10.
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「どうぞ」
男から差し出されたのは、優雅に湾曲を描いたデザインのグラスに注がれるカクテル。
色はこれもまたハチミツ色だった。
懐かしい色だ。
「それで、聞かせてもらえるかな?どうして泣いていたのかを」
廊下で出会った男に気を使われて連れられたのは、いわゆるVIPルームと呼ばれる部屋だった。
アルベルトが信用している人物なのだろう。
広間の装飾は煌びやかなものが多かったが、ここは光ものではなくてレトロでアンティークなものが基調とされている。
いかにも雰囲気が漂っている。
そんな部屋の明かりは、控えめなシャンデリアから放たれるものではなくて、チェストに飾ってあるこれまたデザインのいいランプからだけ。
薄暗い部屋の中で、ユエはようやく隣に腰かけた男の顔を見ることが出来た。
線の細い男だ。
アッシュのように武道派でもなく、デビトのように妖艶な空気を放っているわけでもなく。
貴公子と呼ばれるような、美しい顔立ちをしていた。
「その前に、自己紹介だね」
握手を求められ、手渡されたグラスを置いた。
「僕はシャルトレンド。シャルと呼んでくれ」
「シャル……」
「君の名前は?」
上がった口角の端で、ちろりと舌が姿を現す。
ユエはこのパーティーの空気故か、恋模様からの疲労故か、完全に油断したのだ。
舌舐めずりした彼の目的を、見抜けぬまま…―――。
10.
「ちょっと失礼」
多くの貴婦人に囲まれていたアルベルトは、どうしても先程の光景を見過ごせなかった。
ユエが手を引かれて、廊下の奥の奥へと姿を消した。
この数の客人を招いたパーティーだ。
来ていただいた方へ、客室は用意してある。
そこで一晩パーティーを楽しく過ごし、明日ゆっくりとここを出立してレガーロの思い出を作ってもらえたらと考えた計らいだった。
その客人の1人とユエがそんな関係であるのならば、止めるのは野暮というものだろう。
だが、アルベルトは知っていた。
ユエが心の底から思っている相手は、生まれてこの方、変わったことはないだろう、と。
「ねぇ、君」
「はい、アルベルト様」
「少し調べてほしいことがあるんだ」
あの顔、風貌、放つオーラには覚えがある。
確かあの男は、“あの”事件の…―――。
声をかけた使いにアルベルトは告げる。
自分の読んだ筋が間違っていないかどうかを、確かめるために。
◇◆◇◆◇
デビトは息を荒げて、庭へと駆けだした。
「アッシュッ!!」
噴水のほとりで、アッシュが頭を抱えて腰かけているのを見つけた。
案外、分かりやすい所にいたもんだとデビトは思った。
ズンズンと近付いていって、勢いで正装姿の彼の襟首を掴み上げる。
「んだよ、いきなりッ」
「ユエはどうしたッ」
一言放つ時間すら惜しいというように、デビトが眉間にシワを寄せて奥歯を噛む。
アッシュは目の前に一番会いたくない人物が現れて、自分に八つ当たりをしていることに酷く腹が立った。
「一緒じゃねぇよ。お前んとこに行っただろ」
「はァ……ッ?」
ガッ!と腕を振り払って、アッシュは襟元をシャツを整えた。
睨みを利かせてデビトを見やれば、相手は怪訝そうな表情を隠さない。
「来てねェよ」
「は?」
アッシュは、先刻自分の下を離れてデビトの元へ向かったであろうユエを思う。
別れてからそれなりに時間が経っていた。
人が多い会場ではあるが、合流するために手段を使えば、敷地としてここまで時間がかかるだろうか。
あんなに全身でデビトを求めていたくせに、なんでデビトに会いに行かなかったんだと、また心に棘がささる。
言ってしまえば、ここがデビトとアッシュの違い。
向かえるはずないだろう、と思うユエの女心をアッシュには理解できていなかったんだ。
「解放してからは見てねぇぜ。俺は」
「……―――」
ということは、さっきまでユエはここにいたんだ、と瞬時にデビトの脳が判断する。
そんなところまで物分かりがよくなくていいと自分に言い聞かせたが、遅かった。
「アイツに何しやがった……」
びっくりするくらい、脅えたような声音で、言葉が作られた。
震えていて、憎しみをみせるような低い声だった。
「……なにも」
「嘘言え」
「キスはしたけどな」
「ッ!」
思わず腰のホルスターからデビトが銃口を彼に向けた。
引き金を引く気はないが、指先が震えてしまう。
だが、向けられたアッシュは、酷く冷静だった。
「はッ、嫉妬か?情けねーな、隠者」
「心底ユエに惚れてるテメェが、ユエが拒むことをするなんてなァ……?」
「拒んだかどうかはアイツに聞けよ」
アッシュの強気な発言に、デビトの視界がぐらつく錯覚。
動揺は魔術師には誤魔化せなかった。
銃口を超えて、今度はアッシュがデビトの襟首を掴み、吐き捨てた。
「本気で愛してるなら、傷つけることで確かめるんじゃなくて、傷つくまで愛し抜いてみせろよ」
威力は、大きかった。
アッシュに言われるのは、どこか説得力があったんだ。
「この俺が手放すんだ」
爪がシャツを超えて、アッシュ自身の掌を痛め付けるくらいの握力が伝わる。
「お前のが幸せに出来るから手放すんじゃない。ユエが……っ」
噛み締められた唇も。
細めて、切なげに反射を繰り返す瞳には、うっすら涙も見えた気がした。
「ユエが選んだお前だから、手放すんだ」
突き飛ばすように押されて、デビトは力が入らなかった。
アッシュは自分と向き合って、貪欲に素直に行動して、そして何よりもユエを想って、離れる。
「泣かせてみろ。許さないからな」
背を向けた年下の彼の肩は、意外にも震えていた。
アッシュのことを年下のガキだと思っていたが、自分よりも優れていたとデビトが認めたのは、これが初めてだった。
「―――…っ、」
言葉を発しようとして、デビトが小さく息を吸う。
その時だ。
「デビトさん!アッシュさん!」
声が響き渡り、庭の入口の方を見つめる。
立っていたのは、アルベルトだった。
「アルベルト……」
「ユエさんは一緒ではありませんか……っ!?」
表情からして、穏やかではない。
何かがあったと全面的に空気が伝えてくれる。
デビトも否定し、アッシュも首を横に振る。
アルベルトも近くを確認して彼女がいないと気付いて、顔を歪ませた。
「お願いです、急いでユエさんを探してください」
「急ぎか?」
「何があった」
穏やかにさせない空気の原因を知ろうと尋ねる。
話すか迷い、アルベルトは一刻を争うと判断したのだろう。
伏せていた視線をあげた。
「ユエさんは今、恐らくある男と一緒にいるはずです」
「男?」
「誰だそれ」
「シャルトレンド・レイという男です。レイは危険な人物としてここ最近手配されています……ッ」
名前を聞いてもピンとこない彼ら。
だが緊張が背に走る。
「彼は、近海の島……そうですね、ヴァニア嬢の島である犯罪に幾度となく手を染めている男です」
「犯罪者がなんでパーティーに来てるんだ。あんたが招待したんじゃないのか?」
「してませんッ!彼の狙い場は、このような大きなパーティーそのものなんです」
何が言いたいのかよく分からず、デビトが舌打ちをして先を促した。
「でェ。その犯罪者がどうしたって?」
「彼は2つの犯罪で刑を負っています。1つは薬物法違反です」
毒薬か?と眉を寄せる2人。
だが、問い詰める前に飛び出した次の言葉は、デビトとアッシュの足を弾かせた。
「2つ目は……姦淫罪です」
―――………
―――……
――……
「それはそれは、随分と悲しい目に遭われましたね……」
「ほんと…、男性ってよくわからないです……」
あれから、幾度となくカクテルを勧められた。
ユエを見つめる瞳の色が、デビトとよく似ていて。
シャルの瞳を見つめているうちに、手が進み、注がれるままにお酒を飲みほしていた。
カクテルだ。
度数はそこまで高くもないし、酔ってぐったりすることもない。
ほろよい気分で会話を続けていれば、シャルに今まであったことを――細かくでないが――話してしまっていた。
2人の男の間で揺れて、自分の気持ちから苦しさゆえに逃げようとしてしまったこと。
現れた恋敵がとても美しく、自分は足元に及ばないと言う事。
それでもデビトを諦めもきれないのに、アッシュに揺らいで逃げようと一瞬でも思ってしまったこと。
話せば話すほど情けなかった。
「近海のお嬢様、とってもかわいくて……」
話を進める間に、シャルはもう1本、今度はワインボトルを開け始める。
「誰からでも守ってあげたいって、おもわれるような……」
「それはそれは。とても美しい少女なのでしょうね」
「うん……」
ユエがソファーに反り返って天井をぼーっと見つめる。
そうしている間に、彼は琥珀色の視線を彼女に配らせ注意しつつ、懐から何かを取り出した。
気付かれないように、その粉をボトルに流し込んでいく。
相当な量の粉が入り…―――赤い液体の中へと溶ける。
「あんな子に迫られたら、あたし勝てないよ……」
涙目になりつつ、目じりからそれが零れないように力を入れた。
「ユエさん」
名前を呼ばれ、涙が零れないように注意しながら、シャルの琥珀色の瞳を見上げた。
「貴女も十分美しい」
はい、どうぞ。と手渡されるワイングラス。
今度は細くて、シンプルなデザインのグラス。
注がれたのは、先程の罠が仕込まれた……―――赤ワインだった。
「年代物を用意させました。気入っていただけるかと」
「ありがとう……」
ここはアルベルトの屋敷だ。
なのに、こんな高価なワインをどこから入手してくるのだろう……?とぼうっと考える。
だが、それを口にするだけの思考は既に奪われていた。
「ほら、泣かないで。笑っていて下さい」
拭われる涙。
この仕草にも、もはや慣れたものだ。
もちろん、この男にされたから慣れたんじゃない。
揺らいだ2人の姿が脳裏を過る。
「このような時は、酔い潰れて、堕ちるところまで堕ちた方がいいですよ」
促すように、シャルはワイングラスに視線を移し、ユエへ訴える。
対して彼は、残った碧いカクテルを口にしていた。
粉の入っていないカクテルを。
「ん……」
つられるように、ユエはワインに口をつけた。
コクン、と一口飲んでしまえば、甘酸っぱくそれでいて上品な濃度がユエを酔わせる。
何度も何度もつられてしまう。
これが年代物の凄さか。と感心していた先の悪夢。
「フフっ、そんなに急いで飲んでしまうと、酔いが回るのが早いですよ」
「これ、美味しいですね……」
「言ったでしょう?年代物です」
ラベルには確かにオリビオンの時代から少しした西暦が書かれていた。
「貴女みたいな涙に濡れている人にはぴったりなんですよ」
彼の口角が上がる。
ふと、体が熱くなった気がした。
口角の端から危険を訴える舌舐めずりがもう一度。
ふと、ぐらりと視界が揺らいだ気がした。
「ほら……もう一口、どうぞ」
頭の中でかろうじて働いていた理性が訴える。
ガンガンと鐘を鳴らした。
逃げろ、と。
「ほら」
「んっ……!!!」
ガッと顎を掴まれて、半ば無理やり口をこじ開けられて、グラスに残っていた赤ワインを流し込まれる。
口の端から溢れたそれが、血のように滴った。
噎せ返りながらも、飲みほして、デビトと同じハチミツ色の瞳を睨み上げる。
「な、に……っ」
言いかけて、心臓が跳ねた。
ドクン、と脈打つ鼓動がやけにうるさくて、強い。
暑いなと感じたのは、勘違いじゃない。
熱い。
体が熱い。
「なに……これ…、」
「言いましたよね?堕ちるところまで堕ちた方がいいって」
「は……っ…?」
隣にいた貴公子が豹変する瞬間だった。
頬に添えられた指が厭らしくゆっくりな動きで、這う。
「涙に濡れた女こそ、罠に堕ちやすい」
「わな……て…」
「ここまで来て、わからない?」
顎を下からもう一度掬われ、視線を合わせられる。
シャルの美しい風貌の奥には、男ならではの欲が映っていた。
「知らない男にナンパされて、個室で酒を飲む」
「…っ」
「そのあとすることは、1つだろう」
「離…し…っ」
「貴女みたいに、失恋して悲しんでるバカな女ほど引っ掛かりやすい」
「く……ッ」
「物分かりがいい奴は、俺と一晩快楽を楽しんで、全て忘れて元気になるんだけどね」
力が入らない全身。
抵抗を試みようとジタバタしてみたが、体格が相手の方が上なので意味などなかった。
ソファーに組み敷かれ、頭の上で腕をまとめられた。
金属音がしたかと思えば、ベルトで腕を固定される。
馬乗りされて、上から欲にまみれた視線で見下ろされれば、思い出されたのはいつかの光景。
【助けてヴァロン……】
「…っ」
【いやぁああぁぁぁあぁああ】
夢に現れた、カレルダに犯される母の姿。
泣き叫ばれる声。
同じ道を辿るのかと…悟った。
唯一違ったのは、与えられた甘い痺れ。
「……ん…ッ」
「効いてきたみたいだね」
全身を駆け抜ける、もどかしさ。
上に跨っている男の膝が、腰のラインに掠れるだけで体が跳ねる。
「即効性なんだよ、ソレ」
「なに、これ……嫌…ッ」
「ドラッグだよ、有名なものでね。効果は確かだ」
告げられる真実に、驚愕していく。
熱があがるのと、血の気が引くのを感じた。
「1回だけじゃ、物足りないだろうな」
見下ろしていたシャルが、指先で肌蹴ている首筋をなぞる。
ビクビクと跳ねる肩が、嘘じゃないことを告げた。
今までに感じたことの無い快感。
電流が走るような、甘い痺れ。
こんなもの、描いていた結末とは違いすぎる。
「っ……」
「…」
「……!!」
「へぇ。もしかして生娘?」
「ッ…」
初々しい反応と、悔しいからか、気持ちいいからか。
涙が伝ったのを確認して、シャルは嘲笑った。
「ふぅん、随分カワイイ顔してるから、この手のことは経験済みかと思ってたが」
「ぁ……っ」
「面白い拾い物したな」
決して優しくない手付きで与えられるのは、何だったんだろう。
心と体が相反する。
伝った涙を音を立てて、シャルの舌がなぞった。
片手は固定された両腕を押さえ、もう片手はドレスの上からボディラインを確かめ始める。
「胸はギリギリ合格ラインとして、男ウケする脚だね」
「い……ッ…嫌だ…!」
「こんな反応する薬飲んで、嫌だなんて冗談通じるはずないだろ」
感じたこともない壮絶な絶望の時間が、ユエを待っていた。
心で叫ぶ。
デビト。
デビト。
隔てられた部屋で犯される一つの罪。
逃げられるという希望は、ユエの中で薄れ始めていった…―――。
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