56. 送還

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―――時は僅かに遡り、慶応四年 三月上旬。
江戸市中にて。


甲州勝沼にて起きた戦より撤退し、無事に江戸へと逃げ延びることができた新選組。
主だった面々は道中、妖との乱戦に巻き込まれながらもなんとか退路を繋ぎ止めることができたのだった。


江戸へ辿り着いた後、旗本屋敷に身を寄せた新選組は近藤局長が不在の中、先の戦について省みていた。
土方の部屋に集められたのは、斎藤、原田、永倉。
羅刹隊士として江戸にて留守を任されていた平助、山南。
そして土方の小姓である千鶴だった。



「昼間でも動ける羅刹が……」


「あぁ。先の戦で投入された羅刹は妖の羅刹も含めて、日の光に怯えず弱ることのない羅刹が殆どだった」



土方から告げられた言葉に、戦場にいなかった山南が驚愕の表情をみせる。
平助は隣にいる山南を険しい表情で見つめながらも、土方から告げられる言葉に耳を傾ける。



「新政府軍の羅刹がどこの藩のものか調べる必要はあるが、恐らく綱道さんの研究していた変若水だろう」


「……」


「千鶴……」



土方の言葉に、顔を上げられなくなった千鶴に原田が声をかけてやる。
彼女から言葉が返ることはなかったが、誰もが心配していた。



「それから改めてお前らに伝えておくべきことがある」



淡々と甲府で起きたことを告げる土方が、一度区切りをつけた。
全員の顔を見渡しながら、報告を受けた件について―――口にした。



「総司が羅刹となった」


「なっ……―――」


「沖田さんが……!」



初耳だったのは山南や平助、千鶴を始めとしたあの場にいなかった者たち。
思わず息を詰まらせてしまう。
土方も畳へと視線を落としたまま、どこか寂しげな声で続きを述べた。



「一時的に動ける体にはなったが、変若水で病は治らねぇ。今は千駄ヶ谷で松本先生に診てもらってるが今後総司は羅刹隊として復帰させる予定はない」


「それはどういうことですか、土方君。沖田君が羅刹として復帰してくれれば戦況も―――」


「これは決定事項だ。諦めてくれ、山南さん」



告げられたものは、羅刹となり得たとしても沖田の病が彼を蝕んでおり、剣をとり続けられる状態ではないことを示している。
土方と山南の口論が続く中、斎藤は沖田の姿を思い返していた。
羅刹となった彼の者を。



「(総司……)」



斎藤にとっての沖田は、何者にも代え難い好敵手だ。
自他ともに認めているだけあり、沖田の離脱決定は心に隙間風を吹かせた。



「それから、もうひとつ伝えておくべきことがある」



山南の話を無理やり押し留め、斎藤を現実に戻させたのは土方の一言だった。
彼が再び幹部の顔を見渡し、並ぶ顔ぶれの中で平助と視線を絡める。



「羅刹の爆発的な能力向上は自身の寿命が源になっており、命を前借りにしている。これは烏丸から聞いた情報でお前らも記憶にあるだろう」



最後に不服そうに瞼を落としていた山南に向き直し、ひとつ頷いて見せた。
山南は土方と視線をぶつけた後、小さく息を吐き出して―――懐から四つの小瓶を取り出す。



「これが最後の変若水です」



並べられた小瓶を見て、その場に居合わせた幹部たちが目を見開く。
平助は―――自身が羅刹であることもあり―――なにも言い出せなかったが、人間である彼らは各々で反応を変えていた。



「どういうつもりだ」


「……」


「まさか俺たちにも飲めって言うんじゃないだろうな」



山南の行動の意図を理解すべく、噛み付いたのは永倉だった。
斎藤は不気味に光る小瓶の中を見つめながら、目を細めるだけ。
原田も同じく、最後まで山南の話を聞こうと思ったようだ。



「鳥羽伏見、そして甲府での戦、どちらの結果を考えても、このまま戦が続けば我々が無事でいられる保証はありません。もしその時“まだ死ねない”と思ったのならば―――これを使ってください」



己の寿命を前借りし、命を燃やして恐ろしい力を手にする。
瀕死の傷を負った時や命を懸ける場面にそぐわない時、この力を手にすることができれば九死に一生を得るだろう。
しかし、寿命が尽きれば灰となり生きた証も残らずに消えていく―――。


それが変若水を飲んだ者、羅刹の末路だ。
彼らはもう何度かそれを目にしている。



「ふざけんな……」



小さく吐き捨てた永倉は、怒りに震えていた拳を握り直す。


鳥羽伏見の戦い。
甲州勝沼での戦い。
どちらも芳しい結果に終わらず、失った仲間の数も多い。
これからも戦は続く。
新選組として、隊士が少なくなってしまうのは避けられない。
それ以上に、志半ばで死ぬことを悔いるのであれば―――。
山南の提案は甘い誘いにも聞こえてしまう。


しかし永倉は違った。
握り直した拳で、右手側に置いてあった刀を持ち、我慢ならない様子できっぱりと言い切る。



「俺はいらねぇ。もし、なんかあっても死ぬ覚悟はできてるッ」



そのまま土方の部屋から出ていき、冷たく障子戸を閉じていった。
彼の後ろ背は、既に新選組から心が離れているようにも見える。
近藤とのわだかまりはもちろん、今の隊のあり方や彼自身の生き方が大きく影響しているのではないかと思えた。


永倉が出ていってしまったことにより、土方は心に留めていた思いを吐露した。



「この薬の研究を幕府から受けたことに、お前たちは責任を感じることはない。この責任は、俺や近藤さんを始めとする当時の局長と副長にある」


行燈に揺れる赤い液体。
陰りの奥から不気味な存在がこちらへ手招きしているように見える。


思い出す。
昨年末、茜凪から問われた言葉があったと。

【 どうしても力が必要な場面で、譲れないものと天秤をかけた時……はじめくんは変若水を飲みますか? 】

あの頃の答えと、今、斎藤が胸中に抱える答え。
変わりないかを自身に問い、そして導き出す。



「承知しました」



―――答えは、あの頃から変わらなかった。
新選組の剣であるために、必要であれば変若水は飲む。
そしてあの時以上に、この選択への覚悟は強くなっていた気がする。



「ですが、関わったのは事実。己のけじめは己でつけます」



斎藤は居住まいを正して立ち上がり、右手で並べられた小瓶を受け取る。
図らずも変若水を手に入れることになったことで、羅刹になるのは時間の問題ではないか。と予測ができてしまう。


斎藤に続いて声をあげたのは―――



「男には責任ってもんがあるよな。だが、飲むか飲まないかは自分で決めさせてもらうぜ」



意外にも原田だった。
永倉と似た思想の持ち主なのではないかと誰もが思っていたが、懐に変若水を仕舞い込んでから永倉の後を追いかけて行った。


そんな戦友の姿を、なんとも言えない感情を抱えて平助が見守る。
複雑な思いが顔に出るのを止められない。
こう考えてしまうのは、既に羅刹に堕ちた身であるからだろうか……。





―――この後、新選組は更に大きな時代の渦に呑み込まれることになる。
千駄ヶ谷に沖田を残したまま江戸を旅立ち、下総流山へ向かうことになるまで半月を切っていた。





第五十六華
送還








慶応四年 三月下旬。
甲府での戦いに参戦した後、箱根にある朧と春霞の跡地に戻ってきてから約半月の月日が流れていた。


重丸が昨日の明朝に意識を取り戻したことにより、ついに各々が目的を果たすために動き出そうと備えを始めた頃のこと。



茜凪ねぇちゃん、おる?」



茜凪は妖力の扱いを独自に修行しようと、縁側にて座禅に取り組んでいた。
集中力を高め、精神統一をすることで己が持つ妖力の理解が及ぶのではないかと考えた結果だった。


雪平への九頭龍の修行を再度依頼しようと考えたのだが、あれだけ頑固に拒否されるのだ。
一旦間を置こう。と、まずは自身にできることに取り組み、集中力が切れたら彼のもとへ訪れようと決めていた。


古ぼけた、争いに巻き込まれた家屋。
夕陽に伸びる影。
なんとか部屋という部屋の形状を維持している一角の縁側は、今は茜凪のお気に入りの場所となっていた。


そんな彼女のもとへ、屋内から呼びかけがかかった。
声の主からするに、重丸だろう。



「ここにいます。どうぞ」



居住まいを正してから迎え入れてやれば、数日前まで眠り続けていた少年の姿が目に入る。
幸いなことに怪我もなく、精神的な心配は未だあるが今のところ元気そうだ。



「なにしてはったん?」



「集中力を高めるために、座禅を。重丸くんも一緒にやります?」



「えぇ、難しそやな……」



特に用があって来たわけではなく、茜凪に会いたいから来たという表現が合いそうだ。
詩織から与えられた不安や恐怖を拭うべく、茜凪は彼が望むままに時間の共有を行うことにしていた。
縁側の隣に座り込んだ彼は、どこからか舞い込んだ桜の花びらをいじりながら言葉を続ける。



「今日はちょっと温かいな」


「そうですね。桜ももうすぐ見頃ですよ、きっと」


「京は今頃お花見日和やろなぁ……。菖蒲ねぇちゃんの弁当もって、みんなで出かけたら楽しいやろな!」


「紅葉狩りはしましたが、お花見はしたことなかったですもんね。今度一緒に見にいきましょう」


「ほんと!? おら、お花見やったことないんよ! 絶対楽しいに決まっとる!」


「ふふっ、じゃあ菖蒲に美味しいお弁当を拵えてもらわなければ。お稲荷さんは外せませんね」


「おら、甘い玉子焼き入れてほしい!」


「それだと烏丸と喧嘩になりそうですね。彼、玉子焼きはだし派ですから」



正座した茜凪の隣で、足をぶらぶら動かしたままの重丸が笑う。
子供らしい安らいだ笑顔が失われなかったことに安堵しつつ、年相応に甘えて寄りかかってきた彼を受け入れる。
ゆっくり頭を撫でながら、いつもよりも距離が近い幼い彼の心情を茜凪は理解していた。


日差しが少しずつ温かくなってきた。
もう少しで卯月がくる。
重丸が京から攫われて、おおよそ一月と半月が経過していた。



「そしたら、凛にいちゃんの分とおらの分、どっちも作ってもらうようにお願いする」


「重丸くんからの頼みなら、菖蒲も喜んで作ってくれますよ」


「水無月さんは何が好きかな?」


「なんでも食べてる印象ですが、やはり胡瓜でしょうか……」


「河童やから?」


「そうですね。きんきんに冷えた胡瓜は彼の好物ですよ」


「ふーん。狛神のにいちゃんは?」


「狛神こそあまり好き嫌いを聞きませんね……。うーん……」



会話を続けながら、重丸が茜凪の肩に寄りかかる。
その他愛のない話題すらも、昨年とは変わりつつあり、人の境界線を超えた妖について触れているものとなる。
少年に打ち明けた、彼自身の正体について―――重丸は受け入れ始めていた。
良くも悪くも幼さを残しているからか、抵抗という抵抗を感じさせることなく重丸は半妖として自覚を持ちながら過ごし始めている。



「狛神はお酒があれば文句は言わないと思います。だからお弁当のおかずで彼とは口論にはなりませんよ」


「うん……」


「どちらかといえば菖蒲ですね。彼女こそ意外と食い意地が張っているので、重丸くんが好きな甘い玉子焼きは取り合いになるかもしれません」


「……うん」


「私は大丈夫ですよ、重丸くんの玉子焼きは食べません。烏丸のだし巻き玉子をいただきますから」


「……」



足の揺らめきも止まり、視線は倒壊した家屋の柱や煤けた障子戸が転がる庭先へと落ちるばかり。
だんだんと元気だった声も萎み始めてしまう。
重丸が元気を失くしている―――もとより不安に駆られている理由を、茜凪は知っていた。
その理由はただひとつ。
今夜、重丸は水無月、そして子春と愛宕に連れられて京への帰路につくのだ。
故に茜凪や烏丸、狛神とはここで一旦別れとなる。


重丸の中での安全な拠り所は、茜凪か斎藤、そして烏丸だと認定されているらしい。
彼が不安に駆られているのは、茜凪たちとの別れがもうすぐだからだ。
もう少し春霞に留まることも考えたのだが、彼の母親であるちかのことを思えばこそ、息子の無事をいち早く知らせてやるべきだと誰もが思った結果だ。



「ねぇちゃん……また、会えるよね」



重丸がついに真正面から腕を伸ばしてくるので、茜凪は優しく抱擁してやった。
頭を撫で、腕で包み込みながら耳元で告げる。


藍人が茜凪にしてくれたように、温かみと希望を与え続けた。



「会えますよ、必ず。約束したじゃありませんか」


「……」


「簪、預かっててくれるのでしょう?」


「……うん」



重丸を抱きしめれば、胸元に硬い何かがあることがわかる。
それが茜凪が託した紅の簪であるのは容易に予想できた。
彼が肌身離さず、大切に保管し続けてくれるのだと願い続けた。



「おらな、はじめ兄ちゃんにまだ謝っとらん……」


「でしたら簪を返却してもらう時に、はじめくんとも再会しなきゃですね」


「うん……。はじめ兄ちゃんも無事でおるよね……?」


「はい」



最後の肯定は、茜凪も自身に言い聞かせ続けていた。
茜凪と斎藤の約束。
重丸と茜凪の約束。
茜凪と烏丸の約束。
いくつもの願いが託され合い、絡まりながら希望を生み続けると信じている。



「重丸くんも知っての通り、はじめくんは強いですから」


「そうやよな。おら、知っとる」



茜凪の言葉に少し安心したのか、重丸がもぞもぞと動き出す。
腕を退けるように距離を作られれば、次に少年が発した言葉は茜凪にとって感慨深かった。



「じゃあさ、爛さんは……?」


「え?」



真っ黒な瞳に見つめられながら聞き届けた言葉。
重丸から初めて口にされる、烏丸の兄の名前に茜凪は息を呑む。
人知れず、彼を守り続けていた爛の心が―――救われた気がした。



「爛さんも……強い?」


「……」


「無事に帰ってきてくれる?」



茜凪と同じく、爛も次の戦場に乗り込むことを子供ながらに悟っているのだろう。
重丸を京まで送り届ける中に、長年守り続けてくれた爛の名前がなかったことが彼は気になっているようだ。



「―――爛は、私や烏丸より強いですから安心してください」


「そうなん?」


「はい。それに重丸くんが爛の帰りを待ってるって言ったら、きっと爛は飛んで帰ってきますよ」


「……?」


「貴方は、爛や私の希望ですから」



重丸には、“希望”の意味が伝わらなかったらしい。
小首をかしげるだけでの少年に、茜凪は小さく笑った。



「重丸くん」



一時の安らぎとも言える時間が終わるのは実に早い。
茜凪と重丸の会話に割って入った男の声がする。
二人で振り返れば、奥から水無月の姿が現れた。
河童の彼だけかと思えば、連れ立ってやってきたのは意外にも―――茜凪に会いたくないだろうなと思っていた―――雪平だった。



「水無月さん……」


「重丸くん、そろそろ陽が沈みます。軽く食事を済ませたら、京へ経ちますよ」



水無月が重丸に告げれば、暗に準備に取り掛かるように促しに来たのだと悟る。
こくりと頷きをひとつ残し、重丸はもう一度茜凪に抱擁を求めた。
恐怖心からすっかり甘えん坊になった彼を受け止めて、背中を数回さすってやる。
ぽんぽん、と動作をつけてやれば彼も覚悟を決めたようだ。



「行ってくる」


「はい」



準備を始めるために、部屋を出ていく重丸の背中を見送った。
水無月に視線で彼を託せば、河童の妖はそれは妖艶に同意を示してくれる。
日差しの傾き具合が相まって、美しさが増すなと思いながら茜凪はそれ以上、言葉をかけることはしなかった。


再び居住まいを正し、座禅に集中しようと縁側へ向き直した時だ。



「聞き及んでいた以上に親密で驚きました」



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