60. 壮途
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目下で繰り広げられた光景。
最中、鈍器で頭を殴られるような強い衝撃が脳内に加わる。
赤楝を丸呑みにし、千与すら取り込んでしまった一匹の蛇。
大きく蟠を巻くほどの巨体。
動物としての蛇ではなく、妖として蛇の眷属だと思わせる姿。
その者が、人型へと姿を変えていく。
赤楝や千与を呑み込んだとは思えないほど痩身な姿に身を変えれば、当時の環那も傍観者である爛も言葉に詰まってしまう。
爛へ及ぼした衝撃はそれだけではない。
蛇が自身のことを口にした際、こう名乗ったのだ。
「“青蛇”とな」
―――青白い肌。一重の鋭い双眸。
羅刹とは違う、銀の流れるような髪。
首には模様が入っているが、刺青なのか体質なのかは見て取れない。
不気味な男は、あの戦場に現れて爛の目の前で赤楝の姿に成った例の男だ。
これが真相なのだとしたら。
信じられないが、辻褄が合うべきことがいくつもある。
考えれば考えるほど、頭痛がする気がした。
爛が眉間に皺をよせ、こめかみを抑え始めればキーンと甲高い音が脳内に響き始めた。
ここで悟る。
あぁ、もうすぐ終わりがきてしまう。
環那が伝えたかったことを考えながら―――爛の意識は衰退していくのであった……。
第六十華
壮途
―――次に呼吸を思いっきりした時。
爛は目を思いっきりカッ開いて脳を叩き起こした。
動転した気を落ち着かせるように辺りを見回せば、慶応四年の三月に庵を訪れた時のままである。
変わった点としては、爛が床に寝転んで吹き抜けてしまっている屋根を見つめて倒れていたことくらいだ。
「い、今のって……」
体も心も、記憶も経験も。
赤楝や環那が死んでから積み上げてきたものも感じられる。
つまり過去へと爛が戻ったわけではなさそうで、不可思議な体験をしたのだということだけが残されていた。
「環那……」
今見てきたことが本当ならば。
環那は赤楝の秘密を最期の最後まで一人で守り通したことになる。
鬼を殺したのがただの人ではなく、人の血と、妖界を混沌とした時代へ導こうとしているはぐれ者―――蛇の血を継いだ者だったなんて語り継がれたくなかったんだ。
そして恐らく、環那は赤楝のことを考えたはずだ。
丸呑みされた彼の死体は残されていない。
概念だと自称する青蛇に“取り込まれた”のだとすれば―――赤楝だけを救い出せるのではないか、と。
さらに爛は考えた。
見せられた過去の光景の中には、どうして環那が詩織を逃したのかという明確な理由は語られなかったことにも理由があるのではないか。と。
思い出してみれば、環那と詩織の間にも何か縁があると疑った茜凪の言葉が浮かぶ。
赤楝を救う方法に、詩織が一枚噛んでいる可能性があるのではなかろうか。
思案する爛は、床に座り込んだ状態でしばらく動くことができなかった。
陽は更に傾きを見せており、爛がここへ来た頃よりかなりの時間が経過したことを教えてくれている。
思考を巡らせる中、体制を変えようと背後に右手を置き、体重をかけた時だった。
バキンッ!と盛大な音を立て、奥の床が抜けてしまった。
右腕もつられて床下へ迎え入れられ、爛は再び体を横にすることになってしまう。
「んなっ!?」
ささくれた床に頬をぶつければ、痛みと摩擦でひりついた。
小言を口にしながら床下から手を抜こうとした折。
爛は指先に人工的に作られた何かが触れたことに気付いたのだった。
「なんだ……?」
片手で取れるそれは、触感からするに竹で編まれた小箱だった。
ゆっくりと床下から引き上げて、小箱の蓋を撫でてみる。
永い年月のおかげで砂埃を被ってはいたが、中身に影響はなさそうだ。
ゆっくりと左右に動かしながら蓋を取り、出てきたものを見てみた。
「手記か?」
丁寧に紙縒で綴られたそれは、持ち主が繊細で物を大切にする人だったと語る。
ふと、赤楝の部屋で大昔に同じような手記を見つけたことがあったなと爛は思い出してみた。
綴り方が全く同じだと思う。
もしかして、と思いながら頁をめくってみると―――
「これ……」
記されている内容は、この庵にいた千与の手記であろうということがわかる。
それは庵に来てからではなく、どうやら朧の里を飛び出して各地を旅していた頃から残されたもののようであった。
内容は至って女性らしく、人間の男へ想いを寄せて里を飛び出したこと。
里の外の世界は初めてで、目新しいものばかりで毎日心が躍るということ。
道中の花々や風景、関わった人々との出来事について語られており、千与が生前どれだけ明るい人物だったのかを彷彿させる。
悪いと思いながらも、なにか活かせる情報がないかと探る中。
頁を読み進めていくと、とある頃から出雲国で長期に渡って滞在し過ごしていたことがわかった。
たびたび旅籠の女将さんらしき“おふね”という名前が記されて、親切にしてもらっていたことが伺える。
年は千与よりも若く、女将さんというより中居で見習いだったようだ。
中居見習いと日常的なやり取りが記される中、爛はもう一頁と読み進めることにした。
その時だ。
不自然に頁が終わっていることに気付いた。
「……変な終わり方、だよな」
どう考えても続きがありそうな話の途中。
ここまで数年に渡り几帳面に書き出された文字たちが、中途半端に終わるのは持ち主の性分にあっていない気がした。
「出雲国か……」
赤楝と千与を探していた日々を思い出す。
確かあの時、一番最後に二人で千与を探しに行った地が出雲国だったはずだ。
あそこで赤楝は何かに触れ、おかしくなったのだろうと予測ができる。
蕎麦屋で食事を済ませた爛が、赤楝から目を離し、団子を買って戻ってきたら彼がいなかったことがある。
見つけた時には血痕が着物についており、なにかがあったのは明白であるのに―――爛は事の経緯を聞くことができなかった。
『信じているよ』
そう呟き続けた赤楝は、既にあの時壊れていたのかもしれない。
そして手記に残った最後の頁も、また出雲国にて綴られたものである。
爛からすればいい思い出とは言えないものが残るあの地へ赴くのも久々だ。
きっかけは十分にあり、動き出すのが遅すぎたと後悔しながら―――爛は手記を懐に仕舞い込んだ。
「千与さん、ちょっとの間貸してくれ」
誰もいない庵に向かって、爛は小さく零す。
環那との邂逅があり、千与の手記が手に入り―――来た時に感じた不気味さは、いつしか爛の背中を押すものへと変わっていた気がする。
彼を待っていた。とでも言いたげな空気は、いつまでもそこにあり続けた。
「出雲国で、千与さんと親しかったとされる“おふね”……この人に会えれば手記の続きか、千与さんが里へ戻るまでの経緯が分かるかもしれないな」
敵方である青蛇。
青蛇が取り込んだ赤楝。
その赤楝を倒すにしても、救うにしても、千与を知ることで赤楝がどう変化してきたのかがわかれば突破口が見えるはずだ。
青蛇の中に支配された、羅刹の赤楝がいるのなら―――千与についての情報は或いは弱点になるかもしれない。
「よし」
気合いを入れて、爛は庵を後にする。
目指すべきは―――出雲国へ。
爛は一度振り返った後、鬼が棲んでいた森から西に向けて飛び立つのであった。