41. 約束
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例えるならば、そう。
命を懸けた死線を潜り抜ける時の張り詰めた感覚。
常時は働かない、死を実感した時にのみ冴え渡る第六感とでも言うのか。
あの感覚が、俺に違和感を教えていた。
「ねぇ? 一君」
千駄ヶ谷に置いてきた昔馴染みの男が立っている。
労咳を患い、胸の翳はこの男を刻々と蝕み、彼から剣を奪ってゆく。
そう、あの沖田 総司が今ここに立っていた。
遥か昔だと錯覚するほどだが、昨年御陵衛士から新選組に復帰した時。
総司と手合わせをした折りに彼の力が衰え始めているのを目の当たりにした。
気力があり、技術もあるのに体だけが追いつかない。
弱る総司から目を逸らしたくて、逸らしてはならないと自身の心に言い聞かせたこともあった。
何も言うまい。
ただ、彼の分も背負っていくべきだと常に思っていた。
同じ誠の旗を。
「(総司……)」
だが、目の前にいる男から感じられる気配や殺気は俺の知る“沖田 総司”であり、沖田 総司ではない。
ささくれのように引っかかる、違和感。
南雲 薫と対峙し、剣を振るう姿は間違いなく一番組組長である。
だが、根拠のない何かが俺を掻き立てた。
「(あの者は本当に総司か……?)」
僅かな刹那で頭を働かせるが、俺が辿り着く答えは同じ。
あれは沖田 総司の姿をした別の者に見えるのだ。
真偽を確かめたく思うが、烏丸が詩織と開戦させたことにより一気に力のぶつかり合いが再び始まった。
辺りを包囲していた妖の羅刹―――縹の者と思わしき相手が迫ってくる。
爛の攻撃で大分数は減ってはいたが、まだ多い。
新八、左之と手分けをして均衡を保ってはいるがいつまで持つだろうか。
「逃げろはじめッ! 新八、左之!」
背後から烏丸の声。
余裕なさげなそれは、詩織に敵いそうにない。
烏丸がここで倒れれば、詩織の相手ができる妖はここにはおらん。
だが、妖の相手が妖でなければならぬ定石などない。
新選組の道に立ち塞がる敵ならば、それが悪鬼だろうが妖怪だろうが斬り捨てる。
それが俺が選んだ道だ。
最期の最後まで武士としての道を行く。
微衷を尽くし、剣に倒れる日がくることを望んでいる。
嘘偽りなど……ありはしない。
ふと、胸の中に一滴の雫が落ちた。
胸中の静かなる湖面に落ちた波紋のように広がりを見せる。
戦いの中であるというのに、俺の心は小波のようだ。
波紋の影響はゆっくりと届く。
『矛盾だ』と。
今ここで烏丸 凛と共に戦うことは、新選組の剣として生きる道に関係あるだろうか。
もう一人の俺が問いかけている。
新選組を優先するなら彼の言った通りに逃げるべきだ。
ここで詩織や妖の羅刹と戦うことは、新選組には関係ない。
だが、花烏賊 廉は三番組の隊士として名を連ねていた。
彼が苦しめられたのであれば、仇を打ってこそではないか。
武士の名折れにはならないか。
されど花烏賊 廉は、烏丸 子春だった。
彼女は妖だ。
ここで彼女の仇を打たずとも、新選組には関係ない。
それに何より凛も子春も妖である。
今ここで彼らと再び関わることは―――。
『茜凪を拒み、遠ざけた意味などないじゃないか』
湖面に落ちた雫が波紋となり、小波となり心の奥底にしまっていたはずの本音を連れてきてしまう。
影響として淵まで届いたその思いが、俺の心を掻き乱す。
二度と妖と関わらない。
彼らを人の戦に巻き込んではならない。
傷つけ、反逆者にし、後ろ指さされる存在にしてはならない。
そう誓い、一人の娘を遠ざけた。
だが俺が今していることは、選んだ選択肢は、過去の選択を踏み躙るものではないか。
堂々巡りだと思う。
―――俺は、強くなどない。
淵から小波が零れ伝い、また淵から次の湖面へと雫となって落ちて行く。
―――正しい選択を常にし続ける自信など、ない。
荒ぶり、強くなる感情の波。
面に焦りとして出ないよう努める。
形にするのは剣の技でのみ許せ。
「(俺は―――)」
武士とはなんだ。
強さとはなんだ。
何を守るべきことこそが本当の強さか。
何ができてこそ本当の武士か。
ここで烏丸の言う通りに逃げること。
つまり烏丸 凛を置いていくこと。
【よう、一! 今日は飯食ってくか?】
【お前ってほんっと剣術一筋だよな! その強さは茜凪も憧れるわけだ】
【一もきつねうどん、好きなのか?】
【自分で自分の首絞めて……心に嘘なんかつくんじゃねぇ!!】
―――見捨てることは、できぬ。
俺は刹那の自問自答から意識を刀に呼び戻す。
烏丸が詩織に吹っ飛ばされ、蹲りをみせた。
まだ立てそうだが、立つまでの間の隙で留めが刺されそうである。
相手にしていた羅刹を斬り倒し、大きな一歩を踏み出す。
間に合ってほしい。
あと少しの距離を、数歩先の彼を詩織の一撃から庇いたい。
僅かな刻で、今までのやりとりが走馬灯のように甦る。
烏丸 凛は、いつだって友思いの男だった。
狐と天狗は犬猿の仲だというのに、その遺恨すら乗り越えて茜凪を本当の相棒だと言える存在になっていた。
茜凪を大切にしている。
茜凪も、烏丸を友だと認めている。
そして烏丸はきっと、俺のことも人間だと理解しつつ友として心を通わせてくれていた。
【そんなこと一君はとっくに覚悟しているのかと思ったよ】
総司の言葉が甦った。
この言葉が過ぎる意味を僅かばかりに掴みかける。
朧げに、霞の向こう側が見える気がした。
「烏丸ッ!」
抜き身で居合いと同じ速度を描く。
弧が届き切る前に距離が僅かに届かないことを悟った。
もう一歩が遠い。
詩織の攻撃を止める術がないかを考えている最中、烏丸の前に現れた影。
その背中は既に傷つき疲労を訴えている。
烏丸の兄・爛だった。
重丸を抱えたまま、詩織の一撃を受けるつもりで弟を庇っていた。
「やめろ爛ッッ!!」
弟から拒否の声が届く。
詩織の一撃が、今度こそ兄を殺してしまうのではないかと思えた。
ひやりと背に嫌な汗が伝う。
なにか打開できる方法はないだろうかと目を細めた時だ。
頭上に猛攻を示す別の影。
募る違和感。
ふと顔をあげれば、普段の飄々とした態度からは想像がつかない伶俐な面構えの男が宙で剣を構えていた。
変わる変わるの場面で烏丸兄弟を助けるために翻ってきたのは、“総司”であった……―――。
第四十一華
約束
―――爛が凛の前に出て身を挺して弟を守り。
斎藤が胸中に矛盾と違和感を抱えたまま彼らの為に一撃を振るう……その極僅か前に場面は戻る。
薫の相手をしていた沖田は、得意の三段突きを用いて鬼である彼に猛攻を仕掛けていた。
剣技では沖田に劣る薫。
羅刹を率いてはいるが、鬼は妖とは違い妖術は使えない。
個と個の力で押され気味の薫は、鍔迫り合いを逃れながら一撃一撃を交わしていた。
「やるじゃないか死期間近のくせにッ!」
「そう言いながら、僕より先に死んじゃうかもよ?」
「お前なんかに……お前なんかにッ!」
剣と剣のぶつかり合い。
単純な力の差が出てしまい薫は焦りを見せていた。
どうにも剣先が沖田に届かない。
俊敏に動くが、人間の沖田も薫の速度についてきてみせた。
「(どうして、どうしてこんなに動ける!? こいつはついさっきまで千駄ヶ谷で伏せってたはずなのにッ!!)」
まるで変若水でも飲んだんじゃないかという動き。
薫の速度に余裕でついてくるうえ、咳が出ることもない。
あながち間違っていないのではないかと読んで、冗談めかして吐いてみた。
「急に元気になるなんて、変若水にでも手を出したのかッ?」
「さぁ。どうかな!」
「ぐ……ッ」
ひとつの油断で鍔迫り合いに持ち込まれた。
薫と沖田は体格差もあるので沖田の方が有利であり、押し込まれてしまう。
ついに身を翻し、退きを見せるしかないかと思った時だ。
ふと、懐にもう一つの武器が有効活用できるのではないかと計算する。
鍔迫り合いから力を抜き、背後に数歩下がり飛び退いた。
そのまま左手で取り出したのは―――銃だ。
「!?」
「お前が羅刹かどうか、確かめようじゃないか」
銀の弾丸が込められているであろう銃に、指をかける薫。
照準を地上にいる沖田に合わせ、引き金を引こうと―――した。
だが、あろうことか沖田は薫のいる空中まで追いかけるように飛び込んできたのだ。
助走と爪先に力を込め、脚力を使い突っ込んでくる。
「馬鹿が」
対象が近付いてくる為、照準が容易に合う。
間違いなく当たるという適切な距離で、今度こそ薫は引き金を引いた。
「死ね沖田ッッ!!」
―――バンッ!
銃砲が一発響く。
そのまま沖田が心臓を止める様を見届けてやると歓喜に口角があがった。
しかし、それはすぐに下がることとなる。
「油断したね、薫」
「―――っ」
「いつから、その子を“僕”だと思ってたの?」
背後から冷たい気配。
首元に定められるようにやってくる一閃。
鼓膜に届いた声は、間違いなく沖田 総司のもの。
だが今、薫の目の前にいる沖田 総司は耳元で囁くほどの距離にはいない。
背からの剣戟をぎりぎり避ければ、首を刎ねる一撃を交わすことができた。
しかし、無傷は免れずに首から肩にかけて痛みが走る。激痛だ。
振り返ったことにより視界に入った相手は、声の持ち主―――沖田 総司だ。
「沖田が二人……ッ!?」
「違う、僕は一人だ」
「ぐッ」
そのまま背後から攻撃を仕掛けてきた沖田が薫の相手を引き受けた。
筋力が衰えた脚で薫を宙から蹴り飛ばし、なんとか沖田も着地する。
薫が負った傷は相当深傷だ。
薫が蹲り、傷を抑えている間。
最初に薫を相手にしていた“沖田”が身を翻して、烏丸兄弟の戦線に突っ込んでいく。
その姿は間違いなく沖田だ。
薫から放たれた銃撃を交わした時に、左頬に傷をつくり流血させながらも、伶俐な顔で飛び込んでいく。
後から来た沖田は、咳き込みながらそんな姿を見送っていた……―――。
そして冒頭へ。
斎藤が見上げた視線の先。
宙から飛びかかるように剣を構えた沖田が突っ込んでくる。
人間である沖田が、詩織の認識が遅れるほどの速さで飛びかかってくれば危機感を得るだろう。
凛に放とうとした一撃を途中で取りやめ、爛が盾の代わりに構えた術も避ける詩織。
そのまま振り向き、黒い糸を散りばめた。
張り巡らせる結界のように広がる糸は、飛びかかってくる沖田の左頬を抉る。
奇しくも薫からの弾丸を受けた箇所と重なり、血の流れは止まらなくなりそうだった。
それでも恐れずに詩織の前にやってきて、一閃を放ち返した沖田。
流石にここまでくれば何かがおかしいのでは?と疑問を抱く。
相手は人間だ。
しかも薫の話では病を抱えた男である。
そんな情報を処理している間に沖田はそのまま詩織を全力で蹴り飛ばしてみせた。
「(速い……ッ)」
詩織でも見切るに苦労する速度。
重たい蹴りを受けながら、詩織は糸を巡らせた右手を離してみせる。
こちらも薫と同じく、懐から銃を取り出し―――銀の弾でその正体を炙り出そうとした。
真正面の弾の軌道。
見極めかれるかどうかを考えながら、左頬から血を流す沖田は緑の瞳を鋭く上げた。
銃口が自身を捕捉しているのだとわかる。
―――放たれるなら、交わしてみせる。
だが狙われる相手が放つ刹那に、手元にいる爛や凛に向いたらどうする。
重丸に向いたらどうする。
余計なことやあらゆる可能性を考え、考えすぎて、僅かに体が強ばった。
「人間如きが出しゃばるな」
詩織が吐き捨て、口角を不気味にあげたのがゆっくりと見えた。
極秒の中で命のやりとりをしている。
漠然とそう思えた。
最中。
どんな音よりも響き渡る懐かしい声が叫んだ。
「 茜凪ッッ!!! 」