35. 縁
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慶応四年 三月上旬。
茜凪は狛神と合流を目指し、雪平と江戸を目指す頃。
烏丸 凛が甲州を目指し、狛神が沖田に助けられた頃。
月夜の京に、烏丸 爛は降り立った。
「なんだ……?」
目的はひとつ。
喜重郎の息子である重丸の様子を確認しにきたのだ。
爛自身にも明確に説明できない想いが重丸には向いていた。
重丸を守ること。
それが立ち止まっている爛の心を解かす鍵になると、本人も思っているのかもしれない。
鳥羽伏見の戦が多少なりとも落ち着いた頃を見計らい、重丸の様子を確認に京へ来たのだが、違和感があった。
重丸の気配が感じられないのだ。
「重丸……?」
月夜の町並みを行くのは新政府軍と呼ばれる輩たち。
爛が関わるわけにはいかないので、屋根の上や物陰を利用しながら移動する。
すっかり慣れ親しんだ長屋通りへ到着したが、やはり重丸の―――半妖ならではの独特な―――妖力は感じられなかった。
「あのガキんちょ、どこ行きやがった」
そっと長屋に近付き、戸の隙間から聞き耳を立てる。
重丸の母・ちかと再婚した人の男が憔悴しきって泣いていた。
重丸が帰ってこない、帰ってこないと口にする親の姿。
ここに重丸がいないことは、彼の意志ではないことが起きていると理解できる。
「十中八九、縹か……。やられた」
重丸が攫われたと予測した爛も、茜凪や狛神と同様に動き出す。
重丸の微弱な妖力の気配。
だが、茜凪や凛、狛神よりも長い年月関わってきた爛は、この気配に慣れていた。
目を閉じ、地場からも感覚を潜らせて探り当てられるように力を使う。
日の本を体と見立てるならば、隅々まで酸素を運ぶ血管のように爛は気配を探らせていった。
「―――……っ」
やがて、探り当てられた箇所。
江戸の付近に現在はいるようだが、急速に移動していることがわかる。
方位は江戸から西に向かっている。
また、重丸を包む巨大な気配。それにより居場所が探りづらい。
「西? どこに行く気だ」
江戸は今、将軍である慶喜公が謹慎している。
近々、官軍と賊軍が江戸市中で戦を始めるのではないかとも言われていた。
幕府の勝海舟を筆頭に、江戸の町を戦火にしないように会合が行われるのではないかとの噂も出ている。
もし、縹の者が重丸を攫ったのだとしたら。
人の世で戦が起きれば、羅刹に必要な血は大量に手に入る。
ならば江戸から離れる必要はないはずだ。
それをわざわざ西へ向かい、遠ざかるなんて。
「そっちで先に戦が起きるのか……?」
感じ取りにくい気配。
力を使うのをやめ、爛はもう一度獣化することにした。
重丸がここにいないのであれば、京へは滞在理由がない。
凛に会うべきだとは理解しつつも、重丸を放っておくことは許せなかった。
真っ黒な翼を広げて、京から東へと向かうことにする。
「悪いな、凛」
四国の方角を一瞥し、爛は小さく吐き捨てた。
里にいるであろう弟に詫び、爛は天高く羽ばたく。
―――まさかこの先、意外な場所で弟と再会するなど思わなかっただろう。
慶応四年 三月。
甲州勝沼の戦いに向けた、それぞれの旅が始まった。
第三十五華
縁
“死”とは決して絶望ではないと俺は思っている。
ある意味での救いであるとも考えていた。
「なぁ、師匠。狛神家って神と一緒に祀られる崇高な妖だって聞いてるんだけどさ」
楽しいこと、嬉しいこと、幸福なことだけを感じさせる人生など有り得ない。
日々続く忍耐、苦痛を乗り越える強さ、目的に向けて真摯に取り組む継続力。
それらを身につけてこその成長。
成長とは自身を磨き上げることだと自負している。
俺は俺の価値が高まれば嬉しいし、誇らしい。
それを喜んでくれる者が共にあるなら尚のこと。
だが、この成長が永遠に続くものであり、逃れることが出来ないものであるとしたら……―――ある意味でそちらは絶望だと思えたからだ。
永遠に終わりのない道。
登りきれない山。
目的地が見えないまま走る時間。
心が折れそうになる。
“死”は絶望ではない。
円環の巡りであり、始まりでもある。
そして救済だ。
「神に祈る人の想いを聞き、助力し、願いを叶えるためにあるって教え……。俺、守れる気がしない」
「へぇ。どうして?」
「人の願いなんて叶えたいと思えないからだよ」
―――昔、師匠であった北見 藍人にそんな嘆きを投げたことがある。
式神の札の手入れをしていた藍人は、俺に視線を寄越しながら続きを待っていた。
「人間ってくだらないだろ。金が欲しいだとか、権力を得て人を従えたいとか、綺麗な女を自分のものにしたいとか、欲まみれだ。そんな奴らの思いを精査して、叶えるべき相手を探すのが狛神家の使命だなんて……無茶だろ」
この頃の茜凪と烏丸は、なにをしていたのか正直知らない。
幼い日々以外であいつらと会ったことは殆どなかったし、次に再会したのは藍人が死んでからだった。
藍人が狛神の里に訪問する時は、茜凪も烏丸も従えていなかった。
だからこそ、俺と藍人のやりとりを二人は知らないだろう。
「そうだね、まぁ人間もくだらない奴は多い」
「俺も狛神として名を連ねるなら、人の願いを叶えて妖としての役目を果たせってばぁさまたちに言われたよ」
「はははっ、絶界戦争を繰り返さない為の対策か。狛神の血筋は歴史を受け入れ、未来がよくなるように努めてて良い。人間への興味が知識となり、相手を知れば許せることも多いだろうな」
「なんだよ、師匠までそんなこと言うのかよ」
「醜い争いは無意味だ。その種を摘めるなら、俺は狛神にも人を知ってもらいたいと思うよ」
「はぁ〜?」
正直、藍人が言っている意味は五分、いや三分も理解できなかった。
昔、大きな戦争があったことは聞いていたが、狛神家がどんな立場で、どんな戦いをしてきたのかは知らなかった。
今は平和な世だし、藍人がいる。大丈夫。
漠然と、そんなことばかり考えていた。
「じゃあ、そんな狛神が願いを叶えたくなるかもしれない人間を、俺が紹介するよ」
「師匠が?」
「多摩の田舎道場に、農民出身の剣客がいる。腕っ節がめっぽう強くてな」
―――今思えば、初めて新選組の話を聞いたのはこの時だ。
興味がなかったので、右から左に流していたけれど。
特に、剣客の名前。
人間の名など、どうでもよかったから。
「近藤という者を筆頭にしているんだが、俺が視るに内弟子の一人が最強だと思うんだ」
「へー」
「名前を沖田 総司と言う。年も若くて、凛と同じくらいの年頃だったかな」
「へー」
「志を高く持ちつつも、身分故に埋もれてしまう彼らはどこか愛おしい」
「へー」
「狛神もいつか出会えるかもしれないよ。俺が沖田と出会ったように」
―――いつか心の底から、願いを叶えてあげたいと思える人間が。
混濁する意識の中で、藍人の声が俺の中に響いていた。
“死”は絶望ではない。
ある意味で救済とも言える。
それでも、死を待つのは。
死を渇望するのは。
死を受け入れるのは。
今じゃない。
「目が覚めた?」
「―――……」
「おはよう。狛神君」
―――頭の上から呼ばれる声に、狛神 琥珀は動きを止めた。
視界は開けた。
次に襲うのは強烈な痛みであり、うつ伏せ故天井を向いている背中が痛む。
が、気になったのは狛神に声をかけてきた人物だった。
音程や特徴に覚えがあり、断定できるのだが、その相手がここにいるわけがないと思っていた。
もう一度目を凝らして顔を傾ければ、夜着のまま隣の布団に腰掛けた、あの沖田 総司の姿があった。
「…………沖田?」
「そうだよ」
「沖田 総司……か?」
「僕以外の誰に見えるっていうの。もしかして忘れちゃった?」
首を傾げつつ、どこか自信なさげに苦笑いする沖田。
その反応は意外だと狛神は思った。
沖田といえば、いつも人をおちょくるような毅然とした態度でいるからだ。
そもそもの意外は、沖田と同室で寝っ転がっていること。
懐かしい藍人との追想のような夢を見ていたが、夢の前―――意識を手放す時の記憶が曖昧である。
「ひどいなぁ。顔馴染みだから助けたようなものなのに、忘れられちゃってるなんて」
「“助けた”……、お前が俺を?」
「その意外そうな顔は僕に失礼だと思うけど」
百面相のように、ころころと表情を変える沖田。
自信なく笑ったかと思えば、からかうようにバカにしてきたり、次いで憤りの表情を見せたり。
まるで狛神との会話にどこか安寧を感じているように見える。
頭の片隅、僅かな思考でそんなことを思った。
が、狛神の思考の大半は、何が起きたのかを思い出すことに必死だ。
「(縹の羅刹を倒して……、でも毒でやられて……)」
それで力尽きて倒れたのか。
ようやく記憶が繋がったことで、思い返して声を上げた。
「やべ、重丸……ッ!」
ガバッと起き上がり障子戸に手をかける。
沖田は怪訝そうに狛神を見上げていたが、彼が飛び出していく心配は皆無だった。
次に起きる結末がわかっていたから。
「いっっっ……!!?」
“痛い”すら声にならない、強烈な刺激が体を貫く。
思わず涙目になりながら、狛神は立ち上がった膝を折り、なだれ込むように縁側に伸びてしまう。
「動かない方がいいと思うよ。松本先生に毒抜きはしてもらったけど、傷はまだ塞がってないから」
「〜〜〜〜〜っっ」
頬を廊下に付けながら、狛神はぴくぴくと手足を痛みに動かした。
この調子では今すぐ重丸を探すのは難しい。
仕方ないので、とりあえず無理なく動けるまで回復させることを優先しよう。
顔は見えないが、沖田がまた嘲笑うような表情をしているに違いない。
妖である狛神が、人である沖田にバカにされっぱなしなのは心外だが、言い返す余裕もなかった。
痛みの波を乗り越えて、ようやく少しだけ動けるようになった頃。
なんとか這いながら体を布団に戻し、沖田に視線を向ける。
彼は布団の上で胡座をかきながら狛神に対峙していた。
「で、狛神君。君は助けてくれた人にお礼も言えないの?」
「う……。た、た、助カッタ、ヨ……。お前に助けられるなんて思ってもなかったけどな!」
「なあに? 吃りすぎててよく聞き取れなかったなぁ」
「おまえ……」
今度は別の意味でぷるぷると拳を振るわせてしまう狛神。
けらけらと笑う沖田。
はぁ、と一拍ため息をついたところで狛神は辺りを見回した。
六畳ほどの一間に、布団が離れて二つ敷かれている。
沖田と狛神のもの。
障子戸を開け放った先は竹垣で、左右から感じ取れた家屋の大きさは小さい。
隠れ家とも言えるような、一般的な民家。
次いで、目の前の沖田を見やる。
夜着と布団、置かれた刀。その奥に積まれた行李。
廊下側の襖を開けると何があるのかはわからないが、この様子から理解するのは一つ。
「お前、なんでこんなところにいるんだよ。調子でも悪いのか?」
新選組が京を離れてからどうなったのか。
狛神はよく知らない。
江戸に来てからの動向は気にしていなかったし、狛神自体が茜凪や烏丸と違って新選組にそこまで興味はなかった。
知っていることは極僅か。
鳥羽伏見の戦で幕軍は賊軍とされたこと。
大坂では戦わず、江戸に逃げ落ちたこと。
そして、斎藤 一が烏丸に託した願いとやらで幼馴染とも言えるあの二人が命懸けの喧嘩をしたことだ。
新選組が今なにと戦っているかは知らないが、ここはどう見ても屯所ではなさそうだ。
故に沖田がいることは違和感がある。
「ここ屯所じゃないだろ」
「うん、そうだね」
「風邪か? お前が新選組から離れてこんなところで一人でいるなんて」
「そう。労咳だってさ」
狛神は得意の「へー」で受け流すつもりだった。
が、間を微かに置いてから動きを止めてしまう。
いま、なんて言った?
「は?」
「大したことないんだけどね。土方さんの命令で、甲府には行軍できずにお留守番だってさ」
「いや、そうじゃなくて、」
「あの人、本当に性悪なうえに心配性だからさ。僕が大丈夫って言ってるのに、大事をとってとか言って」
「……お」
「まぁ、確かに今の僕が行軍して近藤さんのお荷物になるわけにはいかないから。ここで養生することしかできないんだけど」
衝撃で、狛神の指先が固まる。
呼吸すら躊躇われる。
開いた瞳孔が戻せない。
ようやく声が出るようになったのは、不自然な余白が出た頃だ。
「お前、労咳って……」
「うん。有名な死病だね」
「死、病……」
「というか、知らなかったんだ?」
「知らねぇよ! てっきりお前ぐらいになれば、まだ最前線で一と一緒に戦ってるのかと……」
「へぇ。茜凪ちゃん、本当に誰にも言ってないんだ」
沖田は狛神すら越えて、視線を開けっ放しの障子から外へ向ける。
狛神がここへ運び込まれ回復するまでに時が経過したようで、既に陽が昇り、そして沈みかけていた。
「茜凪は知ってたのか……」
「うん。最初に言い当てられちゃった。君たち妖の力でしょ?」
茜凪が沖田の労咳を見抜いたのは随分前のことだ。
藍人との戦いが勃発する前。
慶応二年の冬、出会ってすぐのこと。
茜凪の直感能力によるものかと狛神は納得する。
運命とはなんて残酷なのかと、この時は思った。
沖田一人の力で官軍の西洋武器に対抗できるほどの力はないだろう。
それでも彼が最前線に立ち続けることは、間違いなく仲間の士気をあげ、そして敵にも影響を与える。
沖田ほど剣技がある者が何故戦場ではなく、病に倒れるのか。
剣客として、床に臥して死することは本人も仲間も、敵ですら望んでいないのではないだろうか。
「それより君こそ、こんなところで何してたの?」
沖田は狛神に気まずさを感じさせることはなかった。
話題の切り替え方もすこぶる上手で、さらにはこの話題は堂々巡りで答えがないことを知っているとでも言いたげだ。
そのくせ、深く聞いてくるなという圧は感じさせない。
ただありのままを受け入れ、そのうえで抗う姿勢を崩さずにいる。
「君が外で倒れてたから松本先生を呼びに行って、毒抜きの処方と傷の手当をしてもらったり大変だったんだよ。おまけに君、途中で犬の姿に戻るし」
「はぁ!?戻……!?」