09. 出立
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第九華
出立
慶応四年 如月 某日。
烏丸の里にて……―――。
「新選組の隊士に……?」
「あぁ」
狛神から齎された手鞠歌をもとに、風間家へ行こうと決めた茜凪たち。
ついに絶界戦争へ繋がる情報へ手が届くと思われ、旅支度を烏丸の里で進める彼女たちとは別行動でこの物語の立役者となった者がいる。
「今や錦の御旗は薩長軍側にある。賊軍となった新選組は隊士消耗が激しいだろうから、人手不足を感じ、どこかで隊士を募るはずだ」
「それに名乗りをあげ、隊士として彼らの身辺で妖の羅刹から守れ。ということでしょうか?」
「そうだ。必ず人の戦の勝敗に、縹の羅刹が関わらないようにしてほしい」
烏丸の里、次期頭領の凛の部屋。
呼び出された子春は、一拍おいたあと……視線を下げながら主人の依頼に頷く。
正直、本音で話せば人間と関わり合いを持つことに子春は反対派だ。
今は近くで見守る程度なので言葉を交わすこともなく、彼らからしたら子春たちが新選組を守っていることも把握していないだろう。
だが隊士になるならば話は別。
もちろん妖だと身分を明かすわけにもいかないので、人として紛れ込むことになる。
つまり、彼らと同じ立場で、彼らときちんと関わりを持つ、ということだ。
主人の命令ならば仕方ないと言い聞かせた子春は、肝心の凛がどこへ行くのかを尋ねた。
「若様はどちらへ?」
「風間の里で千景に会ってくる。しばらく烏丸の里を空けるだろうから、伝達がままならないことがあるだろう。指揮はお前に一任する」
「承知しました」
「最優先事項は、縹の羅刹が人の戦へ関与することの防衛だ。間違っても詩織の首をとることじゃない」
相手は怨恨の相手でもある、純血の狐だ。
日の本最強の妖・春霞の一族の詩織。
茜凪と同じ立場の者であるが、ここ一月関わった茜凪は狐らしからないと子春も最早理解していた。
つまり白狐と呼ばれる者だからと茜凪と詩織を一括りで見るなと言いたいのだろう。
「詩織に出会ったらまず勝ち目はない。隊を率いて逃げろ」
「……それは、詩織が縹を用いて新選組や賊軍を滅亡させようとしても、ですか?」
「場合による。お前にそこまで業を負わせるつもりはない」
凛は子春が“烏丸”として真っ直ぐ生きてきたことも知っているし、人と積極的に関わりたいと思っていないのも理解している。
本音と建前の狭間、うまく両立させながら子春を説得して命を受けてもらっていると凛は思っていた。
「悪いな、子春。お前が人も春霞もよく思ってないのはわかってるけど……お前にしか頼めなくて」
「構いません。私の忠義は烏丸の為。―――若様が思うようにお使いください」
冬の終わりが近いことを感じていた。
弥生になれば温かさは増し、人間が動きやすい時期がくる。戦も活発化するだろう。
幕臣となった新選組を、官軍である薩長が許すとは思えない。
そんな中へと紛れ込む……人の政に関わるかもしれない、境界線ぎりぎりに立つ日が来るとは。と子春は心を静め備えた。
「(新選組……)」
天狗と溝の深い白狐である茜凪と関わりが生まれた時。
藍人と新選組、この二つが凛と茜凪の共通の憧れであると知った。
茜凪が狐らしくないと知ったのも、彼女と関係を持ったから。
今回、不本意ではあるが新選組と関わることになれば―――新選組を知り、そして茜凪を更に深く知る機会かもしれないと子春は思った。
―――時を同じく、慶応四年 如月。
大坂から戦わずに船で江戸へと戻っていた新選組は、薩長と再戦の機会を待っていた。
土方は幕府に掛け合いに忙しく、屯所に居る時間は誰よりも短かった。
原田と永倉は、鳥羽伏見の戦いでの惨敗を引きずり屯所を開けて飲み歩く毎日。こう聞くと印象が悪いが、敗戦したことで気を滅入らせてる下っ端たちの士気をこれ以上下げないために工夫を凝らした結果だった。
沖田と近藤は松本先生のところに身を寄せている。
藤堂は羅刹隊となり山南と共に夜起きる生活が主だ。
自然と幹部隊士で屯所に詰めているのは斎藤の役目であった。
監察である島田も亡くなった山崎の分まで働いている。
疲労が溜まりつつあることを斎藤は自覚していたが、弱音など吐いている場合ではないし、吐こうとも思わない。
積み上げられた書状に手をつけながら、忙しさに毎日心を殺していた。
「斎藤さん。昼餉をお持ちしました」
硯に筆を置き、完成させた書状を綴ろうとした際に声がかかった。
廊下から千鶴が呼んでいることに気付く。
入れ、と短く答えれば、膳を持った千鶴が現れた。
膳の上には握り飯と、具の少ない汁物。
京にいたときよりも質素な食事になってしまったが、千鶴が作る食事は美味い。
これだけは唯一変わらない。京にいた時からの日常。
「少しはお休みになってください、斎藤さん……」
「適宜休息はしている。問題ない」
「ですが……」
千鶴は歯切れ悪く、思案顔を拭わなかった。
「斎藤さん、この間から顔色が優れません……。その、心労が祟ると体にも影響があると思うんです。ですから……」
しっかりと休んで欲しい。と希望を伝えられる。
確かに京にいる頃と比べれば眠る時間は短くなったが、今は寝ている場合ではないと己を鼓舞して仕事に勤しんでいたのは間違いない。それが千鶴の心配を大きくしている理由だろう。
わかっている。
「副長が幕府の方々と掛け合いを行なっているにも関わらず、俺が休んでいるなど以ての外だ」
「斎藤さん……」
―――頑なに、なるべく休息を取りたくないことにはもうひとつの理由があった。
いや、本音で言えば“それ”こそが理由だった。
「そういえば、茜凪さんや烏丸さんは無事でしょうか……」
「……―――」
「鳥羽伏見の戦が起きる数日前に、斎藤さん、烏丸さんにお会いしたんですよね?茜凪さんや狛神さんも、戦火を逃れたでしょうか……」
―――茜凪。
今、斎藤が眠りたくない一番の理由は彼女だ。
鳥羽伏見の戦いが敗戦となり、将軍・慶喜公が江戸に逃げ落ちた。
その船上でも彼女を案じていたが、時間が経てば敗戦した事実を見つめ、茜凪のことを考える余裕なんてなくなるだろうと斎藤は考えていた。
しかし、実際は真逆のことが起きていた。
気を抜くと、あの娘が泣いているのではないかと心配になる。
むしろ涙を流したくとも、泣きどころが見つからないのではないか、と。
傍にいてやらなければ、心が折れてしまうのではないか。
烏丸に伝えた願いが、なにかの拍子に暴かれ、傷つくのではないかと。
【 はじめくん 】
耳の奥に木霊する鈴の音と、名前を呼ぶ声。
目を閉じれば鮮明に甦る。
そのせいで、眠りたくないと思うようになっていた。
彼女を忘れる唯一の方法は、隊務に没頭し、忙殺され、心を失くすことだった。
「あんたも知っているだろう。茜凪と烏丸は妖だ。人ではない。特異な力もあり、今は詩織を止めるという目的もある。どこかで生きているはずだ」
「斎藤さん……」
―――千鶴は、そんな斎藤の心が心配だった。
吐き出される茜凪や烏丸にまつわる言葉の中に、今まで感じられた慈しみが無くなっているからだ。
気持ちを押し殺している。突き放すような拒絶の意で語られる言葉たちだと千鶴は感じ取っていた。
また、ちりん。と音が鳴る。
鈴の音、転がるような淡い音。
そちらには振り向けない。いるはずなんてない。
今、斎藤がやるべきことは新選組の剣として体制を立て直すこと。
茜凪のことを思い出している余裕なんてないのだ。
「(俺は新選組の剣であり続けるために……)」
―――茜凪を、妖の反逆者にしないために。