40. 懸
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第四十華
懸
腹部から、背中から、熱を帯びて溢れ出す血液をうまく止めることができない。
妖力を込めれば、止血はそんなに難しいことではない。
妖力。
妖にとって、酸素と同じようになくてはならないもの。
これが切れれば体に支障が出て、まともな生活はできなくなる。
基本は体を休めることで妖力は回復する。
戦いの後の長い眠りは、体を休めつつ、妖力の回復も兼ねている。
それは、すべての妖にとって共通の認識だ。
だが、今―――烏丸 爛の意識は妖力による止血から全く別の事柄へと向いてしまっている。
痛みに耐えること、傷を塞ぐことよりも大きな疑問に直面しているからだ。
「か、赤楝……―――」
「信じていたのに」
膝から崩れ、倒れ込んだ爛。
薫や羅刹との戦いに身を投じていた斎藤が、視界の端で爛が蹲っている姿に声をあげる。
原田や永倉もつられて一度そちらを見やるが、爛の姿勢は復活できそうになかった。
腹部を抑え、苦しそうに悶えている。
「久方ぶりの再会を喜んではもらえないようだね」
「ど……して、……おまえが……―――」
切れ切れに声を発する爛が真っ黒な瞳を掠めながら、赫灼の瞳を睨みあげる。
黒い髪が風に揺れた。
一重の鋭い眼光、間違いない。
同じ師のもとで鍛錬を重ねていた―――あの、赤楝だ。
「か……が……」
「環那も死んでしまったようだし、寂しいことこの上ない」
「……っ」
「爛。再会は嬉しいけれど、お前は随分と腑抜けになったな」
冷たい視線で見下ろされる。
太陽光と赤楝の姿をした青蛇が重なり、影を生む。
影に呑み込まれながら、血溜まりを広げ、爛は奥歯を噛み締めるばかりだった。
「爛ッッ!!」
斎藤が叫ぶ。
ここで爛が命を絶えれば、先に述べたように弟の凛に合わせる顔がなかった。
斎藤自身はもう二度と、妖である茜凪や凛に関わるつもりはなかった。
だが、こんな結果は望んでいない。
こんな時代だ。
命ひとつに、存在ひとつに心を傾けていては生きていけない。
わかってはいるが、寝覚めが悪い思いはなるべく避けて通りたいのも本音である。
穏やかな日々を願ってはいない。
平和に生きていきたいと願うならば、最初から腰に大小を差しはしないけれど……―――守れるものなら守りたい。
そのために、研ぎ続けてきた爪だと信じていた。
「こんなにあっさり退場するなんて、興味も失せたよ」
「赤楝……―――」
「私がいま、欲しいものはただひとつ」
爛が指先と腕に力を入れ、立ちあがろうとする。
致命傷ともいえるものを抱えたのは彼の油断が原因だが、爛も素直に死んではやらないらしい。
なんとかここで、自身にできる情報収集をしようとしていた。
この赤楝が本物か、偽物か。
どちらにしても、“赤楝が現れた”ということが、この戦いの根幹に関わるはずだ。
「おまえの、望みは……」
「―――茜凪」
爛を見下ろしつつ、興味が薄れたように一歩を踏み出す赤楝。
青蛇が纏っていた軽薄でへらへらした空気から一転し、重々しく禍々しい空気が漂っている。
赤黒い色が辺りに見え隠れするような妖力に、爛は痛みを感じながらも頭を回転させた。
「私は、茜凪が欲しい」
「な、んで……」
「環那の実妹だからさ」
目的の真意は不明だ。
だが、青蛇―――赤楝は、茜凪を探している。
その血を求めているようだ。
その言葉は斎藤にも原田、永倉にも届いている。
「詩織とは違う。環那と同じ血を引く、茜凪が欲しい」
どす黒く、表面化された赤楝の欲望。
地から這い上がるような殺気は、辺りにいた羅刹すら怯えさせた。
妖の王。
そう表現することが正しく思えた。
本来、日の本最強の妖は白狐であると言われているが、禍々しさで言えばこの場にいる赤楝が数段上をいく。
「 私は本物になる 」
呟かれた願望はどんな意味があるのだろうか。
理解が追いつかない。
ぐるぐると回る視界、爛がそれでも意識を保とうと力を込める。
ようやく止血と復帰のために尽力しなければいけないと思い立ったようだ。
赤楝はそのまま爛の横を通り過ぎ、とどめも刺さずに薫や新選組、羅刹の軍の中へと歩いていく。
爛は四つん這いになり、懐かしい幼馴染を視線で追いかけ続けた。
穏やかな彼の面影はもはや皆無。
その姿は破壊を楽しむ、残虐性が全面に出てきた妖本来の姿のようである。
口角をあげ、瞳孔をひらき、微弱だったはずの妖力を滾らせて妖術を放つのだ。
対象は彼と同じであるはずの人間―――新選組に対して。
「殺しテやる」
「赤楝……ッ!」
「壊シてやる」
「やめてくれ……」
「すベて」
生み出される式神。
どうして人間の彼が式神を使えるのかも分からない。
巨大な二つの悪鬼が現れ、羅刹と薫だけでも手に負えない状況の新選組に向けて放たれる。
―――そんな姿、見たくない。
千与を探して出雲国に出向いた時。
路地裏で刀傷を負っていた赤楝の姿を思い出す。
爛が唇を噛み切るほどの強さで、悔しさを行為にした。
「やめてくれェェェッッ!!!!」
爛の叫びと同時。
式神が原田と斎藤を攻撃の軌道に捕らえた。
そのまま首が刎ねられるのではないかと思ったその時だ。
「青蛇」
攻撃に気付いていた原田、そして斎藤は受けるための構えをとっていた。
薫と剣を交えていた永倉をそのままに、大きな一撃に耐えられるかどうか、覚悟を決めている間だった。
響いた声は馴染みがない。
だが、間違いなく聞いたことがあるもの。
青蛇の名前を呼び止めた者は、原田と斎藤の前に立ちはだかり、式神を一瞬にして滅してしまう。
上等な紙が吹雪となり、季節外れの雪のように空中に舞っている。
人である二人の目には、留まらない速さの処理だった。
呑んでいた息を再開し、立ちはだかった―――結果的に二人を守った相手の背を見やる。
笠を被り、黒い装束に身を包んだ者。
背格好だけの判別では、まず男ではない。
「勝手な行動は慎みなさい」
凛とした声。
無機質でいて、どこか強制力があるもの。
静まり返った森の中に響き渡るそれは恐ろしさを感じさせる。
「私が依頼したのは偵察です。誰が新選組に手を出せと?」
「……」
「生かしておかねば意味がない。殺せば茜凪は手に入りませんよ」
笠を深くかぶっていた顔が上がる。
声も気配も、そして姿も―――小鞠が死んだあの日に重なった。
この女は……―――
「“詩織”……ッ」
斎藤が呟けば、まさか茜凪より先に再会するとは思わなかったのだろう。
振り返り、斎藤を一瞥する無表情な女がいる。
茜凪と同じ色相の髪、そして紛うことなき茜色の瞳。
同じ色であるはずなのに黒く濁り、爛々とした輝きを感じることができないのは詩織という存在のせいだろうか。
思わず鋭い視線に身構えてしまう。
「おい、詩織。自由に動いていいとは言ったが俺の邪魔をするな」
「申し訳ございません、薫様」
「それからあの下等な化物をなんとかしろ」
合流した詩織に薫も思わず攻撃の手を休めたようだ。
永倉から距離をとり、岩場の上まで引いてみせた。
彼は青蛇の事情を知っているのか、赤楝の姿をしている者を“化物”と評して下げさせるように命令する。
淡々と応じる様は、感情を全く持たない人形のようであった。
「青蛇、いつまでその姿でいるつもりですか」
「……」
「引っ込められないのならば、貴方は失格です。命が惜しければ取り下げなさい」
詩織が一歩、また一歩と赤楝に近付いてく。
無反応である赤楝は動きを止め、視線を地に落としていた。
爛が腹部を抑えながら起き上がり、一体なにが起きているのかを最後まで見届ける。
斎藤も原田も永倉も、詩織という茜凪たちの敵が何をしでかすのか。警戒を解くことはなかった。
「ぐ……ッ」
やがて赤楝が呻き声を上げたかと思えば、どす黒くキラキラとした何かが地面から這い上がり包まれていく。
まるで鱗のように多方向から光を受けて輝いたそれは、見定める前に消え、次の瞬間には青蛇の姿が現れる。
見ている者が気分が悪くなるような光景であった。
「は……っ、えらいすんまへん。迷惑かけたみたいで」
「青蛇、この場で貴方はこれ以上は役に立ちません。首がつながっていることに感謝し先に戻りなさい」
「……」
赤楝が、間違いなく青蛇になった。
目を疑うような光景だったが、間違いない。現実だ。
詩織の命令には逆らうことはないそうで、気まずそうな笑みを浮かべながら青蛇は一瞬にしてその場を退場していく。
俊足で消えた気配に、爛はようやく緊張の糸がひとつ解けた。
が、まだ危機は脱していない。
得体の知れない青蛇はいなくなったものの、日の本最強の白狐が参戦してしまったのだ。
「さて」
詩織が現れたことにより、薫は近藤たちを追うつもりなのだろうか。
彼女に任せるような視線で、刀を納刀してしまう。
代わりに動きを見せたのは、一声ついた詩織だった。
「斎藤、原田、永倉がここにいるのは僥倖ですね。これで囮としては最大効力の発揮が見込まれます」
「囮だと……?」
「お前、確か縹 小鞠とかいう羅刹を……」
原田は久方ぶりに目にした詩織に、あの一夜のことを思い出す。
茜凪を守り、死んでいった羅刹。
羅刹の寿命について理解した出来事。
そして、茜凪を苦しめ続ける……現妖界の最大の敵。
「問題は烏丸 爛。貴方です」
「詩織……ッ」
詩織は新選組は殺すつもりはないのだろうが、薫としては新選組の幹部の首が欲しいのだろう。
それでも詩織が参戦したことにより、今は手を出すことはやめたらしい。
詩織とは利害が一致しているようだ。
「烏丸 爛。貴方は私の計画に不必要な存在。貴方がいなくても茜凪を手中に収めることはできる。よって、この場で一番の強者であり且つ一番の邪魔な存在は爛。貴方です」
蹲っている爛の側まで近付きながら、詩織が腰から刀を抜いてくる。
歴戦の経験から、やばいと感じた撃剣師範たちは一歩を踏み出し、詩織に斬りかかろうとした。
そうしなければ、恐らくこのまま爛が殺されると直感していたからだ。
しかし。
「動くな。新選組」
「ッ!」
「動いてみろ。重丸の命も、花烏賊 廉として潜伏していた烏丸 子春も斬り捨てる」
「んだと……!?」
「……ッ」
「クソが!!」
一定の距離がある箇所で、立ち去る間際の薫がゲラゲラと笑いながら光景を見つめていた。
新選組が爛を助けるために動けば、人質となっている重丸と子春が討たれる。
何もしなければ重丸と子春はこの場で命の危機は免れるが、爛が討たれる。
胸糞悪いほどの劣勢。
彼らは唇を噛みしめ、柄を握る手が震えるほどだった。
戦力差がある故の悔しさではない。
小賢しい真似をする相手に苛立ちが隠せず、その上で何もできない自身たちへの無力さを感じていた。
「爛。貴方のことはよく聞き及んでいましたよ」
「なんだと……ッ」
「環那は貴方にとって強烈な劣等感の証だったでしょうね」
「―――っ!」
膝立ちまで回復はしたが、うまく動けそうにない爛。
その彼の前に立ちはだかる詩織は、あと一息で彼を殺せそうである。
詩織の口から語られる“環那”という単語に、斎藤は覚えがあった。
確か、茜凪の兄である、と。
「繊細な故に臆病者。人を傷付ける覚悟を持たない者は、なにひとつ大切なものなど守れない」
「―――」
図星とも言えるような一言に、爛は打ち拉がれる。
詩織を見上げ、脂汗を滲ませながらも睨みだけは与え続けた。
「貴方をここで私が討った後、烏丸 子春と重丸はどうなるのでしょうね。想像してみてください」
「テメェ……」
「新選組も囮として使われ、その後は見るも無惨に斬り捨てられるのでしょう」
「……ッ」
確かにそうだ。
ここには鬼である薫がいて、妖である詩織がいる。
どちらも新選組と敵対を示しており、爛以外に斎藤たちを守れる者はいない。
おまけに人質に子春と重丸が捕らえられている。
先に伝令を出した“暴れん坊”がまだ近くにいるが、すぐに駆けつけられるほどの距離ではない。
どちらかといえば江戸にもう近いだろう。
その切り札をこちらに向かわせる手立てもなければ、こっちに来られたら近藤や千鶴を守る切り札はなくなると同義。
他に味方になりそうな気配を探りたいが、そちらに意識を傾けると止血している箇所が手薄になる。
戦況の把握へ傾注したところで打開できる手筈は整わないだろう。
つまり八方塞がりだ。
考えても考えても、全員が助かる方法が見つからない。
そんな爛の思考を読んだような一言が降ってくる。
「全員を助けたいですか?」