34. 憐憫
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重々しい襖を開けて、戸を越える。
爪先から感じる畳の感触が、先程までいた庵や雪平と食事をした部屋より上等な場所だと伝えていた。
部屋の中には衝立障子が用意されており、更に奥には三面鏡、箪笥や行李、長持などが積み上げてある。
女性が着替えるための部屋であることが伺えた。
「茜凪様、こちらの着物の中からお選びください。軽く丈夫な生地で出来ております故、戦場でも御身を守れるかと思います」
「ありがとう」
手慣れたように箪笥や行李の中からいくつかの着物を持ってきた雪平に、茜凪は感謝を述べた。
背丈や格好に合わせるよう、とりあえずひとつ取り出してみる。
白が基調とされている着物しかない理由は、白狐が掲げる色だからだろう。
基調の色に、赤、紅、山吹、桃、橙など暖色系の色が統一されて散りばめられている。
今までの着物には寒色にあたる翡翠で濃淡がぼかされ彩られていた。
その着物を選んだ理由も、瞳の色が寒色系だったから似合うようという烏丸や菖蒲の助言から。
助言を基にするならば、確かに雪平が言うように『茜凪に寒色が似合っていない』は瞳の色が変わったことが理由だ。
着替えのための部屋なので、三面鏡が用意されていた。
薄暗い部屋に、襖の向こう側から射す光。
鏡に映し出される己の姿は、力を使っていないのに間違いなく茜色の瞳をしている。
鎖骨の下あたりまで着物をずらし、影法師から与えられた呪いの印を探した。が、もう見当たらない。
「(本当に解けたんだ……)」
春霞の里に来て、自身の一族が受けた仕打ちと憎悪と対峙した。
赤い蛇を弾き返すときに胸の内に熱くなにかを感じたのは間違いないが、呪いが解けるとは思わなかった。
藍人がかけた呪いと、影法師がその上からかけた呪い。
記憶が戻ったことも要因のひとつなのかもしれない。
茜凪はぼんやりとそんなことを思いながら、背丈に合わせるように着物を体に宛ててみる。
不思議と丈はぴったりで、幅も合っている。
雪平の狂いない採寸の見立てに驚いて声をあげた。
「すごいですね、雪平。どれも体にぴったり合いそうです」
「あぁ、僭越ながら先程抱き寄せた時に、腰回りから肩幅などを大体測らせていただきました。故に狂いはほぼないかと」
「…………。」
「茜凪様は環那同様に痩身で小柄でいらっしゃいますね。胸囲が少々足りないのが残念ではありまぐはぁッ!?」
「余計なお世話ですッッ!!!」
行李に手をかけていた雪平が発した一言に、茜凪は容赦なく背後から蹴りを一撃喰らわせる。
奥に続く襖をさらに越えて吹っ飛んだ雪平が、脚を宙に浮かせながら壁に激突し、上下を反転させながらゆるりと反論してきた。
「いたたた……。そんなに激昂なさらずとも、胸だけがすべてではありませんよ、茜凪様」
「貴方そんなおっとりとした顔をしているくせに、もしかして烏丸兄弟と同じ部類の人間ですか!!?」
「失敬な。爛さんは確かに巨乳好きだと聞き及んでおりますが俺は違います」
全く格好つかない体勢のまま、正すこともなく雪平はおっとりとした、且つどや顔で言い切るのだった。
「俺は尻が好きです。胸は置いといて、茜凪様の桃尻はなかなか魅力的ですよ」
「黙ってくださいむっつり助平!!」
決め台詞のように言い切った雪平にもう一撃加わったのは言うまでもない。
意外な一面を見たと思いつつ、茜凪は彼を部屋から追い出し―――おまけに外の大木に縛り付け、覗きが絶対に起きないように細心の注意を払い―――新しい着物に着替えるのであった。
「雪平があんな一面を持ってるなんて……っ」
意外な顔を知れた点はまぁ嬉しいが、いろんな意味で聞きたくなかったと思う。
顔が火照るのを抑え込むのに意識を向ければ、もう着物の柄なんて選んでいる場合ではなかった。
適当なものを一着手に取る。
白を基調にしてはいるが、紅と茜の濃淡が散らされた着物。柄は形どられた蓮の花。
肩口が晒される作りだが中にもう一枚、真っ黒な肌着を着てみる。
さすれば安心で、さらに白と赤系の色が映えた。
これでいいか、と羽織ったところで生地が大分上等であることに気付く。
明らかに他の着物より更に上品だ。
「これ……」
理由がわからない。
だが肌触りがいいので良しとする。
帯も適当に好きな色を選ぼうと思ったのだが、ふと手を留めた。
理由は外で待っている―――正しくは大木に縛られている―――雪平が、案外見てくれに五月蠅そうだと思ったからだ。
ここで彼のお気に召さない色を選んで身に付け出ていけば文句が飛んでくると想像できた。
基調の白と茜と紅、隠れて黒ときている。
おしゃれについて複雑なことはわからない。衣服は動きやすければなんでもいいと思ってきたので無頓着だった。
菖蒲がいればなんて言うかを考え……思い出す。
『難しいことを考えず、簡単にまとめたいのならば、けんかする色を混ぜるな』
と言われたことを。
けんかする色とは暖色と寒色のことを言いたかったんだろうなと汲み取り、迷いに迷って深紅の帯を手に取り順番に着付けてみた。
着物の丈は特殊で、前面は膝上までだった。
背面だけ羽織りのように長い丈が伸びている。
帯の位置まで入った切れ込みは足の可動域を広げてくれていた。
肩下から二の腕も素肌だが、今までと形状は同じだ。慣れている。
問題は、着物の前面が短いため脚がよく見える点だった。
人の世も筒袖が流行り始め、薩長軍は着物に袴で戦うことはしていない。
文化が変わろうとしているのはわかるが、脚をこれだけ曝け出すのは些か不安だ。
どうしたものかと考え、行李の中を覗くと洋袴が用意されている。
あぁ、重ねて穿くものなのかと反省と安堵し身に付けた。
順番に着付けをしていけば、妙にしっくりくる格好だった。
もう一度、三面鏡で変なところがないか確認する。
暖色のみを身に纏う姿は、どこか強くなれた気がした。
単純だと己を諫めながら、爪先から帯にかけてに視線を落とす。すると、結んでいなかった毛束がするりと落ちてきた。
「髪……」
三面鏡の中の自分に、髪が伸びたなと茜凪は感じた。
一年と数か月前、七緒によってうなじの辺りまで短く切られた髪。
思った以上に伸びるのが早かったのか、今は胸の上まで伸びてきて結んでいないと邪魔である。
そのための簪なのだが、茜凪は斎藤からもらった簪を使用するのを少し前に控え始めていた。
理由はひとつ。
替えが利かないものだからだ。
戦場に持ち込み、壊れたときに落ち込むのは目に見えている。
三面鏡の引き出しの中にあった髪紐に新調し、茜凪は高いところで一つ髪を結った。
さながら千鶴とおそろいだと思えば笑みがこぼれる。
彼女は新選組のもとで元気にしているだろうか。
胸元から取り出した蓮の簪に視線を落とす。
これをつける覚悟は、どうしてもできない。
「茜凪様ー、解放してくださーい。この雪平、思っても二度と口には致しませんからー。思ってもー」
「(反省の色がない見事な棒読み……)」
外で拘束されている雪平が、さすがに根を上げ始めた。
前後についている言葉は気になったが、いつまでもじと目でいるわけにはいかない。
着替えを終えた茜凪は襖を放つ。
着替えた姿をみた雪平が「おぉ」と声をあげていた。
「さすが茜凪様。合戦服の正装ですか。お目が高い」
「正装?」
「妖の中でも命を懸けるべき戦場で用いる戦装束のことです」
―――だから生地が一等上等なものだったのかと悟る。
雪平が『地下の蔵に保管されていたので人の襲撃から逃れててよかったです』と答えれば、正装と呼ばれる装束が燃え落ちなかった理由が理解できた。
置いていた重たい白の太刀を佩けば、新しい茜凪の完成。
「お似合いですよ」
「ありがとう」
「さて。俺も着替えて参ります」
“茜凪様が正装ならば、俺も正装がいいですね”なんて浮かれた足取りで戻っていく雪平。
背中を見つめた後、天高く上る太陽を見つめる。
「命を懸けるべき戦場……」
乗り込むしかない道。
重丸の安否が心配だ。
己の意志で歩き続けることを決め、茜凪は雪平の後を追うのだった……。
第三十四華
憐憫
―――雪平が正装に着替えを終え、里を出立した頃のこと。
茜凪と雪平の頭上に、鴉がカーカーと鳴きながら旋回しているのが見えた。
「鴉……? 烏丸の使いですね。爛さんでしょうか」
「あれは……」
狢磨家の正装は、紫を基調としているようだ。
きりっとした清廉された出で立ちでいて、たれ目のおっとりとした瞳の主張は雪平らしさを感じさせた。
春霞の里を出てから半刻ほど駆けた頃。
先程の鴉に出くわしたのだ。
歩を止めれば、ゆっくりと降下し雪平の肩に降り立つ。
足に巻き付けられた文は、茜凪の予想通りだった。
「烏丸の使いですね」
「爛さんの」
「いえ。その弟の凛です。私の旧友でして」
文は茜凪宛のものだった。
狛神から文があり、重丸が行方不明であることを茜凪も知っているか?という確認。
重丸を探したいが、所用があるため甲府に出向くこと。
爛にはまだ会えていないこと。
そのため重丸の捜索を茜凪と狛神に頼みたいという内容が記されていた。
烏丸から狛神にも文は出したので、合流してほしいということだ。
「爛さんの弟君からはなんと?」
「喜重郎さんの息子を探すのを任せたいという旨です。狛神との合流を急ぎましょう」
茜凪から狛神への返信は、里を出る前に返したところだ。
『今から合流する。共に重丸を探そう』という内容で宛てていたので、狛神が文を読めば茜凪と合流するために現在の居場所を教えてくれるはずだ。
―――重丸の気配は覚えている。
茜凪に対して縹の血を継いでいることを打ち明けてくれた年末に、微弱ながらも妖力が感じ取れた。
その気配を追いかければ、東……江戸へ向かっているようだ。
そのため、雪平と共に江戸をひとまず目指していた茜凪だが内心首を傾げていた。
「(烏丸、どうして甲府なんかに……)」
甲府にはなにか目的があっただろうか。
城下町であることは知っているが、特に自分たちの中で話題になったことはない。
縹の羅刹が動き出して爛がそこにいるのかもしれないと読み、無理やり納得させることにする。
「雪平」
烏丸に了解したと返事を綴りながら、隣で待つ紫の君に声をかける。
落ち着いた色合いがよく似合った彼は、茜凪に視線を寄こしてきた。
「聞きたいことがあります」
聞く場面が些かおかしいが、茜凪は鴉に返信を結び付け飛び立たせた後、懐から錦絵を取り出す。
ぱさりと古惚けた紙が音を立てる。
開かれたそれに、雪平が目を見開いた。
「茜凪様、それ……」
「庵で拾いました。この絵に映っている方々について聞きたいのです」
雪平の空気はまるで庵に錦絵が落ちていることがあり得ないとでも言いたげなものだった。
視線が絵に落とされれば、雪平の感情の波を直感で理解する。
「―――この絵に描かれている人物。やはり、詩織と千与で間違いないですか?」
おかしい話ではあるが、雪平は少なくとも茜凪より長く春霞の里に出入りしている。
詩織がいた庵についても立ち寄ったことはあるだろう。
「茜凪様、その錦絵……庵で拾われたのは間違いないのですか?」
「はい。立ち去る間際に、どこからか落ちてきて……」
「…………。」
ぶるり。と悪寒を感じているような雪平の態度。
茜凪は庵にいた時と同じ感覚に陥る。
命を脅かされる恐怖ではない。背筋が凍るような意識的な恐怖だ。
「あの庵は何度か出入りしたことがあります。状態を最低限保つために掃除をしたことも……。ただ、そのような錦絵は初めて見たので……恐ろしや……」
青ざめている表情の雪平。
どうやら彼は、この手のものがとんと苦手のように見受ける。
己も人ではなく妖だというのに、目に見えない霊体が恐ろしいというのも不思議な気はした。
が、苦手なものは仕方ない。
「確かに突然降ってきたような感覚は怖かったですが……。でも見てください。絵はとてもいい絵ですよ」
「そうですね……。詩織と千与様が微笑み合っていて、とてもよく描けています」
「つまりこの女性、詩織と映っているのは千与で間違いないのですね」
「えぇ。間違いなく千与様です」
茜凪は目を細める。
これで解読に向けた手札がまた一つ揃った。
この絵に描かれていることが、事実と異ならない限り―――千与と詩織の関係は良好だったはずだ。
―――風が冷たくなってきた。
陽も傾き、沈みかけている。
気配を探れば、重丸は変わらず江戸の方角に。
狛神は茜凪と雪平より北東にいることがわかる。
狛神は獣化をしているからだろうか、移動の速度がどんどん上がっていた。
これは合流は江戸市中になる可能性が高い。
茜凪は深呼吸をひとつして、雪平と共にさらに東を目指すのだった……。