47. 燈紫火
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初めてこの太刀を見た時、なんて美しいんだろうと思った。
まるで奉納されたような白い鞘。
鞘に彩られ、象られる金の装飾はこれ以上のものがあるのかと思わせるほど美しい。
抜刀すれば波打つ刃紋は言わずもがな、鈍色に輝くそれは絶界戦争を乗り越え神の化身を斬ったとは思えないほどの煌めきを放つ。
だが、その太刀は柄を握れば信じられないほどの重みを訴え、ことごとく茜凪の小さな悩みの種になっていた。
まるで美しいだけでは終わらせないとでも言うような、扱いに困る絶世の美女のような太刀だ。
その絶世の美女を雪平に預けていたのだがついに今、茜凪の手元に戻ってきた。
最初に感じたのは、感じていた重みが嘘のように無くなっていたこと。
今は羽のように軽く、戦火の道を切り拓くために必要な鋭さを増していた。
そして、温かさ。
剣に宿った魂とでもいえるような存在が、何度も茜凪の背中を押した。
行け。
行け。
負けるな、顔を上げろ。と。
「(環那……?)」
漠然と温かさの正体を兄だと思った。
環那が扱っていた刀。
神の化身を斬った太刀。
藍人を犠牲にするはずだったそれは、代わりに兄を呑み込み戦争を終わらせた。
その太刀を、受け継ぐ覚悟があるかと問われている気がした。
「茜凪様、太刀は整っております」
雪平から手渡された白く美しい太刀を―――受け取る。
「(環那の太刀……)」
幾度も命の終わりを見届けて、未来を築き繋いできた刃。
継承者は……―――守り、生かされ続けた彼の妹だ。
第四十七華
燈紫火
「茜凪の奴……共鳴しないのか……!?」
斎藤を片腕に抱え、できるだけ茜凪と詩織の戦場から遠ざける動きをする烏丸。
辺りに原田の気配がないか探りつつも、茜凪が全うに戦えている様に違和感を覚えてしまう。
明らかに先程よりも距離が近いにも関わらず、共鳴せずに自我を保てている。
この短時間に、精神力が成長する出来事があったのだろうか。
「一、お前茜凪と―――」
言いかけて、言葉を止めた。
それ以上聞くのは野暮だと思えた。
斎藤の瞳に宿す色も光も強さも、再会した時とはみちがえていたからだ。
「……―――」
きっと、きちんと想いをぶつけ合えたんだ。
だからこそ互いに互いを信じ、心の奥底で繋がったものを糧に二人は走り出したのだ。
斎藤の瞳に茜凪への想いは間違いなくあるものの、視線は不安を見せていない。
信じている。
必ず勝つ。
そしてまた会える。
根拠などないのに、強く望んでいるのがわかる。
「よかった……」
斎藤を退避させながら、烏丸は小さく呟くのだった。
対して―――僅かに―――顔色を変えたのは詩織だ。
獣化して繰り出した炎は、辺り一面を巻き込んでいく。
その中心部から青い炎が対抗をし始め、均一の強さで紅い炎の侵食を防ぎ始めていた。
獣化している白狐と、変化ができない白狐。
戦いの結果など目に見えているはずなのに、茜凪の炎は勢いでも負けなかった。
手元に戻った太刀が茜凪を奮い立たせる。
左手は炎を繰り出す構えをしたまま、右手に携えた鞘に眠る太刀。
抜き際の判断が難しい。
炎を緩める余裕はないので、まだ構えることができないのだ。
『茜凪……貴様はその太刀をきちんと理解しているのか』
獣の叫びに混じって詩織が問いかけて来る。
鋭い眼光に憎悪が映り、気を抜けば赤い蛇が現れそうだ。
押し負けてたまるかという、控えめとは言えない負けん気の強さが茜凪の前面に現れる。
『その太刀は環那様を呑み込んだ太刀。その太刀の主になるということは、環那様に匹敵する妖力の量が無ければ話にならない』
「ぐ……っ」
『一度その太刀を真意にて呼び覚ませば、避けて通れぬ道がある。貴様にその覚悟があるのか』
「……ッ」
『茜凪、貴様は私と来るべきこちら側の妖だッッ!!』
「―――違います……ッ」
対抗するのに必死な中、茜凪は詩織のその一言は聞き逃さなかった。
「私は……ッ、人間を怨んでいない……!」
『……』
「私の願いは、妖が憎しみの連鎖から解放されること……ッ! 誰かを慈しみ、大切に生を共有できること……ッ!」
絶界戦争を知ったこと。
手毬唄を知ったこと。
爛と旭、水無月の思いを知った。
赤楝の存在を見た。
喜重郎の夢を聞いた。
重丸がひとつの証であると思った。
兄を、環那を理解した。
「妖は戦いの中でしか強くなれない、生きられないなんてことはない……」
その上で、環那の夢を実現させたいと思えたこと。
すべてが語る。
茜凪は詩織と同じ血筋を継いではいるが、似て非なるものであると。
「私は貴女の仲間になることはありません―――ッッ!!」
構えていた左手を閉じた。
一歩後衛に引き、拮抗を保っていた紅い炎の勢いを交わす。
白い太刀を鞘のまま左手に移動させ、抜刀の構えをとった時だった。
「……っ!?」
鯉口を切ろうと滑らせる力をかけたときのこと。
刹那、茜凪の目の前にひとつの存在が舞い降りて来た。
鞘から刀の封を解かせないように、柄頭に誰かの手がかかる。
雪平でも、烏丸でも、斎藤でもない。
目の前にいる詩織でもなく、この場にいないはずのものだった。
黄金色の髪から覗く、茜色の瞳。
噂に聞く飄々とした視線ではなく、伏せがちなそれは妖艶だ。
殺気ともとれるその雰囲気に、茜凪は一瞬で呑まれてしまう。
「 この太刀を抜く覚悟はあるか? 」
柄頭にかかる負荷は強くないはずなのに、びくともしない。
滑らない刃。現れない刃紋。
だが世界は、時が止まったかのように動きを緩めていく。
「 目の前にどんな宿命が立ち塞がろうとも、切り拓く覚悟はあるか 」
「……っ」
「 答えろ、茜凪 」
茜凪にしか見えない魂とも言える問いかけ者に対し、茜凪は僅かに迷った。
その判断を責めるように、白い太刀が手から不思議な力で弾かれる。
「茜凪様……!?」
やはり柄頭を押さえた男の姿は、雪平には見えていないようだ。
どうして太刀が手から反動し弾かれたのか、彼には不思議な光景に見えただろう。
茜凪はギリリと奥歯を噛み、自身の情けなさに目眩がした。
まだ迷うのか。
まだ惑うのか。
これ以上ない、叶えたい未来を見た。
これ以上ない、約束をした。
妖が人と生きていくためにはどうすべきか。
刀を持たなくとも武士で在るためにはどうするべきか。
茜凪の答えは既に出ているのに。
『抜く覚悟以前に抜けないとは。根性なしか』
詩織が過度に身構えたのを解いたのがわかる。
太刀が抜かれたとすれば、詩織が劣勢だったのか。
しかし抜刀できない茜凪を見て嘲笑し、紅い炎で攻め立てる準備をする。
仰け反り、天から着地した足で茜凪と後方の雪平へ一直線で突っ込んでくるのが見えた。
弾かれた太刀は地に鞘ごと突き刺さる。
まるで春霞の里の墓標で眠っていた頃のように。
美しく傷を負わないような太刀は、茜凪を試し続けていた。
「茜凪様ッ!!」
雪平の叫び声が聞こえる。
何故太刀を抜かないのか、抜けないのか。
彼からしたら不思議だったかもしれない。
雪平よりも遥か後方―――斎藤と共に逃げる烏丸にも、光景は目に入っていた。
「茜凪……っ」
赤い世界に佇む相棒。
白い太刀の存在感は、距離を置いたここまで伝わる。
しかし。
太刀の前に立ち塞がる者が見えるのは茜凪だけだった。
「 覚悟を示せ 」
「……っ」
「 きみが望む未来のために 」
―――覚悟とはなんだ。
示せるものはなんだ。
考えながら、視界の端に詩織が放つ特大の紅い術が見えた。
雄叫びに混ざり、斬れない黒い糸が飛んでくる。さらにそれを伝う紅。
甲府の森が焼け野原になるのも時間の問題だ。
詩織が物理的に茜凪を噛み殺そうとするかのように駆けて来る。
―――もう時間がない。
もう一度、白い太刀に触れた。
柄頭から柄を伝い、地からそれを引き抜く。
「 茜凪 」
それはまるで、幻想のようだった。
目の前にいる黄金の髪をした男は、風を纏い、髪を靡かせ茜凪に背を向けた。
こちらへ向かって来る詩織に対し、持たぬ刀で居合いの構えをとっている。
茜凪とは異なる、真逆の構え。
右腰に刀があるように装い、左手を静かに添えている。
「 共に 」
片目の視線だけが振り返り飛んでくる。
赤い、茜の視線。
憎悪もなく、掲げた強さはなにを元にしていたのだろう。
夢か。誇りか。それとも愛か。
「 環那 」
その者は、環那だと寸分の狂いなく確信した。
果たしてこの兄は、一体なにを心の軸にしていたのだろう。
白狐が愛で変われるのだとしたら、兄はなにを愛していたのだろう。
誰を愛していたのだろう。
赤楝が死んだあとも無念や憎悪に呑まれずに、詩織を怨むこともなかったのだろうか。
誰を一番守りたかったのだろうか。
兄の魂はきっとこの太刀に宿っているのかもしれない。
実態を持たない思念が姿を見せ、茜凪に剣術の手解きをするようだった。
ゆっくりと鯉口から引き抜く動作を見せつける環那。
その背を、茜凪は知りはしない。
滑らせた先、剣に青い炎が渦巻き纏われていく。
「本当に左構えなんですね」
音が消える最中。
詩織が突っ込んでくるまで極寸の時間で、茜凪は環那の背を見ていた。
きっとこの手解きは、白き太刀を使う上で環那からの解説だったのだろう。
しかし、茜凪にも譲れないものがあった。
背を見せる兄に重ねたのは、何度も何度も憧れた男。
黒を纏い、白を靡かせる―――左構えの人間。
左右対称に、あの技を生み出してみせる。
「覚悟なら―――」
あの強さに魅せられた日。
唯心一刀流の免許をとるために臨んだ時間。
藍人を救うと決めたこと。
常井に禁忌の術を求めたこと。
小さな分岐のたびに、心構えを決めてきた。
今回も同じこと。
掴みたい未来。
誰もが笑える世界。
憎悪だけに溢れかえることのない妖界を。
人と共に歩くことができる絆を。
すべてを―――実現させるだけの、覚悟を。
「ここにあるッッ!!!」
詩織が茜凪に飛びかかる中―――白き太刀は現れた。
青い炎が渦巻きながら地から生み出され、踊るように舞う。
右手を掲げ、左手を滑らせ出て来た刃は茜凪を拒むことはもうなかった。
真意なる目覚め。
もともと美しさを携えていた刃はさらに煌めきを増し、詩織の紅と混ざり合う。
白から生み出された青。
黒から生み出された紅。
ぶつかり合えば、紫となり一面を取り囲む。
凄まじい衝撃波が雪平の元まで届き、そして斎藤と烏丸のいる随分離れた後方まで伝わった。
「 目覚めろ、