46. 雨想謳
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雨が降ると、今でも思い出す。
この光景の中、どこかにガロがいるんじゃないかって。
あの声で優しく呼んで、無を笑みに変えてほしい。
時間が経てば経つほど、彼が見えないことが当り前になって、顔に出したり口にしたりする程哀しむことはなくなった。
でもそれはガロを忘れたわけじゃない。
今でも、心で思い続ける。
この手が離れた人よ。
今もまだどこかで、空で、元気でいますか……?
「お、可愛いね、お嬢ちゃん」
傘をさして歩いていると裏路地で声をかけられた。
振り返れば、見るからに怪しい奴ら。
6人くらいの大男が、ガロの元へ行こうとしていたユエの足を止める。
「どこ行くんだぁ?」
「お使いかぁ?」
「ならオレらが手伝ってやるよ?」
何がおかしいのかしらないが、ニヤニヤしながら近付いてくる男達。
その楽しさが微塵も分からずに、ユエは睨みを利かせて首をかしげた。
「な?」
何が“な?”なのかも分からず、思った通りに答えた。
「いらない」
「は?」
「アナタたちの助けなんていらない」
年端もいかない子供にそんな言葉をズバッと言い返され、男たちは沈黙に包まれた。
何拍か置いてから乾いた笑いを起こしはじめ、そしてゲラゲラ笑いだす。
「なんだよ……ちょっと可愛いからって」
男の目付きが変わったのに気付くが、ユエは怯まなかった。
「調子に乗ってんじゃねェッッ!!!!!」
ガロは、傘をさして現れた少女に振り返らずに言葉を差し出した。
「市場の裏通りが騒がしかったぞ」
「…」
「お前の名前が聞こえてきた」
「べつに何にもしてないもん」
「ケンカを何にもしてないとは言えない」
「あっちが悪い」
「他責するな。ガロはお前のそうゆうとこがキライだ」
「…」
目的地―――ガロの丘までやってきたユエは、雨のせいで荒れている海原を前にローブだけを被り、傘をささずにそこにいた狼の背を見つめる。
吐き出された言葉が、まさか説教だとは思っていなかったので、眉間にシワを寄せてしまった。
「大怪我させたって聞いたぞ」
「歯と骨を折っちゃっただけだもん」
「だけじゃない。牙、大事だ」
「それはガロがオオカミだからだよ」
濡れない場所に移動しようと、大きな樹の下までやってきたガロとユエはそれぞれ肌と傘の水気を拭き飛ばす。
ユエは口を噤み、ガロの次の言葉を待っていた。
だが、ガロはユエの頬が少しだけ腫れているのを見て、吐き続けていた説教を止める。
巷では、少女を暴漢しようとした男たちが返り討ちにあったという噂で盛り上がっていた。
6人がかりで襲ったにも関わらずたった1人の、それも少女の体術で仕返しを受け、骨を折り歯を失くし、整っていた顔面をボコボコにされるという始末。
直にこの話はアッシュやヨシュアの元にも届くだろう。
帰った時の言い訳を考えておこうとしたところで、ガロが小さく零した。
「武力でなんとかするの、無意味」
「え?」
「本当の平和……ない」
ガロが吐き出した言葉が、どこかのなにかを指していた。
「ガロ?」
「解決するなら、相手を傷つけるだけじゃない方法にしろ」
「…」
「守れるなら、守らないとダメだ」
言葉1つ1つを噛み締めるように。
何度でも言い聞かせるように。
赤い瞳が前を見据えて訴えた。
「ガロは守れなかった」
「……」
荒れる海原を見て、彼は違う国を想っているようだった。
一体、誰を?
何を守れなかったというのか。
「だからガロは、」
その決意は、信念を貫いたものだったのだろう。
でもユエからしてみればただ苦しみを刻みつけられた、火傷のような傷に昇華してしまう……―――。
「今度は、何があっても守る」
赤い瞳が告げた想い。
ユエは、この時はまだ理解が出来なかった。
でも時間が経ち、表で哀しみを表すことを抑えられるようになり。
だんだんと気付いていく。
彼もまた、間違っているのではないかと。
それでも事実は事実で。
守れなかった……殺してしまった事実が残されているのも消せない真実。
「ガロ……」
「ユエ」
ガロがユエの腫れた頬に触れる。
鋭い爪で傷つけないようにして触れられた頬に残ったのは、人間よりも高い体温。
彼は……生きていた。
「ガロは弱い」
「……」
「強くなれ」
「ガロ……」
「でも」
深い、願いのような言葉が、響いた…。
「強さの意味を履き違えるな」
雨は降り続けた。
ノルドに似たこの島が冬前の雨季に入ったようだ。
ユエはもう二度とその島で晴れた空を見ることはなかった。
―――その日はそのままガロの元を離れ、船に戻るために傘をさし、街中を行く。
こんな雨の日でもカジノの通りは賑やかだった。
素通りして、船が隠れている入江まで戻れば霧が出ていた。
「霧……」
霧が出ているということは、船の調子がよくなったということだろうか?
ユエが小走りで甲板まで上がってくるとヨシュアとアッシュが雨の中マストの調整をしている。
「ヨシュア」
「ユエ、おかえりなさい」
「ただいま。船、なおったの?」
見張り台の所で紐を力強く引っ張るアッシュを見上げながら、ヨシュアに尋ねる。
ヨシュアが“えぇ、”と少しだけ歯切れの悪い返事をしたので、視線をアッシュから隣のモノクル男に変えた。
「もう少しでしょう。アッシュもよくここまで頑張りました」
「…」
「直に出航できますよ」
そうか。と喜ぶと、過ったのはガロとカジノ。
「…」
結局何も解決できず、他人を傷つけることしかしなかったのか。と思えば、胸がざわついた。
出航となると、ガロともお別れだ。
もちろん、慣れ親しんでしまったこの島の街並みとも。
「ユエ、戻って早々で悪いのですが、買い出しを頼めますか?」
「今から?」
「えぇ。アナタが出ていく時に伝え忘れてしまって」
ヨシュアが僅かに濡れている萎れた紙をユエに手渡す。
渡された紙きれを開き、中を確認すればそれは手芸屋に売っていそうなものが書いてあった。
「ペンチ、ネックレスの金具、ワイヤー…?」
「えぇ」
そこで彼はユエの首元を指差す。
ヨシュアが示した先には、白い二連のネックレスが。
「先日から気になっていたのですが、言うのを忘れてました。ユエ、ネックレスの金具が切れかかってます」
「え…っ」
ヨシュアに言われて、首元に埋まっているエンジェライトの石がはめこまれたネックレスを見つめた。
自分では確認できなかったのだが、ヨシュアが“ここです”と見せてくれた所は確かに金具が外れかかっている。
「大事なものでしょう?」
直してあげるから買っておいで。と言われれば、確かに大事なものなので壊したくなくて。頷き、街への道を戻りだす。
ヨシュアが“落としたら大変だから、ネックレスは置いていったらどうですか?”という言葉も聞こえないくらい急いで飛び出していく彼女。
「…」
雨も降っているし、慌てるとコケる……と思いながらもヨシュアは甲板の上から走っていく彼女の背を黙って見つめていた。