52. 墓守
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
慶応四年 三月中旬。
甲府にて敵対する羅刹勢力とぶつかりあった茜凪たちは、少なからず負傷し、傷を癒すためにも春霞の里で休息をとっていた。
爛と凛―――烏丸兄弟が長きに渡り距離のあった心を詰め、きちんと話ができてから早数日。
不足した妖力が回復し、ようやく動けるようになった茜凪。
妖力がない間はずっと麻痺していたような感覚だったが、完全に無くなり自由となった。
しかしながら詩織戦はもちろんのこと、江戸で沖田を襲撃した羅刹たちを討つ際から受けてきた生傷はまだまだ快癒とはいかない。
手当てを自分で施しながら、茜凪は床の間にある刀掛にことあるごとに視線を送ってしまっていた。
「燈紫火……」
太刀・
先の戦いで持ち出したはいいが、あまりの重量に途中で雪平に預けてしまったもの。
白き鞘や拵は勿論のこと、刀身は磨き上げられた美しい刃紋を映し出す。
名刀といえるのは間違いなかったが、茜凪には扱えない代物だと思えた。
だが、雪平に預けてから手元に戻ってくるまでの数刻の間に燈紫火は全くの別物になっていた。
雪平が試したいことがあるというので渡したところ、手元に戻ってきた時には扱えないと思っていたほどの重量が感じられなくなっていた。
刀身を抜き放ち、その刃に青い炎を纏わせて―――詩織の左腕を斬り落としたことは記憶に新しい。
これで詩織に対抗できる力を得て、次にぶつかり合う時にも安心だと思えたのも束の間。
またもや燈紫火は腰に佩くには重たすぎる重量へと戻ってしまったのだ。
もともとは環那の太刀であり、歴代の春霞の長たる者が佩くと爛は言っていた。
春霞姓を名乗れる者がもはや詩織と茜凪だけならば、茜凪は燈紫火を譲りたくないと思う。
兄の唯一の形見だ。
「重さが変わる太刀ですか……」
手当てを終え、手近にあった着物に袖を通す。
甲府戦でボロボロになった正装は一度繕うと言って雪平が持っていってしまった。
どこまでも世話をしてくれる―――言い方を変えれば身なり強いこだわりがある―――雪平に感謝しつつ、茜凪は障子を開け放った。
生い茂る木々と岩肌の崖。
渓谷の間にある春霞の里は多少高低差があるためか、いま茜凪のいる部屋は朝陽が入りづらかった。
その奥には森があり、春霞の宝と呼ばれる景色と墓地を越えれば―――千与がいた庵がある。
あの庵には、思念というのか、想いが残りすぎていて―――茜凪はあまり近寄りたくないと思っていた。
禍々しさを感じるものはないが、命を終えたという形がありありと残されており、胸が抉られ裂けそうになる。
右肩の傷が疼く。
異常な熱を持ちながらも耐えてくれた腕に感謝しつつ、茜凪は一度立ちながら体を丸めるように折ってしまう。
不快な疼きが治るのを待ってから―――茜凪は深く長い息を吐き出した。
「痛むのか?」
疼きを抑えるために必死だったからか。
襖の向こうから声をかけられたのに気付かなかったのか。
開け放たれた襖戸に寄り掛かり、茜凪に声をかける烏丸がいたことに初めて気がついた。
「今日は無断じゃねぇぞ。一応、声はかけたからな」
「すみません、気付きませんでした」
左手でまだ右肩を押さえながら振り向けば、烏丸の視線が肩へ向く。
それ以上は何も言わなかったが、茜凪も彼を見つめれば多くの傷を手当てした痕跡が。
「なにかありましたか?」
「あぁ、なんでもいいから着替えを借りたくてさ。茜凪なら余りの着物持ってるかと思ってな」
どうやら汗をかいたから着替えたいということらしい。
春霞の里に烏丸が詳しくないのは当たり前なので茜凪を訪ねて来たようだが、茜凪は辺りを見渡してしまう。
「女物ならあったと思いますが、男性の着物は……」
―――正直、どこになにがあるか分からない。
この里の正統な血筋は茜凪であるにも関わらず、管理は全て雪平任せになっている現状だ。
「―――……すみません。雪平じゃないと……」
「そっか。じゃあやっぱ雪平探さないとダメか」
「朧の古屋にいませんでしたか?」
「見て来たけど朝からいないんだよ。戻って来た形跡もなくて」
「……」
「ちょっと期待したんだけどなー。筒袖とか、洋装があったらいいなって」
どうやら新選組の洋装を見て、本当に興味が湧いたらしい。
まぁ、彼は上背も高いから西洋の服でも似合いそうだ。
「貴方の背丈なら違和感はなさそうですね」
「だろ? 一とか総司みたいに、めっちゃ格好良く着こなしてやるぜ!」
「……―――」
「左之助も新八も背が高いから似合ってたよなー。やっぱ時代は和装より洋装か〜?」
ふと、あまり思い出さないように感情に蓋をしていたものに刺激がかかった。
他人の口からその名を告げられることで、連想されるものがある。
甲府でのこと。
桜が咲く渓谷で、斎藤と想いをぶつけあったこと。
それから……―――。
「〜〜〜……っ」
「茜凪?」
「なっ、なんですか!!?」
「うわっ、なんだよ急に大声出して……! 顔も赤いし」
「べ、別に大声なんかじゃありません!」
思い出したくないわけじゃない。
むしろ心の奥底で、大事に大事に守っていきたいもの。
大切な思い出。
灯し続けるもの。
「はっはーん……。さては、一となんかあったことを思い出してたんだろ?」
「……ッ」
「はい図星」
顔を覗き込んできて、面白そうにからかう烏丸。
にやにやと歯を見せるほど口角を上げた彼は、恐らく事実以上にイヤラしいことを考えているように見受けられる。
「なーに、茜凪チャン? 大人の階段上って来たわけ?」
「う、うるさいですね! からかわないでください!」
「いいじゃんいいじゃん、何考えてたのか教えろよ! 俺には聞く権利あるだろー?」
「……っ」
「こんなに皆ボロボロで、詩織たちとの再戦を考えると気分がどんよりするなかで、一つくらい明るい話題を聞きたいだろ!」
まぁ、確かに烏丸には話すべき義務はあるのかもしれない。
茜凪と斎藤の想いに、烏丸は大いに巻き込まれてしまっている。
口付けたことは、大切な記憶だから他人に言いたくないとして……―――今考えていたことくらいは告げてもいいかもしれない、と茜凪は思う。
今更だ。
茜凪の気持ちを烏丸は知っているので、本気でからかってくることもないだろう。
「ほらほら〜、惚気のひとつやふたつ、あるだろー!」
「………は……んの……つ……でが、」
「あ? なんだって?」
茜凪が真っ赤な顔をしながら発した声が思った以上に小さかった。
烏丸が首を傾げて一歩近づく。
俯きがちだった茜凪の目が細められ、過去を振り返るように―――照れていた。
「はじめくんの……筒袖姿、とても格好よかったなって……」
「……。」
「か、髪が短くなっていたのは……なんというか勿体ない気もしてしまいましたが……」
「…………。」
「でも断髪した姿も、本当に……」
ごにょごにょと声を小さくする茜凪に、烏丸はぽかん……と目と口を開けたままだった。
いろいろと理由があったのだが、数拍間を置いてから烏丸が吹き出して笑い始めた。
「ぷっ、ははははッ」
「な、なんで笑うんですか!」
「いや、茜凪はどこまでいっても茜凪だなって思って」
「どういう意味ですか!?」
「そのまんまの意味! 一のこと大好きなんだなって!」
「……っ」
烏丸が自分のことのように嬉しそうに笑う。
彼はきっと、巻き込まれ、見守って来た分感慨深く捉えたのだ。
否定するものでもないので、茜凪はぷぅ〜と頬を膨らませた後―――彼に再び言い放った。
「そうですよ! この世で一番大好きな人です!」
「ぷくく……開き直ったな」
「もうほっといてください! 雪平のところに行って来ます!」
どすどすと照れ隠しで大股で歩いていく茜凪に対し、烏丸は残された部屋でまだケラケラ笑っていた。
きちんと話せてよかったと思ったこと。
まだ戦いは続くけれど、再会できてよかったと心から思う。
悩み、これからも悩み抜いて悩み抜いて―――選びとる未来が、どうか幸せなものであってほしい。
「…………ん?」
ふと、茜凪のことをよく知る烏丸は、今のやりとりの中で思わず見逃してしまった違和感に気付いてしまう。
「“うるさいですね”?」
茜凪という女は根がとても素直だ。
烏丸ほど素直で嘘が下手ではないが、ふとした拍子、嘘をついたり隠す必要がなければ素の反応が出ることを知っている。
烏丸は先程、彼女に対して『大人の階段を上ったか?』とからかったのだ。
普段ならば、「上ってません!」と返ってくるべき問いだと思ったのだが―――。
「…………えっ」
思わず茜凪が出て行った襖に視線を向け、凝視してしまう。
否定ではない言葉が飛んできたということは……。
「まじか……!?」
思わず詳しく聞きたいと駆け出していたのは、“あの斎藤 一”が相手であることも含まれる。
人と妖の恋を、一番近くで見守ると決めた天狗は今日も忙しそうだ。
第五十二華
墓守