59. 真相
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「貴方の目に映る私は、何者に見えていますか……―――?」
「……」
「私は、化物ですか……―――?」
第五十九華
真相
朧と春霞の里の森の間に、鬼が棲んでいたとされる庵がある。
そこは千与と赤楝が死んだとされる場所であり、数十年の時が経ったあとも血の跡が残り惨状を物語る場所へと化していた。
その庵を訪れた爛は今、不可思議な体験をしている。
残された環那の思念というべきか。
彼の「待っていた」という一言に導かれ、爛は千与と赤楝が死んだとされる日の光景を目の当たりにしていたのだ。
透けた体を持つ爛は、当時起きていた事態に手出しをすることはできない。
ただ見ているだけという傍観者でありながらも、目前で繰り広げられるものは胸を苦しめるには十分だった。
「赤楝……」
赫灼をどこに忘れて来たのか。
そう問いたくなるほど、濁った赤。
髪は白髪となり、姿形は赤楝だとわかるが―――彼らしさが失われた出立ち。
死んだとされる彼が、何故再び立ち上がって来たのだろうか。
眉間の皺を深めて思案する環那に対し、過去を見つめることになった爛は赤楝が成った姿について当時の環那よりも知識を得ていた。
赤い目に白髪の姿。
これは―――羅刹である。
「環那……。どうして千与様が里に戻られていることを教えてくれなかったんだ」
「……」
「環那なら……私が誰を探しているのかも、どこの鬼であるのかも知っていたんじゃないのか……?そして私に隠さなければならないことがあったから、彼女の帰還を黙っていたのですよね」
ゆっくりではあるが、確かに環那を責め立てるように告げている。
赤楝から紡ぎ出される声を受け止めながら、環那は冷や汗を浮かべていた。
腕を横に出し、朧の名を持つ鬼たちを含めて誰一人、赤楝に近付かないように工夫を続けた。
「そうだとしたら酷いじゃないか、環那」
定まっていなかった視線が、吐き出した暴言と共に一点を見つめる。
血溜まりができている床を見ながら、赤楝がだんだんとしっかりとした、でも底冷えするような声音で続けた。
「ずっと私の傍にいて、都合の良いことばかりを口にして、真実を隠して」
「隠していたつもりはない。今はまだ会わせる時期ではないと判断していた」
「時期じゃない?」
早まる鼓動とは対比して、眼に見える環那は至って冷静だった。
内心の焦りを見せないように心がけながら、環那は白髪で赤い目をした赤楝に正し続ける。
「里に戻られた千与様の状態は芳しくなかった。対して赤楝、君も自身を責め続けていただろう」
「……」
「心傷により声すら失った千与様と再会した君が、さらに君を責めて―――壊れてしまうことを僕は恐れていた」
―――結果、最悪の形での再会を果たしてしまったわけだ。と環那は自嘲する。
千与の回復を待っていたこともあるが、どちらかと言えば赤楝の心が強くなることを待っていたのが大半を占めていた。
全てを伝えることが優しさであるとは、環那はどうしても思えなかった。
「どちらも変わらない。こうして千与様は失われ、私は私を失うのだから」
「君はまだ自分を失っていない」
「本当にそう思うか?私は今、生まれてこの方で一番気分が良いと言っても過言ではない」
ひたり。
ひたり。
滴っていたはずの血が止まる。
心臓を突き刺しているように見えた刀傷が、ここでようやく僅かにずれていたことを悟った。
そして―――心臓近くの傷と、赤楝の喉の傷が癒えていることも。
「今まで感じていた痛みも、心の重みも、自己否定の気持ちも消え失せた……。今の私は、前の私ではない。前よりも強くなった。力を手に入れた。本物の妖になった」
「“本物の妖になった”……?」
人でもなく、妖でもない。
不純物を含んだ生き物は、その場を一歩―――踏み出した。
たちまち時を待っていたかのように、地から黒光りする鱗が螺旋を巻きながら赤楝を囲い込む。
黒の中に赤が混ざる。
反射してきらきらと鈍い輝きを増すそれに、環那はついに燈紫火の柄に触れた。
「下がれッッ!」
庵の中にいた鬼や妖狐に向けて環那が叫ぶ。
同時に屋根や壁の一部が吹き飛ぶ程の風圧がかかり、朧の者も春霞の者も小川の方角や森の中に弾き出されてしまう。
「八千代様!」
「長、こちらへ!」
風圧を乗り越えた鬼たちが八千代を守るように距離を取り始めてくれる。
燈紫火の鞘を構えて風を耐え切った環那は、本当の意味で旧友と一対一で向かい合う。
「見てくれよ、環那。この力、この肉体……。私がずっと望んでいたものだ」
「赤楝、一体なにを……っ」
螺旋を巻いていた鱗はついに意志を持ったように、伸縮を繰り返すようになる。
中心はいつでも赤楝そのものであり、この異形を環那も初めて目の当たりにした。
「妖力とはどんなものなのか……今の私ならわかる。体の隅々まで満ち溢れ、すべての源になるもの……こんなに快感を与えてくれるものだとは思わなかった」
「……」
「痛みも感じない。苦しみも、悲しみも……。あれほど千与様のことを思えば胸が張り裂けて死んでしまいそうだったのに、今は何も感じない。これが……これが、妖……」
「痛みも苦しみも感じないなんて、そんなこと―――」
―――ちがう。そんなものは、妖ではない。
妖という生き物にも慈しみもあり、怨みの念で強さを増すのだとしても苦しみや悲しみを感じる心はある。
それらを理解するからこそ、他者へ優しさを向けられる。
人間も鬼も、妖も変わらないはずだ。
しかし、環那の言葉を視線で否定したのは他の誰でもない赤楝だった。
「じゃあなんだと言うんだ」
血の涙を流していた赤楝はもうここにはいない。
赤黒い鱗を纏った―――
「私は、化物ですか」
―――環那は唇を強く結ぶ。
赤楝の瞳の奥の輝きが失われているのは、一目瞭然。
今、目の前にいる男は心優しき妖力が極小しか感じられなかった、あの赤楝ではない。
覚悟を決めなければならないと悟った。
「―――……」
両の手で体の前に盾のように構えていた燈紫火を右手に持ち変える。
左手で柄を握り、静かに走らせながら環那は泣き叫ぶ心と決別した。
「あぁ。そうだね、赤楝」
白刃が抜刀される。
直刃の波紋が一瞬煌びやかに泣く。
環那の心情を表しているような、鈍い輝きだった。
「君は化物だ」
―――妖すら凌駕するほどの恐ろしさを手に入れてしまった。
大切なものを斬り捨てて、心を失い、そうまでもして手に入れたかったものが力であるという。
その有り様、もはや人でも妖でも在らず。
「千与様は私を捨てたのだ」
「……」
「私がどれほどに傷めつけられようとも、あの人間の男のものになることを選んだ」
「……」
「私はそれが許せなかった……でも力がないから切り捨てられたのだと思って自責していた……だが気付いたんだよ。こうして力を手にして彼女のもとに戻ったとき、私の心に浮かんだものは―――更なる力への渇望だった」
「それが千与様を殺した理由だというのか」
「そうさ。親切な者が私に力を与え、教えてくれたんだ」
この間が最後の掛け合いになるだろうと環那は予測する。
互いに構えをとり終えた。
なにかきっかけが与えられれば、両名力を駆使して庵の中でぶつかり合う。
たとえ長年の時を共に生きて来た友だとしても、環那は鬼を守る春霞の名の下―――退かぬ戦いになるのもわかっていた。
「鬼の血を体に取り込めば私は本物の妖になれる、と」
「……」
「そうして手に入れた。この姿、この力―――私は、本物に……ッ!」
互いに地面を蹴り上げて、狭い庵の中で力を行使する。
青い刃と赤黒い鱗の結晶体が交わった―――と思える刹那だった。
『ゴクロウサマ、カガチ』