28. 面影
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『そんなこと一君はとっくに覚悟してるのかと思ったよ』
匂い立つ春の気配。
花々が咲き誇る庭先。中でも一際、椿の花が美しさを放っている。
薄紅色の花弁が重なりながら広がっている様は、縁起が悪いといわれる花ながらも誰の心も打つものがあるのではなかろうか。
今朝、目が覚めた時。
夢の中であの娘―――茜凪の姿を見ることはなかったことに、安堵した。
焦がれるほどの愛しい想いというのがどれほどのものかは、わからぬ。
会えない苦しみに耐えられずに蹲るほどのものだと言われれば、俺はそれほどの想いは抱いていないのかもしれない。
新選組のことを考えればまだ四肢も心も、ただひたすらに新選組の剣でありたいと渇望している。
四六時中、茜凪のことを考えているのかと言われれば否定する。
戦況は芳しくない。鳥羽伏見で敗戦し、賊軍として扱われた我々が武士として志を貫く為にも今は女に浮かれている場合ではない。
だが、茜凪のことが思考に、頭の片隅にもいないのかと聞かれればこちらも否定しなければならない。
こうして庭先の花を見つめた時。
食事の折り。
晴天の空を見上げた時。
雨が降る夕方。
喧騒の中で。
鈴の音。
ふとした時に、甦ってくる。
「はじめくん」
嬉しそうに、俺を呼ぶ声。
顔を綻ばせて見上げてくる、すべてを懸けた偽りのない喜びを体現している姿。
初めて彼女を意識したのはいつだったか。実は覚えていない。
それほど自然に、いつの間にか茜凪は俺の心の中にいた。
守りたい。
笑顔でいてほしい。
悲しみで崩れ落ちることがないように。
せめて涙を流す日は、それを拭うのは俺の役目であればいい。
そんな風に願い始めていたのは、もう随分前からなのだろう。
想いの丈を自覚したら、そうとしか言えないのだ。
『一君は、茜凪ちゃんを好きになったんでしょ』
先日の総司の言葉が思い出される。
彼の者はいつもと同じように、俺をからかうために発してきた言葉の数々。
その中にいくつか、真意を突いたものがあったことに俺は言葉を失った。
息を呑み、畳を見つめて耐えるだけの時間が、色を持って視野が開けたと感じたのだ。
天邪鬼な彼の者の言葉。
裏腹に隠された意図は、総司にしてみれば重みはない。
だが、間違いなく俺には届いた。
―――茜凪ちゃんだから、好きになったんでしょ。
茜凪を好きになってから、妖だと知ったわけではない。
あの娘が妖であることは、一年以上も前から知り得ている。
北見との戦いに巻き込まれた、先の戦いから。
その後、御陵衛士となった俺……“斎藤 一”の心の拠り所として茜凪は傍で、俺の間者としての隊務を見守ってくれていた。
茜凪が人であったとして。
果たして出逢えていただろうか。
昨年の暮れ、茜凪が同じようなことを口にしたのを思い出す。
妖であることを、彼女は後悔していない。
彼女は、彼女の存在を否定したことがなかった。
そうでなければ、俺や新選組に出逢えなかったかもしれないから、と。
「(共に生きる、覚悟……―――)」
北見 旭に言われた数々の妖としての言葉。
烏丸 爛の態度。
そして妖として戦いに挑む茜凪の姿勢に、境界線を感じていたことは否めん。
これ以上は進んではいけない。
想いも口にしてはならない。
触れることも、求めることも許さない。
背後にいる冷静な“俺”が、貫くような視線で監視を続けている様だった。
だが、総司の言葉ではっとした。
俺は“俺”という監視の目を受けながら、何故今でも彼女の身を案じているのだろうか。
願い、案じることをしたとて、彼女に届くわけでも報われるわけでもなく、茜凪の知らせも届くことはない。
それでも忘れられぬ声、温度、笑顔、存在。
何故か。
「(俺は武士だ。右差しであることを認め、武士として死んでいたも同然の俺を甦らせてくれたのは、新選組……そして会津公。彼らの為に微衷を尽くし、武士として最後まで生きていく)」
その道を逸脱する俺を、俺は許さぬ。
「(仮にここから戦況を盛り返し、また新選組として役目を与えられたとて、茜凪は妖だ。彼女の生き方を俺の想いで逸脱させることはできぬ……)」
ずっと、そう思い続けてきた。
妖と人。
人と妖。
彼女の中にある暗黙の了解を破らせるわけにはいかない。
彼女は俺が望めば恐らくそれを……踏み越えてくる強さがある。
『茜凪の幸せは茜凪が決めるものだろ』
左之に言われた言葉も甦る。
茜凪が思う、茜凪の幸せについて考えたことはなかった。
庭先でぽとりと椿が落ちる気配がした。
花弁が枯れるのではなく花ごと地に還り、美しい形容のままだんだんと朽ちていく。
開花させた恋心のまま、刈り取られた面持ちになる。
それでも椿は美しい。
「斎藤」
背後から声がかかった。
たった一人で見つめた庭先だったが、この声は幻聴ではなく現実だ。
一瞥すれば、背後に左之の姿がある。
「大広間に集まれってよ。近藤さん、戻ったぜ」
局長が戻られた。
つまり、副長も一緒だろう。
詰めていた再戦の機会について語られるはずだ。
「わかった。すぐ行く」
今一度、地に落ちた椿の花を見つめる。
美しく咲いた花が、その形を保ちながら朽ちる運命にあるとしても、俺が優先すべきものは変わらない。
それでも、考えるべきではない未来が浮かび、尋ねるのだ。
優先すべきものが全うされた時、どうするのだ。と。
この怯えの正体を、俺はまだ知り得ておらぬ。
久しく感じることのなかった怖いという感情に蓋をして、俺は俺のまま歩き出すのだ―――。
第二十八華
面影
「斎藤組長」
―――慶応四年 弥生の月 上旬。
新選組は江戸市中にある旗本屋敷を屯所として構え、上野の寛永寺にて謹慎をしていた将軍・慶喜公の警護をしながら近藤と土方の帰りを待っていた。
時は満ち、近藤が新選組局長として復帰すると同時に新選組は次の戦に臨むことになる。
新選組は甲陽鎮撫隊として、甲府へと赴くことが決まった。
近藤は幕府から新たに大久保 剛という名前を貰い受けたそうだ。
位も大名になったそうで、喜びを全身で表した言動が目立っていた。
そこからの甲府行きの報告だったので、若干の近藤の態度に不満が場を占めたのは気付く者は気付いていたはずだ。
永倉が何度か文句をぶつけていたが、原田がそれを諫めて乗り切り、同じ空間にいた千鶴ははらはらとしてしまった。
そして大広間に集められた理由のは、甲府行きの決定だけではなかった。
新たな隊士が加わったのである。
「改めまして本日より三番組に配属となりました、花烏賊 廉と申します。ご指導よろしくお願いします」
花烏賊 廉(はないか・れん)。
黒髪に黒い瞳の小柄な青年とも少年とも言える出立ちであり、整った顔つきの者だった。
大広間から解散した斎藤は、組長として廊下で呼び止められた。
花烏賊の出立ちを一度しっかり見据える。
全員の前で挨拶していた時も思っていたが、男と呼ぶには千鶴と同じように些か細すぎると感じていた。
纏う空気は真面目、無口、しっかり者という印象。間者勤めができそうな点から新政府軍の密偵ではないかという見解もある。
よって斎藤のもとへ配属されたのは、土方の機転でもあった。
斎藤の下に置くならば、密偵だったとしても見抜けるだろう。と。
新政府軍と事を構えたいと願う一方で、今の新選組には足りないものばかりであった。
刀だけでの戦はもうできない。
鳥羽伏見の戦いで嫌と言うほど実感し、犠牲者も多く出してしまった。
隊士の入隊までの記録は今までは必ず行っていたけれど、今は人手も足りずに追いつかない。
なにより賊軍として扱われ始めた新選組に入隊したいと希望してくれることが有難い。
間者であるかもしれない疑いはかけながらも、うまく付き合っていくしかなかった。
「花烏賊か。俺は斎藤 一。三番組組長を務めている。改めてよろしく頼む」
「はっ」
小柄な少年を見下ろしながらも、斎藤は挨拶を交わすのだった。
花烏賊と名乗った彼は一度頷き、一歩引いて斎藤についていく。
その仕草があまりにも洗練されており、慣れている所作だと感じた。
まるで今まで誰かに常に、付き従っていたかのような。
「花烏賊」
「はい」
「生まれはどこだ」
「京にございます」
そのまま続けて、花烏賊は告げる。
「京で新選組の皆様の働きを間近で拝見しておりました」
「……」
「此度の戦で京は戦場となり、平穏は失われました。町民はいろいろと言いますが、京の治安を守ってくださっていたのは新選組の皆様や、所司代であることは変わりません。私は今まで守っていただいた御恩を返す為、新選組に入隊をさせていただきました」
立派だと思う半面、斎藤は不穏を感じていた。
自分が間者ならば同じ事を言う、と。
まるで用意されたかのような並びに、斎藤は花烏賊の前を歩きながらも視線は背後の少年を探っていた。
「そうか。剣の腕前はどの程度だ」
「目録です」
「洋式の戦には慣れているか」
「いえ。申し訳ないことに未経験です」
言葉の端々から感じ取れるものを探し続ける。
言葉以外にも、所作や態度、口調から心理状況は伺えた。
「(鳥羽伏見で敗戦した我々に加わり、且つ洋式の戦に慣れておらぬという……だが彼の者からは恐れを全く感じぬ)」
洋式の戦、銃を主とする戦は間合いが広く剣で切り込むことは難しい。
一方的に叩かれる可能性も考えられるが、目録の腕前の彼は躊躇いを感じさせない態度だった。
「(まるでいつでも死ねる……いや、目的のために命を懸けているとでも言いたげな態度だ)」
ますます怪しいと感じてしまう。
斎藤は決して花烏賊に情を持ったりしないように、細心の注意を払いながら監視を続けることにした。
だが、斎藤を警戒していたのは花烏賊も同じだった。
「(斎藤 一……。この人が、若様と最も交流のあった人間で、茜凪様の……―――)」
―――花烏賊 廉。
その実、彼の正体は烏丸 凛に依頼されて新選組に入隊した烏丸 子春である。
千鶴の可愛らしい男装とは異なり、体格以外は男と見まごうほどの男装で見事入隊を果たした子春は、なんの縁か斎藤の下へと配属となったのだ。
「(私が烏丸 子春だと看破されれば、若様の御意向に反くことになる)」
子春と新選組は、きちんと言葉を交わしたことはほぼ皆無だったが、小鞠が死んだ夜に屯所に出向いている。
凛が従えていたというのは誰もが周知している事実だ。
子春の直々の主である凛は、今は里にはいない。
日の本のどこへ転々とするかがわからない状況の為、凛の判断を仰ぐことができなくなっていた。
故に新選組の側について、妖の羅刹から彼らを守るというのが子春の任務である。
今までも接触はしないものの、新選組を見守って来た子春は何体かの妖の羅刹を討ってきた。
新選組としては妖とはもう関わらないという決心があるのだろうか。
子春には計り知れないが、凛はとにかく正体を隠すことと、守っていることを知られるなという点を強調していたのは記憶に新しい。
「(茜凪様が恋慕い、若様と仲が良かったと聞くこの男たちを、守る……)」
いい機会として、子春は斎藤がどんな人間であるかをしっかり見極めようと思っていた。
相手は人間である。
妖の子春からしてみれば、興味の対象では決してない。
だが、少なからず“新選組”に対して。
そして“斎藤 一”に対して、興味を湧かせる人物と接触したことが起因だった。
「(なぜあの白狐である茜凪様が選んだ相手がこの男なんだろうか……)」
―――知りたいと思う。
妖の頂点に立つ、純血の春霞。
最後の生き残りである春霞 茜凪が惚れ込んだ“憧れ”である斎藤 一。
天狗の素直な探究心が、子春をも変えていく。
これは茜凪と関わったことで生まれた新たな視野。
そして、この視野ひとつひとつが、後の妖界を変える力になることを―――まだ誰も理解していなかった。