46. 丹青
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東へ向かって走り続ける。
足はとうの昔に限界を迎えていた。
それは体力が衰弱し、筋力が衰えていることに変わりはないが直接的な理由は病のせいだ。
浅くなりがちな呼吸。
止まりがちな一歩に鞭を打って、兄のような、父のような存在である近藤のもとを目指し続けた。
「ぐ……っ、ゲホッグホッ……ゲホッゲホ!!」
「総司! 大丈夫か!?」
音を隠せずに咽せたことを悔いる。
先頭を走っていた永倉が振り返ると同時についにぐらついて膝を折ってしまった沖田。
口元を抑えて吐血を隠していること。
視界が霞むこともあり、倒れる際に顔から着地してしまうかもしれないと悟る。
痛みも受け入れようとした頃、真横から支えてくれるように腕が伸びてきた。
「沖田ッ!」
赤い髪、黄色の瞳。
人相の悪い鋭い目つきが、どこか心から心配そうに沖田を見やる。
あぁ、彼は狛神だと認識すれば、ついて来てくれたことが意外だと思えた。
「ゲホッゲホッ」
顔面から倒れ込むこともなく、無様に地に這うこともなかったのは狛神が沖田の腕を己の肩に回して支柱になってくれたからだ。
千駄ヶ谷から連れてきた時点で彼の体は限界に近かった。
ただ意志の力で起き上がり、駆けて、近藤を追っている。
沖田が苦しみ、妖の羅刹や詩織たちと関わったせいで死ぬことになれば面目が立たない。
狛神は何もできないながらにも、沖田を支える一心で彼らについてきていた。
「総司ッ! しっかりしろ!」
永倉に返事もできない沖田。
距離は進めてきているので、間違いなく近藤や千鶴がいるであろう方角に近付いてはいるだろう。
しかし、このままの速度では追いつくことはできない。
薫が羅刹を連れて軍団で移動しているというのに、目の前には羅刹の一体も見当たらないのだ。
「し……んぱちさん、」
咳き込んでいたのが治ったかと思えば、呼吸のたびにヒューヒューと鳴る音は本人にも狛神たちにも聞こえていた。
気管支が傷ついているのがそれだけで理解できる。
それでも沖田は音を止ませずに、永倉を見上げて願った。
「―――新八さんだけでも、……先に行ってくれないかな」
「だが……!」
「なんてことないよ……僕もすぐに追いつくから」
気丈に振る舞う仕草。
いつもの沖田なら、こうして狛神に寄りかかることすら嫌がるのに、既にそうしていないと立っていられないからか受け入れている。
永倉が沖田を上から下まで一瞥した。
共に在ったとしても、速度を彼に合わせても、互いに気を遣うだけだと理解する。
その上で、沖田は永倉に願っているのだ。
「近藤さんと千鶴ちゃんを、土方さんのもとまで連れてってあげて」
「……」
「薫の首は、必ず僕が取るから」
肩で息をする沖田の視線。
消えない闘志に永倉の心はぐちゃぐちゃになっていた。
いつからこうなったのか。
どうしてこうなったのか。
自身たちが賊軍で、負け戦ばかり強いられて。
ギリギリと奥歯を噛むことを避けられず、ガッと勢いよく背を向けた。
「必ず後から追って来いよ!」
「……ありがと」
「ぜってー死ぬんじゃねぇぞ!!」
一言を残し、狛神に沖田を預けて全速力で走り出した永倉。
沖田は僅かばかりに安堵し、永倉が近藤に追いつくことを願うばかりだった。
「う……」
狛神に支えられて立っていたが、沖田の体が悲鳴をあげる。
力が込められなくなり、狛神に支えられつつも膝を地についてしまった。
狛神は何も言わずに寄り添い続けていたが、内心は葛藤を繰り返している。
「(本当にこのままでいいのか……?)」
ここにいれば少なからず沖田は羅刹に狙われることも、薫に関わることもない。
だが、戦線離脱を選ぶことは沖田にとっての本望ではないはずだ。
「(俺は……)」
一陣の風が吹いた。
前方は閑静な道が東に続いているが、後方はだんだんと騒がしくなってくる。
沖田の腕を肩に回しながら、狛神は振り返った。
恐らく詩織が連れていた羅刹が追いかけて来ているのだ。
やはりこのままというわけにはいかないらしい。
「狛神君」
「ん……?」
真っ青な顔で地に視線を投げながら、沖田は薄ら笑みを浮かべていた。
「きみ、どうしてここにいるわけ? 妖同士の戦いはどうしたのさ」
「……」
「詩織、だっけ? あっちにいるんでしょ。僕に構わずに行っていいよ」
「……」
「きみに心配されるほど、僕は落ちぶれていないし」
並べられる強がり。
小刻みに震える腕が、沖田の体の限界を教える。
誰が一番辛いのか。
そんな決まりきった答えが胸に突き刺さるから、狛神は答えられなかった。
「きみがいた方が、詩織戦の勝算見込みはあがるでしょ?」
「……」
「詩織に勝てないと、きみたちも、茜凪ちゃんも幸せになれないよ」
響く声が寂しげで。
あぁ、この男も茜凪の幸せを願ってるんだとわかる。
意外であると思いながらも、沖田は何だかんだ茜凪と仲が良かったと思い返した。
「―――……“幸せ”か」
ふと、ひっかかりを覚えた。
狛神にとっての幸福とはなにか。
千駄ヶ谷での夜。
茜凪と沖田の幸福についての会話が思い出される。
あれから狛神も考え続けていた。
狛神にとっての幸せ。
漠然としていて、明確に言葉にできないが……―――祇園の料亭で水無月や菖蒲、烏丸や茜凪と暮らした一年は狛神が生きてきて、最も穏やかで平和な……幸せな時間だった。
もし、あれを幸せだと言うのであれば。
狛神はどうして戦うのか。
なにと戦うのか。
理由がはっきりとしてきた。
最後まで妖界の一人として、反旗を上げる詩織に対抗する力を持ち続けなければならない。
―――だが、本当にそうだろうか。
「詩織と戦って勝つことだけが、幸せへの道じゃねぇんだよ」
詩織を倒せば全てが終わるのか。
茜凪は春霞の里で憎悪と向き合い、憎しみ合うことを止めるために動き出した。
本当はそう在るべきなのだ。
争いは憎しみしか生まない。
互いを受け入れ、許し合うことが和平に繋がる。
詩織は何が許せないのだろう。
どうして妖界に荒波を立たせたいのだろう。
人と鬼と妖が平和に暮らす。
いつか誰かが掲げた夢を叶えるとしたら。
一体どんな方法があるだろうか。
「詩織を倒して、命を奪っても……俺たちはきっと幸せになれない。そうじゃねぇ」
―――顔を上げろ。前を見ろ。
狛神は心の中にいる己に語りかける。
「俺は俺が幸せになるための戦い方を選ぶ」
―――向き合うことから逃げ続けた使命。
心の中にいる“狛神 琥珀”と、狛神は向き合うことを選び始めた。
第四十六華
丹青
―――紅蓮の炎の中に神々しい白い狐の妖がいる。目元には赤と黒の色を伸ばした妖界では神にも匹敵する強さを持つ者。
鋭い視線で憎悪を訴え、今まさに雪平と烏丸を討とうとしている。
炎の中で対抗するのは、神剣から放たれる白い光。
神域ともいえる不可侵領域にて対峙する天狗と怪狸の妖だ。
春霞 環那が扱っていた太刀が放つ光により詩織の殺気と憎悪に当てられずにいるが、正直烏丸は足が震えた。
目の前にいる詩織は今まで出会ったことのない強さで憎悪を語っている。
引き返すことは選ばないが、本能が逃げろと告げていた。
情けなさを感じながらも、烏丸はちらりと雪平を見上げる。
まるで百戦錬磨を語る目をした雪平に、烏丸の中の違和感は大きくなるばかりだ。
狢磨家は、温厚で争いを好まない一族。
こんなに度胸のある妖ではないはずなのに、どうして怯まずに立っていられるのだろうか、と。
「―――狢磨 雪平……っていったな。茜凪から少し聞いたぜ。春霞の里で再会したって」
「えぇ。昔から懇意にさせていただいてます」
本能的に声が震えそうになる烏丸に対し、雪平は至って通常通りだった。
唇を噛む仕草もなく、腹の底から声を発している。
語尾が震えたことを悔しく思うばかりだ。
「どんだけ強いか知らねぇけど、純血の獣化した白狐に挑む気か?」
「まさか。さすがにそこまで有能ではありません。茜凪様が共鳴しないよう、時間を稼ぐだけです」
雪平の視線は、既に赤かった。
茜凪を必ず共鳴させない、憎悪に呑ませないと言いたげな強さ。
ただならぬ縁や絆を感じ、関係性に首を傾げるばかりだ。
「あんた、茜凪とはどういう関係?」
「どう、とは?」
「俺は茜凪との付き合いが長い自負があるんだけど、お前の話をきいたのはついさっきだぞ。なんで茜凪のために白狐に挑むなんて無茶できんだよ」
余裕があるように見せながら、烏丸は奥歯を噛み締めていた。
妖術を繰り出す印を結ぶ左手、右手に構えた刀。どちらも力んでしまう。
本能単位で詩織を恐れているということを悟られないように、烏丸は努めるばかり。
一方、問われた意味を考えながら、雪平は一拍間を置いた。
烏丸からは気づかれないようにしていたが、彼の頬にも冷や汗は伝っていた。
それでも虚勢を張ったのは、この場にいる年長者として雪平の意地。
そして―――環那との約束でもあった。
「彼女の兄、環那様と約束したのですよ」
「約束……?」
「茜凪様を守り、力になるようにと。俺は環那様に救われた身……俺に今できることは極僅かであり、詩織からの共鳴と憎悪の蛇に彼女が呑まれぬように手を打つこと。そして―――」
詩織が動き出したのが視界の端に映る。
速すぎて気付いた時、いや気付く前から残像だった。
「妖力を与えることだけです」
神域にすら手を出すように生み出された炎。
獣の声を上げながら突っ込んでくる詩織に、雪平は太刀を鞘のまま携え退きを見せる。
決して抜刀することはなかった。
対抗を示したのは烏丸。
左の片手で結んだ印から、風を操る烏丸流の術が生み出される。
風向きが変わり、炎が詩織にそのまま降りかかる。が、彼女が生み出したものなので降り掛かろうが支障はないのだろう。
「(妖力を与えるだと……?)」
時間を稼ぐ雪平の前に出て、詩織と対峙を示す烏丸は怪狸が口にした言葉の意味がさっぱりわからなかった。
妖力を与える、つまり自身に宿している生命力や妖術の源を茜凪に与えるということか。
だが茜凪は今、妖力は本来あるべき量に戻り困っていないはずだ。
おまけに茜凪はここにいない。
「茜凪様、俺は貴女を試しています」
小さく小さく呟いた雪平の声。
どこにいるかもわからない茜凪にも、烏丸にも届かないそれ。
右手に握る白き太刀が、ドクリ、ドクリと呼応する。
「ここで共鳴に負けるのか、はたまた負けぬように逃げ果せるのか。それとも―――」
途切れる言の葉。
上がる雪平の口角。
流れる汗。
ドクリと再び脈打つように存在を訴える太刀に、雪平は呼気を苦しそうにしながら答えた。
「―――っ、わかっていますよ」
落ち着きたまえ、とでも言いたげな雅な口調で雪平は告げる。
それが合図だった。
シャン。と鈴が鳴るような音が響いた―――気がした。
『余計なことを……』
意識して音を聞き取っていたのは、その場では詩織と雪平だけだったかもしれない。
烏丸は気にも留めずに詩織へ反撃を繰り出すために足を動かし続けていた。
「整えます」
謎めいた墓守が、太刀を携える手に力を込めて笑う。
詩織は危機を察知したからか、猛攻への姿勢を崩さなかった。