62. 旧友
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慶応四年 四月三日。
茜凪や烏丸が禅にて妖力の理解を整える修行の一日前のこと。
江戸まで情報収集に来ていた狛神が原田と再会し、沖田のもとまで案内をしてもらう道中にて。
狛神は茜凪と烏丸に向けた手紙を使い魔に託していた。
原田から聞いた情報と、狛神自身が江戸で手に入れた情報―――新選組が会津に向かうということを記載してやる。
茜凪と烏丸があとどのくらいで修行を終えるのかを聞いていなかった狛神は、とりあえず最短で渡すように文を運ぶものへ指示を出していた。
「へぇ。妖ってのは本当に便利だな」
「人間と比べて便利なだけだったら有難いぜ」
空に飛び立ったしめ縄を背負った狛犬を見上げながら、原田に返す。
狛神という男は、妖でありながらも妖という存在を肯定も否定もしていなかった。
「生まれながらに力を持ってるのは、勘違いを引き起こし兼ねない。権力だの金だのにこだわって他人を傷つけるからな」
「……」
「妖も人間と同じなんだよ」
「……そうか」
原田は思った。
狛神 琥珀という男に出会ったのはもう一年以上も前の出来事だ。
実力に見合わずに沖田や永倉に喧嘩を売る姿は今でも鮮明に覚えている。
この一年での彼の成長は内面だと思えた。
北見 藍人の一件を乗り越えて。
祇園の茶屋で四人の妖と一人の人間が寝食を供にするようになってから、狛神の内面は磨かれたのだろう。いや、もともと持っていた本質が表れているだけで、出会った頃の彼は余裕がなかったのかもしれない。
それほど、彼にとって北見 藍人の存在は大きかったのだろう。
ふと思い出す。
狛神にとって、藍人は師であったということを。
原田より背がだいぶ低い狛神を横目で見つめていたが、視線を前に向け直す出来事が起きた。
植木屋の母屋が見えてきたからだ。
「着いたぜ」
原田からの一言に、大空を見上げながら歩いていた狛神も視線を正した。
案内係の足が止まったのは誰が見てもただの母屋と言える素朴な場所。
ちゅんちゅん、と小鳥が囀りながら庭に来ているのが見える。
豊かな場所で、白と黄色の花々が咲いていた。
竹垣の奥には梅の木が茂っている。
縁側があり、晴れた日には木漏れ日がよく入るであろう方角の部屋だ。
ここに、沖田がいると狛神は悟ってた。
「邪魔するぞ」
慣れた様子で入って行く原田に気後れしながらも、狛神も長身の男の後を追う。
図らずもこの日―――四月三日が、沖田と狛神の運命を変える始まりの一日になるとは、誰もが思わなかっただろう。
第六十二華
旧友
―――同日 陽が沈んだ後のこと。
植木屋の母屋。
屋根に登り、大股を開きながら膝を抱えて項垂れる男がそこにはあった。
狛神だ。
結論を述べると、狛神は沖田に会えなかったのだ。
この家の持ち主は、柴田 平五郎という植木職人らしい。
とても評判のいい植木屋らしく、多くの屋敷から引っ張り凧であり名を通した職人とのこと。
言われるだけはあって、沖田が住まうこの母屋の庭もとても美しかった。
簡素であるにも関わらず、葉先がひとつひとつが丁寧に揃えられている。
どういった経緯で沖田を匿っているのか、狛神には知る由もない。
その狛神にも一つだけはっきりと分かることがあった。
変若水は、労咳を治すことはできない。
原田と狛神が沖田のもとを尋ねた時、たまたま松本先生が様子を見に来てくれていた。
沖田の寝床に向かうまでにひとつの角を曲がる。先の障子戸の奥にいる男が、ひどく咳き込み咽せているのは音と気配で感じ取れていた。
喀血も起きており、病状は芳しくないのは顔を見なくても把握できる。
松本先生が沖田の背中をさすっているのが響く音でわかった。
原田が襖に手をかけて、彼の名前を呼びながら駆け寄るのがわかった。
それでも、狛神は一歩を踏み出すことができない。
会わなければ後悔する。
だが、会ってなんと声をかけたらいいのかがわからない。
しっかりと守ってやれなかったこと。
鬼の薫を止められなかったこと。
変若水を飲む彼を見ていることしかできなかったこと。
助けてもらったのに恩を返せていないこと。
すべての罪悪感が狛神の胸を締め付けて……―――脳裏に一瞬、藍人の顔が過った。
藍人に対しても狛神は同じだった。
大した恩返しもできず、そのまま別れることになる。
仇討ちや汚名を晴らすことはできたけれど、藍人との時間は戻ってくることはないのだ。
―――結果。
沖田が発作後に薬の効果で床についてから、狛神は屋根の上でずっと身を潜めている。
太陽が沈めばここからは羅刹の時間だ。
彼が目を覚ますことも自然の摂理。目を覚ましたとて、沖田に差し出すべき言葉を用意できずにいた。
「俺ってこんなに情けなかったのか……」
膝に乗せた腕組みに額を乗せる。
口から吐き出した言霊が耳に戻ってきてはため息へと変わる。
自ら決めたことには迷わないと思っていたが、どうやら過大評価だったらしい。
虫が鳴く声が響く、いい夜だった。
肌で感じられる湿度が上がってきている。近々雨が降るかもしれない。
雲が増え始めた月夜、狛神はこれからどうするべきかを決めきれずにいた。
「ねぇ」
先程からチラチラと浮かんでは消える藍人の姿を認識する。
北見 藍人の憧れた人間は、沖田 総司だった。
田舎道場にとんでもない腕っぷしの剣客がいるって騒いでいた日を子供ながらに覚えている。
藍人だったら、沖田になんて声をかけるだろうか。
「ねぇ。そこにいるんでしょ」
狛神が感じている罪悪感自体が、沖田からしてみれば迷惑かもしれない。
おこがましいと憤怒するかもしれない。
だとしても、気にせずにはいられないのだ。
あそこで南雲 薫に一打を与えなければ、沖田が羅刹になることなんて―――。
「狛神くん」
―――ハッとした。
誰かに呼ばれた気配を認識したからだ。
そして狛神が答えを出す前に、その瞬間は訪れた。
「さっきからため息ばっかりついて、君のせいで全然眠れないんですけど」
声をかけられたのは間違いないが、庭先に相手の姿は見えない。
空耳だとは思えず、屋根から身を乗り出してみる。
相手は真下の縁側に腰掛けて、ちっとも楽しくなさそうに庭を見つめながら話しかけてきていた。
「お、沖田……」
「なに、その複雑そうな態度。君が何か用があってここに来たんじゃないの」
「……」
「言っておくけど、僕から君を呼んだわけじゃないよね?それなのにその反応」
「い、いや……」
「君って本当、出会った時から生意気だよね」
「お前も変わらずに饒舌な毒舌だな……」
遠慮なしに投げつけられる沖田節に、狛神の頬に汗が浮かぶ。
冷や汗ではなく、純粋な感情から呼び起こされるものだった。
調子が狂うなと思いながらも、沖田の近くにいく気になれず、そのまま屋根の上から話を続けてみることにする。
「昼間は左之さんが来てたみたいだけど、君がいるとは思わなかったよ」
「あー……原田に案内してもらった」
「へぇ。じゃあ狛神くん、本当にここに来たくて来たんだ」
「……」
「どうして?」
顔は見えないが、喜びを感じているわけではなさそうだ。
詰問されているような問いかけ。声音だけではわからない沖田 総司の本音がどこか垣間見える。
「まさかとは思うけど、気に病んでるの?」
「……」
「図星なんだ?」
沖田が何を指しているのかは、狛神にもわかる。
変若水を飲んだことに対しての話だと。
声音からはわからない沖田を知りたくなって、狛神が勇気を出して屋根から降りてみた。
着
地すれば、沖田と視線が合うのは必至。
白い夜着を纏う彼が、幾分か前より顔色のいい表情でそこにいる。
しかし、表情は穏やかではない。
「言っておくけど、あれは僕の意志で決めたことだから。君が気にすることじゃないよ」
「……」
「近藤さんの役に立てずに床で死ぬより、戦場で新選組の剣として全うできる可能性があるなら、僕は正しい選択をしたと思ってる」
「だとしても、変若水で病は治らない。むしろ体を酷使すれば、寿命は―――」
そこからの沖田は間を開けたあと。
意外にもにんまりと笑うのだった。
「僕のことなんてどうでもいいんだよ」
「は……?」
「新選組の前に立ち塞がる敵を斬る。それが僕の役目。その役目のためにできることがあるのなら」
続かなかった言葉の先が、狛神には聞こえていた。
“変若水だっていくらでも飲む”。
頭の中で波紋が生まれて行くのを、狛神は感じていた。
「時間の問題だったかなってこと」
「……」
「だから謝らないでね。君には関係のないことだから」
「……、」
「まぁ、変若水を飲んだから大丈夫だっていうのに、どこかの誰かさんのせいで僕は会津行軍には置いて行かれてしまったけどさ」
小さな水滴が一粒落ちて。
どんどんどんどん、広がって行く。
鐘が鳴るように響いて、心に何かが染み渡った。
「お前は、どう生きるか……決めてるんだな」
ぽつり、と呟きを零してしまう。
思い出す。
甲府戦の前夜。茜凪と沖田がどんな話をしていたのかを。
その時の沖田ですら、今と変わらない想いを胸にしていた。
“どんな自分でありたいか”。
“なにを幸せだと思うか”。
新選組の剣であり続けるためにはどうすればいいか。なにができるか。
それを決めるのは、当人であるという主張。
「そうだよ」
「……」
「君だってそうでしょ」
「―――」
息を呑んだ。
狛神の心がざわざわと逆立つ。
理由には心当たりがあった。
いつか、そうなれたらいいなと子供の頃に思っていたこと。
それでも、見つけたと思えないように、見てみぬふりをし続けていた。
気付いた頃合いが悪かった。間合いが悪かった。
それを選択するには捨てるものが多すぎる。と、今ではない。と、もう一人の自分が言う。
誰にも明かしていない、明かせない、狛神だけの葛藤と秘密。
だが、沖田は疑いようのない真っ直ぐな視線をぶつけてくる。
「妖って、鬼を守るためにあるって聞いた気がするんだけど」
「―――」
「なのに君は薫を止めるべきだと思って、鬼と戦ったんでしょ」
同じだよ。と沖田が目を伏せる。
同じではないのだと狛神が顔を背ける。
沖田 総司という人間は―――複雑にみえて実は単純なのだと理解した。
何を大切にしているのかが決まっている。
新選組の剣であること。
近藤の役に立てる沖田であることに重きを置く。
それが果たせるならば、自らの命すら差し出せる。
狛神の蓋をし続けた現実と感情が、揺れ動き始めていた。
いつかの斎藤のように、ここからは根比べである。
いつまで自分を誤魔化せるのかを、問い続けるだけだ。
「―――沖田、お前はこれからどうするんだ」
心の声を無視して、狛神は視線を沖田から逸らしながら問うた。
沖田は真正面に立ち竦む狛犬の妖を一瞥した後、いつも通りの悪い笑顔を浮かべて空を見上げる。
子供が可愛いいたずらをして、誰かが笑ってくれるのを待っている時のような顔。
「近藤さんたちを追いかけるつもりだよ」
「その状態で行くのか」
「僕のことは僕が一番わかってるよ。君に口を挟まれることじゃない」
「……」
「あれ。理解してくれたんだと思ってたけどな。君が言ったんじゃない。“生き方を決めてるんだね”って」
―――今は体が羅刹として慣れるまで待ってるんだ。
とってつけたような言い訳が、撃剣師範から溢されれば狛神は瞼を落とすだけだった。
狛神が憧れた師である藍人。
藍人が認めた人間である沖田。
妙な縁が連鎖する。
絶界戦争が勃発してもおかしくない状況下、狛神は耳を塞ぎたくなる想いに何度も何度も蓋をし続けた。