hug
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みなさんはこんな経験ないだろうか。
“何が悲しいのかわからないけれど、何故だか泣きたくなった”
そして涙が止まらなくなる、ということ。
私だけなのだろうか。人より多少、情緒不安定であり、どうにもメンタルが弱いのは自覚しているが、私には年に何度かその状態になる。
悩みも特にない。全くないといえば、多少嘘になるけれど。痩せたいし、綺麗になりたいし、可愛くなりたい。オシャレだってしたい。新しい出会いとか、彼氏が欲しいとか。あ、最後のは願望かな。
でも、彼氏がいないことや、心に響くような出来事は何もないはずなんだ。思い当たるところでは。
それなのに、何だか大きな喪失感や虚無感が心にあって、大きく締めている。
こんな経験が多々あるのは、私だけなのだろうか。もしそうなのだとしたら。だとしたら、私はすぐさま精神科に行った方がいいのかもしれない。頭がおかしいのか、心がおかしいのか。心に人より多くの欠陥を抱えているのか、今すぐに診てもらい。
そして、“その状態”になったのが、たまたま今日だった。運悪く、今日だった。
そこまではわかる。
何だか心に穴が開いていて、悩みなどないのに、泣きたくて仕方なくて、でも耐えられてしまうから涙が出て来ない。ただただ、少し息苦しい時間が続く。
あぁ、またか。いつものことだ。安易に考えて、なんとなく放置していた。
……はずだった。いつも通り、時間が解決する問題だと思っていたのに。
今の、この状態は、一体なんだというのだ。
この状態とは、“心に穴が開いて泣きたくなるような状態”を指しているわけではない。
「あ……の……、」
「……」
そうではなくて、今、私の肩から、胸、腕、腰……体全てを包み込んでいる存在のことを指している。
肩にゆっくり回された右腕。左腕はそのまま私の左腰を優しく包んで、抱きとめている。
秋の匂い。伸びる影、窓に映える夕焼け、誰もいない教室。
存在はたった2人。影は1つ。交わったものを目端で捕えて、停止した思考が動き出した。
「あ、の……斎藤、くん……?」
「……」
えっと、どうして抱きしめられてるんだろう。
私、彼に抱き留められるようなこと何かしたかな?してないはずだよね?いや、してないとも。
ただ放課後、風紀委員の仕事を終えて書類の整理をしていた彼の手伝いを買って出て。開いていた窓から吹き込んだ風が書類を辺りに吹き飛ばしてしまって。かき集めて、綺麗に揃えられた書類を彼に手渡した……。
あれれ?至って普通ではないか。恋人同士のように抱きしめられる要素はどこにもなかったは……ず。
彼は文武両道で頭もいいし、風紀委員で剣道部の主力でもあって、優秀な生徒。同じクラスメイトとしてよく知ってる。遠くから見ても、パーソナルスペースを保っていても綺麗な顔をしていることも知っている。
でも、0距離で見る彼の顔が繊細で、人形みたいに白くて、私より綺麗な肌をしているところとか、スラッとした顔立ちに瑠璃色の瞳がこんなに深い色をしているなんてことは、今の今まで知らなかった。だ、だって抱きしめられたことなんてなかったし、当たり前だけど……。
いや、顔に見惚れている場合じゃなくて!そうじゃなくて、この状況!
「さ、斎藤くん……私、あの……どうして……」
「……」
「抱きしめ……られてるの……?」
口にすればしただけ顔に熱が集中した。相手に確認するのもどうかと思うけれど、私の足りない頭ではどう考えても無理だ。追いつけないよ、彼の思考に。
聞いたのはいいけれど、彼の声から返事がくることはなかった。
その代わり、声ではなく指先で返事が返る。
どうやら彼は無意識だったり、事故として行為を片づけるつもりはないみたい。肩を抱いていた指先が、私の頭の後ろでゆっくり髪をかき分けて、更に優しく、深く抱きしめてくれた。
指が、匂いが、空気が、あまりにも優しくて“あれ、私……彼のカノジョなんだっけ?”なんて錯覚を起こしたのは秘密にしておく。
顔が見えないのは幸いだったかもしれない。真っ赤になって、ぎこちない今の私を真っ直ぐ彼の瞳に射止められたら、私は彼にもう二度と顔向けできない気がしたからだ。
「あんたが、」
「え?」
声は唐突だった。
されるがままになっているのも問題だけれど、自然と彼の腕の中にいることに拒絶は覚えない。心地よくて、拒む理由が見つからなかった。
油断していたところに、彼の声が頭上から降ってくるものだから、私は間抜けな返事を返してしまった。
「……あんたが、あまりにも悲しそうな顔をしているから」
「……――」
「何度も声をかけたが、反応がないものだから……何かあったのかと……」
剣道をしていると、観察眼も鍛えられるのだろうか。
それとも、風紀委員だから?
はたまた、私の方がぼーっとしていたのかも。
当てはまるとしたら、全部だろうな……。
「ご……ごめんなさい。呼ばれてたの、気付かなくて……」
とりあえず、斎藤くんの声が真剣だったから顔を見上げて謝ってみた。
0距離から、わずかな隙間が生まれる。あれだけ目が合うことが怖かったのに、今はその瞳をずっと見ていたいなんて思った。
「……俺は、口がうまい方ではない」
「え?」
「……あんたに“何かあったのか?”と尋ねたところで、望む答えを出せる自信はそうない」
「……」
「ただ……先程のような、あんたの悲しそうな……寂しそうな顔は、できれば見ていたくはない」
「ご、めんなさい……」
真っ直ぐに射止められた瞳から、やっぱり視線が外せなくなった。
濁りなくて、本気で心配してくれていて、優しくて、誠実な瞳。彼にしか出せない色だった。
「だから、その……」
「……」
「あんたを慰めるにはどうしたらいいかと、先程から俺なりに考えてみた。少々、狡猾な手ではあると思ったが……それに、俺に気心を許しているのかどうかも知らぬあんたに触れることも、問題だとは思った。しかし……っ」
「……っ」
回りくどくて、言い訳がましくて。
それでも離そうとはしない指先も、空気も、だんだん真っ赤になっていく斎藤くんの頬も、出来れば見逃したくなかった。だから、私も負けないくらい真っ赤なのに視線も体も逸らすことなんて出来なかった。
「……俺は、あんたにこうして触れて、体温で慰めてやることしか出来ぬ。それしか……――」
「……ッ」
「それでも、俺がこうしたことによって、あんたがこれから過ごす時間が少しでも幸福に包まれれば……」
――そう、願っている。だから、離したくない。
囁かれた言葉の一つ一つに、涙が出た。
いつも一人では泣けなくて、耐えられるからと我慢してしまえば限界を迎えてストレスに変換された謎の感情は行き場を無くしていた。泣こうと決めても、簡単に泣けるものではないんだよ。人間は謎の感情を持て余したとしても、スッキリするために涙を流し捨てることなんて楽ではないんだよ。
1人じゃ、ダメだった。
それが、彼の体温に包まれて、優しくて温かいこの場所のせいで、ストレスに変換される前に涙へと形を成したの。
「私……病気なのかな?何も悲しいことなんてないし、悩みもないのに……たまにね、こうして寂しくて辛くて泣きたくなる日があってね……っ」
「……」
「スッキリするために泣きたくても、なんだか泣けなくて……誰に言うわけでもないし、どうしようもなくて……ッ」
「……あぁ」
「それなのに……斎藤くんが、ぎゅーってしてくれるから……っ」
ぽろぽろ零れだした涙が、斎藤くんの指で拭われた。だんだん追い付かなくなってくれば、もう一度胸に抱き留められて、落ち着くまでずっと髪を撫でてくれていた。
「っ……ごめんなさい」
「詫びるな。構わぬ」
「でも……」
ワイシャツも濡れちゃうし、迷惑だと思うんだけれどな。それでも彼はずっとそのままでいてくれた。子供をあやすお父さんみたいな手つきで、撫で続けてくれた。……お父さんは、同い年なのに流石に失礼だったかもしれない。
「俺は……なまえのことを、最低限のことしか知らないのだろうな」
「私のこと……?」
「あぁ……。だから――」
また、泣きたくなったら話してほしい。
少しずつ、ゆっくり、ゆっくりと教えてほしい。
希うように囁かれた声は、とても心地が良かった。心にそのまま浸透する声だった。
「俺は、あんたの悲しい顔を見たくはない」
「……、」
「だから、何かあったのならば、頼ってほしい。話してほしい。その度……俺はあんたの傍にいると約束する」
どうしてなんだろう。
彼は文武両道で、風紀委員で、顔も綺麗で、他校の女子からも人気なはず。彼女がいないのも忙しいからということだけなんだろう。
なのに。
どうして私に、そんな言葉をかけてくれるの?
「ずるいよ……。私、斎藤くんの彼女でもなんでもないのに……期待しちゃうようなこと言わないでよ……」
「……構わない」
「……え?」
「……」
ぼそり、と聞こえた声が、どこか……空耳のように聞こえた。
さすがに距離をつくり、見上げてしまった顔。
今日初めて、逸らされた。
一呼吸おいてから、夕陽と熱で真っ赤にした彼の表情が戻ってくる。
あぁ、君はどこか太陽のようだね。
一見、クールだし生真面目で、誰もが認める優等生。太陽というならば、へいちゃんのような人を指すんだろうけど。でも、彼も私にとっては太陽だった。
温かくて、優しい。見守ってくれる、陽だまりのような人。
告げられた彼の気持ち。
驚いたし、どこかこうしてみれば強引だった気もするけれど……陽だまりの彼に涙を溜め込んだ笑顔で一度頷いてやれば、微笑みが差し出されたのだった。
優しい、秋の放課後、夕焼け、風に靡いたカーテン、まとめられた書類がカサカサと音を立てる。
私はきっと、この温度を、ずっと忘れないだろう。
***
ずっと前からやってみたかった、大好きなシドの楽曲を題材に物語を書きたいなぁというコーナー。
色々書かなきゃいけないと分かっているんですが、仕事で手一杯で気分が乗っていません…本当にお待たせしてしまってごめんなさい。
初回はやっぱり一君ということでした。
わりと最近に発売されたシドのシングル“hug”からお届けしました。こちらはアルバムのOUTSIDERにも収録されています。ぜひ聞いてみてください。
優しくて、温かくて、シドらしい一曲になってます。
ハグされているみたいでなんだか温かさをもらってます。
今回のヒロインに起きている症状、みなさんはありませんか?
私は極々たまーにあるのです。何にもないのに泣きたい時。そんな場面を書かせていただきました。
ここからモチベーションあがればいいなぁ。
今日も今日とて一君が大好きです(笑)
お付き合いありがとうございました。
ありがとうございました!
2014.05.04 有輝