄だったけれど……」
「あぁ……。どうやら賊に侵入されたようだ」
「賊!?」
まさか、この総督邸が?
驚きを隠せないエルモに、セラが唇を噛み締める。
「恐らく、ここ最近ノルディアに不法に侵入してきた者じゃないかと疑っている」
「不法に……?」
少しレガーロに滞在している間に、そんなことがあったなんて。
エルモは更にセラに先を促した。
「警備の者が全員やられた。あそこには死角がある。わかった上で狙われたのは理解出来るが、そこから先が全く敵の狙いが読めない」
「と、いうと?」
「屋敷に侵入した形跡がないんだ」
つまり、侵入されたのは門の周辺だけ。死角を生んだ植木の近く。ただそれだけ。
総督・アガタの命を狙うわけでも、金品を狙うわけでもない。
明らかに、別の目的があるような動きだった。
「でもそれなら、侵入者はどうして総督邸に……」
「理由は簡単さ。エルモ」
少し前に、ユエを突き放すかのように閉ざされたドアが開かれた。
中から現れた白い蛇を思わせるが、久しぶりだね。とエルモに微笑んだ。
「ウィル……」
「奴らの狙いはユエ。彼女さ」
「ユエ?」
「ユエ……!?」
ウィルから語られる女の名前。
この名称を聞いた時のセラとエルモの反応は真逆だった。
セラは”ユエ”という名にピンときていなかった。それもそうだろう。彼はユエと面識がない。正確にいうなら対面はしたがお互いに認知していない。
だが、エルモは違った。
何故ならエルモはユエと呼ばれるものを知っていたからだ。
「ユエ……。彼女は彼らにとって脅威になる。それを見越した襲撃だったのだろう」
「ウィル……一体何を知っている」
「なにも。予測だけの話さ。だが、白き龍の傘下が俺の読み通り時間に干渉する力を持っているなら、時代を越えてノルディアに辿り着いたユエに気付くだろうからね」
「ユエ……」
ウィルからの言葉を聞き、エルモは顔を曇らせた。
時代を越えて、ノルディアにやってきた……––––ユエ。
思い浮かべた人物が同じ娘であるならば、これはジョーリィに急いで伝えるべきことだ。
ユエが、帰ってきている……と。
「さぁ、ここからが腕の見せ所さ。ラ・ペーソ」
ウィルが窓の外を見つめながら、死角を生んだ元凶を見つめる。
見えない片目は紫を帯びて赤く笑っていた。
そしてもうひとつ、こちらを見据える瞳と存在に気付きながらも、ウィルは”それ”を泳がせることにしていた。
きっとこの後、役に立つだろうと読んで。
「ユエ……無事に帰ってくる時、必ず君は求めるだろう」
―――俺との、契約を。
【File / 26】
ひんやりとした温度が頬に伝わる。無音に近いのか、音は何も聞こえない。
ぽたり、と冷たい温度を感じていた頬とは逆側で水滴を受け止めた。
徐々に視界が開けていく。
「ん……」
冷たい。
第一の感想がそれ。第二を述べるとしたら、湿気。じめじめしている空間だ。
見えた景色は、全体的に錆びた色。頬に当たる石が敷き詰められた床。鉄格子で出来た出口と、どこからか伸びている鎖。
言うことを聞かない、意識を飛ばしそうになっている頭を緩く振り、ユエは脳を覚醒させる。
「こ、こ……」
ジャラジャラ、と音が響いた。
頬を受け止めてくれている床から顔をあげれば、自身の腕が背後で縛られていることに気付く。
分厚い手錠で出来ているようで、アルカナ能力を使用して破るのも一苦労しそうだ。何より、今のぼーっとしてしまう頭で力を使える余裕がない。
ご丁寧に足まで同じ手法で縛り上げられているとなれば、ユエも一筋縄で解放はできなさそうだ。
「う……っ」
覚醒させようとした脳だったが、激しい痛みに顔を歪め思考を止めてしまう。
嗅がされた薬は体の自由を奪うもの、そして思考を奪うもの。極め付けに用意されたのは身体的苦痛。殴られた首裏が痛み、思うように脳への伝達ができていない。
半分あげかけた体をもう一度倒し、床に投げ出せばもう一度頬へ水滴が落ちてきた。天井からのようだ。
「ここ……どこだろ……」
両手両足を手錠と足枷に縛られて、自由が利かない中で天井を見上げる。
金髪の髪が投げ出され、円を描いていく。髪先が水に浸透していく気がして、やはり水路が近いんじゃないだろうか、と予測できた。
太陽の光や光源が人工物であるところを見ても、恐らく……。
「地下……」
両の指先を結んで、開くを繰り返す。
痺れて動かしにくいのを感じ取れば、逃げ出すことにはまだ不利だ。まだ体がいうことを聞かない。薬の効果が切れるまで待って―――いや、体がある程度言うことを聞くようになったら―――ここを出なければ。
捕まっている暇もない。そして何より、捕まえた相手のことも気にかかる。
横向きにもう一度寝そべって、ユエは頬と額を床にくっつけた。
その時だ。
「見張りご苦労様」
「!」
鉄格子の向こう側から、誰かの声がする。
先程まで人が会話をする声は聞こえなかった。
つまり、誰かがそこに単独で見張りとしていたか、実は更に奥に扉を隔てて見張りがいる可能性が考えられる。
ユエは狸寝入りを決め込み、相手の出方と目的を見切ることに専念する。どちらにしても、このままの体ではユエが敵に叶うことはないだろう。
「さーて、ワタシのおもちゃさんはどうしてるかしら」
鉄格子に近づいてくる声。
口調はとても優しいが、声音が太い。いわゆるオネエに近い気がした。
が、なんというか……アロイスとは大違いだ。
薄く瞼を開いて鉄格子の向こう側に立った男を見れば、彼がユエに薬を嗅がせて攻撃してきたものだとすぐわかった。
口調に似合わず大きな体格。肩幅も広くてしっかりした胸板。アロイスは女性らしさが見受けられるが、彼はどこからどうみても男。口調以外を除けば勘違いすることすらない、立派な男性だった。
嫌な予感がしつつも、大人しくしていようと思う。
ギィギィと錆びた音がして、鉄格子が開いた刹那、脳裏にひとつの光景がフラッシュバックした。
「(怖くない……っ、怖くない……‼‼)」
組み敷かれる体。舌舐めずり。見下ろす男の視線。
油断から生まれた、男に身を許しかけたあの日のこと。
母のように切なくて苦しい罪に巻き込まれずに済んだのは、最愛の男が魔の手から救ってくれたことだった。
今、ここであの光景を思い出してはいけない。薄暗い部屋、体格のいい男、抵抗できない自分。似ている状況だが、恐怖を払拭するように血が滲むほど唇を噛んだ。
「(大丈夫……怖くない……ッ)」
近付いてくる男の足音。横腹前に佇んだ男が、にやりと弧を描いたのに気付く。
いつもなら、何をされたって抵抗できる。が、今はどうだろう。何もできないからこそ、恐怖を感じた体験を思い返すのだろうか。
「んふ。この脚、すべすべの肌……絡みのない髪……ほんと、美しい」
「……」
「早く抱いてみたいわね……楽しみだわ♪」
気持ち悪い単語が聞こえた気がしたが、全力で聞かなかったことにする。
早く薬よ切れろ、と何度も何度も願い続けた。
「さて、あと少しの辛抱かしら?とりあえず先に、巡り雫を片付けなければならないものね」
「(巡り雫……ッ?)」
「気持ちのいいお楽しみは……それからね」
去るようにして、男の気配が遠ざかっていく。
気持ちの悪い言動と相手であることに変わりはないが、今の男から放たれた一言はユエに大きな疑問を残していった。
「(巡り雫って……あのオリビオンの……?)」