50. 内証
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「狢磨流……―――」
青い炎を纏う太刀。
妖力を与えるそれは、茜凪へ力を呼び戻してくれていた。
最中、雪平が創り出してくれた土壁が道を遮るのが見える。
江戸へと続く街道。街道を行く新選組。
彼らに羅刹の脅威が届かぬよう、妖界と人界を分け隔てるように生まれる壁。
壁が完成する前に、茜凪は沖田を一瞥し―――その後、斎藤の視線を掬い上げた。
―――彼に再びどこかで会えると信じている。
妖と人がどうしたら共に生きていけるのか。
妖界から憎しみを消すにはどうしたらいいのか。
考えて考えて、探し続けて……いつか見つけた答えを携えて、斎藤に会いに行くんだ。
確固たる意志は、茜凪に笑顔という形で表される。
それを見た斎藤が、土壁が完成する間際に凛とした目に輝きを取り戻したのを見て、茜凪は壁のこちら側で更に微笑むのだった。
「雪平」
構えを取り直した茜凪は、酷く静かな闘志を燃やしている。
雪平が志を受け取り、ここが羅刹を食い止める最後の砦だと認識した。
「心得ております」
後方にいるはずの烏丸も、水無月も戦い続けているはずだ。
零れた羅刹はここで必ず滅し、江戸へと向かう新選組の道を切り拓こう。
慶応四年 三月六日。
後世で甲州勝沼の戦いと呼ばれる甲府での戦の終結を、ここに記す。
第五十華
内証
―――神速とも言える速さで体が運ばれていく。
痛みを少しでも和らげるために呼吸が荒々しくなるのがわかる。
奥歯を噛み締めながら、左側が随分と軽くなってしまったことに猛烈な悔しさを隠しきれない。
撤退したはずだったが戻って来た青蛇に連れられて、詩織は顔面蒼白になりながら舌打ちをした。
「なんや、詩織はん。左腕失うほどの無茶するなんて珍しいなぁ?」
「うるさい……」
けらけら嗤いながらも詩織を助けた青蛇は、このまま一度尾張まで引く選択肢を取る。
が、総大将は詩織である以上決定権は彼にはない。
確認の意味で肩を貸している彼女の顔を覗き込んだが、予想以上に重傷だ。
「あーらら。今度はあんさんが茜凪の妖力に中てられてはる。はよ手当せんと力すら失うで」
「……っ」
「“青の血筋”は、あんさん“赤の血筋”より優生なんやから」
それは余計な一言だったようで、詩織が秘めていた闘志を青蛇にギロリと視線で向ける。
左腕を失ったところで詩織が日の本最強の妖一族であることは否めない。
鼻でため息をつきながら、青蛇はまずは休める場所を探し始めた。
幸い人間の気配も、茜凪たちが追ってくる気配もない。
適当な岩場の陰へと移動しながら、口を開き始めた詩織の言葉を青蛇は聞いていた。
「あいつ……燈紫火を目覚めさせた」
「あー、あの太刀ですか。さっき赤楝が気にしてはりましたよ、“環那の太刀だ”って」
「茜凪は恐らく燈紫火の因果を知らないまま、目覚めさせたのでしょう……。こちら側に取り入れるなら、人柱との因果を知る前に手を打たなければ」
「せやなぁ。あっちにあの太刀があったら、化身が斬れますからな。こっちが呼び起こし損喰らいますわ」
甲府から距離をある程度とったところで、青蛇はふわりと着地し木陰に詩織を休ませた。
近くには小さな小川が流れており、澄んだ空気と水を感じられる。
手に持っていた適当な布で手当てを始めた詩織に、水を汲んで投げて渡してやった。
「にしても詩織はん、まだ茜凪をこっちへ引き込むこと諦めてへんですの? ありゃどう説得しても動かんと思いますけど」
青蛇と茜凪はつい先ほど意識的な対面を果たしたばかりだった。
しかし、青蛇は茜凪を随分前から詩織と共に監視していただけあり、彼女に纏われる空気が変わったことを理解している。
「茜凪の顔、見はりました? あの娘、縹 小鞠が死んでから随分と憎悪に呑み込まれてましたけど、さっき会ったらまぁ晴れやかなことで」
「……」
「ありゃ、白狐さん最大の出逢いを果たしてもうてるやろ」
詩織が着物をびりびりに破きながら、肩の止血を続ける。
時折漏れる苦しそうな声も気にせず、青蛇は空を仰ぎながら会話を続けた。
「それでも諦めんと茜凪を誘引し続けるんですか?」
「……」
「もし諦めるんなら、すぐ教えてください」
「それは“茜凪を取り込むから譲れ”ってことですか」
止血の過程は完了させて、安静にしながら血が止まるのを待つ。
瞼を落とした詩織は、辺りに響く音だけを頼りに警戒を続けていた。
―――その対象には、青蛇も含まれている。
「私は未だ茜凪を諦めてません」
「……」
「青蛇。お前の中にいる“奴”が茜凪を……―――環那様を求めているのは知ってるが、私は譲歩するつもりはない。覚えておいてください、邪魔になればお前も―――」
詩織がゆっくり瞼を開ける。
風が止み、木の葉が掠れる音も止まり、聞こえるのは小川を流れる水の音だけ。
開けた視界で捉えるものは、青蛇と森と晴れ渡る空だと思っていた。
しかし―――。
「私のことも邪魔になれば殺しますか?」
「―――」
「詩織」
一瞬、目を離しただけだった。
僅かな隙に青蛇は黒い鱗を地から舞い上がらせ、姿を変えていた。
残響とでも表現できそうな蛇の鱗がきらきらと音を奏でるように錯覚する。
一重の鋭い眼光。
黒い艶のない髪に赫灼の瞳。
首周りに模様をつけた、詩織も知ったる“あの男”が目の前に立ち、詩織を見下ろしている。
「この小川、なんだか似ていると思わないか? 懐かしい気持ちになる」
「赤楝……」
青蛇であった存在が、黒い光に包まれて“赤楝”と呼ばれる存在に代わる。
狂気を見せるような冷たい瞳は、詩織ですら『得体がしれない』と感じていた。
「千与様がいた庵の近くに似ている」
「……」
「詩織、お前と初めて出会ったのもあの庵だったね」
ゆっくりとした足取りで近付き、目線を合わせるために赤楝も腰を下ろす。
青蛇にとっていた高圧的な態度とは打って変わり、静かに赤楝と視線を合わせる詩織。
茜色の瞳の奥には、赤楝に対してどんな感情が映っているのか誰も読み取ることができない。
しばらく視線を合わせた後、詩織は赤楝から大袈裟に視線を逸らした。
「茜凪を譲れって話だったかな」
「えぇ」
「もしお前が茜凪を諦めるのならば、私が有り難く呑み込む。どちらにしても、神の化身を斬れる燈紫火の使い手がいたら、計画に不確定要素が紛れる。それは困るだろう?」
「……」
「茜凪を呑めると思うと胸が踊るよ。環那と……―――青い白狐の血と永久に在れるのだからね」
逸らした視線を上げない詩織。
詩織を見つめているのに、詩織をみていない赤楝。
錯綜する思惑は、誰の手にも操れないのかもしれないと詩織は思う。
「茜凪は死んでも譲りませんよ」
ぼそりと吐き出した声は、思った以上に小さかった。
それは反抗的な声音だ。
「あれは、私の理解者になるべき白狐です」
「詩織も強情だね。環那といい、白狐はみんなそうなの?」
「赤楝、貴方と話していたい気分ではありません。引っ込んでいただけませんか」
「つれないな。せっかく懐かしい妖力に中てられて、久々に出てこれたのに」
困った顔をする赤楝は眉を下げて笑っていた。
黒い鱗を光らせながら、青蛇と交代する仕草をする。
最後に、とでも言いたげに赤楝は詩織に手を伸ばし―――その頬に指を添えた。
「本当に詩織は“私”が弱点なんだね」
「……―――」
「私をも殺害した“親殺しの詩織”」
触れられていた頬の指を弾き返す前に、赤楝は姿を引っ込める。
黒い鱗がきらきらと反射する中、すぐさま容姿が青蛇になった。
「余計な一言ですね。人の血を継ぐ下等な者よ」
ボソリと詩織が反論した声は、赤楝には届かなかっただろう……―――。
◇◆◇◆◇
「これで……全部か……?」
「えぇ……。妖の羅刹も、人の羅刹も……日の本の羅刹は全滅したのではないでしょうか……」
「確かに気配はもうどこにもありませんね」
新選組と別れた妖たちは、橋と土壁の周辺で息を切らせながら最後の確認をしていた。
互いにぼろぼろになっているのを見れば、激しい戦いだったのが見て取れる。
烏丸に至っては地に大の字になって伸び、もう一歩も動けない様子だ。
茜凪は会話にすら参加しておらず、太刀―――燈紫火を地面に突き刺し握ったまま座り込んでいた。
水無月と雪平は流石なもので、呼気こそ荒いがまだまだ動けそうな余裕がある。
「茜凪様、ご無事ですか」
「はい……、なん、とか」
新選組を追いかけるはずだった妖と人の羅刹軍を全滅させた四体の妖たち。
既に陽は沈むところで、新選組と別れてからそれなりの時間を経過させている。
無事に逃げ延びられたかが心配であったが、今となっては確認すべき術がない。
追いかけることはできるが、優先すべきことではないと茜凪は言い聞かせていた。
なにより燈紫火の妖力も底を尽き、茜凪自身の妖力もカラカラだ。
再び重みを増した燈紫火を持ち上げるだけの腕力も右手には残されておらず、震える手で握ることが精一杯だ。
力を使いすぎたせいで、先ほどから気分が悪い。
食事を摂らなさすぎて空腹時に体調が悪くなるのと同じような感覚だ。
「(やばい……このままじゃ、狐の姿になりそう……)」
怪我もなかなか負っているが、耐えられないほどではない。
命を脅かすものではないはずだが、急激な眠気が襲ってくる。
ここで眠るわけにはいかないのだ。
まずは狛神の手当てと容体の確認。
それから重丸の安否確認、爛たちとの合流。
雪平と燈紫火についても話し合い、烏丸には春霞の里であったことも話したい。
そして―――詩織についての考察の整理だ。
皆に話を聞いてもらい、情報を聞き出さなければと思っていた。
寝ている場合ではないのだ。
ふらつく足と手で立ち上がり、重みを増した太刀を納刀する。
刃を下にし佩けば、戦闘中の軽さが嘘のように左腰に重みが増した。
さぁ一歩を踏み出そう。と爪先に力を入れたのだが―――及ばず茜凪が前に倒れ込む。
「茜凪……っ」
起き上がった烏丸が、倒れる彼女を見て声をあげる。
が、烏丸も体力も妖力も底を尽きたせいで微塵も動けず受け止めてやることもできない。
このままじゃ顔面から茜凪が着地することになるのを見届けなければ……と思ったところで紳士的に体を貸したのは、他でもなく雪平だった。
「茜凪様。無理をなさらずに」
「雪、ひら……」
「見たところ狛神殿より貴女が一番重傷です。妖力の使いすぎでしょう」
長身な彼の胸に体を預けることが不本意だ。
簡単に触れることを許しているわけでもないのに、閉じた瞼が開けられない。
急激で、強い眠気に襲われながらも茜凪は最後まで雪平たちの言葉を聞いていた―――。
「雪平。爛とは春霞の里にて合流予定だと使いを受けました。行き先は箱根山でよろしいかと」
「ありがとうございます、綴殿。爛殿と連絡をとっていらっしゃったのですね」
「まぁ、昔馴染みですから」
「兄貴……。重丸たちも無事なんだよな?」
「恐らくは。急ぎ春霞の里へ向かいましょう」
「……よろしいですか、茜凪様」
雪平は茜凪に確認をとるかのように尋ねてくる。
同時に、雪平が支えてくれている掌の位置がとても温かさを帯びていた。
あぁ、また妖力を分け与えられているのだと悟る。
おかげでなんとか頷いて返事をし―――茜凪は雪平の腕の中で眠りに落ちていくのだった。
「妖力は戻ったはずなのに、まさか全て使い果たしてしまうとは。扱いに慣れてもらうのが今後の課題ですね」
「……………。」
当たり前かのように横抱きにし、優しく茜凪に語りかける雪平。
彼と茜凪の距離感の近さに思わず眉を顰めてしまったのは彼女の恋路―――斎藤の恋路でもある―――を応援する烏丸だった。
凝視する視線はじとっと鋭く、思わず関係構築ができていない間柄でも口を挟んでしまった。
「なぁ。雪平って言ったよな? お前、茜凪のなんなんだよ」
「何、とは?」
「言っとくが、そいつには相思相愛の男がいるからなッ!! 横恋慕入れるなよッ!?」
「ぷっ」
思わず吹き出したのは、誰より大人な水無月だった。
烏丸のことも、茜凪のことも、そして雪平のことも知っているからこその反応らしい。
「茜凪様を、俺が?」
「いくら環那さんと茜凪に味方する約束をしてるって言っても、それ以上の関係にはなれないからなッ!」
「烏丸。なぜ貴方が必死なのですか?」
「俺は横恋慕が嫌いなんだよッ! それに、一の恋路を応援してるってのが一番の理由だ!」
水無月が狛神を背負いながら、口元を抑えて笑っていた。
茜凪は本当に恵まれているとも水無月は思う。
烏丸の存在は幾度彼女の助けになっただろうか。
「ご安心ください。俺が茜凪様に恋情を抱くことはないでしょう」
優しい視線が茜凪に一度巡り、そのまま烏丸に戻ってくる。
確かに―――色恋沙汰には無頓着な烏丸から見ても―――視線に含まれる色は、愛だの恋だのの類ではない気がした。
「まぁ、欲情はするかもしれませんが」
その一言に対して、烏丸が目を見開く。
信じられない、と言いたげな顔だ。
「雪平……おまえ……」
水無月は烏丸から告げられる理由を知っていたので、箱根連峰を目指す道のりを先に歩き出すことにした。
背にいる狛神はまだ起きないので、このまま背負って移動することになるだろう。
それもまぁ、仕方ない。
「茜凪に欲情はありえねぇだろ!? まな板のこいつのどこに魅力を感じるんだ! 顔だけじゃねぇか!」
「いいえ、凛殿。女性とは胸だけではありません。茜凪様の場合、なかなかの美尻と見受けます。これは魅力のひとつです」
「尻派かよッ!」
「この二人の会話を聞きながら
狛神が起きていたらまだ会話は軌道修正できたかもしれないが、水無月ひとりでは修正する気にもならず。
男同士の下品な会話を続ける彼らを放置しながら、密かに―――手負いであるのは知った上で―――爛に『迎えに来てください』と使いを出す水無月であった……。