08.
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頭を鈍器で殴られたみたい。
それくらい、衝撃は強かった。
今、あたしの手を引いて前を歩く男には何が見えているんだろう。
何を感じて、そんなことをしたんだろう。
年下の幼馴染だと思っていた彼のことが、一瞬でわからなくなった。
「ユエ」
「……っ」
名前を呼ばれるだけで、心臓が跳ねそうになる。
さっきの口付けがあるからか。
それとも…―――
08.
屋敷を飛び出たユエとアッシュ。
アルベルトの使いが丹精込めて手入れをしている庭まで来た。
辺りに咲く花々が美しい。
だが、今はその美しさに見惚れるほどの余裕はない。
休める場所まで来たのかと思えば、アッシュが振り返る。
連れ歩いていたユエへ申し訳なさそうに詫びた。
「悪かった」
「……」
「いきなりキスして」
さすがにいつものように“いいよ”とは言えなかった。
だからといって、今すぐ手を振り払ってビンタと共に“ふざけんなバカ!”と怒鳴り散らせるほど、嫌だったのかと聞かれれば頷けない。
頬が熱くなるのを感じながら、ユエは握られたままの手をどうすることも出来ず、されるがままだった。
「……アッシュ、」
顔をあげ「どうして……」と聞こうと思った。
落ちついて話を聞けば。
話をすれば彼の考えが分かると思った。
だが、先に仕掛けたのは…―――
「ユエ」
アッシュだった。
繋いでいた手を引きよせて、そのまま強く抱きしめられた。
驚く間もなく、アッシュの胸にすっぽりと体が収まってしまい、思考が止まる。
「アッシュ……ッ」
今まで、こんな風にドキドキすることなんてなかった。
それは家族として見ていたからか。
それとも、男として見ていなかったからか。
冷静に、冷静に、とユエが自身に言い聞かせた言葉は、次の言葉で打ち砕かれる。
「好きだ」
◇◆◇◆◇
冷静でなんて、いられなかったのはこちらも一緒。
さすがに目の前で、好きな女の口付けを見せつけられて、“俺のもの”宣言なんてされたらたまったもんじゃない。
人気のない部屋まで来て、デビトは拳を強く握りしめた。
彷徨った手は、アッシュの胸の中に入っていくユエに届かなかったことを物語るようにポケットに突っ込まれる。
拳は指先が白く、痛みを伴うくらい強く握られていた。
「チッ……」
虫の居所が悪いとでもいうようなオーラを出す彼。
そんなデビトに近付こうとする者はファミリーならば誰もいないだろう。
だが、人の領域にズカズカと入り込んだのは、見知った少女だった。
「デビトさん」
背中からピトリ、とくっついて可愛い声を出す彼女。
一人になりたくて、席を外すことを伝えたうえで離れたのに、背後の気配はヴァニアであることはすぐに分かった。
「何が悔しいんですか?」
「……」
「デビトさん、あのユエって子が好きなんですか?」
「……―――」
こうもストレートに尋ねられるのは初めてだ。
隻眼が揺らぐ。
「俺は……」
「でも、もう手遅れですよ。きっと」
残念そうでもなく、冷たく突きつける現実。
ヴァニアはデビトが背を向けているのをいいことに、見えない角度で笑っていた。
「アッシュさんですか?彼も格好いいですからね」
「……」
「いつか言いましたよね?“ユエさんみたいな、あーゆー子には、レナートさんみたいに傍にいてくれる人がお似合いです”って」
デビトの心を占めるのは、一人の少女。
「だから、思うんです、私。ユエさんはアッシュさんと付き合った方が幸せになります」
断言であることから伺える、自信。
後ろからデビトの腕に手を絡め、彼を見上げるヴァニア。
続けられた言葉は、とても狡猾だった。
「デビトさんには、私がいます」
遠くに聞こえるダンスのリズム。
会場では立食会が終わり、社交ダンスが始まったようだ。
ワルツの三拍子が響き、煌びやかな空気がこちらまで伝わってきそうだ。
その下で、ユエとアッシュが同じ時間を、同じ場所で過ごしている。
どうしても、首を絞められているような、解放されない感覚が抜けない。
同じく襲いかかってくるのは、背後からのヴァニアという刺客。
「デビトさん」
甘い匂い、甘い安らぎ、甘い願い。
全てが噎せ返るくらいの甘い、夢。
「好きです、デビトさん」
握られた手。
囁かれる声。
どれも、脳内で想い浮かべた相手とは違うもの。
違うけれど、安らげるのはわかる。
「(俺は……)」
“違うのに、安らげる。”
だとしたら、俺は何を望んでいるのだろうか?
ふと、心に影がかかった。
ユエでなくとも安らげる。
それはつまり、誰でもいいということか。
自嘲して、デビトが振り返る。
「(ユエでなくても、俺は安らぎをもらえればいいってコトか)」
ファムファタール。
それは誰を指すのか。
罪つくりにさせたのは誰か。
デビトか、それともヴァニアか。
それとも…―――。
「私を選んでください、デビトさん」
ピンクの瞳が、熱い欲を持って見上げてくる。
キスをせがみ、触れ合い、その先を望んでいる。
「私の事、お子様だって思ってますか?」
「……」
「デビトさん」
せがむような瞳は、潤んで泣きだしそうにも見えた。
物欲しそうにも見える。
誰もが認める美人。
彼女の美貌は、ユエを超えると思われた。
100人に聞けば、100人が“ヴァニア”と返すレベルだ。
色白、傷もない肌、誰もが守りたいという空気を感じるだろう。
「(ユエ……)」
対して、うっすらと靄がかかり始めた脳内で笑うのは戦場を駆け抜ける凛とした背中だった。
振り返れば、笑顔を見せてくれる。
笑ってくれる。
その笑顔はお世辞にも綺麗とは言えない。
顔立ちは整っているから、笑顔は綺麗だ。
恐らく、父親の金髪碧眼紳士のいいところ、そして巫女の優しい面影をどちらも継いだんだ。
だが、綺麗に見えないのは彼女が選んだ生きる道故の理由。
戦場をどれだけ過酷な道であったとしても、歩き続けた。
“自分”を持っている。
頑固で、守られることを嫌う。
こうと決めたら、そうとしか進めない。
誰かの為に自分を犠牲にするのは、まさに“ラ・ペーソ”。
自己犠牲の通りだ。
戦い抜いた体は傷付き、汚れ、決して綺麗とは呼べない。
人に晒せるものでもない。
それでも、輝いて見えたことはある。
宝石で言うなれば、自ら輝きを放てるダイヤはヴァニア。
真珠のように光を放つのではなく、光沢を放って輝いて見えるのはユエ。
「思えば、悪いとこしか浮かんでこないなァ」
「デビトさん……?私の話、真剣に聞いてください」
「あァ、聞いてるさ」
真珠は、磨かなければどうなるのだろう。
俺は、あいつを磨き続けられるのか。
常に大事な時、ユエの傍にいたのは……いつだってアッシュじゃないだろうか。
「傷つけて、傷つけられてばっかりだったなァ……」
思えば記憶を無くしたことも、彼女の力が暴走したからで。
キマイラの戦いに巻き込まれたことも、守護団との戦いになったのも。
全てユエという存在があったから。
「(災厄の種……みたいなもんかァ?ハッ、散々だな)」
考えたけれど、浮かんだ笑みを消すことは難しかった。
「デビトさん」
念を押すように、ヴァニアが強く腕を引いた。
「私じゃダメですか……?」
強気な少女が、一瞬だけ弱さを見せた。
デビトは…―――賭けることにした。
「ヴァニア。そんなに俺が欲しいのかァ?」
「!」
ヴァニアの気持ちを。
そして何よりも―――
「ちゃんと言えなきゃ、やらねェゼ?」
「…っ」
自分の気持ちを。
「―――……欲しいです」
「……」
「デビトさんが、欲しいです。私の恋人になってくれたら…―――」
脳内にいる少女を、ユエを消せるのか。
腕に抱えたペンキ入りのバケツ。
これを投げれば、壁を別の色で一色に塗りつぶせるのか。
ユエを色に例えると、何色だろう?
「(何色だっていい)」
量が勝れば、黒だって別の色に変わってしまう。
その塗りつぶした色にならずとも、必ず灰色などになってしまう。
だから、バケツを投げることにした。
ヴァニアになるのか、ユエのままで保てるか。
「なら、キスの1つでもしてみな」
ヴァニアに与えた機会。
彼女にとっては転機だった。
驚きつつ、顔を赤らめる少女。
瞳の奥のピンクが、肌を染めて行く。
「塗りつぶされるなら、この色なのかもな」と思いながら、デビトは口角をあげた。
「……しゃがんでください」
言われた通り、デビトは窓辺の淵に腰かけた。
ヴァニアが体の合間に入り、視線を合わせる。
躊躇いがちだったが、伏せた瞳が近付いてくるのを感じた。
「(キスしろって言ったら、即刻できちまうのか)」
どっかの誰かとは大違いだな、と笑ってしまった。
ユエの機嫌が悪ければ、蹴りは一発喰らうだろう。
機嫌が良くても、きっと照れてすぐにはしてくれない。
あと少し。
あと少しユエではない彼女と唇が重なる。
吐息がかかる距離まできて、デビトは切なそうに目を細めた。
「……―――」
何を想うでも、何を言うでもなく。
彼は静かに目を閉じた……。
◇◆◇◆◇
耳元で聞こえた、2文字。
聞き慣れた、ずっと傍にいてくれた声が発した2文字。
「……え」
思わず、声になった本音。
だが、“分かってた”とでも言うようにアッシュは強く肩と腰を抱いてくる。
眩暈がするくらい、アッシュの匂いに埋め尽くされた。
庭先での告白。
告げられた2文字。
“好き”。
「アッシュ……」
「好きだ。ユエ」
もちろん、ユエだってアッシュのことは好きだ。
でも、今の投げかけは違う。
そんな軽い意味で告げられた想いじゃない。
言い換えれば、恋い慕う。愛してる。
女として、好いている。
それくらの意味は、きちんと受け取っていた。
「お前が誰が好きなのかは、痛いくらいわかってる」
「……っ」
「それでも」
覗きこまれた顔。
ユエ自身、真っ赤な顔をしてるって分かっていた。
「俺はお前が、好きなんだ」
「……っ」
「ずっと、ずっと想ってた。お前に幸せになってほしいから言わずにいた」
ズキン、と心が痛んだ。
同時に嬉しいという気持ちと、何故?というものも浮かんでくる。
「(“言わずにいた”……)」
言えなかった、じゃない。
言わなかった。
そこに込められた意味が、たった一言で重みを増す。
何故告げなかったのかは、誰を想った行動なのかを訴えた。
「好きな奴と結ばれた方が幸せになるに決まってる」
「……っ」
「だから俺は平行線のままでよかった。お前が笑うなら、そいつと幸せになるなら、俺はそれで幸せだった」
ベタな理由だ。
でも、それではダメだと思った。
「でも今のアイツに……今のフラフラした気持ちのデビトに、お前を渡すくらいなら」
真っ直ぐに告げられる言葉。
思い返される12年。
どんなことがあっても、傍を離れることなかった存在。
近くなることもなかった存在。
それが、境界線を超える気がした。
「俺が、お前を幸せにする」
遠くから聞こえるワルツの三拍子。
楽しそうなリズムに乗せて、デビトとヴァニアは今頃踊っているんだろうな、なんて頭の片隅では考えていた。
目の前のアッシュの言葉に衝撃を受けつつ、心の痛みは増すばかり。
「守護団との戦いの時」
アッシュの声が、心に響く。
「お前が怪我したまま、鼓動の神殿に行くのを止めたこと、覚えてるか?」
「うん……」
頷いて、灰色の瞳を見返した。
「あの時、どれだけ止めてもお前は行ったと思う」
「……」
「惚れてるのか?って聞いたのも、覚悟してたんだ」
ふられる、って。
そう続けたアッシュの表情は安らぎと、切なさが混ざってた。
「俺は、この先どんな環境になっても、何かが変わったとしても」
この言葉はいつも勇気をくれる。
そして自信も、愛情も。
「お前の隣で戦い続ける。それだけは、変わらない」
「アッシュ……」
「お前を大事に想うことも、変わらない」
もう一度抱き寄せて、耳元で囁かれる声。
願いと、残酷さが心を占めた。
「俺を選べ。ユエ」
強気で年下の彼が告げた愛。
惑って、答えが出せなくて。
ただ赤い顔して、泣きだしそうな顔で彼を見上げた。
「アッシュ……―――」
「―――……ユエ」
揺らぐ心も、想いも。
アッシュの指先がユエの頬に触れる。
優しくて、真っ直ぐな愛情を感じた。
再び近付く唇の気配。
その温度に応えてしまえば、この苦しさから楽になれる気がした。
幸せになれる気がした。
だから、目を伏せてしまおうと思った。
何も無かったことにしてしまおうか、と。
「(そうすれば……)」
消えて無くなって、最初から幸せになる道を勝ち取れると思った。
アッシュの目が閉じられた。
応えるように、ユエも…―――紅色をその瞼の奥にしまい込んだ。
切なる想いと一緒に。
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