44. 封
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茜凪が斎藤、原田と共に詩織から距離をとり、烏丸が雪平に助太刀へと乗り込んだ頃。
甲府から江戸に向かう道中、相模国の国境にて。
「クソッ、どうなってやがる……!」
馬で江戸へと駆け戻る最中、明け方から羅刹に追い回されている男がいた。
筒袖に身を包み、漆黒の髪は断髪されているものの役者のように整った顔立ちは今でも目立つ。
その男、新選組副長・土方だ。
武蔵国を目指して甲府から馬を走らせていたが、途中で不穏な気配を感じて馬を止めてしまったが最後。
土方の命を狙う妖の羅刹が彼の行く手を阻んでいた。
多勢に無勢の中、刀を振るい健闘していた土方だが陽がすっかり昇った頃から妖術も繰り出され始め手に負えない状態になりつつあった。
駆け続けた馬も疲労感は拭えないようで思うように速度が出ない。
対して妖の羅刹は手強く、土方としては逃げることしかできない状況。
早く援軍を呼び、甲府に戻らなければ新選組……―――近藤の命運が危うい。
焦りばかりが浮かぶ中、ひとつの転機となったのは国境から相模国に入った頃だった。
「あれは……―――」
走り続けた馬の脚が減速している。
歪な拍で動き続ける馬の上から広げた視界。
前方に見える石橋の上に、一人の男が立っていた。
全身を灰色の着物で着飾り、その上に羽衣をかけている。
薄い藍色の衣は風に揺めいており、目を背けることができなかった。
ゆらゆら。ゆらゆら。
美しくはためくそれらは女が身につけていそうなもので、遠目に捉える佇まいの男には違和感を感じてしまう。
似合わないわけではない。
が、不自然だ。
背後から迫る羅刹にもまた剣戟を見舞わなければならない中、土方は前方の道を立ち塞ぐ男も警戒していた。
あと少しで男の横を駆け抜ける距離までやってくる。
もし妖部類の敵ならば、仕掛けてくる可能性は高いと刀を構えたその時だった。
「!」
石橋の左右から、大量に白い吹雪が現れる。
季節外れの雪かと見間違えるほど、視界が真っ白に染まっていく。
思わず馬を止めようと手綱を引いたが、前方にいる相手が小さく、だがやけに通る声で囁いた。
「止まるな。そのまま行け」
見た目から想像していたよりも高い声が、進めと断言していた。
石橋の上に立ち塞がる男は、土方から一切視線を逸らさない。
いや、土方ではない。
その背後にいる羅刹を睨み抜いていた。
「お前は……―――」
馬が蹄を鳴らして距離を詰める。
線の細い男は、土方の記憶にある男を連想させた。
「北見 藍人……!?」
「ハッ、人違いだ」
垂れ下がっていた腕が上がり、構えをとる。
バッと勢いよく開かれた両腕に従い、真っ白な粉雪たちは背後から軍を成す羅刹に襲いかかっていた。
あれは粉雪ではない。
紙だ。
「いや、妖違いか」
「……っ」
「胸糞悪い奴と間違えてんじゃねぇ」
見たことない量の紙が連なり、羅刹に対抗するように形を成していく。
生み出されたものは獣であり、真っ白で美しい毛並みを持っていた。
「狐……!?」
土方が北見 藍人と類似した顔を持つ男を馬で追い越し、江戸側にある橋の出口から振り返り眺める。
紙が意志を持ち、白狐の獣が現れた。
この光景や術には見覚えがある。
見間違いだと言われたが、これは式神の術―――間違いなく北見 藍人が使用していたものだ。
「お前は……」
思わぬ者に助けられたと思いながら土方は橋の上に仁王立ちする相手へ言葉を送る。
羅刹を滅するべく立ち塞がった者を、爛はこう呼んでいた。
“暴れん坊”と。
「別に人間を助けたかったわけじゃねぇ。勘違いすんなよ」
「……っ」
「妖が羅刹を見過ごせなかっただけだ」
線が細く、よくよく見れば端正な顔立ちをした者。
藍人によく似ているのは当たり前で、彼……―――いや、彼女は藍人の実の姉にあたる。
爛との関わり、そして茜凪の存在。
赤楝や綴、環那との過去を思い、結局この羅刹殲滅に参戦してきたのは北見 旭だ。
彼女が式神で生み出したのは、獣化した白狐である。
その神々しい姿に怯え、猫の羅刹が飛びかかってくるのを躊躇った一瞬を狙っていた。
「本物の白狐は、もっと強くて恐ろしいんだぜ」
式神の白狐を操り、その場の羅刹を殲滅し始めた旭。
土方は旭に救われたのは間違いなかった。
―――そして同じ頃。
至近距離にまさか本物の獣化した白狐が現れたなんて誰が思っていただろうか。
「怪狸如きがその太刀に力を宿すなんて身の程を知れ」
「その怪狸がお相手いたします」
茜凪、烏丸、斎藤、原田がこの場から退いたのを確認した雪平は、対峙する詩織の弱点を探そうとしていた。
そして茜凪から預かり、持ち出した太刀が彼女・純血の白狐である詩織という登場人物を紐解く鍵だと早々に見抜いたのだ。
それは茜凪には到底できなかったであろうこと。
詩織にとっての環那とは、どんな存在であったのかを正しく予測し、理解し、見抜いた雪平だったからこそなのかもしれない。
「貴方も環那様の概念に―――」
「好き勝手に解釈しないでください。私が環那様に劣るとでも……?」
地に鞘ごと突き刺さる太刀は白い輝きを放っている。
神域であるかのように空気すら変化させる宝刀の価値を、雪平は見誤らなかった。
対して詩織は太刀の周辺に近付くことができずに一定の距離をとっている。
だが、詩織も白狐だ。
流石だったのは、不気味な笑みを浮かべて口角をあげ深く長い息を吐き出したこと。
「純血の白狐が本来の姿に戻るとどうなるかご存知ですか」
「……」
「春霞は日の本で最強と謳われますが、最も個体差の出る一族。獣化ができる者はごく一部に限られ、血の濃さで力が決まると言っても過言ではない。故に純血が丁重に扱われ、重宝する。半妖を生み出すことなど言語道断」
地から這い上がる赤の光。
赤の中に黒が混じり、血を連想させる色になる。
その光は雪平の中にさらに具体的な印象を与えた。
携えるものは、憎悪だ。他者を憎み、怨み、妬み、羨むもの。
醜い感情が糧になったもの。
「環那様は実の父君、つまり最後の長より強いと言われていました。理由は、純血であり獣化ができ、個体能力の未来予知を備え、あまつさえ最後は直感能力まで開花させたと聞きます」
「……」
「ですが―――それは決して環那様にしかできない事柄ではありません」
爆ぜるような光が生まれ、赤い炎が詩織を包む。
神々しい太刀の白とは相対し、力技で雪平に挑む詩織はついに姿を獣の姿へと変えた。
天狗や犬とは異なり、大きさはやや小ぢんまりとしているが―――放つ気配が特級だ。
白い毛並み、八つの尾っぽ、額には赤と黒の模様があり、鋭い視線を放つ瞼からは紅の柄が伸びている。
よく語り継がれる“狐の妖”と聞いて、すぐに連想できる姿。
人からすれば“化け狐”と蔑まれ終わるだろうが、妖から見たこの姿の意味合いは全く違う。
恐ろしくて堪らず、逃げ出したいと思う姿なのだ。
殺気が肌を刺し、熱気が体の内側を犯すように感じる。
雪平もたじろぎ一歩引いてしまうが、白い光は神域となり彼を守り続けた。
『 恐るな 』
まるでそう告げるように、太刀が脈打つように空気が震える。
「……えぇ、そうですね」
垂れ目の雪平が視線を細めて笑う。
太刀に語りかけるようにし、構えをとった。
獣化した白狐を、怪狸が対峙するなんて前代未聞だ。
敵うわけがない。と末代まで語られるだろう。
余裕がないくせに、頭の片隅で子孫に語る姿を雪平は想像してまた笑う。
そんな未来と同じくらい、茜凪のことを考えていた。
「環那様の太刀のおかげで俺は正気でいられますが……茜凪様は詩織に共鳴してしまいそうですね」
―――共鳴。
言葉の通りであり、妖気による影響のひとつだ。
強い感情が妖力に乗り発揮される時、周りにいる者に同じ感情を共有してしまうのだ。
妖は憎悪などの強い感情を糧として力を振るうと古来から言われており、同じ種族で共鳴し合うと憎悪が伝播するとも言われていた。
この現象が関ヶ原の戦い以降に起きてしまい、人を許せない一族が生まれ絶界戦争に繋がったとされている。
妖力の種類が似ているものが特に影響されやすいために、詩織の憎悪に最も中てられるのは茜凪だ。
雪平はそれを心配しており―――見事、的中することになる。
だが、それを見越して雪平は懸けていた。
斎藤 一という人間に。
彼を愛した茜凪なら。
沖田から聞いたように、茜凪を本当に想ってくれている彼ならば。
斎藤がいれば、茜凪はここで共鳴し本物の化け物にならずに済むと信じていた。
「俺は俺の役目を果たしますよ、環那様」
こうして怪狸が獣化した白狐に挑む戦いが始まったのだった―――。
第四十四華
封
鼓動に呼応するようにズキンズキンと全身が痛みを訴える。
耳に届く音たちは自然界にありふれたものであり、水の流れや飛沫、木々のざわめきや葉が散る音など。
自立する力を失っていた首により、地についた頬。
触覚で判別できるのものはざらついた砂にべたりと触れていること。
痛覚、聴覚、触覚が働き始めて最後に視覚が動き始めた。
なんとか押し上げた瞼。
映る景色は渓谷の谷間、流れる川の程近くであることを教えてくれる。
辺りの木々に桜があるようで、薄紅色の花弁がどこからかひらひらと舞い散っているのも見えた。
「(なに、が……)」
―――何が起きたのか。
思い出そうとして動こうとしたが、まだ起き上がるには痛みが引いていない。筋をピキッと痛みが通り動きを留めてしまう。
眼球のみで左右を確認し、気を張り巡らせて辺りに敵がいないことを確認した。
意識を取り戻してから徐々に何が起きたのかを思い出す。
ギュっと瞼を一度閉じ、利き目の左で改めて前を見据えた男、斎藤 一はようやく腕を動かそうとした。
そこで片方の腕に重みが乗っていることに気付く。
ぼんやりとする意識に鞭を打てば、傍らでまだ意識を失い倒れている茜凪の姿があった。
砂埃や煤で汚れ、生傷の絶えない姿は見ていて痛々しい。
「茜凪」
気を失い、さながら人形のように眠る彼女に声をかける。
どれくらいの強さで体を強打しているかがわからない。
下手に揺すってはいけないと思いながらも、肩と腕に触れたが反応がない。
右腕で彼女を庇った斎藤も痛みはあるものの、さほどではない。
落ちた高さから考えれば、軽傷すぎるほどだ。
「運がよかったのか……」
落ちてきた絶壁を見上げる。
崖の上にも羅刹はいないようで、落下したことにより追っ手が撒けたようだ。
だが、どう考えても軽傷すぎる。
茜凪を抱き留めながら落下したのなら尚の事。体が痛みで痺れているだけで足や腕も動かせる。
本当ならば骨が折れていてもおかしくないはずなのに。
「!」
そこでようやく斎藤はひとつの存在に気付いた。
二人が倒れている箇所から距離を幾寸かとり、一人の男が立っている。
敵意はなく、静かに微笑んでいるだけの―――どこか儚い空気を持っていた。
揺らめく金髪に茜色の瞳。
どこか見たことがあるような既視感を覚える顔立ち。
小首を傾げて、まるで「だいじょうぶかい?」と聞かれている気分になる。
そんな彼へ斎藤は、神々しい。触れることが許されない神に等しい者。という感想を抱く。
どうしてかはわからないが、そう思えて仕方なかった。
「あんたは……」
敵か? と聞きかけてやめる。
こんな穏やかで温かい空気を晒す者が敵であるとは思えなかった。
斎藤に返事はせず、代わりに男は左腕をゆっくりと持ち上げる。
角度がついた腕と指先で、優雅な動きで彼は指し示した。
示された先には、まだ倒れている茜凪がいる。
左頬の傷は決して浅くはなさそうだ。
跡が残ったら大変だ。
彼女は見紛うことなき女性だ。
嫁入り前の娘の顔に傷が付いたなんて彼女の人生を左右することにならないかと不安を持った。
ふと、前後のやりとりに関連しない直感が働いた。
神々しい男が指し示したのは茜凪。
安らかな笑顔で見守る相手。
漠然と証拠もなく、彼が斎藤と茜凪を助けてくれたのではないかと思えた。
あの高さから落ちて、ほぼ無傷でいられたことに理由がほしい。
斎藤が腕に茜凪を抱えたまま起き上がれば、満足そうに笑う男。
声にならない声で、口を開いた。
「 」
「―――っ」
桜が舞う。
花弁が散りゆく中、金髪の男の姿は桜吹雪にさらわれてしまう。
一瞬にして消えた相手に、斎藤は迷いなくその名を呼んだ。
「環那……」
あれは、茜凪の兄・環那だ。
顔も知らない。見たことないし、会ったこともない。
だが、誰かに似た顔立ちと茜色の瞳、そして愛おしそうに茜凪を見つめる視線は男としてのものではなかった。
家族への愛。
茜凪に対して、あの慈しみを向ける者は―――斎藤の中での心当たりは環那ただ一人だった。
そんな幻の兄が、斎藤に音にならない願いを紡いだ。
その言葉は真っ直ぐに彼に届き、心の内に留められ、じわじわと広がっていく。
「はじめ、くん……」
環那がいた場所を見つめて惚けていた時。
胸の辺りからよく知る声が発せられ、視線も思考も切り替えた。
「茜凪……」
「私……あれから……」
どうやら茜凪も落下した衝撃自体は軽傷だったようだ。
傷は多いものの、休めばしっかり動けそうである。
肩を支えられて半身起き上がり、茜色の瞳で斎藤を見上げてきた。
この距離感。
近くて、触れられて、守れる距離にいるのは本当に久方ぶりだった。
茜凪はまだぼーっとしているけれど、斎藤はここからどうすべきかを既に考え続けていた。
すぐに離れるべきだ、拒むべきだと理性が訴える。
だが、それを心が許していない。
心の内側で葛藤していることを悟られたくなくて、強がって真っ直ぐ茜凪の瞳を見つめ返していた。
「あそこから落ちてきたんですか……?」
「あぁ……。体は痛むか?」
「ん……少しだけ……。でも、落ちて怪我したからというわけじゃなさそうです」
どちらかというと眩暈と気分が悪いらしい。
詩織の影響が強いらしく、まだ距離をとるべき場所にいることがわかる。
「立てるか?」
「……、はい」
動けるか、腕や足に力を込めて確認をした茜凪。
問題はあるがまだやれることを認めて頷く。
右手を茜凪に貸しつつ、斎藤も片足は立ち上がるために力を込めようとした時だ。
一陣の風が緩やかに吹き、桜吹雪を再び起こす。
思わず茜凪も斎藤も片目を閉じてしまう。
次に開けたときは、薄紅色の花が生き急ぐように散っていた。
「きれい……」
その場に似つかわしくないほど、感嘆とした声を茜凪が出した。
見上げた先、数本が連なった桜たちが雅に立っている。
彼女の視線が桜をとらえ、そんな彼女を斎藤がとらえる。
彼女は、茜凪。
妖の白狐であり、人ではない。
そのくせ斎藤に懐いていて、斎藤の影響で剣を手にしたという。
まるで当たり前だというように、彼女の中には“斎藤”という存在がいて、想いを寄せている。
幾度も幾度も『好きだ』と告げられたのは鮮明に甦る記憶だ。
あまりにも自然に言うものだから、どう反応したらいいか最初は決めかねていた。
回数を重ねれば重ねるほど彼女が心から純粋に告げている言葉だと知る。
冗談交じりに認めてやれば、その返答も当たり前のようであったことはもう照れるのを隠すしかなかった。
そんな彼女でも、斎藤が烏丸に願った『自身から遠ざけてほしい』という意図が伝わったのならば―――少しは嫌われるだろう。愛想を尽かされ、もう二度と目の前に現れないだろう。と思っていた。
想いが途切れることになってもいい。
茜凪が無事で、妖として幸せを掴める道を行くのなら。
彼女が死ぬことがなければいい。新選組から離れ、生きてくれれば。
しかし。
彼女は、茜凪。
根底にあるものが京にいた頃と何も変わっていないことは尋ねるまでもなく明らかである。
あぁ……彼女の存在が心を占め始めたのはいつからだったか。
慶応二年に西本願寺で出会った時、こんなことになるなんて斎藤は全く思っていなかった。
「助けてくれて、」
「!」
「ありがとうございます」
桜を見ていた茜凪が、唐突に斎藤に告げる。
独白に乗っ取られていた意識をしっかりさせ、斎藤は茜凪と視線を交わした。
正直、驚いた。
京にいた頃と全く態度を変えない彼女には完敗だと思う。
表情に感情を乗せないようにしつつ、斎藤は強がれずに視線を逸らした。
「はじめくんが庇って下さってたの、知ってます」
「……今のあんたと俺ならば、あんたの方が負傷しているからな」
「そうですか? 負傷していなくても、きっと同じことをしてくれたと思います」
桜に向けていた穏やかな視線と同じ温度で、茜色が斎藤を射抜く。
その様は、幻想として現れた環那にそっくりだ。
「はじめくんって、そうゆう方ですから」
「―――……」
「やさしいの、知ってます」
どきり、と心拍数が増す。
理性が警告している、このままここにいてはいけない。
すぐに彼女を遠ざけなければ、とある感情の蓋が開いてしまう。
いつからか腕の中に抱えていたもの。
満たされて、溢れ出て、ぽたぽたと歩いてきた道にも零してきた。それすら勿体無くて拾い直したいと思うほどの、人生で初めての感情。
認めているけれど、認めたくない。
自覚しているけれど、まだ自覚していないフリを続けたい。
言葉にして、仲間にも告げている想いを、本人を前にして見て見ぬフリをするのは―――自分の勝手で茜凪を傷つけたくないと思っているからだ。
渦になる葛藤、欲望、感情。
心はもうぐちゃぐちゃだ。
斎藤は自身が間者務めができる才があったことを心から幸運だと思う。
まだ顔には出ない、出さずにいれる質であることに感謝しかない。
「だからこそ、聞きたいことがあります」
だが茜凪の反論はここからだった。
まるで今しか機会がない。これが最後の切り出せる場面だとでも言うように微笑みが消え、真剣な面を向けられる。
この先、告げられることが予想できた。
―――もう逃げられない。
ここからは、斎藤と茜凪。
感情同士の真っ向勝負しかないと悟った。
「烏丸の里に連れて行かれた理由について」
「……」
「烏丸の思考の中にはじめくんの姿がちらついているのを知りました。それで悟ったんです。あの時期、不自然に烏丸の里へ向かうことになった理由は……はじめくんが、私を遠ざけたくて彼に依頼したことなんだって」
茜凪は思い返していた。
烏丸を殺すつもりでぶつかりあったあの日のことを。
とどめの一撃をさそうとした時に、直感能力にかかった烏丸の思考。
斎藤の姿が見え隠れしていたことを。
お調子者だが温厚な烏丸からは想像できないほどの激昂と、それをぶつけた相手こそが斎藤であったこと。
どうして烏丸が斎藤に強い感情をぶつけているのか、理解ができないと惑う中で続く会話。
続きは斎藤の言葉から仕切り直されていた。
【死なせたくない】
【茜凪を人の戦で死なせたくない。妖として生きる茜凪を、反逆者にも仕立て上げたくない】
【故に、遠ざけてほしい。二度と俺や新選組の前に現れぬように】
だから茜凪は斎藤の元から連れ出され、新選組から距離を置かれた。
経緯はある程度想像できたし、この願いの前提にあるのは斎藤の心遣いだ。
斎藤が茜凪の為を思っての願いである。
だが、この願いの前提よりもっと前の想いを茜凪が理解できていなかったのだ。
「どうしてですか……?」
「……」
「教えてください。どうして私に直接意図を伝えるのではなくて、烏丸に依頼して遠ざけたのか」
疑問をぶつけられる斎藤も目を細め、内心の焦りを吐露しそうになる。
堪えてはいるが、限界が近い。
感情の蓋が開く。
封をしていたものが開け放たれれば、悔いが残らないだろうかと不安に駆られる。
「新選組から距離を置き、遠く平穏な生活を送れと直接言ったところで茜凪、あんたは聞かぬだろう」
「それは……。でも、だからといって本当の意図を知らないまま連れて行かれたのは不服です」
「……それに関しては詫びよう。すまなかった」
―――斎藤にとって、あの時はあの選択しかできなかった。
芽生えた気持ちを認めるには、今よりもっと足りないものがあったからだ。
茜凪が思っている“納得ができないから教えてほしい点”と“斎藤が隠しておきたい想い”。
お互いに納得した別れをするならば、どちらも明かす必要があるが題材にそれらは出来ないので僅かに噛み合っていない。
複雑に絡まっており、解くには時間を要する。
「私は妖です。戊辰戦争に手を出して妖の反逆者となり、勝敗の結果を変えようだなんて思ってません」
「……」
「できれば新選組の皆さんやはじめくんが勝利すれば嬉しいとは思ってます。でも、妖の力を用いて新選組の隊士として参加しようとなんて考えたこともありません」
「違う。そうではない」
「え?」
「俺とて、あんたが新選組の戦に隊士として参加し、妖の力を使って薩長軍を滅するなど考えておらん」
話し合いの起点が違うと見抜いたのは斎藤だった。
今、茜凪が抱いている疑念を納得出来るように説明するのは容易い。
だが踏み出せないことがある。
この疑念が晴れたら、次に問われるものが予測できた。
それでも、切り出した言葉は止められない。
一歩、未来に向かって踏み出す足。
動き出す。
「―――……茜凪。もし俺が妖の羅刹によって命を落とす場面に遭遇したら、あんたはどうする」
「助けます」
間髪置かない返事だった。
もはや彼女も武士ともいえるような視線で向けられる茜色。
嬉しく思う心を隠そうと、思わず肩をすくめてしまう。
彼女が斎藤の行為に納得していないのは、新選組を妖の羅刹から守るのは自分であると自負していたからだろう。
そして、それが茜凪の望みだった。
烏丸への願いは、彼女を謀ったわけではないのだが、斎藤らしくないやり方だから食い下がるのだ。
「ならば、俺の命を奪う者が薩長軍の人間であったのなら、どうする」
「え……―――」
「見殺しにできる覚悟があったか」
虚を突かれたとでも言いたげな表情に一転した彼女。
斎藤は深く息をし、続ける。
「傍にいて人の戦の最中、妖の羅刹を滅するというのは、誰かの死に際と向き合うことになる。例えそれが俺であろうとも」
「……ッ」
「人同士の戦であると受け入れず、見殺しにする覚悟がなければ、それは妖にとっての反逆行為に値しないだろうか。俺が死する定めを、あんたの存在で覆せば痕跡が残らないか?」
―――いや、残るだろう。
言葉の裏に隠されたものを茜凪も察する。
「あんたは妖であることを悔いてはおらぬし、矜持もあろう。そんなあんたを俺の事情に巻き込むことはできぬ」
考えが浅はかだったとは、茜凪も思ったのだろう。
だからこそ斎藤の訥々と続く言葉を遮ることなく聞いていた。
「刀の時代は終わる。我ら新選組がこれから行く道は今まで以上に激戦が見込まれるだろう。俺は最期まで俺の心に添うよう、役目を全うする」
「……」
「今や西洋から渡来した武器の方が多くの人を殺すことができる。戦の勝敗に関わらず、刀が必要なくなり、武士が不要となり、存在が消える世の中はすぐそこまで来ている」
「それは……」
「無論、そうならぬように努力はするが、俺は死ぬまで武士であり続けたい」
鳥羽伏見の戦い。
そしてこの甲州勝沼の戦い。
今まで負け知らずだった新選組が、まるで歯が立たずに賊軍として扱われ敗走に追い込まれている。
一度は士籍を失い、武士として命を失った斎藤。
それを蘇らせてくれた新選組、そして会津藩。
微衷を尽くす以外の道はあらず、ここ以外の居場所も見出せない。
例え負け戦になるとしても、そうであると知っていても、新選組の剣であり続けたいのだ。
「(それ以外の未来など、俺には描けん……。武士が必要とされなくなるのならば死んでもいいとさえ思っている俺の傍に、あんたを置くことはできぬ)」
―――考えて、考え抜いた答えだった。
茜凪が妖だとしても、想いを寄せ続けてしまうこと。
想いがあっても、心を晒して告げてやれない理由は今となってはただひとつ。
未来が描けない斎藤のために、妖としての矜持を捨て、反逆者になってほしくない。
「散りゆくものの運命に、妖であるあんたが巻き込まれる必要などない」
茜凪には笑っていてほしい。
幸せになってほしい。
心の内に秘める、恋情の願い。
幸せにしてやることが己にはできない。
人であることも、未来がないことも、何度考えても変えることができなさそうだ。
故に、茜凪を求めることはできない。
斎藤の思考は堂々巡りをしては、ここへ戻って来ていた。
桜がまた舞い散る。
幾千とも思える花びらがふわふわと遊び歩き、いずれ地に落ち枯れていく。
舞い散る姿は美しかれど、散ったあとは踏みにじられるだけ。
先が決まっているからこそ、儚さが美しさを増幅させる。
斎藤のことも、茜凪には桜のように見えているのだと思っていた。
「はじめくんが思い描く、武士とはなんですか?」