39. 古傷
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砲撃が鳴り止まず、地すら轟かせるような振動が届く。
蜘蛛の子が散るように新選組が撤退していく様を静かに見つめた者がいた。
劣勢は最初から分かりきっていたものを。と呆れ果てつつ、黙って視線でおいかける。
人間の戦を高みの見物を決め込んでいたのは、西国の鬼の頭領・風間 千景だ。
彼は薩摩に恩があるために人と共に行動をしていたが、此度の戦に羅刹が用いられるのではないかという懸念を抱き、ここまでやってきたのだった。
既に薩摩への恩義は果たしたとも言える。
自国を守るためにも、ここらで一線を引き姿を隠すべく行動することを決め込んだ。
「此度の戦、羅刹が投入されました」
「ふん。やはりか」
「いかがいたしますか」
事実確認に赴いていた天霧が戻ったことで、羅刹が表舞台に立った確認ができた。
変若水。
もともとは西洋との貿易で幕府が得たものだったが、巡り巡って長州や土佐、そして薩摩まで回ってきたらしい。
人を羅刹に変えてしまう劇薬。
西洋の鬼の血を用いるため、日の本の鬼としては羅刹が蔓延ることは見逃せない事実だった。
それが非力な人間だけならまだしも、鬼と同様に力を持ち戦場を好む妖の羅刹まで生まれるとなれば尚のこと。
「薩摩と手を切る準備を進めろ。我が一族を人間共から隠す手配を急がせろ」
「わかりました」
命令を遂行するために去っていく天霧の気配を感じながら、風間は新選組のもとにいる一人の女鬼を思った。
千鶴がいつまで新選組……―――人と関わるのかということ。
こちらは折りをみて、奪いにいくしかないだろうと考える。
そしてもう一つ。
風間の耳にも入ってきていた、妖の羅刹についてだ。
こちらは元締めに当たる総大将を討たなければならない。
鬼である風間―――ましてや西国の鬼の頭領―――が妖界の件に介入したとなれば、大老も良い気はしないし、黙っていないだろう。
鬼と妖は友好な関係を築き上げ、継続してきた。千景の代で途絶えさせるわけにもいかない。
だからこそ、事実を知りながらも妖側に事態の収集を任せてきていた。
しかしこれ以上事が大きくれば、鬼の世も脅かされる危険も考えられる。
出るところは出るつもりで備えを怠らずにいたい。
なにかきっかけになり得るものも並行して探さなければならないと風間は感じていた。
「春霞 茜凪……―――。日の本最後の白狐の純血として、果たすべき役目を全うしてみせろ」
見上げた先、春先の咲く花が誇っている。
戦場を少し離れれば、小鳥すら鳴くような悠な地。
風情がある趣を壊す人にも、妖にも、風間は理解を示すことができなかった。
第三十九華
古傷
「近藤さん、こっちです!」
「雪村くん……っ」
甲府から江戸へ繋がるであろう獣道を、千鶴は懸命に駆けていた。
散り散りになりながらも撤退を決めた新選組は、敵の手中から逃げ落ち、江戸で仲間と合流できることを切に願っていた。
背後からはまだ新政府軍の追手らしき足音がいくつもしている。
殿を務めるために最前線に戻っていった斎藤、永倉、原田のためにも近藤さんを守り抜かなければならないと千鶴は覚悟をしていた。
それは、江戸へ援軍を呼びに行った土方との約束でもある。
この約束は守らなければならない。
千鶴の命も、そして近藤の命も絶えさせぬまま、彼女は土方に再会することだけを考えていた。
「……っ」
上がる息。
喉の奥が焼けるように熱い。
足は棒のように硬くなり、一歩一歩がどんどんと重くなる。
どれくらい走ったか。まだここは甲府だろうか。
逃げ始めて四半刻か、半刻経った頃合いで千鶴と近藤は一度足を止めた。
「近藤さん、一旦こちらへ隠れましょう」
着物の裾を引き、森の中へと身を潜める。
近藤の顔色は悪かった。生気を失ったかのようである。
恐らく精神的な疲労であろう。
多くの隊士を死なせてしまった、犠牲にし、傷つけてしまったこと。
中には若くて将来有望な者も多々いただろうに、近藤の判断ひとつで道を誤ってしまったと何度も自身を責めているようだった。
「近藤さん、大丈夫ですか?」
「……」
「近藤さん……?」
反応が全くないことを確認し、千鶴が顔を覗き込む。
彼女の声がもう届いていないほど、悩み抜いているように思えた。
「……近藤さん、必ず江戸へ逃げ落ちましょう。土方さんと合流し、次の手を考えて―――」
千鶴は懸命に考えた。
ここに新選組の隊士がいたら。
幹部の者たちがいたら。
土方さんがいたら、なんと声をかけるだろうか。と。
その上で、近藤さんを鼓舞し生きることを諦めないように言葉を選び、声をかけ続ける。
しかし、どの言葉も近藤の耳には入っていないように思えてしまった。
「近藤さん……」
呼びかけにすら反応しない総大将に、千鶴は無力さを感じてしまう。
彼らの代わりに自分はなれない。
だが、なにか力になりたい。
頭を過っては、これじゃない、違う、と言い聞かせて首を振る。
諦めずにもう一度、口を開こうとした刹那―――千鶴と近藤の頭上に、二つの影が現れた。
「え―――」
刀を持ち、和服を着た者たちだった。
そのまま斬りかかられそうになるので、近藤の前に千鶴が立ちはだかり小太刀を抜く。
近藤を奥へと押し込み、なんとか敵の攻撃を避る。
着地した彼らを見れば、白髪に赤い瞳の化け物がいた。
「羅刹……っ」
千鶴も護身術は使えるが、二体の羅刹相手に斬り合いをするなんてと戸惑いを感じてしまう。
近藤は戦意を消失しているが、千鶴が羅刹に対峙したことでようやく刀を抜いてくれた。
「下がっていなさい、雪村くん」
「近藤さん、この人たちは羅刹です……!」
千鶴も傷がすぐ治る体質なのをいいことに、近藤の横に立ち続けた。
諦めない。
土方との約束を必ず果たすんだ。
心に決めた決意を反復させていくが、近藤と千鶴にさらに悪い知らせが届く。
「オマエ……新選組の局チョウだ……」
「そっちのオンナは鬼だ」
やけにしっかり言葉を話すな、と感じたところで二体の羅刹は左手を翳したのだ。
右手には刀。左手の構えを解いて何をする気だ、と目を見張ったところで危機感を覚える。
手中に生まれたのが、禍々しい色をした液体だったからだ。
人間離れした技。この手の術に見覚えがある。
羅刹は羅刹でも、彼らは人ではない。
妖の羅刹。
相手にするには数段、強さが上がってしまう。
「オンナ鬼、詩織サマに届けたら褒められる?」
「命令ハされてない。でも、きっと喜ばれる」
「殺すし、奪ウ」
生み出された液体が、近藤と千鶴目掛けて投げつけられた。
本能的に触れてはいけないと理解し、避ける。
避けた先にあった木々、花、草木が瞬時にただれて枯れていく。
その様を見て、"毒だ"と気付くことができた。
「近藤さん、妖の羅刹です……!」
「ぐ……!」
「退きましょう! 近藤さん!」
千鶴が退路を確認しながら近藤に声をかける。
妖は一族によって強さが異なると、茜凪や烏丸が言っていたことがあった。
そもそも、新選組の幹部が相手でも手強いというのだ。
千鶴は自身が近藤の足を引っ張ってはいけないと思うからこその撤退を告げたのだが、近藤は苦虫を噛み潰したような表情で刃を構え続けている。
このままじゃいけない。
数で劣るときは危険だ。と京の巡察の時に、いつか平助が言っていたことも思い出す。
「近藤さん!」
ついに飛びかかってきた敵に、千鶴が近藤の着物の裾を引いた。
しかし、近藤は刀を構えたまま一体の羅刹を切り捨てるように振るい抜く。
致命傷を与えてはいたものの、相手は羅刹ですぐに癒えてしまう。
もう一体が、再び毒を生み出してこちらに投げつけてくる光景が、人事のようにゆっくり見えた……―――。
もうだめかもしれない。
でも、盾になることくらいはできる。
千鶴が近藤の前に立ちはだかり、せめて毒が近藤に降りかからないように身を呈した。
「雪村くんッッ!!」
思いっきり目を瞑り、来るであろう痛みに耐える。
全身を硬らせて、今かいまかと待っては見たものの―――瞬間は訪れない。
代わりに、疾風のような風が吹き抜けた。
次に耳に届いた声は、千鶴にとっては初耳で―――。
「オイ、大丈夫か?」
声をかけられ、徐に目を開ける。
開けた視界の中、現れたのは真っ黒な髪に真っ黒な瞳。
長髪であり、少し癖っ毛なそれ。
肌は日に焼けて褐色であるが、千鶴の知り合いの男によくよく似ていた。
「か、らすま……さん……?」
「お、おう……。よく知ってたな……? 俺、お前とどっかで会ってたか?」
千鶴は告げられた言葉に今一度しっかり相手を見つめる。
すると―――纏う空気が全然違うことに気がついた。
「凛さん、じゃ……」
千鶴の知る烏丸 凛は、明るくてお調子者。
愚直という言葉が似合い、どこか苦労人のような空気。
よく食べ、思ったことを口にする半面、実は誰よりも繊細な質だ。
対して目の前にいる男は、顔立ちはそっくりだが空気は凛より大人びている。
凛の直毛に対して、毛先だけが癖っ毛なのも特徴のひとつだ。
そして最初に浮かんだ印象は―――寂しげな人だった。
「凛は俺の弟だ」
「凛さんのお兄さん……?」
「あぁ。烏丸 爛だ」
突飛な挨拶からの巡り合い。
羅刹を近藤と千鶴の代わりに滅してくれたのは、京から重丸の気配を追って来た爛だった。
「助けてくださってありがとうございます。私は雪村 千鶴です」
「雪村……? あんた、鬼の―――」
爛は凛から新選組の内情を少しだけ聞いたことがあった。
どんな組織で何をしており、幹部にどんな人間がいるのか。
どんな隊士がいて、凛たちとどんな接点があったのか。
他愛のない会話だったつもりだが、その中にどうしても誤魔化せない事実がひとつ入っていたのを覚えている。
【 雪村家の女鬼が新選組預かりになっている 】
聞いた時はぶったまげたが、凛が“新選組なら千鶴を悪いようにはしない”と言い切るので、その時はそれっきり話題にしなかった。
爛からしてみれば、人間と妖が関わるのと同じく、人間と鬼の関わりもいい感情は抱けなかった。
それは、赤楝と共に千与を探してた事実から由来している。
一言なにか余計な言葉を言いそうになり―――爛は身の程を弁えた。
一応。一応だが……鬼と妖であれば、鬼の方が位が高く扱われるからだ。
千鶴が自身で選んだ道ならば、妖である爛は何も言えない。と思う。
「いや、なんでもない」
それからは、思考を切り替えることに爛は集中した。
新選組預かりの千鶴がここにいる。
そして、背後で呆然としている強面の男は―――京に滞在している時に見た事があった。
爛は近藤の顔を知っていたのだ。
「お前ら新選組だよな? なんでこんな所にいる。江戸まで撤退したって聞いてたが」
「そ、それは……」
「我らは甲陽鎮撫隊として、幕命を受けて甲府城の奪取に馳せ参じた。しかし……」
「……負けたのか」
「……っ」
爛は人間に気を遣うつもりはなかったため、酷な言葉をばんばん投げつける。
冷たくしたいわけでも傷つけたいわけでもないのだが、心の溝は簡単に埋まらない。
まして爛は爛自身を許せていないのだから尚更だ。
自分を許せないものが、他人を簡単に許せるわけもない。
「そうか。これからどうする気だ?」
「江戸に戻る途中です……」
語尾を小さくしてしまう千鶴。
何も言えなくなってしまった近藤に、爛は返す言葉を用意しなかった。
「(新選組の総大将か……。暗黙の了解がある以上、近藤 勇を俺の力で生かすわけにはいかない。が、妖の羅刹に殺させるわけにもいかねぇ)」
しかしながら、爛には重丸を探すという重要な任務がある。
爛の中では、『ただの人間である近藤。そして近藤と一緒にいる鬼の千鶴』と『重丸』では重丸が一番優先度が高かった。
本来ならば鬼である千鶴が優先されるべきなのだろうが、爛はそう簡単に自身の意志を曲げなかった。
「かと言って、“あいつ”に頼んだところで助けてくれる感じでもねぇしな……」
この時、爛は近くにもういくつかの気配があることを感じ取っていた。
ひとつは、大群の羅刹。そしてその中に囚われているであろう重丸の気配。
もうひとつは、昔馴染みの気の強い―――暴れん坊とも言える気配だった。
この暴れん坊はひとまず仲間と見て間違いないのだが、大の人間嫌いだ。
おまけに爛のことも良く思っていないだろう。ただの腐れ縁と言える相手。
仮に爛から、
『新選組の総大将と女鬼が、妖の羅刹に殺されれば遺恨が残る。それを避けたいから助けてくれ』
と告げたところで、潔い返事が返ってくる可能性は零に等しいと予測する。
「………………。」
「あの、烏丸さん……?」
不自然に固まった爛を見て、千鶴は思わず声をかけた。
助けてもらったのは有難いが、用がなければもう行きたいという空気も感じる。
―――どちらにしても彼らを捨て置くことも、重丸を諦めて彼らを江戸まで守ることもできないのだ。
「(頼むだけ頼んでみるか)」
溜息ひとつ短くついて、爛は告げた。
「今の羅刹は妖だった。この先の道中にも現れるだろうから気をつけて行けよ」
「は、はい。ありがとうございます」
「死ぬなよ、近藤。それから、雪村 千鶴」
爛がふと感情が昂り、零してしまう。
人間に対して、最後の言葉を使うのは初めてだった。
だが、鬼の千鶴が死ねば寝覚めが悪い。故に告げていた。
爛からの言葉を素直に受け取った千鶴は、一瞬ぽかんとしていたが―――表情を引き締めて小気味いい返事と共に頷いた。
あぁ、この娘はきっと大丈夫だ。
確固たる証拠はないが、爛はなぜかそう思えていた。
そうして爛は千鶴と近藤を見送り……―――妖の羅刹の気配を探る。
その上で腰の帯から下げた巾着に手を入れ、札を取り出す。
札にふぅ……と息を吹きかけて呼び起こしたのは鴉の使い。
鴉は意志を持ち、翼を大きく広げて飛び立った。
「あいつに伝えてくれ。“女鬼の気配が近くにあったら、絶対に殺させるな”って」
建前としては完璧だと思えた。
近藤が人であることはさて置き、千鶴を見殺しにする理由は妖たちの中にはない。
近くにいるであろう暴れん坊がいくら人間嫌いでも目の前で妖の羅刹が人間を襲っていたら止めてくれるだろう。という気概に賭けてみることにした。
千鶴と近藤の通る道に、しばらく羅刹の気配はない。
今のうちに爛もやるべきことをしよう。
こうして重丸を追う爛は、千鶴たちが来た道を逆走していくことにした……。