03話
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
幼い頃は、いま見えている世界がこれからもずっと、当たり前のように続いていくのだと思っていた。
なんの根拠も保証もなく、無垢に、ただ信じていた。
「これで、“ひまわり”って読むの?」
机上に並べられる、丸っぽさを残した字。
直筆とは、上手い下手を別にしても、誰しも個性をみせるものだ。
その字面は私にとって馴染みのある字で、時を経た今でも、すぐに誰の字だか分かるもの。
「向くお日様の葵で、"ひまわり"。ひまわりは太陽に向かって咲くの。ひまわりのしょぼーんとした姿も見たことあるでしょ? あれは夕方とか、天気が悪い日に落ち込んじゃうのよね」
「ひまわりは太陽のおかげで元気になるの?」
「そう、太陽がひまわりに元気を与えるの!」
「じゃあひまわりは太陽のこと、だいすきなんだね!」
「そうよー!ひまわりが太陽を大好きなのと一緒で、ママも陽愛のこと世界で一番大好き!!」
ぎゅぅぅって私を抱きしめる母の腕。強さが、愛を伝えてくれる。
大切で愛おしい存在だと指先から嫌というほど伝わってくる。
太陽に向かって咲くから、向日葵。
名も、字面も、体を表している。
太陽を求めて上を向き、大輪をつける花。
種を芽吹かせ、恵みを与える。
誰かを導く、光。
私をひまわりと例えるならば、私にとっての太陽は母だった。
『いつか貴女も、誰かにとっての太陽になれたらいいわね』
母の声が好きだった。生き様が、好きだった。
繊細で綺麗な指先が、奏でる音が好きだった。
人に希望を与え、生きる活力を与え、求められる存在である母が誇りだった。
母の笑顔に無邪気に応えた当時の私は、知る由もなかったんだ。
誰かにとっての太陽であること。
それがいかに難しいことであるか……―――。
―――………
―――……
――……
「陽愛ー! 朝だよー!」
長い夢を見ていた、気がする。
同室であった親友が、教室のカーテンを開けながら声をかけてくれた気配で目が覚めた。
カーテンレールを走る音、差し込む光。普段ならば一人で感じる刺激を、今日は人と共有している。それが久しぶりで、ここが学校であることがより不思議な感覚にさせられた。
「昨日カレー作ってる間に寝ちゃってたでしょ! 声かけても全然起きないからびっくりしたよ」
「あー……寝落ちてたかも」
「もお。全部食べられちゃったよ。せっかく美味しく作れたのに」
片頬を膨らませている彼女を見つめながら、ぼんやりと愛らしい容姿だなぁ。と思った。
思考能力が落ちてるからこそ言わなかったけれど。
「顔色もいいね。頭を打った翌日としては、調子はどう?
「うー……うん。たんこぶになってるから押すと痛いけど、気分は問題ないよ」
「そっか、とりあえずよかった! 朝ごはん行く前にシャワー浴びてきなねー!」
昨日ぶつけたこめかみらへんを押さえながら、私は覇気のない返事をする。あくびがさっきから止まらない。いっぱい寝たはずなのになぁ。
まるで姉のように接してくれる親友は、布団をテキパキと片付け始めていた。やっぱり彼女は人のサポートをするのが上手いし、マネージャーとしての素質があるんだと思う。
おまけに朝が強くて羨ましい。
洗顔や着替えを持って、シャワーを浴びてくるように送り出された先。
廊下で朝食を摂るために食堂へ向かう軍団が目に入った。
ガヤガヤとした賑わいを見せる男子たちは、チーム関係なく混ざり合っている。
まだ距離があるから声をかけることはしなかったけれど、影山くんが見えた。こちらには気付いてなさそうだけれど、朝だというのにシャンとしていたので目覚めがいいのだろうな。
その少し後ろを別の人とクローさんが行く。クローさんの横は研磨さんかと思ったけれど、小柄で溌剌とした人と歩いていた。
(あの人、守備専門のポジションの人……)
名前はわからない。でも、マネージャーである彼女から守備専門のポジションがあると昨日教わった。確か名称がリベロ。
バレーボールは身長が大きい人がやるスポーツだと思っていたけれど、実は奥が深いみたい。
それでいうと良い例が―――
「あ、晴峯さーん!」
―――オレンジ頭の、この子だと思う。
「日向くん、おはよう」
「おはよう!」
男子の軍団の最後尾にいたのが研磨さんと歩く日向くんだった。チームが違うのに朝から一緒なのが凄い。それより凄いのは、研磨さんの寝癖だったけれど。
「昨日の夜、飯抜いてたよね?」
「あのあと、気付いたら寝ちゃってたみたいで……」
「そーだったのか。 夕飯の時に晴峯さん、いないなと思ってたけど」
「日向くんたちが持ってきてくれた布団のおかげでよく眠れたみたい。ありがとう」
「どーいたしまして! 夕飯抜いてるからお腹空いただろ! 朝は大事だからいっぱい食おうぜ!」
「う、うん……」
若干。若干日向くんの勢いに押されたけれど、改めてお礼を告げればお手本みたいな笑顔。
今日も太陽の君は健在だ。
続けて研磨さんに「おはよう」と声をかけたけれど、こちらはあまり反応がない。
恐らく私と同じであんまり朝に強くなさそう。
「研磨のやつ、朝からランニング誘ったのに起きてくれなくてさー」
「うるさい、翔陽みたいに体力おばけじゃないんだよ」
「朝だから元気だろ! ね、晴峯さん!」
私は研磨くん派だから、誤魔化すような乾いた笑いしかできなかった。
見抜かれていないようだから黙っておくことにしよう。
「そういえば晴峯さんさ、おれのこと“日向”でいいよ!」
本日も天候は晴れ。そのうち待っていれば日焼けするくらい日差しが強くなると思う。
でもそんな太陽を待つ前に、太陽の君である日向く……日向は、私と距離を詰めてくれるみたい。
「そう? じゃあ……ひ、なた」
「おう」
ちょっとの違和感と照れくささ。
異性を馴れ馴れしく呼び捨てにするなんて、ほぼ経験のない私は些か戸惑いが隠せない。瞬きの回数が自然と増えて、彼から視線をゆっくりと逸らしてしまう。
「相変わらず翔陽はすぐに誰とでも仲良くなるね」
あとちょっと間があったら、日向……にぎこちなさを突っ込まれていた気がする。
そんな私を救ってくれたのは、欠伸を噛み殺しながらスマホを操作していた研磨さんだった。
彼の一言には完全に同意だ。
私も日向には関心するばかり。彼なら友達100人できるかな?を達成するんだろうなぁ。
ゆらゆらと彷徨わせていた視線が、廊下から見える時計で止まる。
そろそろ行かないと、次の行動に間に合わない時間だ。
「二人は朝ごはん? 私は顔を洗ってくるね」
「そっか! じゃあ、またあとでな!」
聞いていたシャワールームは食堂の方角だったので、挨拶を済ませて別れなければならない。
研磨さんは目を細くしながら頷いていたけれど、日向は大きく手を振ってくれた。
朝から少しだけ元気を分けてもらった気分。
私も早く済ませて、朝ごはんをいただこう―――と勢いよく振り返ったのがいけなかった。
「―――っと」
背後にいた人と勢いのままぶつかってしまった。恐らくバレー部の誰かで、見た中でもかなり長身の人だった。見上げた先で交わった視線は、イヤそうな顔つき。わざとじゃないけど、ちょっと傷つく。
ふわふわな髪にメガネをかけている。整った顔の眉が、私のせいか寄ってしまっていた。
「ご、ごめんなさい」
「王様の被害者……」
「?」
ぶつかった衝撃で左側によろけてしまった私。咄嗟の反射なのか、私が壁や柱にぶつからないように支えてくれた相手は何か囁いた気がした。私の右側に立った彼が腕を離す間際の一言。
小さい声だったので何と言ったのか聞き取れない。
「前見て歩きなよ。危ないでしょ」
「すみませんでした……」
次に聞こえた声は、思っていたよりも冷ややかなもので。
どこのチームの人だったかは忘れてしまったけれど、迷惑そうにされたので別の意味で記憶に刻みつけられてしまった。
お辞儀をひとつして、反対方向に進む私は少し行ったところで思わず振り返ってしまう。
(お、怒らせちゃったかな……?)
もう二度と絡むことはないだろうけれど、お詫びが足りなかったかもしれない。
せっかく日向に会えて元気を分けてもらえたのに、一瞬で気分が曇り空になっていく。
「待って、ツッキー!」
止まっていても仕方ないので目的地へと再び歩き出す。とぼとぼ行く中、向かいから早足で駆けてくる人が誰かを呼んでいた。
ツッキーって、かわいいあだ名だなぁ。
そしてそれを呼びかける相手も、スラっとした長身で愛嬌のある表情をしている。そばかすのある頬がすれ違った時に目に入った。
(あれ、この人……)
昨日、日向と影山くんのチームの控えにいた気がする。それに、彼の横によくセットになっていたのは―――
「うるさい山口」
「ごめん、ツッキー」
さっき私とぶつかって、冷ややかな目をしてきたメガネの彼だ。
「ツッキーって、あのメガネさん……!」
見た目に似合わず、可愛いあだ名だ……!
なんというギャップ。
笑ってはいけないのに、本人に気づかれることがないのを良いことに、クスっと笑みが零れてしまった。
◇◆◇◆◇
音駒高校にて行われているバレー部の合同合宿 二日目。
今日の第一戦が各所で繰り広げられる中、私はドリンクやタオルを用意する親友の手伝いを、できる限りでこなしていた。
昨日よりかは少しだけ、少しだけマシな動きができている気がする。
私以上にテキパキと仕事をこなす彼女の傍にいるからこそ、簡単な仕事しか回ってこないということは……うん、気付いていないフリをしておこう。自分の無能さを今ここで攻撃する必要はない、あとで反省してみよう。
「陽愛ー! 今日も得点係をお願いできる?」
ガラガラとキャスターで運ばれてきた得点板は、2度目の邂逅だ。
ちょっとだけ人の役に立てている気がして、気分が晴れやかになる。今ならこの得点板とは戦友になれるかもしれない。
たまたま係としてついた試合は、今日もネコ対カラスだ。
日向と影山くんがいるチームと研磨さんとクローさんがいるチーム。
日向たちと、きちんと自己紹介をしてから試合を見るのは初めてだったけれど、やっぱり彼は今日もよく飛んでいた。
「すごい……」
空中で止まっているかのような姿勢。スッと伸ばした腕がスイングされると同時に打ち下ろされるボール。重々しいというよりはスピードに乗って激しい音がしているのが聞き取れた。
あの攻撃をしているのが、まさか小柄な日向であるなんて俄かに信じがたい。
(バレー、本当に好きなんだろうな……)
彼の想いが、体現されている攻撃に見える。おこがましいかもしれないけれど、熱量が伝わってくるのだ。
音駒のセッターである研磨さんも、日向を追う視線が真剣。どう止めるかを考えているみたい。
あんな動きをされたら、相手チームは嫌になるだろう。
そんな試合が続く中。
ふとした事故が起きてしまった。
「あ……っ」
「危ない!」
「日向……!」
選手同士が―――接触した。
ボールを追いかけていた日向と、日向よりも何倍も体格の大きな選手が。
思わず日向の動きに魅入られていた私も、彼が吹っ飛んでいく姿をみれば思わず声を上げてしまう。
心配だけど、私はいま一応音駒マネージャーのおかげでここにいる。相手チームにも繋心や先生、マネージャーさんたちがいるから、彼ら彼女らより先に近付くのは憚られた。
(で、でも起き上がってるし……ぶつかった人に謝ってるし……平気、なのかな……)
怪我をしていないか。痛めた箇所はないか。
彼の選手生命にキズがつかないか―――。
どきり。と嫌な汗が背中を伝う。
同時に、背後から見えない怪物が首元に刃物を突きつけている感覚がした。
とてもイヤな感覚。
「バレーボールもさ、試合中のコート内はゴチャっとすることがあるから声かけあってないと、あぁやって接触事故になりかねないんだよね」
マネージャーをしていて見慣れているのか。親友は心配そうに日向を見つめていたけれど、冷静に分析していた。
「ほぼタックルみたいだった……大丈夫かな……」
「まぁね。バレーもスポーツってことだよ。あたしたちとは違うジャンルの世界ってこと」
「……」
コート内を見つめながら、彼女は最後にそう呟いた。私は、なんて返すべきか分からずに押し黙ってしまう。
“ 私は、もうその世界には、いないんだよ ”
突きつけて、彼女を困らせてしまうこともできた。
でも、そうすることで幸せになる人がいるわけもなくて。
気分転換という名目で合宿の手伝いに誘ってくれる、大切な親友を困らせたくなくて。
数拍おいてから、彼女が横で息を呑む気配がしたけれど、私は気にしていない素振りを貫いたんだ。