残響、雪に溶ける
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慶応四年 如月。
雪も更に深まる日のこと。
鳥羽伏見で惨敗という結果を生み、今、新選組を取り巻く環境は大きく変わりつつあった。
多くの仲間を失った。旧き戦友の一人は地に還り、一人は水葬される結果になる。
多くの死と、多くの屈辱を味わいながら大坂に落ち延びた斎藤たちは、そこでも多くの悲しみや、やるせなさと対面することになってしまった。
徳川将軍であり、旧幕府軍の大将として名を置いていたはずの慶喜公は既に大坂を出立。江戸へと逃げ帰ったという悲報。
失った数多い仲間のことを考えてしまえば、なんて情けない大将の下で動くことになっているんだと士気が下がったのも当然。次の戦はどこだ、勝ち目はあるのか、薩長が扱っていた最新の西洋術は一体なんなのだということ。
数は勝っていたのに、あれだけの力の差を見せつけられてしまった。もはやこれからの戦は、全てにおいて不利だということが証明されてしまった。
これからのことだけを考えれば、きっと逃げ出す隊士や同志が増えてくるはずだ。
それを見越した土方は頭を抱え、なんとかもう一度機会を与えてもらおうと必死になり始めているのも伺える。
浅葱色の隊服が灰を被り、ボロボロになるまで駆けずり回っている姿を斎藤や原田は常に見つめていた。
その度力になれればと思い、協力はしてきたが具体的に上席の者と話を決めてくるのはやはり土方。
彼の疲労の色が心配されていた。
そんなことを考えながら、傷を癒し、次の戦いのためだけに時間を費やした日々の中でのことだった。
「斎藤」
今、新選組が世話になっている場所に現れた土方。久々に少しだけ血色のいい顔をしていた。
――後にこれが甲府での戦いを取り付けてきたということを知ったのはもう少しあとでの会議の時だった。
名を呼ばれ、千鶴と共に敷地内の片づけを行っていた斎藤は、彼女に一声かけてから土方の下へと向かう。
「はい、副長」
「悪いが少し頼まれてくれねぇか」
「わかりました。どちらまで……」
使いに出てほしいと言われ、どこへ向かうのかと先を尋ねられる。
血色はよくなった土方だったけれど、やはりよく見ればまだ寝不足なようだ。目元にクマがあるのは見過ごせなかった。
「この近くに花街があるのは知ってんだろ?悪いが、そこの老舗料亭までこの密書を届けてくれ」
手渡されたのは土方の達筆な字で書かれた機密文書であった。
中は見るなと言われたので、黙って頷き、懐にそれを忍ばせた。
「店の旦那には話をつけてある。渡せばわかるだろうから、すぐ戻ってこい」
「わかりました。では、行って参ります」
ぺこりと頭をさげてから、どことなく早足で歩みを進める。
花街には行ったことはなかったけれど、場所はそれとなく知っていた。新八や原田が合間をみつけてはこっそりと向かっているのを見かけていたからか。
もちろんその場に居合わせれば止める気でいたけれど、彼らは斎藤の目すら盗んで行動していたので何も言うことはできなかった。
四半時もせずに老舗料亭まで辿り着く。
ふと、気付き顔をあげれば空からハラハラと白い華が舞い降りて来ていた。
「降り始めたか……」
今年、何度目の雪だろう。
こうして足を止め、空を見上げて眺めたのは随分と久しく、今年初めてだったかもしれない。
こんな戦乱の世の中にでも降り積もる結晶は、美しく、儚かった。
降り出し、この手に降り積もるまではとても輝いている。だが掌に落ちても、地に落ちたとしてもその温度で形を失くし、溶けてなくなってしまう様は、まるで誰かと共に過ごした短くも美しい時間を表しているようだった。
共に居る間はずっと輝いていて。美しくて切なさなんてどこにもないのに。
その思い出だけを胸に、想いだけを募らせて生きるには儚く、辛いものがある。
いっそのこと溶けてしまえればいいのに、と頭の片隅で考えていた。
「……」
だが、忘れることも考えることも、やめたくはなかった。
彼女の声が、彼女の面影が、斎藤を生かしているのも自覚していたからだ。
止めてしまった足を動かして、見えてきた老舗の入口へと足を踏み入れた。
「いらっしゃい」
戸を開けられた刹那、かけられた声もまた、どこか懐かしい挨拶だった。
それは京にいた時、祇園にある小さな料亭に通っていたのを思い出す。
今思えば、そこにいた娘が目的だったのかもしれないと思い返すが、単にあの空気が好きだった。
“いらっしゃい”と迎え入れてくれる菖蒲。
奥で菖蒲の手伝いをしている水無月、窓辺で料理と月を楽しんでいる狛神、ギャーギャーと騒ぐ烏丸。
そして、“お疲れ様です、はじめくん”と笑いかけてくれた笑顔の女。
どうしようもなく愛しくて、大切な時間を思い出させる情景だった……。
―――……
――……
――…
無事に密書を届け、帰路についた斎藤。
降り出した雪の中、短い屯所までの距離をゆっくりと歩いた。
雪を見て思い出すのは、ちょうど一年前のこの時期。
斎藤に会いたいと願ったなまえは怪我をしているにも関わらず起き上がり、彼が料亭にくるのを雪空の下で待っていた。
たった一言の、大切で温かい言葉を告げるために。
あれから一年の時が経つ。
あの日、感じてはいたけれど正体不明の気持ちが恋情だと気づいたのはつい最近だ。
彼女の存在が遠いことを認識し、別れを選び、そして実際に離れてみて分かったこと。
近くにいたからこそ、支えられていたことに気付けなかった。
常に存在には感謝していたけれど、まるで寄生木がなくなった小鳥のような浮遊感。彼女の笑顔や声、空気に無意識に癒されていたと知ったのも、自覚したのも本当に少し前のこと。
思わず漏れた溜息と、空を見上げては考えてしまう。
四国に向かい、天狗と共に己の世界を守ろうとしている妖の娘は、無事でいるだろうか。
寂しい思いを、悲しい思いを、切ない思いをしてはいないだろうか。
少しは恋しいと思ってくれているだろうか。
見上げた先の空は答えてくれないけれど、なまえのもとにも同じく雪が降っていればいいと願ってしまう。
同じ世界に存在しているのだと、もう一度認識させてほしい。
吐き出した息が白くなり、瞼を閉じた。
まだ思い出せる。遠くはなっているけれど、あの声が笑って名を呼んでいるところを。
霞んでいくのを止められないけれど、まだ聞こえている。大丈夫だ。
ゆっくりと踏み出した足は、そのまま屯所の土方のもとへと歩みを進めた。
「副長、ただいま戻りました」
「ご苦労だった。すまなかったな」
屯所に戻った時、土方は再び机にかじりついてまた書状を書きだしていた。
邪魔はできないと思い、簡易的な報告だけ終えて、雪降る庭を眺めながら廊下を行き、自室に戻る。
障子を閉めても、小窓の開いた隙間から除く景色は雪模様の一色だけ。
しんしんと耳に微かな音を残して雪は積り、結晶は儚く消える。
なんだか目を背けたくなってしまい、今日何度目かわからないまま、瞼を落とす。
夕刻を過ぎ、もうすぐ夜がくる。
再び羅刹が町を徘徊する時刻がくる。気を引き締めておかなければ……と思いながら、斎藤の意識はだんだんと遠のいて行った。
あぁ、このままでは意識を手放してしまいそうだ。
微睡の誘惑に負けてしまいそうだと感じながら、ふと温かさを感じて重たい瞼をゆっくりあけた。
そのまま頬に触れる温かさに、急速に意識が浮上する。
「こんな雪の日にうたた寝なんてしてたら、いくらはじめくんでも風邪。ひきますよ?」
「……――っ」
「そしたら一体、誰が看病するんですか?私、心配して四国から飛んできちゃいますよ?」
「なまえ……」
頬に触れた指先。
聞こえる声。
困ったように、照れたように、でも会えて嬉しいんだというように全身で伝えてくれる彼女の空気に心が震えた。
「もう、なんですか。そんな顔。まるで幽霊でも見たみたいに」
「……っ」
「確かに人間とは違いますけど。妖は実態もありますし、人を愛することも、触れることだって出来るんですからね。そんな怯えた顔しないでください」
「怯えてなど、」
「じゃあ、なんですか?」
怯えてはいない。
幻想でもこうして出会えることが嬉しい。触れてもらえることが嬉しい。
だけど、それを今、口に出してしまったら……あの日の努力が無駄になる気がした。例え、これが夢だとしても言うわけにはいかなかった。
「……」
頑固に口を噤んだままでいた。
先に観念したのはなまえの方で、苦笑いしたあとに何かに気付いたように、笑う。
「はじめくん」
「なんだ」
「そろそろ日付が変わりますよね」
日付?と思い、考え直す。
瞼を落とす前、暦は二月十七日だった。
彼女は何か含んだ笑顔を見せてから、斎藤の両頬を包んで、久しぶりに温かい本当の笑顔をみせてくれた気がした。
「誕生日おめでとうございます」
「……――」
「生まれて来てくれてありがとう……私と出会ってくださって、ありがとうございます」
「なまえ……」
「何度告げたって、足りません。何度でも、何年でも、どれだけ離れてたとしても伝え続けます」
すぅ……と頬に触れていたなまえの手の感覚がなくなる。
ハッとして、更に意識を浮上させる。
斎藤の覚醒は、なまえの存在と引き換えだった。
最後に残された言葉は、斎藤の耳にその音をずっと残し続けていた。
「会えないとしても、何度でも……いつだって想ってます」
「なまえ……っ!」
「ずっと……願い続けます」
“しあわせでありますように”
残された言葉は斎藤の意識を、きちんと取り戻させた――――。
「……」
夢だと気づいたのは、火鉢の火が切れ、辺りの温度が下がったからだった。
夢に出てきた娘が告げていたように、きっと今頃、日付が変わった時刻だろう。
二月十八日。
この日は、斎藤が生を受けた日と教えられた日だった。
「……なまえ…、」
名を呼べば情けなく焦がれて。
それでも、夢だとしても。
示し合わせたように目の前に刹那、現れてくれた存在に心の奥が熱くなる。
同時に俯かせた顔をあげることが、しばらく出来なかった。
開いた小窓の隙間から見える風景は、未だ降り積もる雪。
切なく、儚い音を辺りに残して。
なまえの声もやがて斎藤の耳から消えて行った……――。
残響、雪に解ける
***
新年、あけましておめでとうございます。
去年は大変お世話になりました。
今年も最愛の斎藤 一さまのために誕生日SSを執筆いたしました!
本気で間に合わないかと思ったんですけど、なんとかなってよかった……。
剣が君にはまって、めいこいにはまって、はじめくんが揺らぐかと思ったんですが彼は私の不動の1位。
ずっと大好き。ずっとそのままのあなたでいてくださいね。
新年、というより2014年の最後の執筆作品となりました。とんでもなく誕生日っぽくない仕様ですみません。てへへw
そんな有輝、そして遥かなる行路を今年もよろしくお願いいたします!
2015.01.01 有輝