37. 前夜
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
西国にはいくつかの鬼の隠れ里がある。
風間、不知火、そして南雲。
関ヶ原の戦いの折りに受けた先祖の恩を返すため、それぞれが今世の人の戦に少なからず関わっていた。
鬼と人とは相入れぬ。
そんな思考は鬼の中でも根強く残っており、積極的に人間と関わりたいという者は極僅かなのが事実。
だが逸脱して人の世に繰り出し、ましてや妖も巻き込んで混乱を起こし、自身の野望を叶えようとしている者がいた。
「いいか、羅刹共! ここには新選組の沖田がいる! 必ずここで殺せ!」
黒髪に黒い瞳。
小柄で年端もいかぬ、中性的な顔立ち。
顔つきや出立ちは雪村 千鶴そっくりで、見間違えてしまうほど。
「おまけに狛神も潜伏してるらしいからな。まとめてケリをつけてやるよ」
―――南雲 薫である。
変若水を用いて、人でも妖でも関係なく羅刹とし、軍勢を着実に増やしているのは彼の野望のためだった。
そして、その筆頭の妖として名を連ねているのが詩織であることを、今はまだ誰も知らなかった。
薫が綱道が作り出した変若水を詩織に渡し、詩織が縹の羅刹部隊を増強していったのだ。
尾張が壊滅しようが、この日の本で起こり得る野望は終わらない。
本当の隠れ蓑が土佐であるからこそ、巧妙な手口であった。
「まぁ、今の沖田と狛神の戦力なら、二百ほど妖の羅刹がいれば間違いないか」
薫が沖田と狛神を仕留めるために連れて来た妖の羅刹。
数はおよそ二百体。
人の羅刹よりも存在として強力である為、数と力で押さえられれば物理的に問題ない。
斥候部隊が帰ってこなかったことから、狛神が江戸にいることはバレていたようだ。
狛神が負傷しているかどうか。情報は定かではなかったようだが、指示を残し―――薫は立ち去る姿勢を見せる。
「俺は甲府に向かう。綱道おじさんと合流するよ」
―――薫はここで立ち去らなければよかったことを、後悔するだろう。
民家の中で応戦しているのが、茜凪であること。
そして市中には、狢磨 雪平がいることを知らなかったからである。
「沖田の首は必ず持ってこい。甲府で新選組の前で晒しもんにしてやるよ」
残虐的な笑みを浮かべながら、命令を終えて闇に消えた薫。
羅刹は頷きを残して、民家へと襲撃を開始する。
最中、匂いに白狐のものが混ざっていると気付いたがもう遅い。
伝えるべき鬼は、既に姿がなかったからだ。
こうして沖田が療養するために使っていた民家の襲撃が始まる。
慶応四年 三月上旬。
江戸市中、雨が降る真夜中のことだった。
第三十七華
前夜
「沖田さんッ!」
「大丈夫」
左脇に獣と化している狛神を抱え、茜凪は沖田に結界を張っていた。
筒袖に身を包み、抜刀した沖田が正面に見える。
小さな室内に羅刹が三体。
どれも妖の羅刹である。
雨の臭いと音に紛れて、敵に囲まれていることに気づくのが遅れてしまった。
ここは危険だと判断し、茜凪は目を細めて次の行動を考える。
応戦すべきか、逃げるべきか。
問題は数であると思い、まずは意識を状況把握へと向けた。
「死ネッ!!」
二体の羅刹が茜凪目掛けて飛びかかってくる。
白の太刀ではなく、無銘の愛刀を抜刀させた茜凪。
刀を持つ手で床に広がる能面をひとつ拾い上げた。
刀を振るう前に意識を逸らすものとして投げてやる。
視線が逸れた隙に、二体の羅刹の合間を抜けて背後に回り込む。
一閃で同時に首を刎ねた。
血飛沫が舞う。
返り血を浴びれば血を求めて敵が狂う可能性もあり、できれば避けておきたい。
故に飛び退き、沖田がいる隣の部屋まで戻ってきた。
違和感はその時だ。
着地の時点で、左腰がまた重くなりつられて足がもたれる。
腰に佩いた太刀が原因だ。
思わず顔をしかめる。
「なんで……ッ」
これでは力を貸してもらうどころか、太刀が邪魔で仕方ない。
なにか方法がないのか。
それとも勝手に持ち出したことを怒っているのか。
理解できないまま目の前の敵に無理やり集中した。
「茜凪ちゃん、これ解いてほしいんだけど」
「ダメです。この戦いに近藤さんは関係ありません」
凛と返せば沖田が不服そうに顔を歪めた。
原因はひとつ。
「君に守られるのなんて御免だよ」
気持ちはわかる。
茜凪は女であり、沖田は男だ。
いくら病に臥せっているとしても、女に守られるのは不服だろう。
汲んではやりたいが、どうしても譲れなかった。
彼の病魔の進行はもう止められない。
沖田がその命を、人生を終えてしまう日も近いだろう。
ならばその最期の戦いを、妖相手にしてはいけない。
茜凪は沖田の声を一旦無視し、狛神を抱えたまま片腕で剣を構えた。
狛神をどうするべきか悩んだが、障子戸の外から感じられる数が想像以上に多い。
沖田の結界の中に入れてしまうか、連れていないと狛神も危険だろう。
隙を見て場所を三人で移動し、雪平と合流しようと決める。
「白狐……沖田ァ、殺ス」
「沖田の首ヲ持って帰ル」
ぞろぞろと縁側から突撃してくる羅刹は全て猫の一族だ。
数だけは多いと聞いていたが、軽く百以上は控えている気配。
さすがの茜凪も背中に汗が伝う。
飛び込んできた羅刹の爪を避けつつ、壁と死角をうまく使いながらどんどん首を刎ねていく。
単調作業になりそうでならないのが、知性と理性を保ったまま羅刹になった者の厄介さだ。
室内にごろごろと首が転がる中、ふと外に続く障子戸に背を向けてしまった時だ。
「茜凪ちゃんッ!」
「っ!?」
背を音もなくとられ、羅刹二体が茜凪への太刀筋を捉えた。
振り上げられた長い爪に、袈裟斬りにされるだろう。
やばい。
感じた時には手遅れだった。
―――と思ったが。
茜凪を負傷させる連撃は訪れなかった。
ふと左腕が軽くなったことを感じつつ、背後は捨て置き正面の羅刹を仕留めることに意識を向けた。
踊るような斬撃を見せながら、首を刎ね、心臓を一突き。
茜凪は危機を乗り越えたことを悟り、即座に振り返る。
背後の敵を仕留めてくれたのは、起き上がった狛神だった。
「狛神……!」
「クソがッ!」
犬の姿から二足歩行の姿に戻っている。
傷はまだ癒えていなさそうだが、大分顔色はよかった。
半獣化しており、可愛らしい犬耳が頭についている姿は茜凪も初めて見る。
指をぽきぽきと鳴らしつつ、背中を労るような仕草で茜凪の横に並ぶ狛神。
超絶機嫌が悪そうだ。
「茜凪、早かったな」
「いえ。助かりました」
「おい沖田!」
「なあに?」
「お前結局寝てる間に俺様をもふっただろ! 許さねーからな!」
「犬耳の姿で言われても迫力ないよ」
起きてからの第一声がそれか。と沖田も茜凪も思っただろう。
目の前の敵に物怖じしない姿勢はさすが狛神だ。
だが彼は次の刹那には犬耳をひっこめて、表情を変えた。
鼻を利かせ、雨の中に隠れている敵の数を把握する。
その数には、さすがの狛神も苦笑いだった。
「―――二百弱いるぞ、こいつら」
「二百……!?」
多いなとは予想していたが、そこまでいると思わなかった。
確実に仕留めにきている。
「ここに沖田がいることはわかってたみたいだな。新選組が行軍してる間に殺しとこうって算段か」
「狛神、烏丸の甲府行きのことですが―――」
「あぁ。新選組関連でなにか気付いたのかもな。確信を得るために行き先だけ残して、詳細は後から告げるつもりらしい」
「重丸くんもそこにいる可能性が高いです」
「だろうな。おまけに俺は多摩川の境で縹の斥候隊と出会してる。始末はしたが……恐らく、俺と沖田が一緒にいることを悟った上での攻撃だ」
つまり、沖田はここで始末し、新選組は甲府で始末する。
そして新選組と重丸を餌に誘き出された妖たちも一網打尽にする計画なのだろう。
沖田と狛神に対して二百の羅刹を投入するのは過剰すぎる点を考えれば、確実に決着を付けたい理由がある気がした。
「茜凪、お前なんか気配がいつもと違うぞ。怪我でもしてんのか」
「色々ありまして。説明はあとでします。怪我はしてません」
「……そうかよ。なら二百体。全力でやれるよな?」
頷きをひとつ返す。
ここで喰い止める。返り討ちにする。
燃え上がる二人の闘志に、沖田は結界の中で不服そうに唇を噛み締めた。
「茜凪ちゃん。僕だって戦える」
「……」
「ここから出して」
狛神が敵の軍勢に突っ込んでいく中、茜凪の背中に沖田が詰め寄る。
刀を掴む手は白く滲み、力が籠っているのが見えた。
だが、茜凪は頑として譲らない。
「僕は役立たずなんかじゃ―――」
「わかってます」
沖田に言い聞かせるように、茜凪は茜色の瞳を半面で寄こした。
「先に述べたように、沖田さんの気持ちが多少理解できます。ですが、土方さんや近藤さんの気持ちもわかるんです。どうして沖田さんをここに預けて行軍したのか」
「……っ」
「それは役ただずだからではなく、案じているからです。だとすれば、沖田さんの力に頼る箇所を見誤るわけにはいきません」
茜凪は飛びかかってくる敵を倒し絶命させながら更に続けた。
「言いましたよね、沖田さんに死んでほしくないって……っ! あれは憐れみで出た言葉じゃありません!」
沖田は押し黙る。
妖としての矜持があることも何となく理解できる。
彼らは今から羅刹を屠り、甲府へ向かうだろう。
だがそれは人の戦に手を出すわけではない。
そして今目の前で起きている戦いは、妖の戦いだ。
「なら、約束して」
「約束?」
茜凪が話をしながら呼吸を整え、合間で沖田と対峙する。
立ち上がった沖田が茜凪を静かに、どこか憤怒を含んだ目で見つめながら言い切った。
「僕は近藤さんの……、新選組の剣だから」
「……」
「新選組に仇を成し、近藤さんの道を邪魔する相手がいる時は、その時だけは、邪魔しないで」
「……―――」
「絶対に見誤らないで欲しい」
沖田の真剣な瞳。
殺意が込められた視線。
もし沖田の意志を茜凪たちが折るならば、斬るとでも言いたげだ。
彼はどこまでいっても、新選組一番組組長の沖田 総司だと思い知らされる。
こんな剣客が、病に倒れるなんて……。
なんて残酷な運命なのだろう。
視線を逸らしたいと思うからこそ、敢えて力強く見据えた。
逸らしたくない。
彼が行く道の結末から。
「約束します」
たった一言。
そう返すことが茜凪には精一杯だった……―――。