38. 気魄
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第三十八華
気魄
「は……はぁ……」
一体どれくらいの時間が流れただろうか。
狭い障子戸や天井を突き破って侵入してくる羅刹たち。
その数はもはや無限なのではないかと、茜凪は錯覚するほどだった。
狛神と協力し、各自で首を刎ねたり心臓を一突きしたりしながら数を減らしてきたが、用意された敵の半分を倒せたかどうかというくらいだ。
体感している疲労と、数が比例しない。
腕に力が入りづらくなってきている。
相手がただの妖や人ならば話は別であっただろうが、羅刹である以上―――心臓か首を刎ねるしかない為、中途半端な攻撃は無駄に終わってしまう。これが余計に二人に心労もかけた。
もはや妖術すら使ってしまおうかと躍起になる狛神。
だが、この民家の両隣も民家だ。
人がいるであろうし、羅刹に襲われたらたまったもんじゃない。
なんとかここから場所を移動できないか思案しながら、刀を振るい続けた。
「どんだけいんだよ……ッ!」
「だいたい、羅刹だけが単独で行動し、ここを襲撃しているとは考えられません! どこかに指示をしている者がいるはずです!」
茜凪が民家の中から。
狛神が庭先で敵と斬り合いながら会話を続ける。
当初は返り血を浴びないように気をつけていたが、数をこなせば必然的に機会は増えてしまう。
危機一髪とも言える間をくぐり抜けるような一撃もあった。
頭から爪先まで、不快な血を浴びたまま茜凪と狛神は呼気を荒げるばかりだ。
ただ見守るだけとなっている沖田は、時間こそ正しく体感できていた。
狛神と茜凪が敵を半分片付けるまで小半時くらいだったと思う。
人間で考えても、かなり優秀な腕前だ。
しかし人も妖も疲労するもの。
茜凪と狛神の集中力も、腕も、体力も開始時より動きが鈍ってきている。
沖田は歯噛みしながら耐え忍ぶ。
ギリギリと奥歯に力が無意識に込められていく最中、沖田は慣れてしまった不快感を臓器に感じた。
「ゔ……ッ」
気管支を這い上がってくる衝動。
内部を傷つけるような、熱を持った痛み。
咽せ返り、思わず跪いてしまう。
ゲホゲホと繰り返し音を発すれば、茜凪も狛神も意識が刹那そちらへ向いた。
「沖田……ッ!?」
「沖田さんッ!」
未だ止まらない咳に、ついに吐血してしまった彼。
すぐに駆け寄りたいところだが、この戦線の均衡は崩せない。
茜凪も狛神も、ひたすらに腕を動かし続け、人の世に妖の存在を残さないために刀で敵を倒し続けた。
しかし。
「ハナダ流」
最初から敢えて控えていたのか。
理由はわからないが、一際力の強そうな男の羅刹が狛神の前に現れる。
今までの女性や子供の羅刹とは異なり、この中で妖術を発しようと腕を翳してきていたのだ。
一族ごとに用意された極意の技で、まさに狛神、そして直線上に重なる茜凪を討とうとしていた。
「まず―――ッ」
まずい。
狛神が撤退の意識で飛び退くが、茜凪と沖田を守るまでの距離が一瞬で確保できない。
茜凪も狛神の動き、敵の一言で術が来ることを悟る。
どうするかを考え、考え、考えたが―――受け止めることしか浮かばない。
茜凪が天井から次々に降ってくる羅刹を閃光の如く斬り捨て、振り返る。
刀で耐えられるか疑問だが、ここで退けば沖田が危ない。
妖力を無銘刀に込め、防備を強化しようとした時だ。
「……ッ!?」
―――刹那、なにが起きたか彼女は理解できなかった。
込めたはずの妖力が、刀に宿ることがなかった。
代わりに込めた分の妖力が、なにかに吸い取られた感覚。
体に何かが纏わり付いており、そちらに栄養を奪われたかのようだ。
構えを取ることも忘れ、発生した不気味な自体に茜凪は動きを止める。
「オイ馬鹿ッ!!!」
「茜凪ちゃん……!」
狛神からの罵倒、沖田の掠れる声で呼ばれた名前。
ようやく茜凪は顔をあげる。
真っ黒な光が民家に投げ込まれ、茜凪目掛けて飛んできていた。
逃げ場がない。
どうする。
考える間もなく、茜凪は顔を腕で庇ってしまった。
「茜凪ッッ!!!」
庭先にいた狛神は、別の羅刹を相手にしながら仲間に声をかける。
が、轟音が鳴り響きながら家屋が崩れていくのが見えるだけ。茜凪と沖田の姿は見えない。
「茜凪ッッ!! 沖田ッ!!」
何度も確認するように狛神が声をかけるが、反応はない。
砂埃が立ち、煙の中では倒壊する様だけが伝えられていた。
縹の妖術がアリならば、狛神の術だってアリだろう。なんて、都合のいい解釈を用意する。
瞳の色を黄金色から赤に変色させ、狛神は肺に息を吸い込む。
ポキポキと左指の関節を鳴らした後、右手に刀、左腕に雷を纏わせる。
ぱちぱちと小さな音から、バチバチと大きなそれに変わっていく。
まどろっこしいことはしてられない、とでも言いたげな狛神の表情にさすがの羅刹も戸惑っていた。
遠慮なしに力を解放し、速度をあげて突っ込む狛神。
射程圏内にいた十体ほどの羅刹が神速の如き速さの稲妻によって首が飛ぶ。
心臓をひと突きにされて倒れた者もいれば、寿命がきて灰になった者もいた。
寝覚がいいものではない。
相手は羅刹だが、同じ妖なのだ。
もう一撃、同じように稲妻を纏った技を放とうと姿勢を整える。
狛神の本気を目の当たりにし、徒党を組まなければ勝てないと理解した羅刹が隊列を成し始めている。
眉間に皺を寄せ、広角をあげながら犬の少年は敵に突っ込もうとした。
しかし。
ぽん。ぽぽん。
まるで鼓を打ったかのような、軽やかでいて威厳すら感じられる音が響く。
釣られて足を留めた狛神は、無数の妖術が込められた札があたり一面に円を描いていることに気付いた。
この札は音と同時に現れ、狛神も羅刹たちも取り囲んでいる。
誰かが操っているかのように回転し続けるそれに、狛神は思わず茜凪かと思えた。
「狛犬、殺ス!」
対して羅刹は札を気に留めなかったようで、動きと意識を逸らした狛神に反撃を繰り出した。
受け流す準備をし、構えた狛神だったが……―――回転していた札が止まる。
刹那、札はその場にいた羅刹を飲み込むように体に張り付いていった。
「な……っ」
やがて札は土色になり、どこから現れたのか不明な砂や土になっていく。
羅刹を飲み込み隆起したかと思えば、沈降し―――消え去る。
残ったのは、灰となり消える羅刹の炎だった。
「な、んだ……今の技……っ」
羅刹は未だ残っているが、狛神の技より強力だった。
たった一撃で、数十体の羅刹が灰となり土に還る。
余裕が僅かにできたので、息を整えている間ができた。
「貴殿が狛神 琥珀殿ですか?」
馴染みのない声に呼ばれ、振り向いた。
間延びするような、おっとりとした声をしているくせにどこか妖艶な声だった。
次に視界に入ったのは、瞳の周りに縁取りの化粧―――なのか刺青なのかはわからない―――を施している、すらっとした男だった。
微睡んでいるような瞳。それらが赤く染まっており、この者が術の使い手だと理解できた。
おまけに味方だと判断できた材料は、肩に茜凪を樽のように抱え、沖田の結界ごと操って外に連れ出してくれていたからだ。
茜凪を抱えた腕とは逆の手に、真っ黒な羽織を数着と民家に落ちていたであろう能面を手にしていることが気になったが、今はそれどころではない。
「茜凪、沖田!」
倒壊し、砂埃に呑まれた民家を横目に、茜凪と沖田を救出したのは江戸市中を見回っていた狢磨 雪平だった。
あの間髪に入り込み、茜凪と沖田を連れ出したのだから実力は本物だろう。
沖田は結界ごと連れ出された点は驚いていたが、術から逃れたことに安堵する。
対して茜凪は“自分の身は自分で守れる”と啖呵を切った割に雪平に助けられたので、正直居心地が悪かった。
肩に担がれ、足が浮いた状態のまま押し黙るばかりだ。
「無事だったか……」
「す、すみません、雪平……」
「とんでもない。茜凪様が無事で何よりです」
おっとりとした静かな口調、垂れ目でありつつもどこか鋭さを感じさせる視線が注がれていることに茜凪は気付く。
視線がぶつからないように逸らすのは、受け入れてくれる雪平への罪悪感が大きい。
が、案外意地の悪い狸の彼は一言茜凪に言い返す。
「あれだけ啖呵を切ったのだから問題ないだろうと思っていたのですが、戻ってきて正解でした」
「…………。」
「やはり他者を簡単に信じるわけにはいきませんね? 茜凪様」
「思いっきり根に持ってるんですね。謝ります、ごめんなさい」
「とんでもない。これで俺は茜凪様を心配する正当な理由ができたので構いません。それに詫びより感謝してもらえる方が個人的にはやり甲斐を感じます」
「(雪平がねちっこく静かに怒る性質だったのは、もっと早く思い出したかった……)」
茜凪が頬に汗を垂らしながら雪平の肩から下ろされる。
地に足を着ければ再び、白い太刀の重さがのしかかった。
思わず顔を顰めてしまうが、今はそれどころではない。
雪平は狛神と沖田に会釈をし、ゆるりと自己紹介をしていた。
「貴殿が狛神殿ですな?」
二度目の問いかけに、狛神は思わず戸惑う。
雪平が強者であるのは最初の技で理解したので下手に噛み付く必要はない。
羅刹たちの攻撃の合間。
息を落ち着かせて狛神は頷いた。
「あぁ……。お前は?」
「お初にお目にかかります。怪狸が一族、姓は狢磨。名は雪平と申します」
「狢磨 雪平……」
「しがない墓守にございます。今は訳あって茜凪様の戦に力を貸すためにここまで参りました」
物腰低く挨拶を終える雪平に、対極に近い質―――静と動。どちらかといえば、烏丸と同様に動の部類―――である狛神は思わず呑み込みが悪くなる。
それは結界の中で守られている沖田も同じだった。
「へぇ。茜凪ちゃん、仲間を増やしたんだ。随分と親しいんだね」
沖田が吐血した跡を拭いながら、へらへらと笑えば茜凪は苦笑いするしかない。
雪平とは友人でもなく、家族でもなく、ましてや相棒でもない。
仲間というのが本当に正しい表現で、それ以上に適切な言葉を見つけることができなかった。
「彼も妖?」
「はい……」
「ふーん」
「茜凪様、こちらが茜凪様の想い人の御仁ですか?」
「ちょっ……!?」
「あははっ、残念ながら僕じゃないかな」
吐血した跡を拭き終わり、沖田は立ち上がる。
結界ごと移動されて守ってくれた相手は沖田より身長が高く、久方ぶりに見上げるように視線を上げた。
「僕は沖田 総司。新選組の人間だよ」
「新選組……?」
時流に疎い雪平は呆然としつつ、僅かに小首を傾げる。
茜凪はもう放っておこうと狛神と共に、未だに残る羅刹の軍勢に対峙した。
「“狢磨”って、狸だろ? あまり表舞台には出てこない温和な一族じゃねぇか。どんな縁があったんだよ」
「まぁ、いろいろ。あとで説明しますから」
「そーかよ。相当な積もる話が聞けそーだな。さっさと倒すか」
狛神と茜凪が、沖田と雪平を置き去りにして羅刹に向かって駆け出す。
雪平が静かに横目で捉えていたが、彼は沖田との会話を続けていた。
「寡聞なゆえ、新選組を存じ上げませんが……茜凪様が懇意にしていた組織ということですかね」
「まぁ、そんなところかな」
「左様でございましたか。その節は茜凪様がお世話になりました」
愛想はないが、礼儀正しく会釈をする雪平。
彼を見定めるように見つめる沖田。
不思議な構図が生まれており、二人の間に流れる空気も些か妙だった。
「君、茜凪ちゃんとは親しいの?」
「親しいか、ですか。なんとも明確に答えづらい質問です」
悩ませるような問いに、雪平はしばし黙る。
というのも再会したばかりであるのは間違いないので、雪平もあるがままを伝えてみた。
「俺は茜凪様の郷里にて墓守を任されておりました。彼女の幼い頃に関わりがあった程度であり、再会してからは間もないです」
「へぇ」
「して、沖田殿は茜凪様とは親しいのですか?」
「うーん、どうだろう。少なくとも、一番親しい人間ではないかな」
含みのある言葉で返せば、雪平はすぐに察することができた。
茜凪の想い人は、新選組という組織の中にいる者だ、と。
「彼女が一番親しくしてた相手は、無口で君と同じくらい愛想がなくて、副長至上主義な居合いの達人だよ」
珍しく、沖田にしては悪口がそこまで含まれなかったと思う。
巻き込まれて攻撃を受けたのは雪平だっただろう。明確に「愛想がない」と例えに出されていたのだから。
が、雪平は全く気にせずにふむふむと唸っていた。
茜凪と狛神が、雨粒に濡らされながら羅刹を倒し続ける中。
ふとそんな沖田と雪平が目に入った。
「おい、あれ止めなくていいのか……?」
「気にしたら負けです、気にすると羅刹を倒すどころじゃなくなります!」
「そーかよ……」
照れという恥ずかしさが顔に出つつ、気にしないように心がけた茜凪が狛神に叫ぶ。
茜凪は茜凪で苦労があるんだな、と改めて思う。
余裕はあるように見せてるだけで実はないので、狛神も気を取り直すことにした。
残りはあと四分の一程度。
それなりに時間をかけているので、大きな騒ぎになる前に治めたい。
今一度、狛神と茜凪は足並みを揃えて、羅刹を滅することに努めるのだった……―――。