65. 宿命
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―――桜が散り、春の日差しも本格化されていく日のことだった。
菜の花が揺らめいて、俺が生きている環境は幸せだと錯覚させるほど穏やかな陽気。
白い蝶が視界の端から端へと移動するのを見つめながら、重たい心に蓋をした。
今となっては、この宿命をなんと語るべきだろうか。
茜凪や烏丸を置き去りにしたこと。
それでいて血の定めは俺に対して一定の達成感を与えたこと。
そして……―――。
瞼を閉じれば、鮮明に映し出される。
“あの日”のこと。
あの日……―――そう。
植木屋に沖田を連れ帰り、床に休ませて縁側で使役した狛犬たちから情報をかき集めていた。
菜の花が揺れる小さな庭先で。
俺はきっと妖として誰よりも先に、訃音を聞いただろう。
「―――……そう、か」
数匹の狛犬たちが俺の膝の上でくるくると回る。
足先に寄ってくる者もいて、嘆き悲しむような仕草をするのだ。
たった今板橋の刑場で首を刎ねられた男と、こいつらは接点なんてないのに。
いや、ちがう。
俺から匂ってしまっているやるせない気持ちを汲み取ってくれているんだ。
「近藤が……」
届いた報告は、板橋付近に残して来た狛犬たちからだった。
こぞって持って来た情報はただひとつ。
近藤の斬首が執り行われたということ。
ひとつの命が今、罪を贖えと終止符を打たれた。
果たしてそれが、正しい終わり方だったのかどうか―――俺には計り知れないこと。しかしながら胸の奥を掻きむしるような、ぞわぞわと逆立てるような気持ちにさせられた。
「……お前はこれからどうするんだ」
背後で気を失っている天才剣客に向けて、思わず声をかけてしまう。
沖田の目が覚めたら、どう声をかけて説明をするべきだろうか。
拳の一発……いや、剣技が一撃飛んでくるかもしれない。
沖田の生き様の邪魔をした。
俺自身の意志で。こいつに死んでほしくなくて。
それを沖田がどう受け取り、なにを感じるかはコイツ次第だ。
どうなったとしても甘んじて受け入れるつもりだ、命さえ奪われなければ。
こんなことを考えている俺自身は、恐らくこの時点で行く道を決めていたんだ。
覚悟が決まるのは、沖田が目を覚ました宵のことだった。
第六十五華
宿命
「こっちもダメだ」
「困りましたね……」
多摩川を越え、江戸市中まであと僅かと迫ったところで茜凪と烏丸は足止めを喰らっていた。
理由は、予想していた以上に関所越えに苦戦していた為である。
「まさか内藤新宿がここまで固められてるとは……」
「最短の経路でしたが、回り道をするしかありませんね」
「にしてもやけに警護が固いな。嫌な予感がするぜ……」
関所に大勢集められた新政府軍の者たちの姿。
西国訛りの者たちが明かりを手に、そこらじゅうに立っているのが気配で分かる。
本気を出せば獣化して突破をすることは簡単だが、誰かに姿を見られたら堪らない。
鬼以外にも異能の者がいることを旧幕府や新政府が大々的に知り得れば、妖たちの未来も危うくなる一方だ。
となると、ここはなんとかして闇に紛れて行くしかないのだが、茜凪や烏丸が出せる速度以上に数の暴力で対峙へ発展してしまいそうだ。力技は使えない。
仕方なく関所と平行に歩きながら、江戸市中へと潜入できる抜け道を二人は探し始めるのであった。
「刑場は板橋だったな。どっかから人目を盗んで侵入できる箇所を探さねぇと……」
「……」
溝口の宿場を通過してから少しした頃、狛神からもう一通文が届いた。
内容は投降した近藤の処遇についてだ。
大久保だと名乗っていた近藤の正体は露見し、近藤 勇としての斬首が決まったてしまったこと。
板橋の刑場にて、首が刎ねられるということを端的に告げて来ていた。
新選組局長が、斬首刑。
古来より武士の魂は腹に宿るとされており、腹を斬ってでも貫きたいことがある、潔白を示すという意で武士たちにとって切腹はひとつの美学とされている。
しかし、首を刎ねられるのはただの罪人への罰だ。
果たして新選組の働きは、罪人として処されなければならないものであったのだろうか。
錦旗の時と同じく、やるせなさが拭えない。
茜凪ですらそう感じるのであるから、斎藤や土方はどう感じるのであろうか。
そして今、好意の強さは別として―――最も気になっていたのが、沖田だ。
「沖田さん……」
沖田が近藤を慕っていたこと。
兄貴分として、師として大切に思っていたこと。
知っているからこそ、茜凪の脳裏にいたずらな笑みを浮かべた男が儚く過ぎる。
「茜凪、行くぞ」
考えに耽り、思わず足を留めてしまっていた。
数歩先をいく烏丸が小声で呼びかけてくれば、茜凪は顔をあげる。
急ぎ江戸の中心に入り込まなければ、取り返しがつかないことになる気がしていた。
そしてそれは、現実に起こることを茜凪や烏丸は知る由もなかった。
◇◆◇◆◇
慶応四年 四月二十五日 夕刻。
近藤 勇が斬首に処されてから数刻後のこと。
真っ赤な血を空に垂らしたような、緋色の空が広がっている。
結果として近藤の最期に間に合わなかった茜凪と烏丸の気配を読み取ろうと、植木屋の屋根で仁王立ちをしている狛神。
だんだんと近付いてきていることまでは分かるが、その速度はゆっくりであり、点在する関所に平行しているような気がしてならない。
「関所抜け苦労してるってとこか……」
江戸が無血開城になった以上、新政府軍が蔓延っている。
千住の関所は手形があっても通り抜けができないとも聞いていた。
妖の武器が西洋式の武器にならない以上、和装で腰に刀を差すのが定石だ。どう考えても新政府軍の中にそのまま馴染ませることはできないだろう。
悪目立ちする以上、隠れて行動するしかない。
待っている間、茜凪たちにどう近藤の最期を説明すべきかを考えよう。
屋根に腰掛けながら、間に合わなかった二人のことを思った。
―――いや、それ以上に狛神は考えていた。もう一名、近藤の最期に間に合わなかった男と、どう向き合うべきか、を。
未だに気を失ってから目を覚さない沖田。
屋根に守られた部屋の中で、死んだかのように眠り続ける彼が声を発した時……どうすべきかが定まらない。
一撃を受けるか、殴られるか、はたまた斬り殺されるかもしれない。
それすらも甘んじて受け入れなければ、と狛神は覚悟する。
脳裏に過ぎる、沖田との邂逅の数々。
憎まれ口が多く、つかみどころのない男。
腹立たしいことも山ほどあったが……―――
「“狛神の血は、神と供に祀られる血”」
重なる姿。
近藤と沖田。
北見 藍人。
―――狛神はすでに、大きくて大切なものを天秤の両に乗せ始めていた。
どちらに比重が傾くか。
今はぎりぎりのところを保っている。
が、腹の底ではいつ傾いてしまってもおかしくないと、もう一人の自身が笑っていた。
「師匠……まさか、な」
どんな意図ともとれない心境を吐露した時。
真っ赤な空に染まった陽が町の向こうへ消えゆく時。
障子戸がガンッと開き、裸足のまま庭先へと出てきた男の姿を捉えた。
「狛神くん」
「……」
―――さぁ、目覚めてしまったか。
覚悟を決めて、一世一代の決着をつけるとしよう。
重い腰を持ち上げて、狛神は刀の柄に手をかけてから飛び降りた。
「目が覚めたか。気分はどうだよ」
「気分?なにそれ、なんの冗談かな」
鋭い眼光をこちらに向け、半羅刹化していると言っても過言じゃない姿。
翡翠色をしていた瞳は赤いものにかわっている。
これは穏便にはいかないな、と改めて悟った。
「どうして僕を止めたのさ」
「止めなきゃ死んでた。それだけだ」
「言ったよね。僕のことはどうでもいいって」
沖田の言葉に思わず狛神は売り言葉に買い言葉を投げつけた。
「俺だってどーでもいいさ。だが、むざむざと命を捨てに行く男を黙って見過ごすほど、愚鈍でもねーよ」
「……ッ」
―――のちに冷静になった時、狛神は自身を本当に天邪鬼だと思い返した。
どうでもいい、なんて思っていない。
そうでなければ止めるはずがない。
沖田も同じく、色々な感情が溜め込まれている。
いつ弾みで爆発するかわからない。
おまけに相手は羅刹だ。陽が落ち切れば彼らの舞台。狛神が羅刹化した沖田を相手にするには骨が折れるだろう。
だが、それは剣だけの話。
妖術すら利用して、狛神は沖田と向き合う覚悟をしていた。
「それで……近藤さん、は」
声が震えている。
暴走する前に、一番に確認しなければならないことを沖田が尋ねた。
「近藤は……」
狛神は確かにガサツで、捻くれ者で、決して褒められる性格ではないけれど。
繊細な心を読み解く力だってあるのだ。
しばしの間を置きながら、事実をゆっくり口にした。
「数刻前に……斬首に、処された」
「―――」
「新政府軍の囲まれて、助けられる状況じゃなかった」
「―――」
次に来るであろうことは、“土方はどうしたのか”という発言であろうと予測する。
もしくは“あの時、君が僕を止めてなければ”という八つ当たりか。
どちらがきても、狛神は真摯に受け止めるつもりだった。
それが、沖田を連れ戻した自分の役目だと思っていたからだ。
「!」
だが、狛神の予測は大きく破られた。
バタ、と音を立てて夜着姿の沖田が膝を地についたのだ。
心意の喪失ともいえる崩れ方で、狛神が思わず柄から手を離す。
言葉を詰まらせながら、ゆっくりと沖田に近付いた。
「おい……」
八つ当たりの言葉が飛んでくると思っていた。
だが、静かに崩れ落ちることは予測していなかった。
体も心配ではあるが、心が壊れた場合はより狛神の専門外だ。
顔を俯かせて、体を折るようにだんだんと地と視線の距離を近付ける彼。
狛神も膝をつき、肩に触れ寄り添った。
「沖田……―――」
―――予想外だったか。と聞かれれば、そうではなかった。
でも目の当たりにすると、動じてしまう。
地にシミをたくさん生みながら、涙を流す沖田に……。
「……っ」
「どうして……ッ、どうして近藤さんが……!」
「……」
「あの人が……僕より先に……ッ」
例えば、狛神の代わりにここに寄り添ったのが千鶴であったら。
茜凪であったら。
はたまた斎藤や永倉、原田や藤堂であったら。
沖田の悲しみ方も違ったかもしれない。
慟哭をあげ、みっともなく泣き叫ぶ子供のようになることもあっただろう。
少しの矜持で保たれている姿。
狛神相手に情けない姿をなるべく見せるものかという姿勢。
それがまた意地らしくて、狛神の心臓が共鳴するように痛くなる。
「どうして……ッ、どうして僕の体は……!」
「―――……っ」
「新選組の……近藤さんの剣でありたいのに……! 僕の体は言うことを聞いてくれないんだ……ッ」