48. 変若水
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投げ捨てられ、地に転がる小瓶。
カランカランと音を鳴らし瓶の中で波を立てるのは、赤い赤い液体だ。
西洋から渡来した劇薬で、長らく研究されてきたもの。
新選組内に入り込んだ毒だと揶揄されたこともあるそれ、変若水。
土佐藩の手に渡った変若水。
土佐の鬼である南雲がそれを持っていても可笑しくないのだが、今ここで沖田に「飲め」という素振りで差し出されるのは、狛神としてもいい気分はしない。
「狛神くん、下がってて」
「おい、沖田……!」
薫からの宣戦布告に気力だけで立っているような沖田が対抗を示す。
狛神はなんとしても止めなければと感じながらも、人である沖田の気魄に負けてしまう。
「薫の相手は僕だ」
「……っ」
「もし君が邪魔をするなら、君を先に斬ることになるけど……いいのかな」
そんな体で述べる虚勢がどこまで通用するんだよ。と思わず返したくなってしまう。
沖田が刀を抜いて薫と対峙すれば、戦いの火蓋が切られるのはすぐだった。
「いいのか? 変若水を飲まなくて」
「うるさいな。君こそ変若水が必要なんじゃない? 本当に剣で僕に勝てるとでも思ってるの?」
狛神は百歩譲って、沖田と薫の戦いには手を出さないことにした。
が、薫が連れている羅刹を倒しておかなければ、橋の向こう側へ渡ることは難しいだろう。
狛神も臨戦を整え刀を構える。
背筋に鋭い痛みが走れば、狛神自身の限界も近かった。
陽は傾き、影を伸ばし始めている。
昨夜の江戸市中から戦い通しであるのもそうだが、多摩川にて斥候体にやられた背中の傷だって完治はしていない。
「くそが……」
人と妖が混ざった羅刹の部隊。
同じ赤い血のような瞳をする彼らは、もともとは全く違う種族である。
一体どんな結末を望んで変若水を飲んだのだろうか。
深く息を吸い込み……―――狛神は自慢の脚力で、沖田と薫の戦線を越えて羅刹を抹消し始めるのだった。
第四十八華
変若水
ついに因縁の対決でもある沖田と薫の戦いが始まった。
詩織の気配が遠のいたことにより、沖田を打ち損じたと薫も悟った為での待ち伏せだったのか。
詳しくはわからないが、いずれ決着をつけるべき相手ならば今でも後でも関係ないと沖田は思う。
―――昨年末、近藤が二条城からの軍議の帰りに狙撃された。
肩を撃たれた近藤の姿。
溢れる血が止まらず、呼気が荒くなる近藤。
新選組の局長は、もう以前のように刀を振るうことはできないのかもしれないと誰もが思った。
そんな状況に居ても立っても居られなくて、沖田は自身の体を引きずって狙撃現場へと赴き、犯人を探すことにした。
捜索の最中、近藤を狙撃したのは御陵衛士の残党であり、市中から街道に向けて立ち去ろうとしていることを知る。
そして、その残党を唆したのが―――南雲 薫だったのだ。
南雲といえば、沖田の前に幾度か姿を現したことがあった。
最初に出会ったのは数年前、千鶴と一緒に市中巡察に出た時だ。
女性の格好をしており、千鶴と姿形がそっくりだったことに違和感を覚え、鮮明に記憶に残っていたのだが―――まさかこんな形での縁になるとは。
結局、昨年末の京市中で薫を仕留めることができなかった沖田は翌年三が日から始まった鳥羽伏見の戦いには参戦できず、大坂の松本先生のもとで療養することとなる。
療養所には近藤も送られていた為、どれだけ近藤が苦しんでいるかを目の当たりにしていた。
師であり、兄であり、父でもある近藤があれほど苦しんでいる最中、沖田は自身がなにもできないことにまた打ち拉がれていた。
「笑っていられるなんて随分余裕だなァ、沖田!」
「君こそ、本気で来ないとそのお粗末な腕じゃ僕に敵わないよ」
鍔迫り合いになりながら、姿勢も構えも互いに隙を見せなかった。
体格で勝る沖田は、自力と技で病の弱みをなんとか繕っていたが、薫の速さはなかなかのものだ。
目では追えるが、体が追いつかない。
速度に乗った力で押し込まれれば、筋力が落ちた沖田はじりじりと後退させられてしまう。
「ぐ……ッ」
なるべく交わし、力技を避けなければ。受け流すことに集中しようと心がけるのに、体が一拍も二拍も遅れてしまう。
薫の一太刀が、以前よりも数倍重たいと沖田は感じるようになっていた。
「衰えてるな、今のお前なんて相手にならないよ」
「う……ッ」
横から振りかぶられる薫の太刀をなんとか受け止める。
切先が沖田の頬を掠めて血の線を作り出した。
刀が弾かれたらお終いだ。
指先と腕に込める力を意識し、愛刀を落とさないことに注力する。
その時だ。
迫り上がってくる感覚に冷や汗がした。
気管支に不快感。
思わず左手で口元を押さえ込めば、咳が出るのを止められない。
口内が鉄の味で一杯になれば、押さえた左手が真っ赤に染まるのは誤魔化すことができなかった。
「ゲホッ、ゴホゴホッ」
「哀れだね」
「グッ、ゲホゲホッッ」
つきたくもないのに膝をついてしまい、薫の言葉に虫唾が走る。
気付けば剣を握っていた右手も震え出してしまい、力を込めることができない。
鋼が地に転がる音がした。
「(どうして……どうして僕の体は……―――ッ)」
声にならない悲痛な叫び。
薫が目の前に迫りくる気配。
一歩、また一歩と近付いて来て、太刀を振りかぶる影が映る。
「(こんな時に……ッッ!!)」
肺を傷つける咳は治らず、しゃがみ込んだ体を右手だけで守ろうとする。
鬼と名乗る相手は残酷な笑みを浮かべて沖田を見下ろしていた。
「残念だよ、沖田。こんな形であっさり死んでくれるなんて」
「ぐ……ゥ……ッ、ゲホゴホッ……!」
「―――死ねッッ!!!」
一直線で降下する薫の刃に、沖田は右手でもう一度剣を掬い上げて守りに入ろうと脳に指示を出した。
指示を出しているものの、腕が上がらず力も入りきらない。
このままでは袈裟斬りで殺られる。
息を呑む間もなく、迫り来る白刃を緑の瞳で追ってしまった。
―――守りの構えが、間に合わない。
「沖田ッッ!」
「!」
―――だが、この男がこの場にいてむざむざと沖田が死ぬはずがなかった。
後方から飛び出して来た狛神が、薫に向かって空中から雷光の術を繰り出す。
それは明らかに反逆行為だ。
鬼である薫に対し、妖の狛神が妖術を使うことは本能的に躊躇われたが、今の狛神には薫より怖いものがあった。
ひとつは、畏怖の感情を抱かせた茜凪の存在と彼女からの願いが籠った指示が沖田を守ることだったから。
そしてもう一つは、狛神自身が沖田を死なせたくないと強く思っていたことだ。
「狛神、お前―――邪魔をするなッ!」
「生憎、南雲家とは縁がなくてな。お前がどんな理由で動いてるのか知ったこっちゃねーが……」
余裕を見せるように笑ってはやるが、余裕があるように見せているだけで狛神も焦りはあった。
体力の限界と妖力も底を尽きるギリギリのところ。
薫に対抗するには獣化するのが一番だろうが、体が悲鳴をあげており獣化は出来なさそうだ。
「鬼とやり合うより、茜凪からの願いを無下にすることの方が今の俺には恐ろしいわ」
「チッ……おい羅刹共!」
沖田の戦況に危機を感じて戻って来た狛神は、既に半数の羅刹は滅していた。
薫が振り返り、狛神を仕留めるように指示を出した際に残っていたのは妖の羅刹だけだ。
縹一族の羅刹であり、毒が仕込まれたらたまったもんではないと痛感する。
二度と同じ手は喰らわないと思いながらも、ここは撤退をするのが先決だと狛神は思う。
果たして沖田が言うことを聞いてくれるかは別問題だが。
「狛神を殺せ! 鬼に妖が歯向かっていいなんて前代未聞だ!」
「時代は変わるんだろ。刀から銃の時代となるように。それと同じことだ」
「ハッ、鬼に刃を剥く上に人間に加担するだと? 本当、時代は変わるもんだね」
汗が頬を滴るのを意識しながら、狛神は次の手を考えていた。
沖田を連れて逃げるか、ここで薫を本気で仕留めるか。
はたまた背後から茜凪や烏丸が来るまで時間を稼ぐか。
いくつも手がある中で、どれが最適かが分かりかねてしまう。
考えている間に薫が一度退き、羅刹が前衛に上がってくる。
沖田がまだ咳き込んでいるのを確認し、狛神はここで守りに徹することがまずは最優先だと決め込んだ。
「狛神流」
各一族に伝わる妖術。流派。
白狐が炎を扱い、天狗が風を操る。
それと同じく、狛犬は雷を。
化猫は毒を。
怪狸は土を。
河童は水を。
自然界に溢れる要素を味方につけて、いつの時代も妖は戦い続けて来た。
―――相手が鬼になったことはあるのだろうか。
ふと、冷静に考えてしまう。
狛神の聞き及ぶ箇所、そして歴史に語られないだけで鬼を倒した妖もいるのではないかと自然と思えたことも土壇場での力になった。
一度左右に大きく腕を広げ、突っ込んでくる羅刹数体を迎え入れるような体制になる。
左右の腕で印を結び、その後両腕を交差させた。
そのまま天から地へ指を差し下ろせば、どこからともなく電撃の渦が迸る。
最後の最後、器の底の底までを振り絞るようにして狛神は妖力で術を生み続けた。
何度も何度も、傷を癒やしては突っ込んでくる羅刹を時には刃も駆使して戦い続ける。
戦火の中で感覚が研ぎ澄まされているせいか、沖田ですら惚れ惚れするような姿だった。
「……―――」
これがあの、狛神 琥珀か。
京にいる頃は、剣術の腕だけを見ていたからか。
彼の剣と手合わせをした沖田としては、正直相手にならないと思っていた。
だが今、沖田を守るべく戦う狛神は―――間違いなく強者だ。
妖術と剣術を交え、多勢に無勢の中でも一歩も引け劣らない彼に沖田は今まで狛神に感じたことのない感情を抱く。
それは、斎藤や永倉に対して持っているもの。
原田や平助にも示しているもの。
素直に強さを認める情だった。
「クソ……ッ、狛神如きに圧されるなんて―――」
羅刹による猛攻と、狛神による守備が激戦の中。
退いていた薫がついに仕掛けてくる様が見えた。
ここで羅刹に混ざって薫が出てくれば、圧倒される自覚があった狛神。
なんとか現状を打破したいと考えていたが、事態は悪くなる一歩だった。
「俺の邪魔をするなッッ!!」
「!?」
信じがたい光景が目に映る。
滅する羅刹の中、ついに飛び込んできた薫の姿に違和感を覚えた。
彼の感情に応えるように、髪の色が、瞳の色が変化していくのだ。
「あれは……ッ」
「羅刹!?」
鬼特有の、美しい銀髪と黄金色の瞳ではない。
色が抜け落ちた不気味な白髪、底光する赤い瞳。
この姿は……―――。
「お前、鬼でありながら変若水を飲んだのか!?」