49. 春ノ夜ノ夢
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てっぺんにあった太陽が傾き始めていたことに気付いたのは、随分と影が伸びてからだった。
斎藤は烏丸と共に江戸を目指して逃げ延びながら、背後から来るであろう茜凪と雪平の気配を探り続けていた。
「詩織の気配が遠退いた……。茜凪の奴、勝ったのか……?」
「……」
烏丸の機転で、斎藤が近くにいたら茜凪が気が気じゃないだろう。と僅かに距離を開いたところ。
街道を江戸に向かって進んでいる最中に、詩織が撤退していくのが読み取れた。
詩織が逃げるのならば少し休息が叶うだろうか。と様子見も含めて羽を休めた烏丸は獣化を解き、後ろを振り返る。
地に足をつけた斎藤も茜凪と雪平がいる方角をただ静かに見つめていた。
「羅刹の気配がまだある。もう少し待って来なかったら一は先行した方がいい」
「……あぁ」
乱戦がようやく落ち着き、よく見れば烏丸も斎藤も互いに埃まみれだ。
烏丸に至っては生傷も多く、詩織がいかに圧倒する力を持っているのかが分かる怪我具合。
斎藤も大きな怪我はしていないものの、崖から落ちた打身などもある。
このまま江戸まで何事もなく戻れればいいと願うばかりだった。
「そういえば一、お前茜凪と―――」
“ちゃんと話ができたか?”と烏丸は続けるつもりで問いかけた。
が、先の言葉を続けることができなかった。
「……烏丸?」
いくら待っても問いの続きが訪れないことに斎藤が首を傾げる。
当の本人は茜凪と雪平がいる方角とは真逆―――江戸に向かう先の街道を目を見開いて見つめていた。
風が乗せてくる気配と匂いが変わった。
その先に何があるのかを漂わせ、烏丸へと何かを訴え続ける。
血と、焦げ付く臭いと、禍々しい気配。
……嫌な予感がし、思わず烏丸が目を細めた。
「烏丸、どうしたのだ」
斎藤が改めて尋ねれば、烏丸は眉間を険しくするだけだった。
烏丸も詩織からの打撃を何本も受けたこと、茜凪との喧嘩のせいで翼の火傷の痛みが限界であること。
全てを加味しても、もう長く飛べないことを結論付ける。
少しばかり迷ってから、烏丸は思ったことを包み隠さずに斎藤に告げた。
「―――……この先の気配が、さっきより禍々しくなった。嫌な予感がする」
「何……?」
「なにか……いやなものが生まれたような……妖か、妖の羅刹のような強い気を感じる。先にいるはずの狛神とか、総司とか新八が心配だ」
もう一度、背後を振り返る二人。
未だに人影が見えない道の先からは、茜凪も雪平もやってくる気配はない。
ここで合流する約束も、街道で待っている約束もしていない。
もしかしたら別の道から既に撤退しているかもしれない。
「一、俺はもう長く飛べそうにない。今のうちに行けるとこまで行って、前の様子を確認しようと思う」
つまり、烏丸は茜凪と雪平を待たない。と言っている。
視線と言葉で斎藤は問われた。
「お前はどうする?」
烏丸は、斎藤と茜凪が交わしたやりとりを知らない。
知り得ることもないだろう。
だからこそ、思いやりのある言葉をかけてくれた。
ここで待たなくても、後悔しないか。と。
「―――先へ行く。江戸へと逃げ落ち、副長たちと合流することが優先だ」
「いいのか……?」
「あぁ」
迷いのない、間髪置かない一言だった。
胸元に仕舞い込んだ、お守りに筒袖の上から触れる。
滲むような温かさを感じられるようになったのは、心を向ける想い人と再会したからだろうか。
「別れの挨拶は……―――」
そう言いかけて、やめた。
訂正すべきだと言葉を選んだ。
「再会の約束ならば済んでいる」
「!」
「俺は俺の信念に添い、戦い抜くだけだ」
いつか答えを見つけ、互いに答え合わせをする時まで。
今は遠く離れていても、それでいい。
正しい強さを宿した斎藤に、烏丸は思わず嬉しそうに笑った。
「そっか」
その天狗の笑顔は、慶応四年に斎藤の前で見せた一番いい笑顔となった。
第四十九華
春ノ夜ノ夢
―――あれからどれくらいの時間、剣戟を繰り広げているだろうか。
とても長く感じられたし、実際にはとても短い時間だったかもしれない。
白い化身が目の前に二人。
背の高くて痩せ細った男と、若き少年。
どちらも真っ白な白髪に血を滴らせたような赤い瞳。
凄まじい速さで刃と刃をぶつけ合う者たちを、もはや狛神はしっかりと捉えきれていなかった。
ゆっくりと視界が暗くなっていく。
呼吸が大分ゆっくりになり、頬が地にくっつき垂れ下がる。
広がり続けた血溜まりは狛神の頬の位置までやってきていた。
「(沖田……)」
変若水となり、羅刹となった沖田。
その姿は藍人の事件で影法師が作り出したものと瓜二つであるが、今回は本物だ。
目の前で変若水を口にし、彼はまがい物の鬼となった。
だが、差し迫る問題はそこではない。
彼が変若水を飲んだとて、労咳が治らないということ。
つまり、爆発的な力がいつ尽きて吐血し倒れてもおかしくないのだ。
体に負担がかかっているのは間違いない。
沖田を羅刹にしてしまったことにも責任を感じていた狛神は、これ以上沖田が暴走し、不利な状況を作り出さないことに努めなければと考えていた。
考えているだけで、体が全く動かない。
今まさに止まろうとしている呼吸に、狛神自身が気付いていなかった。
「(沖田が……死んだら……―――)」
―――茜凪が、烏丸が、一が、土方さんが悲しむ。
きっと各々で悲しみや自責の念に駆られる。
この場を任された者として、沖田を生かさなければならない。
最後まで思考に残ったのはそれだけだった。
狛神は考えを巡らせながら静かに、震える瞼を落としきってしまうのだった……。
「見てみろ沖田ッ! お前を庇ってた狛神が今にも死にそうだぞ」
「!」
「無様な死に際だな! 妖のくせに鬼に逆らうからこうなるんだ!」
薫の声が、随分と遠くに聞こえる。
そこで狛神の意識は途切れた―――。
―――頬を伝って、口内に侵入したのか。血の味が舌を刺激する。
思わず吐き出したくなるが、なかなか動けない。
体が鉛のように重たくて、目を開けることもままならない。
「狛神」
それでもやたらに聴覚は働いていて、誰かが囁きかけてくれているのがわかった。
「お前、なんでこんなところに……!」
「狛神、しっかりなさい」
しっとりしていて、妖艶な声。
だがそれだけではなく、芯を持った声。
あぁこの声を知っている。
幼い頃から幾度も世話になり、共に過ごす時間が長かった相手だ。
「狛神」
「―――……」
深淵から戻ってきた感覚がした。
死んでしまった体を蘇生されたとでもいうような体験。
未だにうつ伏せだった体勢のまま、ようやく開いた瞼で視線を見上げれば―――思った通りの声の持ち主がいた。
「み……な……づき……の……」
「気をしっかり持ちなさい。貴方はまだくたばってませんよ」
「だ……んな……」
狛神の視界に入ってきたのは、装いを変えいつもどおり優雅な着物を身に纏った水無月 綴だった。
京で別れたはずの彼がここにいるのは意外であり、予想をしていなかったこと。
菖蒲はどうしたのだろうかと頭の片隅で問うが声にならないので返答はなかった。
狛神が意識を取り戻したことで仰向けに体勢を変えさせた水無月は、薫にやられた傷の手当を始めていた。
同時に触れる箇所から妖力を与え、絶命しないために出来る限りのことをする。
着ていた着物の一部を破り、きつく傷を縛り上げる手つきは慣れてると言えた。
どうやら水無月の参戦までに何かがあったのか。
薫が水無月の姿を見ながら反論を飛ばしていたが、沖田の相手で手一杯らしい。
こちらへ攻撃する余裕はなさそうだ。
仮に攻撃の手が飛んでくるとしても、水煙術が使える水無月としてはこの場所は好都合だ。
橋がかかっている。
つまり、少ないながらも水が近くにあるということ。
水無月が鬼である薫に攻撃し反逆者になるかどうかは別の話だが、この場はなんとかなりそうだ。
「旦、那……なんで……」
「貴方たちが発った後、菖蒲を安全な場所へと移動させて駆けてきました。江戸に向かうべきか迷いましたが、ここ甲府で貴方たちの気配を強く感じたので立ち寄ったのです」
「……」
「菖蒲と共に安全な場所で隠れていたいのは本音ですが、詩織の動機にもし環那が絡んでいるならば―――私だけのうのうと逃げ隠れるわけにはいきません」
「……」
「茜凪が困っている時に彼女に手を差し伸べるのは、環那との約束ですから」
「水無月……」
妖力を与えられ、傷はまだ癒えないものの大分意識がはっきりしてきた狛神。
自我が覚醒すればこそ胸に受けた傷は痛覚を鋭く刺激し続けたが、三途の川は渡らずに済みそうだ。
「それより、沖田さんは変若水を……?」
狛神の意識が再び失われないように、水無月はいつもより口数を敢えて増やしていた。
そのことに気付きもせず、沖田と薫の戦いに体を横たえたまま目を向けた狛神。
時間の感覚が狂っていたが、まだ決着はついていないようだ。
「あぁ……。南雲に唆されて……止められ、なかった」
「……変若水で病は治せないことは承知の上で?」
「……」
狛神がこの場にいた分、責任を感じていることを水無月は見抜いていた。
江戸から沖田を連れてきてしまったのも茜凪と狛神が絡んでいるので更に気に病んでいるのもあるが、これは悟られていないだろう。
まだ動けない狛神の止血と処置をしながら、水無月は沖田と薫の戦いを見守り続けた。
「(茜凪が仮にここにいたら、沖田さんに加勢しろと言うでしょうか……)」
だとすると厄介だ。
羅刹の相手をすることは承知していたが、鬼まで出てくる始末とは。
頭が痛いと思いながら水無月も腹を括る覚悟だけは決めておこうと構えたのだった。
「まさか河童の水無月までここまで来るとは思ってなかったな」
薫が沖田の相手をしながらぼそりと呟く。
互いに余裕がないのは沖田も同じだったが、薫は形勢逆転される可能性を早期に見出していた。
詩織からの情報で、茜凪の側にいる妖が烏丸、狛神、そして水無月であることは聞いていた。
妖の羅刹を止めるのならば、茜凪は間違いなく詩織に関わる軍勢を滅するだろう。
詩織、青蛇、そして縹家の羅刹はもちろん―――変若水を与えた薫のことも追いかけてくる可能性は高い。
狛神を仕留められたら幸いだとは思っていたが、仮に狛神が回復し、水無月も参戦するなら話は別だ。
見方によっては三対一の状況。
詩織の気配もどんどんと距離をあけて離れていくのを感じれば、撤退し逃げ果せていると嫌でもわかる。
さらに避けたかったのは、後方から風を切りながら飛んでくる気配があったこと。
恐らく移動速度からして、烏丸がこちらに向かっている。
更に後方から感じる妖力が二つ。
残された羅刹をうまく率いて滅しながら、こちらへ距離を詰めてきている。
これは茜凪と雪平だろう。
つまり最悪、薫は沖田と水無月、烏丸、茜凪、雪平を相手にしなければならない。
「チッ」
舌打ちを一つ残し、撤退することを決め込んだ薫は沖田の剣戟を横に払った。
軽い仕草で交わした沖田は、目の前にいた薫が不自然なほど距離をとったことに逃げられると焦りを見せた。
「薫ッ!」
「死に損ないの沖田。せいぜい余生を満喫するんだな」
「待てッ!!」