66. 別離
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「急げ茜凪!」
「わかってます!」
「待てー!」
慶応四年 四月二十六日 丑三つ時。
近藤が斬首に処され、狛神の妖力が弱々しくなってから数刻後。
ようやく新政府軍の隙をつき、関所沿いの林を越えて江戸市中に潜り込んだ茜凪と烏丸は、徐々に弱々しくなっていく狛神の気配を頼りに足を動かし続けていた。
力技で新政府軍の包囲網を破ったこともあり、市中に辿り着くまでの道中で追いかけ回されることになったが、もはや構っていられない。
人が出すと異様な速度であるにも関わらず、茜凪と烏丸は最速を叩き出して森の中を駆け抜けていった。
「ひっとらえろ!絶対に逃すな!」
「千住の関所破りを犯した仲間かもしれんぞ!」
地を走るよりも木々を転々と飛びながら移動した方が目眩しになると思い、空中を器用に移動する二人。
これで完全に逃げ切れると確信した茜凪と烏丸だったが、背後から聞こえてくる会話が引っかかった。
関所破りをした者がいる、と暗に言っているのだ。
―――嫌な予感がする。
胸がざわざわとして、よくないことが起きているのではないかという気がしてならない。
予感を振り払うように、茜凪と烏丸は江戸市中にむけて。
弱々しく命を燃やし続ける狛神のもとへ、走り続けるのであった。
第六十六華
別離
―――新政府軍との追いかけっこに決着がついたのは、東の空が白ばみ始めた。
体力の回復をすべく、小半刻ほど誰もいない古小屋に潜伏をした茜凪と烏丸を新政府軍は見つけ切ることはできなかった。
無事に逃げ切ったことを確認し、茜凪と烏丸は顔を見合わせて頷きあう。
「狛神の気配が弱すぎる……。何か起きたな」
「えぇ……。距離からするに、すぐ近くに潜伏している気がします」
「そもそも狛神の奴、情報収集で江戸に来てただろ。江戸城が無血開城されてからも江戸に留まっていた理由ってなんだったんだろうな」
「……というと?」
「いくら妖の羅刹が血に狂わずに正気でいられるとしても羅刹の本質は変わらない。血が必要だ。でも江戸で戦が起きないってことは、ここには羅刹が現れる可能性は低かったはずだ」
「……」
「なら、詩織の気配や羅刹の目撃情報を徹底的に調べた方が効率いいし、あいつらしいだろ。それなのに……」
烏丸は、狛神の心情の変化を知らなかったのだろう。
敢えて口にする必要はないと思っていた。語らずとも茜凪は狛神がどんな想いを抱いていたのか、少しだけわかる気がしていた。
「……そうは言っても、江戸には情報は集まるはずです。江戸に潜伏していて無意味なことはなかったでしょう。結果として、近藤さんが捕縛されたことを教えてくれたのは狛神ですから」
「まぁ、そうだけどさ」
茜凪は狛神の心に、沖田がどのように映されるのか。
それが彼にどんな影響を及ぼしたのかを考えてみる。
きっかけはいくつでもあっただろう。
近藤と沖田。
藍人と狛神。
この関係は、似てないようでそっくりだ。
狛神の心に北見 藍人という人物が大きく残り、心を象るのに必要だとするならば尚のこと。
そして、甲府の戦で沖田が羅刹化してしまったこと。
きっかけを狛神が自身のせいだと思っているのであれば、様子を確認しに行ったであろうこと。
そこまで気負わせてしまったのは、茜凪が狛神に放った……甲府での一言がきっかけだった可能性もある。
「とりあえず行こうぜ。新政府軍の奴らも撒いたみたいだし」
烏丸が古小屋の建て付けが悪い戸に手をかけながら言う。
着物の砂埃を払い、ふぅと息を吐いて吸い込んでみせた。
烏丸もここまでの道のりで多少の疲労は感じているのだ。
それもそのはず。春霞の里をほぼ飛び出す勢いで出発し、まとまった休息はほぼとっていない。
小休憩を挟みながらここまで来たけれど、最後の最後に狛神の気配が弱々しく消え去ろうとしているなんて……茜凪ですら見抜くことはできなかった。
それからしばらく市中を歩き回り、長屋の通り、商家の並びを抜けてついに二人は植木屋まで辿り着く。
時刻は黎明時。
日常を置き去りに使命を果たそうとする二人は、朝支度をする女たちに見つからないようにしながら植木屋の垣根を越えて庭先まで辿り着いた。
「!」
そこで狛神とは異なる気配を察知する。
烏丸も気付いたようで、茜凪と顔を見合わせた。
なにか、異様だ。
障子戸の先。
行燈でぼんやりと明るくなっている室内を睨むように見つめる二人。
得体の知れない、初めて出会う何かがそこに在るのがわかる。
「茜凪」
烏丸が障子の傍らまで移動し、しゃがみ込む。
茜凪は真正面から飛び出てくる相手を仕留めようと抜刀の構えをとり、刀の柄を握りしめた。
そして―――スパンッ!と烏丸が障子を開き切った。
烏丸が開いた戸の先。
夜着が布団に投げ捨てられ、体躯がすらっとした男が立っている。
相手も刀に手をかけていたものの、応戦する体勢ではない。
にんまり笑顔でこちらに視線を寄越した男が一人、立っていた。
まるで茜凪たちが来ることがわかっていたかのように。
「お前……」
「久しぶりだね。烏丸くん」
聞こえてきた声。
視界に入る相手の姿に、思わず茜凪も警戒を解く。
現れたのは―――あの沖田 総司だった。
「沖田さん……!」
甲府で別れたのと同じ姿。
切り落とした髷、未だ見慣れないが似合っている洋装、左腰には大小の刀を差している。
同じにみえて、変わったと感じたことが二つ。
一つは彼の顔色が良くなっていたこと。
そしてもう一つは、気配だった。
「茜凪ちゃんも烏丸くんも、無事だったんだね」
「は……はい……」
顔色がよくなったことは喜ばしい。
だが、能力のおかげで彼の病状を知っていた茜凪にしてみれば、何故急激に回復したのかが理解できなかった。
さらに沖田から感じられる気配は―――羅刹になったからという言い訳をつけても―――異様だ。
なぜならば―――
「(沖田さんから、どうして狛神の気配が……?)」
微弱ながらに感じられる、狛神の妖力の気配が沖田を取り巻いている。
残り香とでもいうべきか、妖ではない彼から妖力を僅かに感じるのだ。
烏丸も同じことを悟っていたようで、感動の再会だけでは済ませることができなかった。
思っているよりも冷静に、喜びよりも疑問が占めてしまう。
「総司、狛神と会ったか?」
「彼がいまどこにいるか、ご存知ですか?」
矢継ぎ早とまではいかなくとも、沖田に詰め寄る二人。
沖田も瞳に―――一年前と同じような―――光を宿しながら応える。
「狛神くんなら数刻前までここにいたよ。話してる途中で僕が眠っちゃったみたいで、目を覚ました時にはもうここにいなかったけど」
「あいつ……どこ行きやがった」
「なにか書き置きなどはありませんでしたか?」
「特に見てないけど」
茜凪と烏丸の焦り様に、沖田はどことなく口を挟めずにいた。
いつもよりも口数が少ないまま、二人の話を黙って聞いていた。
「狛神自身の気配じゃ追えねぇ。俺には感じられない」
「……同じくです」
「使い魔を探した方が早いだろうな」
烏丸が懐から一枚、小さく細長い葉を取り出す。
開け放たれた外へと向けて、葉を唇に充てがって音を奏でた。
笹笛によって呼び出されるように、天空から数匹の烏がこちらへ飛んでくるのが視界に入る。
「狛神の使い魔を探してくれ。市中にいるなら、そいつらに主人を探させてほしい」
カァーカァーと烏丸に返事をした天狗の使い魔に、茜凪は難しい表情で見送るばかりだった。
「てっきり君たちと合流するために出ていったのかと思ってたんだけど」
「いえ……文の返事もないですし、狛神の気配が弱くなったのを追ってここまで来ました」
「気配?」
沖田が眉をぴくりと動かして、微かに反応する。
なにか心当たりがありそうな様をみて、茜凪は一歩彼に詰め寄った。
「沖田さん、なにか知りませんか? 昨夜の彼が、今日どこに行くつもりだったとか」
「聞いてないよ。近藤さんの件で、それどころじゃなかったし」
「……そうか」
改めて見てみれば、沖田の装いは今まさに旅立ちを迎えた兵のようだ。
沖田の今の体調で、一体どこに行こうというのか。
分かる気はしたけれど、聞く気はしなかった。
「あーあ。最後に狛神くんの顔ぐらい見てから行こうと思ってたのに、残念だよ」
「……」
「彼が屋根の上でしょぼくれてるのを見るの、結構おもしろかったのに」
いつも通りの意地悪な笑みを浮かべたまま、沖田は流し目で茜凪に問いかける。
茜凪は彼が何を言いたいのか、裏側に隠されている言葉を探していた。
だが、正確に読み取れない。
「追うんですか? 新選組を」
「そうだよ。土方さんに会わなきゃいけないから」
いたずらっ子のような表情で笑っていたのが一変、鋭い視線を遠い空に向けた沖田。
そこで漸く、茜凪と烏丸は顛末を知る。
「どうして近藤さんが死ななきゃいけなかったのか」
「―――」
「土方さんがついていながら、どうして近藤さんが斬首になんかならなきゃいけなかったのか、聞かなきゃいけない。守るべき人を守れずに、あの人がいったい何をしていたのかを」
―――死ななきゃいけなかったのか。
沖田から語られた事柄は、既に過去に起きてしまった出来事を表している。過去形。つまり。
「(近藤さんは……)」
「(救えなかったのか……)」
茜凪も烏丸も、沖田と視線を合わせることができなかった。
新選組局長の死。瓦解のきっかけになるかもしれない、大きな出来事。
隙間風が抜けるように、茜凪の背筋が冷たくなる。
目を閉じれば、誠の隊旗が掲げられた先―――戦う男がいる。
襟巻きはなくなってしまったが、清廉な空気をまといながら戦う左構えの男。
彼にまで大きな影響を及ぼすであろうことは、目に見えていた。
「君たちは狛神くんを探すんだよね」
「えぇ……」
「そう。それなら僕はもう行くよ」
前回顔を合わせた時が嘘であるように、沖田の顔色は回復しているように見える。
羅刹になったことにより、徐々に体調が良くなり始めたのだろうか。
茜凪には知る由もなかったが、止める権利もなかった。
「狛神くんに、」
―――沖田が、室内に残る二人へ振り返る。
綺麗に畳まれている夜着と布団、不安そうな顔でこちらを見つめる烏丸。何かを見抜いているようだが、確信がないとでも言いたげな茜凪。
本当ならば、ここに小柄で一番生意気そうな顔をした男がいたはずだ。
名前の通り、琥珀色の瞳をした赤髪の男。
出会った頃は少年と青年の間といえる雰囲気だったが、ここ最近は立派な青年といえるほどの面構えだった。
風の噂で齢二十一とかだと聞いた気がする。
妖と人の年齢の概念が同じものかはわからないが、成長を感じるなとふと思った。
ここにいない狛神のことを、そんな風に思う日がくるなんて。
一昔前では考えられない。
思わずクスッと微笑んでしまったのは、“狛神くんには、きっともう会えないだろう”と心のどこかで思っていたからかもしれない。
「よろしくね」