53. 稀他人
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「俺は、怪狸と
慶応四年 三月中旬。
約半月前に再会を果たした狢磨 雪平から語られた、彼自身の素性。
それは、彼が半妖であるという告白だった。
第五十三華
稀他人
「
茜凪は馴染みない単語を記憶の中から手繰り寄せた。
どこかで聞き及んだものであり、一体どんな種族であったかを思い出そうとする。
こめかみを抑えて目を細め、左右へ視線を動かす。
なかなか思い出せないそれに、雪平はいつもの穏やかな笑みを浮かべ―――答えを教えてくれたのだった。
「稀他人とは、異界からの来訪者を指します。この妖界が指す異界とは簡単に言うとあの世です。つまり、あの世にいる種族のひとつですね」
「あの世……って、死者が逝くといわれるあの……?」
「えぇ。俺の母は稀他人であり、ご存知の通り父は喜重郎様の弟子でもあった怪狸です」
そう。
稀他人とは、妖を指す言葉ではなかったと思い出す。
妖でもなければ鬼でも人でもない。
本来、この世に在るべき者ではない存在である。
だが、何かの拍子にあの世とこの世を繋ぐ門をくぐってやってくると聞いたことがある。
故に、半分が怪狸の妖の血をひき、もう半分は稀他人である雪平は―――重丸と同じく―――半妖なのだ。
稀他人など神話や信仰の中だけの話であり、まさか雪平がその血を引いているなんて思いもよらなかった。
そもそも、稀他人という種族と妖が交流を持ったという実例があったのだろうか。
これから雪平が語る結末が、少しばかり見えた気がした。
彼がどうして墓守であるのか。
何故、環那の切札であるのかを―――。
「母はとても血統の良い稀他人であり、父も血筋がいい純血の怪狸でした。どちらの血も色濃く継いだ俺は、本来偏るはずの両親の能力が均等に顕現しました」
「……」
「故に俺には、稀他人にのみ引き継がれるはずの―――死者の魂の声を聞く能力があります」
至って冷静な声音で告げる雪平を、茜凪はまじまじと見上げてしまう。
思い返せば色々な場面で多くの者が狢磨 雪平に対しての違和感を口にしていた。
怪狸は穏やかな妖で表舞台に出てくるほどの者じゃない。
臆病で平和主義。
眷族である白狐と懇意にしており、力が強い白狐を献身的に支える縁の下の力持ちの性質を持っていると聞く。
臆病であるので纏う空気も決して鋭さがないのだが……―――雪平を臆病であると感じたことも、例えば山南のような穏やかさを感じたことがあるかと言われれば否定せざるを得ない。
どちらかと言えば、彼はそう―――それこそ斎藤が持つような清廉さの中にある鋭さや、土方のような物事を完遂するまでの計算高さを感じることが多かった。
「幼い頃から死者の声が聞こえ、大人になるにつれて実体が見えるようになりました。すべての死者の声が聞こえるわけではなく、この世に残された思念が強ければ強いほど……声ははっきりと聞こえ、姿は可視化されます」
―――つまり。
「茜凪様が仰る通りです。俺は、環那様の声が聞こえ、話ができ、彼の姿を見ることができます」
「……っ」
雪平の背後に見える、開けた地に残る大きな墓標。
あの前に刺されていた燈紫火。
きっとそこに―――環那の魂は留まっているのだろう。
突然の告白に、稀他人という存在が絡んでいる。
雪平はこのあと茜凪がするであろう反応をどこか予測していた。
この世ならざる者の血を引く者への不信感から、虐げられることも慣れている。
素性を明らかにすることは初めてではない。
幼き頃は昨日まで友だった者に素性が暴かれ、不気味がられ、怪狸らしからないと後ろ指をさされてきた。
もはや茜凪が負の感情を雪平に対して表したとて、彼には些細な問題にしかならなかった。
しかし。
「じょ……」
「じょ?」
「か、環那が……成仏できていないなんて……」
雪平の語りを聞いて思わず出てきた茜凪の第一声。
口元を抑え、サァァと顔を青くする彼女に雪平は瞬きを二度繰り返す。
なんて―――奇態な返しだろう。
本来ならば『稀他人? そんなもの信じられない』という否定の言葉が飛んでくるべき場面。
この返しは初めてだ。
良くも悪くも、彼女の無知であり無垢である姿が映し出された。
「他人に妹のことを押し付けて回るいい迷惑な兄だと思ってましたが、成仏できずにいるなんて……意外と可哀そうな立場だったのですね……」
「茜凪様、それはあまりにも酷い言い草かと……」
えぇえ……と憐れみの目を墓標に向け手を合わせてすりすりさせる実妹に、思わず突っ込まずにいられなかった雪平。
彼の言葉を聞き、茜凪は何が酷いのか分かっていないような顔をして首を傾げている。
その仕草が、兄そっくりで雪平は眉を下げて笑うことを止められなかった。
「貴女の兄上様は、人格者です。茜凪様の行く末を方々に託す根回しをし、相手方がそれを了承しているのは環那様の人柄が大きく関わっておられます」
「それは感謝してます。おかげで藍人や水無月に育てていただきましたし……。でも、」
雪平も振り返り―――先程環那がいた場所へと面を向ける。
飛散した光は戻ってくることはなく、今はただ小田原湾の海面がキラキラと光っていた。
「妹だからこそ、言ってやりたいことが山ほどあります」
「……―――」
実妹が放つ怯みない視線。
雪平はその強さを魅せる色を懐かしいと思う。
兄も、同じ目をしていたから。
「それで雪平、さっきの話……きちんと説明していただけませんか?」
やけに飲み込みの早い茜凪に雪平は惑うばかりだった。
否定や拒絶の言葉が飛んでこないこともだが、どこか茜凪という人物の寛容さを理解し始めていた。
そう思えるのは、茜凪が多くの種族と関わって来たからなのだろうか。
春霞という日の本最強の純血であることを自らの肩書きにしない点や、半妖に対しての変わらぬ態度。
犬猿の仲であるはずの天狗を相棒に持ち、あまつさえ人間を愛している。
―――いや、これは寛大なわけではない。
親愛を込めて、突飛な異端者と呼ぶべきだと思う。
「本当にお聞きになるのですか?」
「はい。それに聞きたいのは、さっきの話だけではありません」
雪平が稀他人であるという過大すぎる告白はいとも簡単に横に捨て置き、事実を受け止めたうえで茜凪は続けてしまう。
どこか拍子抜けな雪平だったが、彼女が彼女のままでいてくれるならばいいか。と話を合わせることにしてしまった。
「燈紫火についても聞きたいのです。雪平、貴方はあの刀にどんな細工をしたのですか」
「細工?」
「甲府で再会してから私の手元に戻って来た時、燈紫火は扱えるようになっていました。でも、今はまた重たくなってしまってます」
―――それは先の環那との会話の中でも話題になっていたな。と雪平が眉を顰める。
しばし考えた後に雪平は、茜凪の腰に片手を当てがい、森を抜けるように誘導した。
このまま立ち話はなんだと思ったのだ。
春霞の里へ戻り、茶を用意しながら話をしようと思う。
道すがらの僅かな時間も茜凪は待たないのも予想できたので、口を開きながら足を進める。
「以前、環那様から聞いたことがありました。燈紫火は、謂わば妖刀なのです」
「妖刀? かの有名な村正と同じ……?」
「というより燈紫火に関しては、“妖が扱う刀”。だから妖刀というのが正しい表現かと。あの太刀は春霞に代々伝わり、他族に渡ったことがないそうなので徳川とも縁はないはずです」
「なるほど……。それで、燈紫火が妖刀だとなぜ重さが変わるのですか?」
上背の雪平を追いながら森の入口へと足を踏み入れていく。
「あの太刀は、妖力を糧に本来の強さを発揮します。込めてある妖力の残量によって重さが変わるようです」
「!」
そこで茜凪に思い当たる節があった。
今は折れ、役目を全うし終えた無銘の刀を腰に差していた頃。
沖田を襲撃した羅刹を相手にした戦でのこと。
無銘刀に妖力を込めようとしたところ、何かに力を吸い取られたことがある。
あの時、燈紫火も腰に佩ていたので辻褄が合った。
「俺が甲府戦であの太刀を整えられたのは、環那様から太刀を紐解く鍵を過去に聞いていたからです。最前線に出るまで機会を窺いながら、俺の妖力をずっと送り込んでいました」
「それで返してもらった時に扱えるほどに……。じゃあずっと燈紫火のために雪平の妖力を……」
「詩織にも言われましたが、俺にあの太刀は扱えません。真の力で抜刀できるのは春霞の血を持つ者だけです。ですが俺でも妖力を注ぎ、燈紫火を目覚めさせる手伝いはできると思いました」
妖力とは、所謂生命力とも言える力の源だ。
寿命に直接関係はしてこないが、底を尽きれば命に関わるもの。
それを容易く差し出せる彼に対して申し訳なさを感じてしまう。
「教えてくれればよかったのに……」
「言ったでしょう、茜凪様。俺はあの太刀は扱えませんが、妖力を送ることはできます。それに」
自然にできた土と板戸の階段を降りながら、春霞の里へと繋がる道を行く。
不気味な静けさの森も、雪平がいると不気味さが薄れる気がしていた。
「妖力の量だけでしたら、器が一級品の茜凪様にも負けません」
「そうなのですか? 確かに私、影法師の呪縛が解けてから気配が変わるほど妖力が高まったのは自覚してましたが……」
烏丸や狛神と比べて―――今となっては―――妖力を溜め込める器が実は大きいのではないかと思い始めていた。
それは、春霞がこの太刀を扱うことが前提にあるのかもしれない。
意識を鎮めて、雪平へと傾ける。
―――確かに彼も、茜凪に匹敵するほど大きな妖力を備えている気配がした。
「―――雪平も妖力は多いですね」
「稀他人の血のおかげですね」
稀他人については知識皆無である茜凪は、彼の霊妙な雰囲気の由来は血筋であることを妙に納得させられてしまう。
話しながらも森を抜け、再び屋敷跡に戻るために段差を降りていく。
先行する雪平が当たり前のように手を差し出してくれたが、首を振って断った。
子供ではない、一人で行けると態度で示す。
「凛殿や狛神殿にも伺いましたが、茜凪様の膨大な妖力が解放されたのはつい最近のことらしいですね。詩織に敵うための策は、妖力を自在に操ることが近道かもしれません」
「そのための修行が、先程言っていた九頭龍の修行ですか?」