03. 子春
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第三華
子春
灰色の空はまるで俺の心のようだ。
最近、晴れ間を見ない。
気を抜けば冷たい雨が降るように。そして雨が雪になるように、俺の心はどんどん冷え切っていく。
「子春……―――今……なん、て……」
慶応四年 一月末。
明日から暦は如月となり、茜凪がこの里にきて一月が経とうとしていた。
未だ絶界戦争や妖の羅刹については、点となりえる情報を探し、線になる情報を辿るように進められていた。
烏丸の歴史だけでは偏りが見られるのも判明してきたので、狛神に文をしたためて情報の共有をしていた頃のことだ。
子春が俺に、その情報を持ってきたのは。
『新選組が大坂城を離れ、江戸に向かった』
と……。
「見張りをつけていた新選組についてですが、先の鳥羽伏見の戦いは敗戦し……大坂から江戸へと逃げ落ちました。半月以上前の話ですが、裏が取れたのでご報告いたします」
「……っ」
「征夷大将軍・徳川慶喜公が江戸へと逃亡。故に大坂では戦わぬようです」
「なんで……!城に篭っていれば……」
城を攻めるには相手の数倍の軍勢が必要になる。
大坂城に篭り、新政府軍と戦えば旧幕府軍に勝機はあるはずだ。
新選組……彼らなりの信念と、誠のために、侍として戦っていた。間違いなく、ここ数年の京の治安維持をしてきたのは彼らだ。
その彼らが賊軍に扱われることすら俺からすれば納得ができないのに。
「殿様がいない戦なんて、なんも意味ねーからだろーな」
屋敷の広間で報告をしていた子春と俺の会話に口を挟んだ者がいた。
派手な着物に身を包み、障子の向こうから現れた様は、兄貴ながらに風来坊としての風格がある。果たしてその風格は喜ぶべきかは悩みどころだが。
「爛……」
兄貴は、俺が新選組と関わっていたことも。
茜凪が一に特別な思いを持っていたことも。
妖である俺たちが、逸脱ともいえるくらいの域で新選組と関わっていたことも知っている。
そして兄貴は、俺たちより世代が一回り上のこともあるのか。
はたまた彼自身の考えなのかわからないが、人と関わることを良しとは思っていないようだ。
理由は、聞いたことがない。
年も離れていたし、ガキの頃はそれなりに可愛がってもらったが、物心ついた頃には爛はもう里にはいなかった。
各所を旅し、妖の世を見て回っていた兄貴は俺より寡聞ではないだろう。
さらに言えば、どちらかというと旧い歴史や規則に縛られる頭でっかちでもない。必要があるならば、掟も信念を持って破る男だと思う。掟より大切なものがあるならば、迷わない。
爛は弟の俺からみても、それくらい強いんだ。
つまり、そんな旧い「人間、そして人間の政に関わるな」という言い伝えを、端から鵜呑みにしているはずがないんだ。
おまけに爛の幼馴染で世代が同じ綴が人である菖蒲を愛しているにも関わらず、爛はやはり人に対していい顔をしない。
殿様……大将が逃げた戦は、意味がないのもわかる。
だが、爛からの言葉には明確な単語は入っていないものの棘を感じ、嘲笑が含まれていた。
「刀と鉄砲じゃ、間合いに入ることは難しいだろうな。だから押し負けた」
「……」
「まぁ、江戸に逃げ延びてるなら生きてるんだろ。新選組が抵抗を諦めれば、命は助かるだろうな」
「諦める……?あいつらが……」
爛から迷いなく吐き出される言葉は、俺の感情に荒波を立てようとした。
新選組に肩入れしている自覚はある。
でも、あいつらをよく知らない兄貴に馬鹿にされるのは腹が立つ。
「一や総司は、恥じることなんて何もしてねぇ。必死に京の治安を守ってきた。信念を持って剣の腕を磨いて、鬼や俺たち妖の羅刹とも渡り合えるくらいの力を持ってんだ……!」
「若様……」
「人っていう、脆い体でだ!それってすごいことだろ!俺たち妖でもあんなに冴え渡る剣技、誰でもできるわけじゃねぇ。純粋に剣を活かす道をいくあいつらは、賊軍にされて、笑われるようなことなんて、なにもしてないんだ!」
「凛」
「いくら兄貴でも、あいつらを馬鹿にするなら許さねえぞ」
「それは、お前が人側につく、と受け取っていい発言か?」
「―――っ」
ハッとして視線を定めた。
冷たいくらい無表情で俺を見下ろす兄貴。
俺の側で控える子春は、俺の発言に驚いたように顔色を青くしていた。
「それは……」
「烏丸 凛」
ぴりり、と強い敵意を感じた。
呼ばれた名が轟く。
「お前はこの里の次期頭首だ」
「……」
「それは他でもないお前だ、凛。頭首になれば里が最優先になる。今より自由は利かなくなり、好きな時に好きな場所へ行くことはできなくなる。共に過ごせる相手も、里の判断に関わる。だからこそ今、親父もお前のある程度の自由は許してるんだ」
―――兄貴は、聡い。
昔から、言いたいことははっきり言えるし、相手も自分も守り抜く強さを持ってる。
人の上に立って導ける力もあるのに、それをしない。
「せめて里にいるうちは、発言に気をつけろ」
「俺は……っ」
「もし、お前が烏丸一族を危険に巻き込むなら」
自分勝手だ。
俺より、兄貴のほうが何倍も、本当は頭に向いているのに。
自由でいたいから、その役目を担わないなんて。
「俺は兄として、お前を止めなきゃならない」
「……」
「烏丸に、春霞や縹のような思いをさせるわけにはいかないからな」
そのあと、ぽつりと聞こえた言葉の真意はわからなかった。
そのまま立ち去った爛に、控えたままの子春。
俺の心にはまだ波間の波紋がある。穏やかでいられない。
「―――藍人が目指した世界は……」
爛に届く時に言えばいいのに、と自分で思う。
でも、口から零れたのはいなくなってからだったから仕方ない。
脳裏に思い出されたのは、藍人が大老たちに立ち向かう姿。
「人も妖も、誰もが幸せになれる世だったのかもな……」
人である菖蒲を愛した天才の妖。
彼がいたら、いまもなにか違ったかもしれない。
「若様」
控え続けてくれた子春が立ち上がる。
俺の発言には驚きを隠せずにいたが、俺を案じてくれる姿にどうやらまだ失望はさせていないことが伺えた。
「―――……悪い、子春。みっともない姿みせて」
「いえ……」
「ついでにもう一つ、頼みがあるんだ」
この頼みは、子春にも迷惑をかけることを百も承知だ。
ただ、俺が今、失いたくないものの中に浮かぶ存在がいる。
「茜凪には新選組の件、言わないでほしい」
「それは……何故ですか?」
ここに滞在している狐は、まだなんとか大人しくしてくれている。
だが、烏丸の里で白狐がいる状況は茜凪にも心地よくないだろう。
そして、俺が茜凪を気にかけていることをよく思わない民もいるはずだ。
もしかしたら、子春もそうかもしれない。
「茜凪を、守るためだ」
「……」
「あいつを死なせたくないのは、俺も同じだから」
一の言葉が蘇る。
人の戦で茜凪を死なせたくない。
そんなの、俺だって同じだ。
「若様は……」
子春が歯切れが悪そうに言葉を止めた。
紡がれない続きを待ちながら、俺は彼女を見つめる。
黒い髪、少しだけ灰色がかる瞳には疑問が浮かんでいた。
「春霞 茜凪を、愛していらっしゃるのですか」
「え……?」
まっすぐ上がった視線。
しっかり受け止めれば、子春には何故?という意味が汲み取れる。
いつか茶屋で話した時のように。
「茜凪さんを心から慕っているから、気にかけるのですか」
「子春……」
「彼女は、白狐ですよ。なのに若様は心から茜凪さんを案じ、疎むような気持ちを一切見せない。ずっと前から不思議でした。故に、恋慕があるのかと……」
尋ねられて、今だからこそ心に問いかける。
―――……違う。俺が茜凪に向けているものは、間違いなく恋慕じゃない。
あいつを思う時、いつも思うこと。蘇ること。
子供の頃の孤独を、茜凪が癒してくれたこと。
種族なんて関係ない。
“俺”を見てくれた茜凪を……
「……幸せにしたい」
ぽつりと残るのは、関係性を語る続柄では言い表せなかった。
親友、兄妹、家族、仲間。どれにも当てはまるのに、どれにも当てはまらない気持ち。
「恩返しがしたいんだ」
「恩返し……?」
「俺はあいつに、何度も助けられたから」
あの過去を捨てるほど、強くなれない。
茜凪が望むなら俺はあいつを人の世に、人と幸せになることに力を貸してやりたい。
一と生きていく願いを叶えてやりたい。
同じくらい、一の気持ちも大切にしたい。
「(爛にも……あるのかもしれない)」
人を許せない理由が。
妖だから、という理由以外の、個人的なものが。
「分かり合えるように、なりてぇな……」
いつか、お互いにもっと理解が深まればいいと思う。
人も妖も、そして鬼も。
誰もが幸せでいれる世界を、藍人が実現しようとしていたように。