42. 逢言葉
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
第四十二華
逢言葉
―――慶応四年 三月。
後の世で“甲州勝沼の戦い”と言い伝えられる戦があった。
この戦は官軍と、賊軍である新選組が主軸となり戦ったのだが、表には語られない歴史があった。
鬼が人の歴史に記されないように。
羅刹と妖についても、歴史の狭間に葬り去られることになる。
新選組の幹部である斎藤と原田たちは、撤退の最中で妖である烏丸 凛と爛の兄弟、狛神 琥珀、縹 重丸、烏丸 子春。
そして春霞 茜凪と再会を果たした。
奇しくも再会の要因になったのは、茜凪たちの敵である詩織との合戦だ。
沖田と永倉が薫を追い、この場の戦線からは離脱した。
同じく、妖の代表として狛神がそれを追いかけることになる。
多くの羅刹も蠢く中、ついに茜凪は詩織との再戦に挑もうとしていた。
しかし、実のところ茜凪には余裕が全くなかった。
狛神を見送り、隣には烏丸が立つ。
傍には斎藤、そして原田、離れた場所に子春と愛宕、背後には重丸を抱えた爛がいる。
だが茜凪の視界には彼らは向けられておらず、端をちらつく細く長い鱗が気になっていた。
赤い蛇が見える。
しゅるるると舌を鳴らしながら、塒を巻くようにこちらに存在を訴えかけている。
これは、憎悪だ。
憎悪が象られると、いつだって赤い蛇が現れる。
他者には見えない、感情の具現化。
赤い蛇に意識を半分呑み込まれそうになりながら、茜凪は詩織に対峙する。
「(落ち着け……っ、平常心で戦えなければ詩織が有利だ……!)」
茜凪は詩織が小鞠を殺した夜のことを、今は思い出さないように努めていた。
憎悪に呑まれれば負けてしまう。
本領を発揮できないのならば、彼女に勝てるはずがない。
憎しみや怨念に身を委ねれば、思いは糧となり妖として頂点を極められるかもしれないが、憎悪は次の争いしか生まないはずだ。
ここで終止符を打たなければ繰り返されるだけ。
関ヶ原の遺恨も、絶界戦争の悲しみも、藍人を失った痛みも、もはや過去だ。
つくりだせるのは未来だけであり、変化の対象はいつだって自分のみだ。
他者を変えることも、過去を変化させることもできない。
想いが糧になるならば。
糧にするものを変えればいい。
怨念ではなく、愛を。
それができる妖が本当の頂点のはずだ。
「(きっと環那ならそうする……っ)」
首を、腕を、腹を、脚を。
手玉にとり、巻きついて離れない赤い蛇から茜凪は目を逸らし続けた。
―――やはり、里で跳ね返しただけでは打ち勝つことができたわけではなかったんだ。
残念ながら力不足であることを認め、深く長い息を繰り返す。
何度か呼吸をし続けることで、ようやく辺りの声が耳に届くようになった。
「兄貴、次に詩織が動いたら飛び去ってくれ」
「本当にやるのか……ッ?」
「あぁ。どちらにしても守る対象が多すぎればこっちが不利だろ」
「俺たちに構うな凛。守ってもらうつもりはねぇ」
「左之助はちょっと黙っててくれ」
どうやら烏丸が兄である爛に依頼をしつつ、原田と何かでもめているようだ。
重丸や子春は依然として気を失っており、愛宕は一切口出しをしない。いや、口出しができる立場になさそうだ。
そして残された斎藤も終始口を噤んでいたが、こちらは理由が異なりそうだ。
「……」
率先して詩織の前に立ち塞がる茜凪の背を見守る顔は複雑だ。
彼女が参戦し、再会したことで無事がわかり安心した。
同時に不安でもある。
今から起きる戦いがどれだけ命を懸けているのかも、詩織の強さも見てしまった。
茜凪の左頬から滴る血が止まらないのを見据え続けてしまう。
左手に握った刀。
籠める力を強くするだけで、二人は言葉を交わすことができない。
状況もそれを許さない。
何より、ずっと探していた。
一言目に出す言葉を。
別れの言葉で終わらせた斎藤は、再会の言葉を用意していなかった。
憎からず思っているのは間違いないが、彼女を思うからこそ茜凪と関わる気がもうなかったからだ。
そして今、茜凪が何を知り、どんな気持ちを斎藤に抱いているのかもわからない。
「さて。もういいですか?」
まるで何事もなかったかのように会話を始めたのは、敵対する詩織だった。
春先の独特の匂いの中。
白い花弁が優雅に空に舞う地を戦火にしようと、詩織が一歩踏み出してくる。
「烏丸兄弟の感動の再会も、沖田 総司と茜凪の約束も果たされたそうですね。命の奪い合いを始めるのに未練はもうありませんか?」
感動という言葉を使う割に、全くの無表情。
感情を持たないとでも言いたげな白狐に対し、もう一匹の白狐は血も汗も止まらない。表情に全てが乗っていた。
赤い蛇をまだ祓うことができていないらしい。
「それにしても、驚きました」
このままおっ始める気か?と原田が視線を鋭くし、斎藤も構えをとる。
詩織の口調が僅かに変わったことに気付いた茜凪は、眉間に力を入れたまま蛇から白狐へと意識を移した。
「まさか死期の近しい人間である沖田を戦場に連れ出し、頭数に入れるなんて」
「―――」
「それに、その重丸とかいう半妖の存在もです」
茜凪が眉をあげ、瞼を開き、唇に力を込める。
詩織が今から告げることは、心の引き金を引いてしまうだろうとわかっていた。
「まさか妖界最強の白狐である貴女が下等な半妖と繋がりを持ち、あまつさえ半妖如きを助けるために、ここまで乗り込んでくるなんて」
「―――」
「仕掛けたのは私ですが、人質としてここまでうまく乗ってくれるなんて思いませんでした。新選組だけでは些か不安でしたからね。斎藤の願いを貴女がきちんと汲み取った場合、現れないかもしれないと思いましたから」
ドクン、ドクン、ドクン。
脈打つ血流が強くなる。
呼吸が浅くなる。
嘲弄する詩織の声に妖力が篭っているのがわかる。
乗せられて、乗じて爆発してしまいそうだ。
「落ち着け茜凪! 聞く耳を持つな!」
誘ってきている。
憎悪に塗れて暴れ、本物の妖になれと言われている。
煽動されているのだと理解しているのに―――赤き蛇を消すことができない。
烏丸の声が遠くに聞こえてしまう。
それは彼の声を上書きするものがあるからだ。
『茜凪。いいんやで、この怨念に身を任せて』
「……っ」
「茜凪!」
『詩織を討つ力が欲しいやろ』
「茜凪ッ!」
甘く囁く声がする。
奥歯を噛み締める強さが増し、ギリギリと音が鳴る。
呼吸を深くし呑み込まれないようにしなければならないのに、どうしても浅く繰り返してしまう。
「労咳でありながらこんな所まで連れ出された沖田だって、不幸極まりないしょうね」
「―――……」
―――詩織に与えられた言葉は、茜凪の呼吸を止めてしまった。
浅く繰り返していた呼気が滞る。
込められた力も留まる。
異様な空気に烏丸、そして斎藤が茜凪に触れようとした。
その時だ。
【 憐憫? 】
―――甦る
【 哀れみ? 】
―――不幸だと、例えられた男の言葉が。
【だとしたら、そんなものはいらない】
【僕の命の使い道は僕が決める】
【待っていたって、いつかは死ぬよ】
【ここで療養して布団の中で命を延ばして長く生きるより、一瞬でもいいから近藤さんの力になりたい】
【 新選組の剣でありたい 】
「ふふっ」
「!」
不自然なところで漏れた笑み。
止まっていた呼吸が解放され、留めていた力も自然と抜ける。
気を持ち直した。
または本来の茜凪らしさをみせるような、不敵な表情だった。
「茜凪……」
烏丸からの呼びかけに応えるように、口を開く。
ここからが反撃だ。
詩織に対して。
そして―――
「沖田さんが不幸?」
「!」
「嘲笑わせないでください」
茜凪からの、斎藤に向けた再会の言葉だ。
「“なにを幸せだと思い、どんな自分で在りたいか”。それを決めるのは、自分自身です」
「―――……っ」
「茜凪……」
反響するように鼓動が跳ねたのは、斎藤だった。
彼の鼓膜にも残響する、原田に似たことを言われたのを覚えている。
「沖田さんにとって何が幸せであり、沖田さんが思い描く“自分”とは彼にしか決められない」
「そう訴える茜凪、貴女も哀れ。不幸で愚かです」
―――沖田の幸せも。
どんな自分で在りたいのかも。
「不幸? いいえ、私だって同じこと……ッ!」
「……」
「私がどんな風に生き、なにを想い、なにを大切にするのかは私が決めるッ!!」
―――茜凪がどんな風に生きていきたいのかも。
誰の隣に在りたくて、故にどんな道を行くのかも。
「何人たりとも侵させやしないッッ!!」
声に力が宿る。
無銘の剣に、反射するように青い炎が辺りに湧き出した。
「もし私が妖界にとっての反逆者だとしても、それ故に不幸なのかは私が決めるッ!! 詩織、貴女如きにどうこう言われる筋合いはありません!」
感情の昂りが、赤い蛇を押し消したことに茜凪はまだ気付いていないだろう。
そのまま駆け出した彼女。
詩織もそれに倣い走り出す。
拮抗するか、どちらが押し勝つかは定かではないが―――茜凪から吐き出された言霊たちは、しっかりと伝えたい本当の相手に伝わっていたようだ。
「…………っ」
刀を手にして詩織の糸を薙ぎ払う茜凪。
茜を携える彼女を見て、斎藤は唇を強く結んでいた。
大きな表情の変化はない。
しかし、双眸の奥に熱が宿っている。
京にいた頃と変わらない、武士の魂と同じくらいの強い熱だ。
「あーあ」
「!」
「やっぱり相当怒ってるぞ、あれ」
先に戦闘へ乗り込んだ茜凪を見つめつつ、悪戯顔でにやにやしているのは烏丸だった。
横目で斎藤を見やり詫びの言葉を並べつつ、顔色は全く悪いと思っていないようで。
「悪いな、一。実はお前の願いの意図、茜凪にバレちまったんだ」
「烏丸……」
「バレたのは俺のせいだから、茜凪が怒ってる理由の半分は俺にも非があるだろうけど。だが、こりゃ庇いきれないぜ」
「……」
「俺は既に一発喰らってるからな。…………正直、一発どころじゃなかったが」
「凛、だからお前飛べないのか」
思わず兄が口を挟んでしまえば、弟はぷいっと顔を逸らしてしまう。
暗に“茜凪に負けた”ことを大っぴらにしたくないのだ。
「一との約束、きちんと守れなくて悪かった」
「……いや」
歯切れ悪く斎藤が頷きを示し、視線を逸らす。
惑う態度の斎藤に、烏丸は続けて真っ直ぐ黒い瞳を向け続けた。
「でも、半分は守れたと言ってもいいだろ?」
郷里に連れ帰り、彼女を人から遠ざけた。が、願いは貫き通せずに茜凪に意図がばれてしまった。
確かに上手く言えば半分は叶い、半分は叶わなかったとも言える。
上手く言えば、だ。
ほぼ叶わなかったとも言える気もしたが。
「だから一、お前も守ってくれよ」
だが、斎藤は何も言わなかった。
烏丸が真剣な表情に顔色を変えてきたからだ。
烏丸からの願いは “死ぬな” だったはず。
しかし、穏やかな暮らしを求めていない斎藤は剣に生き、剣に死ぬことを決めている。
それが今ではないとしても、戊辰戦争の最中かもしれない。
約束はできないからこそ、彼の願いには返答ができなかった。
半分守ってくれ、と言われてもどうしたものかと刹那に思う。
そして知る。
烏丸も、この数月で斎藤への再会の言葉を探していたのだ。
「心に嘘つくんじゃねぇぞ」
「……っ」
―――“死ぬな。”ではなかった。
それは剣に生きながらでも、人でも妖でも関係なく、斎藤自身で貫けること。
目を見張ってしまった。
斎藤への再会の言葉をぶつけた烏丸は、兄に一言告げて次の行動に移し出した。
「兄貴、あと頼んだぜッ!」
「―――わかった。重丸と子春、愛宕は連れていく」
そのまま茜凪に加勢しようと飛び込んだ弟に、爛は獣化し翼を大きく広げた。
腕に重丸を抱き、愛宕に視線で指示を出して飛び立つ。
「“斎藤 一”」
「!」
ついでにとでも言わんばかりに、爛は地割れの対岸へと斎藤と原田を担ぎ上げ、彼らが撤退できるように手を貸してやった。
今までの爛からしたら、有り得ない行為である。
しかし、体に大きな傷を抱え痛みを堪えながらも、天狗の兄は目を腫らしたまま笑うのだ。
「茜凪を頼む」
「……っ」
「なんだよその顔。白狐に愛されてるのに不満か? 贅沢な悩みだな」
対岸に渡るには幾分もかからなかった。
翼がある天狗からしてみれば、越えられないものではない。
原田は終始黙っていたが、斎藤と茜凪が少しの間でも再会し、茜凪の反論とも言える思いが斎藤に届いたことを嬉しく思っていた。
「詩織は茜凪と凛が引き受ける。お前たちはここから一歩でも遠くに逃げろ」
「だが……」
「逃げて生き延びれば、まだ再会の機会はある」
斎藤と原田に言い聞かせるように爛が告げる。
撤退をするのは爛も同じなので、気持ちはわかるようだ。
彼も弟と話したいことはまだあるだろう。
「妖の羅刹は妖術も使う。留意して江戸まで逃げ切れ」
「……あぁ」
「わかった……」
覚悟を決めたとも言える二人に、爛は別れを惜しみつつ大空へと飛び立った。
重丸と言葉を交わすことができなかったのは残念だが、今は江戸まで逃げることが先決だ。
沖田の容体も気になる。
早く合流しなければ。
こうして羅刹が溢れる戦場に残されることになったのは、茜凪と烏丸。
そして敵対する詩織のみになったのだった。