61. 説話
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目の前に迫り来る巨大な牙を、間一髪で凌いでいく。
ぎりぎりで携えた剣の持ち手を逆刃にし、腕力で耐えた先。
今度はこちらの番だと柄に力を入れて、弧をなぞるように白刃を回して構える。
爪先から一歩を踏み出すと同時に、妖力を意識して体に爆発的な速度が流れるような印象を描き続ける。
一、二、と時が流れるのを数えながら、今だと思える瞬間に茜凪は駆け出した。
しかし。
『遅い』
「ぐっ……!」
圧倒的な速度で茜凪の反撃を潰しにくる龍神は、行動が読めていたとでも言いたげに告げて来た。
背後から今度は凛が翼を用いて飛びかかってくるが、こちらは視線すら向けられない。
尾っぽで薙ぎ払われた凛を視界に捉えつつも、彼に気をかけていたら茜凪自身の命が危うい。
不安定な地面についた左手に力を込め、飛び上がりながら背後へと後退する。
『まだまだだ』
『妖力を意識しろ』
『感覚で動くな』
『頭のてっぺんから指先、爪先まで毛細血管を辿るように』
『妖力を行き渡らせるのだ』
軽く遇らわれる白狐と天狗が悔しそうな顔つきを隠せないまま、修行の時間はまだまだ続く。
九頭龍との時間が終わる頃。
彼の二人がいかほど成長しているかは本人たち次第だが、この修行が命運を懸けているのはこの場にいる誰もが承知の事実であった。
桜が終わる季節がくる。
散り際に残せるものは何か、桜の花びらたちは考えることはあるのだろうか。
また来年も、その先の百年後も、そこにあり続ける桜たちは季節がくれば変わらずに花びらを咲かせ、散っていくだろう。
繰り返される暦の中で、この樹木だけが見て来た歴史があるはずだ。
同じこと。
表舞台に語られることのない妖同士の戦い。
どんな結果になろうとも、ここにしかない、彼らだけの―――茜凪たちだけの歴史が刻まれる。
その歴史が、悔いのないものになるように。
今はただ、燈紫火を振るうことに躊躇いがなくなるように、修行に打ち込むのであった―――。
第六十一華
説話
慶應四年 卯月。
薄紅の花弁が風に乗りながら、春の風物詩を魅せる。
春霞の里を出て、江戸の町に辿り着いた狛神。
忙しなく日々の営みを繰り返す町民たちは、京や大坂、そして甲府で戦があったとしても侍同士の争いで、町民には関与できぬこと。という雰囲気が醸し出されていた。
もちろん人間の世では常識なことかもしれないが、次の決戦の舞台が江戸になるかもしれないという事実をまだ理解できていないのかもしれない。
徳川将軍である徳川慶喜は既に上野の寛永寺にて謹慎に入っている。朝廷の恭順を示すためだとされているが、旧幕府軍の中でもまだ闘志を燃やしている者たちがいる。
江戸城の元で戦をするのだとしたら、町民もただ事ではないのだ。巻き込まれる恐れしかない。
だが多くの町民が、わかっていながらもどうすることも出来ないというような不安な表情や暗い顔つきを隠せないでいる。
「(まさに時代が大きく動くって感じだな)」
江戸の大通りにある茶店で団子を頬張りながら、狛神は道行く人々を見つめながらそんなことを憂いていた。
相模にある春霞の里を出て、体を労りながら江戸まで辿り着いた狛神。
いつもより時間がかかったとは思うが、二日後には江戸市中へ無事に潜伏することができた。
寝泊まりする旅籠も決め、呑み屋が多く点在する通りにも目をかけ続ければ、なんとなく今の江戸がどういう状況かは掴めたところだ。
町民の噂を聞いた限りでは、妖の羅刹らしき目撃情報は存在しない。
常闇に染まる夜の町に出てみて、羅刹が潜みそうな場所にも気を配ったが妖力も感じられなかった。
つまり江戸付近には、妖の羅刹軍―――詩織や青蛇は出張っていない。
茜凪や凛が修行へ入っている期間での襲撃が恐れの一つではあったが、杞憂に終わりそうでなによりだ。
残りの茶を飲み干し、食べ終えた団子の串を皿に投げ捨てた狛神は腰掛けから立ち上がる。
妖の羅刹情報を集めながらも、もう一つの気掛かり……新選組の行方についても情報を集めていた狛神は改めて、彼らの動きを思い返そうと息を吐く。
本音と建前とはよく言ったもので思わず鼻で笑ってしてしまう。
己自身に向けた嘲笑いは、狛神の心の靄を深く刻みつけていくのだった。
「(降伏する気はねぇのに、やけに旧幕府軍側の人間が静かだと思っていたが)」
狛神が江戸に来てから調べがついた情報はこうだ。
先述した通り新政府軍に投降する気がない旧幕府軍も多い中、江戸の町が鳥羽伏見の戦いの時のように一発触発状態ではないのには訳があった。
結論を告げれば、卯月のこの時点で新選組は江戸には駐在していなかった。
どうやら数日前に下総国 流山へと陣を移していたらしい。
恐らく甲府での戦にて敗走したこともあり、幕府上層部としては戦に消極的なのかもしれない。
それらの理由を土方が察知していないわけもないだろう。
大方、このまま会津へと陣を移して北で戦い続けるのではないかというのが予測だった。
ここまでの情報は、後々茜凪や烏丸と合流した時に告げられるなとは思っていたが、狛神の問題はここからだ。
果たして、沖田 総司が下総国にともに陣を移しているのかどうかだ。
「(変若水で労咳は治らない。刹那的に爆発的な力を発揮できたとしても、根本は解決してねぇはずだ)」
つまり、沖田は未だ江戸のどこかにいるのではないか。
それに懸けてみたいと思う。
無事に甲州勝沼から逃げられたのかどうかすら知り得なかったが、今は以前に狛神が沖田に助けてもらった江戸の外れにある民家を目指して、群衆に紛れて歩き出すことにした。
そんな彼を見つけて、足を止めた男がいる。
「狛神……?」
男とは、原田 左之助のことだった。
新選組 十番組組長として名を連ねた彼だったが、三月上旬。
甲府での敗戦後、新選組を永倉 新八と共に脱退していたのである。
故に下総国ではなく、未だ江戸に留まっていたとしても不自然なことではないのだが。
「おい、狛神!」
反対側の道から、群衆を掻き分けるようにして原田が彼を追いかける。
甲府で助太刀をしてもらったことに礼を告げたいために声をかけたのだが、これは狛神にとっても好機だった。
背後から呼ばれるはずのない場所で名前を呼ばれた為、思わず妖犬が振り返る。
図体のでかい、槍を抱えた男が人を掻き分けて走ってくるのが見えれば、狛神は思わず目を見開いた。
「原田……?」
個人的な絡みは殆どなかったが、新選組の一員である彼がいるのは丁度いい。
と同時に、狛神からしてみれば何故下総国にいないのかが疑問だ。
「よお。無事だったんだな」
「原田、お前もな」
「甲府では世話になった。おかげで助かったぜ」
「そりゃどーも」
斎藤と比べて原田は、狛神からすると接点が少ない。
思えば斎藤だって最初から接点が多かったわけではなく、会う回数が増えたために交友を深められたというのが正解だ。
愛想よく付き合う人付き合いができる性分ではない狛神だったが、大人な対応をしてくれたのは原田だった。
「で、お前はこんなところで何してんだ?」
原田がにこやかに笑みを見せながら尋ねてくれれば、狛神の毒気も抜けてしまう。
背丈もあり、顔つきの整った彼を見上げながら狛神は、目的を正直には話せずにいた。
「茜凪や凛はどうした。一緒じゃないのか」
「あぁ。あいつらなら、詩織に勝つために今は特別な修行中だ」
「そうか……。無事なんだな」
「二人ともな。俺たち側に被害っていう被害はなかったぜ」
茜凪も爛も、そして狛神も重症な部類にはなっていただろうが。
強がり、事実を隠しながら原田に続ける。
「一にもそう伝えてやれよ。茜凪も烏丸のバカも無事だって」
「あ、あぁ……」
原田に斎藤への都合のいい伝言を頼もうとし、そこで歯切れの悪いことに気付いた。
彼がどこか苦笑いをしていることにも。
そして最初の疑問へ思考が戻る。
何故、原田がここにいるのだろうか。
「お前こそ、下総国にいるんじゃないのかよ。噂で新選組の残存兵力は下総国流山に移ったって聞いてたけど」
「あぁ。近藤さんや土方さんは、流山に兵を移したらしいな」
「“らしい”?」
歯切れの悪い答えに、狛神が眼光を鋭くする。
原田は眉を下げながら、事実をありのままに告げてくれた。
「―――……俺と新八は甲州での戦の後、新選組を抜けたんだ」
複雑だが悔いのない顔をしている原田を見つめて、思わず狛神は言葉を失った。
新選組幹部が脱退するなんて考えることもなかったし、情勢が本当に変わってきていることを目の当たりにした瞬間だったかもしれない。
「……そうか」
それ以上、返す言葉がなかった。
ふと、沖田や斎藤、土方のことが狛神の頭に浮かぶ。
彼らはこの先も、劣勢の中で賊軍として戦い続けるのであろうか、と。
それでも自身の信念や望みの為に、剣として死ぬ道があるのだろう。
「斎藤なら土方さんたちと一緒に会津へ向かうはずだぜ」
「……」
「あいつに会うなら、すぐに江戸を発った方がいい。……って、狛神たちの足なら追いかけられるか。お前らの速さは俺たちと違うんだったな」
「いや……俺は、一に会いに来た訳じゃねぇんだ」
思いの外、声が掠れた。
小さく呟いた狛神を見て、原田がそうなのかと動きを止める。
意外だったのは、その先のこと。
「沖田を探してる」
「総司を?」
原田が沖田の姿について思い出す。
羅刹になった、新選組の撃剣師範。
剣の術に秀でて、斎藤と並ぶ最強の剣士。
病に倒れ、今は親愛する近藤とも行動を共にできなくなった男を……狛神が気にかけているという。
思い当たる理由はひとつ。
沖田が変若水を飲んだ際、唯一側にいたのが狛神だということを思い出す。
「総司も無事だ。江戸に戻ってきてる」
「……、下総国にいるのか?」
「いや、千駄ヶ谷で松本先生に診てもらってるはずだ」
「行軍は羅刹になっても無理だったわけか」
「まぁ、病は変若水で治らないからな……」
原田も遠くに視線を流す中、狛神は図らずも沖田がいる場所を知ることができた。
向かう先が明確になったことで、原田に別れを告げて千駄ヶ谷へ向かうと決める。
「情報どーも。それじゃ」
「千駄ヶ谷に行くのか?」
「さぁな」
背を向けて歩き出した狛神に、原田は僅かに迷うことがあった。
千駄ヶ谷のどこにいるのか、案内をしてもいいと思えたからだ。
しかし離隊をした手前、沖田に合わせる顔が浮かばなかったこと。
それから夜には別で会合の約束をしていたからだ。
「狛神!」
「なんだよ」
「総司のところまで案内してやろうか?」
それでも声をかけたのは、狛神が沖田に対して後悔を残してほしくないと思ったからだ。
あの時こうしてればよかった。と、悔いが残らないように。
最大限の手助けをするべきだと原田は考え、そのうえでの発言だった。
だがしかし、狛神が好意を受け取るかはまた別の話。
正直なところ、断られるだろうと思ってもいた。
どこにいて、とりあえず無事だと知れたのであればいいくらいの温度感かもしれない。
はたまた、原田と共に行くのを嫌がるかもしれない。
狛神の人となりは原田とて見てきている。
素直でなく天邪鬼な性分の彼が、原田の言葉をどう受け取るか。
そして予想は大きく裏切られた。
「―――……お前さえよければ頼めるか」
「!」
素直に案内を依頼してきたのだ。
さらに続く言葉がある。
「ここで会わなきゃ、悔いが残る」
果たしてそれは、ただの行き当たりばったりでの縁だったのだろうか。
沖田が羅刹になったとき、たまたま狛神がいたから生まれた縁なのか。
それとも、知らぬ間に交わした絆があったのではないだろうか。
どちらかといえば後者なのではないかと……原田は信じることにした。
「わかった」
狛神の肩をぽん!と叩き、歩幅を揃えて歩き出す。
千駄ヶ谷にいる沖田のもとへと、二人はぽつぽつと会話をしながら道中を共にするのであった―――。