54. 仮説
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慶応四年 三月中旬。
―――箱根連邦付近にて。
夕暮れの中、赤に染まる背景と海面の揺らめきを見つめながら佇んでいる者がいた。
艶のある黒髪に青みがかった黒い瞳。
一見男性に見える姿だが、よく見れば女性ともとれる出立ち。
それは甲府戦にて国境周辺で土方の手助けをした―――北見 旭の姿であった。
「怨み晴らせぬ 関ヶ原」
近くに春霞の里があるのは重々承知しており、そこに今どんな面子が揃っているのかも理解している。
が、旭は生傷と砂埃で汚れたの姿のまま春霞に休息地を求めようとすることもなかった。
どうしても、妖界きっての戦士である彼らの輪に入ることは抵抗があった。
「絶世の戦は赤き蛇」
ぽつり、ぽつりと口にされる言葉。
それはあの手毬唄。
「狐は化身を喰うなれど 鬼とてこれを語り継がん」
切ない声に乗る想い。
それは旭の心が未だに絶界戦争の終結から動き出していないことを表している。
時は流れる。
その流れに乗れず、ただ生を過ごすのみ。
旭は無情な時間の中で、それでも成すべきことを探し続けていた。
「春霞 茜凪……」
胸元にしまった、環那が妹にあげるはずだった鏡へ手をやる。
ひび割れたそれは使い物にならないだろうが、未だ捨てられずに、そして本当の持ち主へも渡せずにいた……―――。
第五十四華
仮説
同じ刻。
数十日ぶりに意識が覚醒した狛神は、誰もいない部屋で障子戸の先。
夕暮れの空を見上げていた。
「……」
体の調子は大分よくなった。
快癒とはいかないが、すぐに戦えと言われれば余程の無茶振りがない限り、大丈夫だろう。
胸に残った傷跡を撫でながら、記憶の最後の欠片を思い出す。
【 どんな自分でありたいか 】
「……」
【本当、その通りだよ】
【変若水で労咳は治らない! 人間であるお前は吸血衝動に苦しみ血に狂う! どちらにしたって死に損ない確定だ!】
【労咳が治らないとか、血に狂うとか、そんなことどうでもいいよ】
【誰かに守られる僕だなんて、真っ平御免だからね】
「沖田……―――」
茜凪からの依頼で行動を共にしていた狛神と沖田。
人であり、労咳を患っている沖田が、南雲 薫に対抗するために変若水を飲み―――羅刹となった。
白髪の髪、血に飢えた赤い瞳。
鬼神の如き強さを持って、本物の鬼へ挑むまがいものの鬼。
まさか、彼が羅刹になる場面を目の当たりにするなんて思わなかった。
驚きと信じ難い光景。
そして大きな無力感。
妖として側にいたのに、沖田を守ることができなかったという思いだけが狛神の胸を占めていた。
結果だけを見れば、沖田は生きている。
羅刹になったとしても、彼は死んだわけではない。
狛神は沖田を生かすことができたといえるのだが、結果に納得いっていないのだ。
「狛神……!」
廊下から足音がバタバタと響き、名前を呼ばれている。
誰かが処置室を訪ねてくるのがわかれば、狛神は沖田への思考を振り払い、表情を引き締めた。
「狛神!」
「うっせーな、そう遠くから何度も呼ぶなよ」
荒々しく開けられた襖戸。
現れた茜凪、その後ろに雪平と烏丸の姿。
茜凪が顔色を変えて、心底心配そうにしているのが意外だ。
そこまで心配されるほどだったか?と狛神は首を傾げる。
「傷は……っ、意識が混濁したり、気分が悪かったりしませんか?」
「平気だ」
「胸の傷は……ッ」
畳にそのままの勢いでへたれ込み、茜凪は半身起こした狛神と目線を合わせた。
そこで焦っているような、申し訳なさそうな感情を見せている彼女の心境が読み取れた。
「まぁ……なんとか塞がりはしたぜ。まだ疼くが」
「よかった……」
―――茜凪は自身が狛神に沖田を追うように告げたことで、彼が重傷を負うに至った起因があると考えているのだ。
だから申し訳なさを感じていたのかもしれない。
「痕が……」
鎖骨下から伸びる痕を見ながら茜凪が思わず口にした。
申し訳なさは受け取ろう。
しかし、狛神としては謝られるのも癪だった。
沖田を追うと決めたのも、茜凪からの依頼を受けたのも、狛神自身の判断。
詫びを入れられたらそれこそ虚しい。
「あの、狛神……―――」
「痕は残るかもしれねぇが。ま、勲章だろ」
「……―――」
「多摩川にいた斥候部隊を相手にし、羅刹二百体弱をブッ倒して、そのあと甲府でひと暴れ。いろいろあったが―――」
狛神にしては珍しく、茜凪の言葉を遮って矢継ぎ早に語り続けた。
彼の態度、姿勢をみて、本当に伝いたいことを茜凪は正しく受け取った。
だからこそ、最後まで言葉を聞き届ける。
「俺たちも、一や沖田、原田も永倉も、誰も死なずに済んだ」
「……はい」
『だから詫びるな。絶対に』
背後に込められた言の葉の気魄に詰められ、茜凪はそれ以上は何も言わなかった。
「(そう……。それでいいはずだ)」
狛神は自身に言い聞かせるように、胸中で呟く。
誰が変若水を飲んで羅刹になろうが、誰も命を落とすことはなかった。
それでいいはずだ。
それで……―――。
「狛神……?」
一番後ろでやり取りを見つめていた烏丸は、彼の機微に気付いていた。
どこか納得がいかない。にも拘わらず、無理やり気持ちを腑に落とそうとしている様が伺えた。
「……」
今、この場で狛神を問い詰めても答えは出てこないだろう。
烏丸は静観することを決め込み、口を噤むのだった。
「狛神殿。目が覚めたばかりで申し訳ございませんが、今後の動きについて共有したいと考えてます」
「あぁ」
「今夜、一席設けますのでご準備をいただけますか?」
「……わかった」
雪平が言葉少なく端的に告げる。
会合を開き、甲府戦に至るまでに個々に得た情報を共有しておこうと動き出す。
―――……その後、雪平は会合の準備を行うためにそそくさと部屋を出ていった。
正直、準備は建前であり、茜凪の九頭龍の修行についての言及から逃れたかった。という雪平の本音を一体どれだけの者が見抜けていただろうか。
してやられた茜凪は、不服そうにしながらも烏丸と共に狛神のもとを後にした。
彼らは着替えを探しに行くらしい。
再び一人になった狛神は、広い処置室を見渡しながら漏らす。
「俺が最後か……」
そこには、茜凪が目を覚ました時にいたはずの子春の姿もなかった。
―――後で聞いた話。
子春は狛神より数日だけ早く目が覚め、愛宕と一緒に既に情報収集のために動き出しているそうだ。
目覚めが最後になっていたのは実は重丸で、彼は未だに眠り続けているらしい。
半妖の彼だけは、縹と詩織たちに狙われていることを加味し、念には念を入れて必ず人目につく場所へと移動させられていた。
―――具体的には奥座敷付近にある雪平の部屋の近くであり、今は水無月と爛が交代しながら面倒を見ているそうだ。
狛神が一通り部屋を一瞥してから、深いため息をもう一度吐き出す。
床の中、見上げる戸の先の空は―――薄暗い色へと変色してきていた。
先まで美しかった橙や黄色、それらと赤が混ざり桃にも見えていたが、地平線の奥からは群青や紺碧が攻めてくる。
光が失われるのを目の当たりにしたのは、久方ぶりだ。
「あいつ、ちゃんと江戸に帰れたんだろうな……」
無意識のうちに思い返される表情。
のらりくらりと敵の手中を躱し、笑顔ですべてを切り伏せる。
師・藍人が天才剣客だと評した人間・沖田 総司。
誰もが羨むほどの剣技を持ちながら、誰よりも運命に弄ばれて、最後は戦の最中ではなく病で……―――。
「…………」
あの時、狛神が薫を止めていることができたら。
あの時、変若水なんて薫が差し出さなければ。
あの時、薫からの一撃を狛神が受けなければ。
沖田は羅刹になんてならず、これ以上苦しまなくて済んだのかもしれないのに。
「―――」
ふと、狛神は自身の巡るめく思考へ引っ掛かりを覚えた。
それは、どこかで聞いたことのある会話によって―――塗り替えられるべきものだと気付く。
「“どんな自分でありたいか”……」
地平線の光が消える。
やがて紺碧や群青は黒に染まるだろう。
設けられる席に赴くため一度湯浴みを決めた狛神は、床から出ていくのであった……。
◇◆◇◆◇
夕暮れ時に狛神が目を覚めてから、また数刻が経った。
朧の里の旧邸跡。
所々に煤が残りつつも現存された大広間に集められた面々は、この里に集いし姓を問わない妖たちだった。
湯浴みを終え、新しい着物に身を包んだ狛神。
着替えを完了させた烏丸 凛。
そして烏丸と同じく所々に生傷の処置をしたのが目立つ茜凪。
ほぼ無傷である雪平と水無月。
戸の近くで控えることにした愛宕と子春が、今は眠り続ける重丸の面倒を見ていた。
最後に広間へ到着したのが爛だった。
彼も腹部の傷を撫でながらも顔色は大分よくなっている。
広間には円になるように座布団が置かれており、上座や下座は関係ないと形式が訴えていた。
戦の中心人物である茜凪でさえ戸の近くに座っていて、爛はそれでいいのかとも思ってしまう。
しかし、ここからの話し合い。
誰が偉いということもなく、全員が力を合わせなければ勝てない戦であるのは先の戦いで理解している。
だからこそ、団結するためにも形式にとらわれていないのだろう。
「これで全員ですね」
「お集まりいただき、心より感謝申し上げます」
水無月が全員の顔をみて、揃ったことを告げれば雪平が軽く会釈する。
彼の優雅な動きと真摯さに、―――やはり―――狛神と凛は雪平を怪狸らしからぬと感じてしまう。が、今は瑣末なことである。
「今日集まっていただいたのは他でもありません。甲府にて接触をした詩織と青蛇、そして妖の羅刹を滅するためにも今後の動きについて、皆様と情報の共有、そして意向をお聞かせいただきたい」
大変なまとめ役を買って出てくれたのは雪平だった。
彼は水無月の横に座り、折目正しく経緯を告げる。
雪平の正面、凛と狛神の間に座った茜凪は軽く頷きを見せた。
ふと最後に着座した爛が、ひとつの気配を外界から感じ取る。
視線だけを戸の向こうへ送れば、同じく水無月も察したようだ。
「……―――」
「爛」
雪平が話を進めてくれている中、水無月が爛へと小声で話しかける。
水無月が気配を確かめるように障子に手を伸ばそうとしたところで、爛が誰にも気づかれる前にそれを制止た。
「綴」
「……」
「多分、呼んでも来ない」
「ですが……」
「いい。話だけ聞かせよう。あとはあっちも好きに動くさ」
「共に行動した方が、効率がいいのでは?」
「いやぁ、無理だろうな……。あいつの一方的な確執は、今の状況じゃ埋められない」
障子戸に近かった爛が、僅かに戸を開く。
外へと音が漏れるようにあえて仕掛ければ、控えていた子春が顔をあげ爛を見つめた。
視線で“閉めるな”と告げれば、子春は爛の仰せのままに体を留めてくれた。
「今、妖界にひしひしと伝わり始めている妖の羅刹……―――。茜凪様に話を聞いた時は絵空事だと思っておりましたが、予想以上に事は火急の事態です」
「詩織は、本気で妖界を潰すつもりで羅刹軍をつくってるようだったな。猫を手中に収めたのも、数じゃどの妖にも負けねえからだ」
実際に詩織と対峙し、妖の羅刹と戦って来た爛が雪平に同意する。
全員が最終的に参加しているので、頷きを見せるばかりだ。
「ですが、詩織の狙いっていう狙いが未だ明確になっていません。詩織は本当に妖界を滅ぼしたいのか、それとも個人的な思惑が別にあるのか……。何か心当たりはありませんか?」
雪平の黒く縁取られた双眸が、辺りを見回す。
狛神と烏丸は甲府戦で合流したが、八瀬の里で絶界戦争について聞いて以来、詩織に関する情報には触れてこなかった。
真ん中にいる茜凪を飛び越えて顔を見合わせたが、肩を竦めて否定する。
爛も水無月も有益な情報を持たない中で、茜凪が僅かに強ばった声音で答えた。
「詩織の目的については未だわかりません。ただ、羅刹を持ってして乱世を呼び起こしたいという漠然としたことしか……」
「乱世か……」
「ですが、詩織と剣を交えた時……気になる発言がいくつかありました」
「気になる発言?」