09.
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暗い部屋、背景にまるで装飾されたようなリズムとオレンジ。
キスするにはとてもいい雰囲気の部屋で、デビトとヴァニアと唇が重なるまでは、刹那の時間しか要しなかったはずだ。
このまま身を任せれば、ヴァニアと口付けることになる。
彼女とのキスはこれが初めてではなかったし、特別な想いも特にない。
彼女との口づけで、すべてから解放されるならそれもいいと思えた。
ユエか、ヴァニアか。
自身の気持ちに賭けをした。
その瞬時にいつかの記憶が甦る。
失くしたはずのものが、靄にかかりつつもハッキリと聞こえた。
「唇って……静電気で感電するのかなぁ……」
幼い、でもどこか聞き馴染んだ声。
想いを寄せる、ユエの声。
「だって…この体質じゃあ、ちゅーしたら唇ビリビリするもん」
「……」
「好きな子の唇がビリビリしたら、きっと痛いよ……」
伝わる声と、そのあと自分がした行動を―――覚えている。
手の中にあった厚めの本を取り上げて投げ、物体が空中で孤を描いている間に、キスをした。
静電気を感じることなんてなくて。
小さくて、温かい唇に寄せた想いを熱が伝えればいいと願った。
あぁ、初めてユエとキスをしたのはこの時だったと脳裏で思う。
―――目をあけて、唇が重なる寸のところ。
今デビトが触れ、触れることを許しているのはユエじゃない。
ヴァニアが求めるのはデビトであっても、彼が求めたのは違った。
「ヴァニア」
体を押し返し、デビトは投げやりでいたことを悔いた。
何も生まない。このままでは、何も生まれない。
生まれるとすれば、1つの強がりから生まれる犠牲。
デビトの想い、ユエの切なさ。
幾度も重ねてきたユエとのキスは、目の前にいるヴァニアでは出来ない。
「デビトさん……?」
気付いてしまった。
ペンキの入ったバケツを投げたって、無駄なんだ。
ヴァニアの色をしたバケツを投げても、壁に塗られたユエの色は塗りつぶせない。
ヴァニアがどんな強い色であったとしても。
黒でも、白でも、赤でも青でも、無理だ。
【 デビト 】
呼ばれる声に微笑んで。
心地よい、あの声にしか生み出せないものに気付けた。
賭けの結果が出た瞬間だった。
安らぎはもらえる。
ヴァニアからでも。
でも、その先をくれるのは……―――
「お子様なご令嬢は、もう寝る時間だゼ」
ユエじゃないと、ダメなんだ。
09.
―――ユエを、手に入れられると思った。
紅色が伏せられて、完全に消える。
瞼の奥に隠された、誰も持たない綺麗な色。
昔から焦がれて、慕って、共に生きてきた色。
俺が幸せにすると言える自信がある。
ユエを心から想ってる。
なのに。
それなのに。
―――アッシュは先に進めなかった。
「―――……」
伏せられた、覚悟をしたユエの表情。
刹那、顧みてしまう。
こんな顔をさせたかったんじゃない。
望んで欲しかった。
求めて欲しかった。
覚悟を元に挑んで欲しいわけじゃない。
気付けばユエの手がアッシュの肩を緩く押し返しているのを感じた。
言葉では出てこない、本能的な防衛。
アッシュはユエの頬に添えた手をゆっくりと離していく。
「俺、……ばかだな」
「……っ」
瞼を開けたユエの表情は、驚きと安堵と切なさを全身で表していた。
涙こそ見せていないものの、ユエの心が全身で求めたのはアッシュでないことが伝わってきた。
ユエは今、この瞬間もデビトを好いている。
これほどまでに強く、望んでいるのかと思ってしまう。
「悪い、ユエ」
「アッシュ……」
「お前のこと……分かってるのに、抑えが効かなくなってた」
アッシュが、離れる。
ユエの瞳の奥に、また少しだけの安心したような気持ちが窺えた。
情緒を混乱させ、無理をさせたなと思う。
「ほら、行けよ」
「……っ」
ユエは困惑しつつ、顎でしゃくって指された扉を見つめる。
「連れだして悪かったな。今ならまだ、デビトに誤解を解けるぜ」
そのまま背を向けたアッシュ。
ユエは、立ちすくむだけだ。
「アッシュ……」
「俺は、」
重ねるように発した言葉は、弱々しかった気もする。
「お前の体だけが欲しいわけじゃない……―――」
小さくて消え入りそうだった声。
聞きとれなかった。
ユエは聞き返そうとして、聞けなかった。
背中が憂いを見せて、傍に来るなと全力で拒否している。
「行けよ、ユエ。お前はデビトと話をするべきだ」
「アッシュ……」
「俺の気持ちに応えられないなら、一人にしてくれ」
唐突な申し出にユエが混乱しているが、どこか分かる気がした。
彼の優しさが。
彼がユエの中に何を探して求めたのか。
その探しものは、ユエから貰えないと理解していることを。
迷いを感じさせる間があった後、心地よいヒールの音が遠ざかった。
アッシュはその場に一人になる。
直後の溜息。
適当な個所に腰かけて、肩膝抱えて、腕で頭も抱え込んだ。
「かっこ悪りぃ…」
同時に気付いたことがあった。
アッシュが好きなのは、アッシュが好きなユエは、いつだって…。
「アイツに惚れた、ユエが……」
デビトに惚れた、ユエが好きだった。
デビトの傍にいて、笑顔を見せる。
微笑みを返した隻眼の男。
切ないと思うと同時に、アッシュの心の日だまりは広がる。
ユエが笑顔になって、どんな時でもどんな容姿でも綺麗に見えるのは、デビトに関わっている時のユエだ
そんなユエに惚れ込んだ。
デビトを助けたいから、力を使う彼女を、だ。
例え自分が忘れられることになっても迷わずに突き進める強い心。
それはデビトに向けられている。
守護団の時も同じだった。
デビトを鼓動の神殿に助けに行くために、アッシュの言葉を跳ねのけた。
その姿には、体には傷だらけ。
痕が目立ち、決して女と言えるようなものではなかった。
粗末なものだとユエも自覚している。
だが、容姿がどうであったとしても。
どれだけの血を浴びて、人を傷つけて進んでいくとしても。
彼女が魅せる後ろ姿は、いつだって誰かを、何かを守るために在った。
筆頭にいたのは、デビトだ。
「ユエ……」
アッシュには、彼女を本当の笑顔にすることは出来ない。
傍にいて支えてやることは出来ても、心からの笑顔にしてやることも。
愛し抜いて想っても、彼女の想いを報ってやることは出来ない。
まさに平行線。
同じ歩幅で、一定の距離を保ち、歩き続ける。
ユエとアッシュの横には、国境とでも言える線があった。
その線に沿って歩き続ける。
踏み越えることは、出来ない。
それでも……横を向けば、凛として前を向く横顔に惚れ込んだ。
真っ直ぐ、真っ直ぐ進んでいく。
「デビトに惚れた、ユエに惚れた」
デビトを好きでいるユエに惚れた。
多分、これは形を変えることを許さない。
アッシュを想う、ユエのことは好きになれない気がした。
アッシュを想ってしまった時点で、それはユエじゃない。
自分の想いを曲げず、思い続け、進むのがユエ。
だから、惚れたんだ。
「……一番のバカは、俺だな」
報われない恋をした。
ひどく、激しく、熱を持って痛いくらいに。
それでも、後悔はなかった気がする。
「ユエ」
声に含まれた音色は、哀しみでもなく、切なさでもなかった。
複雑なものは、言い表すことが出来ないものだったんだ。
◇◆◇◆◇
デビトはヴァニアから距離をとり、部屋に置き去りにしてきてしまった。
彼にしては、とても珍しいことだっただろう。
レガーロのオリオーネ。
色事師と呼ばれる彼が、一人の女性を無下に扱ったのだ。
それでも、飛びださずにはいられなかった。
同じ過ちをするわけにはいかない。
ヴァニアと交わした口付けが、ユエとの思い出を掻き消してはいけない。
そして、掻き消えるものでもない。
自分に嘘をついて、取られてしまうという恐怖心から逃げるわけにはいかない。
広い、アルベルトの屋敷の中をたった一人の愛しい女を探して歩き回る。
息が出来なくなるくらい、必死に探していた。
「ユエ……ッ」
アッシュと一緒にいるだろうとは思っていたが、なかなか見つからない。
個室になんて入られてたら、何をされるか分かったもんじゃない。
いや、分かり切ってる。
だからこそ、触れさせたくない。
守護団との戦いから1週間ほどしか経っていない訳だが、まだデビトは自分から何も伝えていなかった。
彼女が一度、死にかけているにも関わらず。
手だけ先に出して、肝心な気持ちを告げていない。
言わなくてもわかると思っていた。
同時に告げてしまうことへの怖さも感じていた。
デビトにとって、本当の特別にしてしまうことは、失う日へのカウントダウンの始まりでもあるからだ。
そんな行動をアホな彼女が不安に思ったのかもしれない。
全てが裏目に出てしまった。
「ユエ……!」
腕に抱えていたペンキの入ったバケツ。
ユエを色に例えるなら、何色だろう。
何色だっていいと思っていた。
ヴァニアのペンキで塗りつぶしてしまおうとした。
どうしようもなく愛しているからこそ、失うことを考え、恐怖心から逃げる選択をしたデビト。
だが、今、そのバケツを投げてしまおうと思った。
ユエは何色だっていい。
ヴァニアが黒でも、白でも赤でも青でも、何色だって、どれかと混ざれば色は変わる。
消せると思った。
でも、消せなかったんだ。
「ユエ……っ」
そして、気付いた。
ユエは透明なんだ。
色なんて最初からない。
どんな女から色恋仕掛けで試されたって。
バケツのペンキをひっくり返して、他の色で素敵なアートを描いても、それは意味なんてない。
ネイルのトップコートのように透明に輝きを増して、どんなアートの上からも塗り潰される。
アートは綺麗に光る。
でも輝きを増すように工夫をしたのは、透明なそれ。
何色にも染まらない。
彼女は“ユエ”という存在で在り続ける。
消せない、塗りつぶせない。
コピーじゃない、オリジナルの存在。
他の誰にも代わりは務まらない。
「ユエ……っ」
そんな、彼女を愛した。
他の誰でもない、彼女を。
二階の廊下を駆けて、ダンスホールに出てくる。
雅なワルツはまだ流れていた。
素敵な紳士と婦人が踊り明かす中、デビトはユエを探し続けた。
途中、見かけたのは馴染みの顔。
「ルカ!パーチェ!」
「あ、デビトー!」
「どこに行ってたんですか?立食会、始まってますよ」
パーチェとルカが、お皿にてんこ盛りになっている料理を口にしながら首をかしげる。
が、今の彼が放つ空気が異常だと感じたようだ。
「どうしたんですか?デビト」
「どこか調子でもおかしいの?」
「ユエ見なかったか……っ?」
「ユエ?」
そういえば、見てないね?とルカと目を合わせるパーチェ。
「アッシュと一緒じゃないかなぁ?」
「アッシュなら、さっき庭の方に向かってくのが見えましたけど」
答えを聞いて、走り出すデビト。
一体どうしてしまったのか、と幼馴染の2人は彼を見送る。
「どうしちゃったのかな?デビト」
「何か思うことがあるのでしょう」
構わず口をもぐもぐさせるルカとパーチェは走っていくデビトをそのまま見送った。
―――その頃、当の本人はデビトに探されていることもいざ知らず、ダンスホールの端の端から人気のない、客室がある部屋へと向かおうとしていた。
もちろん、自分の意志でそちらに向かっているわけではなくて、なんとなく足を進めた先がそちらだった。
「……」
アッシュからの告白。
そして本能で彼からの思いに防衛を望んだ自分。
デビトが見せた表情も脳裏から離れてくれない。
おまけにヴァニアの勝ち誇った顔も。
デビトはヴァニアにとられてしまったのに、ユエはデビトを諦めきれずにいる。
心の中は何がどうなっているのか、理解できなかった。
「もう……やだ」
珍しく吐き出した弱音。
少しだけ目尻が湿って泣き出しそうだった。
確かに、アッシュの気持ちに応えることで甘えてしまおうとしたのはよくない。
きっとアッシュはそれを見抜いていたから、最後のキスは未遂で終わったんだ。
あれは彼に対して侮辱にあたる。
本気で想ってくれたのに、ユエは本気で応えることが出来なかったんだ。
つられて、本格的に落ち込みだしたユエは、前を見て歩くことが出来なくなっていた。
俯きがちで歩いていた彼女は、この人が多い会場の中でもちろん、人にぶつかってしまった。
「あ……」
ドンっと結構な強さでぶつかり、よろけてしまった。
倒れるまではいかなかったけれども、ぶつかった相手が支えてくれた。
「大丈夫かい?」
伏せていた顔を上げる。
笑っていたのは、若い紳士だった。
デビトと同じ、琥珀色の瞳だ、と捉えて思う。
瞬間、込み上げそうになる涙を必死に堪えて顔を逸らした。
「すみません、ありがとう」
「おや、泣いているのかい?」
すっ…と指を添えて、涙を拭ってくれる仕草をした男。
「綺麗な美少女には、涙よりも笑顔だよ」
なんて口説き文句なんだ、と思いながら。
―――続く誘いに乗ってしまったのは、連日の恋模様で疲れていたからだろうか。
「美味しいカクテルが用意してある。よかったらお話を聞かせてもらえないかな?」
「……」
「泣いている女の子を、ほっとけない性分でね」
デビトと同じくらいの背。
それはアッシュにも重なる。
同じ、琥珀色。
はちみつ色。
同じ色なのに、あの隻眼を久しく見ていなくて。
懐かしさに駆られた。
「―――……ユエさん?」
廊下を行くアルベルトはパーティーの主催者であるため、色々な貴族の相手をしていた。
せっかく来てくれたユエやアルカナファミリアの皆に挨拶をするタイミングがとれず、声をかける合間を探していた。
だが、アルベルトの周りにいる婦人たちがそれをなかなか許さない。
どうしたものかと考えながら、人波の間から見えたのは、落胆した空気を纏うユエと、その横にいる黄色い瞳の男だった。
ユエの手をとり、奥の個室が並んでいる部屋へと進んでいく2人。
アルベルトは少しだけ、不審感を感じた。
「(あの男、どこかで見たような……)」
記憶を巡らせつつ、アルベルトは貴婦人たちの相手をしていく。
その横を庭を目指してデビトが駆け抜けた。
すれ違い、目指し、想いを貫くことを決めた者たち。
もう一つの困難が差しかかっていることを、彼らは予想などしていなかった。
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